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第1章:奴隷契約編

017 人としての終わり

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 封印も共有されたことで、後は魔力を流すだけとなる。
 ……下手したらそれで死ぬかもしれないなんて言われたものだから、ぶっちゃけ恐怖しかない。
 恐怖心が表情に出ていたのか、リートは私の顔を見て、溜息をついた。

「大丈夫。この時の為に時間をかけて研究を繰り返してきたのじゃ。失敗などさせない」
「……」
「信じられないならそれで良い」

 恐らくかなり不審がっているであろう私を見て、彼女はそう呟いた。
 とはいえ、考えてみれば、生きてきた時間は私より十倍以上長いわけだ。
 オマケにそのほとんどをこのダンジョンの中で過ごしてきたと考えてみれば、このダンジョンを出る方法の研究に費やした時間は膨大なものとなる。
 ……まぁ、普通に考えれば、成功率は高いか……。

「……この方法、私は何かすることはありますか?」
「いや、お主は何もせんで良い。……というか、何もするな」

 冷たい口調で言うリートに、私は口を噤んだ。
 ……まぁ、素人の私が出しゃばっても失敗の可能性が高まるだけか。
 リートは鎖を伝って分岐している部分を見つけると、そこに手を当てた。

「さて……では、魔力を流すぞ」

 その言葉に、私は静かに息を呑んだ。
 すると、リートの手が当たっている場所を中心に、まるで絵の具でも垂らしたかのように鎖が黒く染まり始めた。

「うわ……」

 小さく声を漏らしてしまう。
 鎖はジワジワと黒く染まっていき、やがて私やリートに繋がっている接合部まで達する。
 と思えば、突然カッと黒い光を放ち、鎖がギシギシと軋み始める。
 数瞬後、パァンッ! と乾いた音を立てて鎖が破裂した。

「……えっと……」

 目の前にある鎖の破片に、私は小さく声を発する。
 少しするとその破片も粉々になって、霧散していく。
 その様子を見守っていたリートが、自分の足を見つめた。

「……成功したんですか……?」
「……あぁ。恐らく、な……」

 そう答えるリートの顔は、なんていうか……何とも言えない表情だった。
 嬉しそうにも見えるし、驚いているようにも見えるし……色んな感情が見え隠れしている表情だった。
 ……まぁ、仕方が無いか。
 三百年もずっと彼女をこの場所に縛りつけていた鎖が、目の前で粉々になったのだ。
 その感情は、十七年程度しか生きていない私には計り知れないものだろう。
 しばらく放心した様子だったリートは、やがてハッとした表情を浮かべ、すぐに私を見た。

「こんなことをしている場合ではないな。折角封印が解けたのじゃ、すぐに出発しないといかんのぅ」
「……服が欲しいです」

 小さく挙手をしながら言うと、彼女は「ふむ」と小さく呟いてから、近くに落ちていた布のようなものを拾ってこちらに投げつけてきた。
 慌てて受け取って広げてみると、それは黒色のローブだった。
 しかし、フードの部分が引き千切れたような感じになっていて、目立たないが首周りに血痕のようなものが残っている。

「これは……」
「前にダンジョンの中で拾ったものじゃ。このダンジョンを出たら近くの町で適当に服は見繕うから、それまでの代わりじゃ」
「……これ着てた人ってどうなったんです?」
「……妾は死人が着た服を着る趣味は無い」
「私にも無いんですけど」

 色々と荷物を準備するリートの言葉に、私はそう答えた。
 そこで、今彼女が着ている服を見て、「そういえば」と口を開いた。

「それって私が着ていた服ですよね? なんで貴方が着てるんですか? ……てか、それこそ貴方がこのローブを着れば良いじゃないですか」
「イノセに会うまでは着ておったぞ」
「だったら尚更……ッ!」
「だから、妾には死人が着ていた服を着るのはあまり好かんのじゃ」
「だからッ……あぁもうッ!」

 あまりに横暴な物言いに、つい声を荒げてしまう。
 今まで人と話していて、声を荒げたことなどあっただろうか。
 無いな、事なかれ主義だったから。
 大きく溜息をついて項垂れていた時、色々な道具を袋のようなものに入れていたリートが「おぉ、そうじゃ」と言いながら何かを持って、こちらに歩いて来た。
 彼女が近付いて来るのを見ていると、それは指輪のようなものであることに気付いた。

「……指輪?」
「今のイノセの力では、心臓の守り人どころかここの下層の魔物にすら勝てんからのぅ。お主の力を増強する物じゃ」

 言いながら、リートは持っていた指輪を私の目の高さまで持って来て良く見せてくれる。
 それは二つの指輪が連なったような形状をしており、宝石はどちらも無色透明だった。
 よく見ると、リングの内側には、何やら幾何学的な奇妙な模様が彫り込まれている。
 あれ……この指輪……どこかで見たことあるような……。

「……この指輪……どこで手に入れたんですか?」

 私はそう聞きながら、リートの顔を見上げる。
 それに、彼女は涼しい表情を崩さぬまま、小首を傾げて答えた。

「近くに落ちていた死体から手に入れたのじゃが?」

 ゾクッとした寒気が背筋を走る。
 ……死体……だって……?
 この指輪は、この世界に召喚される際に入手した物。
 つまり……日本から来た私達にしか入手しようがない物……。
 そして、山吹さんのグループや、もう一つのグループがこのダンジョンに無断で入るような無謀な真似をするとは思えない。
 簡単に考えれば、東雲、葛西、寺島の内の……二名の死体。
 そうか……少なくとも、あの三人の内、二人は……死んだのか……。

