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第1章:奴隷契約編

006 優しい人

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「ふぅ……」

 城の大浴場を出た私は、乾かしたばかりの髪を手櫛で梳きながら、小さく息をついた。
 この世界に来てから、私達はこのギリスール王国とやらの城で生活をしている。
 最初は戸惑ったものだが、一ヶ月も暮らしていると慣れてくるものだから不思議だ。
 風呂や整容は大浴場で済ませ、食事はこの世界に来た時に説明を受けた部屋で摂っている。
 他のことはそれぞれのグループに当てられた部屋の中で済ませられるため、生活自体に不自由はない。

 ……そう。部屋は四人グループごとに当てられている。
 この世界に来てから一ヶ月、私は東雲達と同じ部屋で寝泊りをしていた。
 とはいっても、流石にそういうプライベートな時間まで彼女等と一緒にいると息が詰まるので、消灯時間までは別の場所で時間を潰している。

 それは、この城の中庭だった。
 中庭に出る扉は寝泊りしている部屋がある場所からそう遠くない場所にあり、消灯時間間際までいてもギリギリ間に合うくらいの距離だった。
 中庭は結構な大きさがあり、見たこと無い植物ばかりで、見ていて飽きない。
 夜は月が綺麗で、月光に照らされる庭は神秘的で、不思議な空気感が漂っていた。
 私は庭に出てすぐのベンチに座り、自分の右手を目の高さまで持ち上げた。

 今日も、何事も無く一日を終えることが出来た。
 この世界に来てからたまに行っている、自分の生存の確認。
 あんな奴等と一緒にいて、魔物と戦う日々を送っている中で、まだ自分が死んでいないことへの安心。
 私はまだ……生きている。

「……っはは……」

 乾いた笑いが零れた。
 私は右手を顔に当て、そのまま笑う。
 何かが面白かったわけじゃない。
 ただ……必死に生きようとしている自分が、馬鹿らしいと思っただけだ。
 分からない。なんでここまで自分が生に執着しているのか、分からないんだ。
 私には、自分の帰りを待ってくれる家族すらいないのに。
 だって、私は……──。

「猪瀬さん?」

 突然、名前を呼ばれた。
 私はそれに顔から手を離し、パッと顔を上げた。
 そして、目を見開いた。

「……最上……さん……?」
「こ、こんな、ところに……いたんだ……」

 そう言いながら、最上さんはゆっくりと、こちらに歩いて来る。
 私はそれに戸惑いつつ、口を開く。

「えっと……わ、私に何か、用……?」
「へっ!? え、あ、えっと……と、とりあえず、隣、座っても……良い……?」
「う、うん……」

 最上さんの言葉に頷き、私は横にずれる。
 すると、最上さんは小さく会釈をして、私の隣に座った。
 彼女も風呂上がりなのか、隣に座ると、フワッと石鹸の香りがした。

「……い、猪瀬、さん……」
「は、はい……」
「あの……だ、大丈夫……? その……し、東雲さん、達と……一緒に、いて……」

 最上さんの言葉に、私はしばらく固まってしまった。
 ……多分、彼女は罪悪感でも抱いているのだろう。
 私が彼女を庇って、東雲達のグループに入ったとでも思っているのだろう。
 まぁ、間違ってはいないが、それで最上さんが罪悪感を抱くのはお門違いだ。
 悪いのは東雲達であって、最上さんではないのだから。

「大丈夫だよ。話を合わせておけば普通に話してくれるし……こんな状況だから、普通に接してくれるしね」
「そ、そうなんだ……よ、良かった……」
「……最上さんは、山吹さん達と、どう?」

 私の言葉に、最上さんは「ふぇ?」と情けない声を上げた。
 それから少し間を置いて、俯きながら答える。

「わ、私も……大丈夫、だよ……三人、とも……い、良い人、達、だし……」
「それなら良かった」

 私の言葉に、最上さんはしばらく口をパクパクした後で、黙って俯いてしまった。
 ……うーん、会話が続かない。
 そもそも、コミュ障とぼっちが会話してるからなぁ……会話自体成り立つか怪しいレベルだ。
 一人そんな風に考えていた時、最上さんがポケットに手を突っ込んだ。

「あの、これ!」

 と思えば、突然その手をこちらに突き出してくる。
 私はそれに驚きつつも、反射的に受け取ってしまった。
 それから受け取ったものを見た私は、目を丸くした。

「……ハンカチ?」
「……こ、この世界に、来る前、に……か、貸してくれた、やつ……」

 最上さんの言葉に、私はハッと息を呑んだ。
 日本にいた時に……イジメを受けていた最上さんに、渡した奴だ。
 びしょぬれになった彼女を見ていられずに、咄嗟に渡したもの。
 安物だし、あげたことすら忘れていた。

「あ……あの時、も……ぐ、グループ作る、時も……た、助けて、くれて……ありがとう……」

 長い前髪を指で弄りながら言う最上さんに、私はハンカチを握り締める。
 初めて、誰かに感謝された気がする。
 言葉を失っていると、最上さんはしばらく私を見つめた後で、「あっ」と小さく声を上げた。

「あ、あの! い、一応、こ、こっちの世界に、来てから、せ、洗濯は、したからっ!」
「……へ?」
「あ、アイロン、とかも、し、したかった、けど……こ、この世界に、無くって……で、でも……き、汚くは、無いと、お、思う、ので……」

 必死に取り繕うように言う最上さんに、私はハンカチを握り締めたまましばらく呆けてしまった。
 そんな私を見て、最上さんがさらに慌てながら、色々と弁解を始める。

「……ぷはッ」

 一人で慌ただしく喋る最上さんが可笑しくて、私はつい、息を吐くように吹き出してしまった。
 次いで、「あははッ」と声に出して笑ってしまう。
 すると、最上さんはキョトンとした後で、慌てた様子で口を開いた。

「な、な、何が可笑しいん、ですか……? も、もしかして、私、な、何か、変なこと……」
「あはははッ……あぁ、いや……ごめんね。最上さんが一人でずっと何か慌ててるのが、なんか面白くて」

 私はそう言いながら、一息つく。
 すると、最上さんは少し間を置いてから、「お、面白いって……」と不満そうに言う。

「わ、私は、真面目に……」
「あぁ、ごめんごめん。……でも、最上さんは優しいんだね」
「……やさ、しい……?」
「だって、あんなに真面目に私のこと考えてくれてさ。……このハンカチだって、むしろ、貸した私が忘れてたくらいなのに」

 私はそう言いながら、ハンカチを持った手を軽く振って見せる。
 すると、最上さんはキュッと自分