「……その死体、どこにありますか?」

 私の言葉に、リートは僅かに眉を潜めた。
 それから、少し目を逸らして口を開いた。

「魔物に食われていなければ、外に置いといたままじゃ。ここからそう遠くない場所じゃが……見に行くか?」
「……うん」

 小さく頷きながら、私はゆっくりと立ち上がる。
 すると、古びた椅子がギシッ……と軋んだ。
 私は受け取ったローブを身に纏いながら、リートに続いて部屋を出た。
 石で出来た扉を開けて少し歩くと、そこには……人一人分の死体が転がっていた。

「ッ……これが……」

 薄暗い中に転がっている死体を見て、私はそう呟く。
 ……酷い状態だった。
 胸の少し上からヘソの辺りに掛けて、彼女の体を横に切り裂くように三本程の大きな切り傷があった。
 心臓でも切り裂かれたのか、胸からは大量の血が流れ出ていて、その奥に何か潰れたトマトのような肉片が見え隠れしていた。
 顔も鼻から上が原型を留めておらず、薄暗い中で、一目でその死体の主を特定するのは不可能だった。
 しかし、死体の前でしゃがんで目を凝らしてみると、辺りに散らばっている毛髪の色から、その死体が葛西であることが分かった。

 少し視線を動かしてみると、葛西の死体の横に腕が一本落ちているのが分かった。
 恐らく、これがもう一人の犠牲者だろう。
 腕だけでは誰のモノか分からないと思ったが、それが右手であることに気付くと、特定は容易だった。
 東雲は右手に、寺島は左手に指輪を付けていた。
 つまり、消去法で考えればこの腕は……東雲の物だ。
 腕を失った状態で敗走した可能性も無くは無いが、利き手を失った状態で下層の魔物から逃げきるなど、無理な話だ。
 しかも、東雲の武器は両手で振り回すことが前提とされる棍棒。
 まともに武器も扱えない状態では、その可能性はさらに消える。
 ……つまり、東雲も……──。

「……っはは……」

 乾いた笑いが込み上げて来る。
 だって、笑えるじゃないか。
 私を見捨てて見殺しにしようとしていた奴等が、こんな無残に死んでいるのだから。
 痛かっただろう。苦しかっただろう。けど、それはアイツ等が私に味わわせようとしていたものだ。
 ざまぁみろ、自業自得だ。いい気味だ。

「あはははっ……!」

 笑いがさらに大きくなる。
 アイツ等が味わったであろう痛みを想像すると、余計に笑えてくる。
 けど、これは天罰だ。
 奴等は私を殺そうとしただけでなく、友子ちゃんのことも苛めていたのだから。
 ……そうだ、寺島は生きているのだろうか。
 いっそのこと、アイツも同じように苦しんで死ねば──。

「死体を見て笑うな」

 そこで、背後からそんな声がした。
 と思えば、ペシッと軽く後頭部が叩かれるような感触があった。
 叩かれた場所を押さえながら後ろを振り向くと、そこには、どこか怒ったような顔でこちらを見下ろすリートの姿があった。

「……リート……」
「もしかしてその死体は……お主を裏切ったという奴等のものか?」

 その言葉に、私は小さく頷いた。
 するとリートは溜息をついて、私の隣にしゃがみ込み……手を合わせた。
 突然のことに、私は目を丸くした。

「ちょ、ちょっと……」
「良いから、お主も同じようにせんか」

 咄嗟に止めようとする私に、リートは冷たい声でそう言った。
 それに私は戸惑うが、ひとまず彼女の真似をして手を合わせた。
 しばらくの間静寂が流れた後、リートがゆっくりと立ち上がるので、私は慌てて立ち上がる。
 するとリートは二人の死体を見て──

「死体を見て何とも思わなくなったら、人として終わりじゃからのぅ」

 ──静かな声で、そう言った。
 それに、私は小さく息を呑んだ。
 すると彼女は私を見て、ゆっくりと続けた。

「確かにお主を裏切った奴等かもしれんが、それでも同じ人間であろう? ……恨む気持ちは分かるが、それが死者を笑っていい理由にはならんぞ」
「……」
「……まだ準備もあるし、ここは魔物が来るからのぅ。一度戻ろう」

 そう言ってリートが歩き出すので、私は慌てて彼女を追って歩き出した。
 ……色々と起こり過ぎて、人としての感覚が麻痺していたのかもしれない。
 もしもあの場で止められていなかったら、人として大切なものを無くしていたかもしれない。
 ただ、唯一気になる点がある。

「……あのさ、リート」
「む? 何じゃ?」
「さっき見せてくれた指輪って、あの二人の死体から取ったんだよね?」
「……そうじゃが?」
「あの言葉……リートにだけは一番言われたくなかったんだけど」

 私がそう言った時、リートが石の扉を開いた。
 薄暗い通路に、部屋の中から光が差し込む。
 すると彼女はこちらに振り向き、口を開いた。

「妾はもう、人ではないからのぅ」

 そう言って笑みを浮かべる彼女の顔は、逆光によって出来た影も相まって、正に魔女のようだと思った。
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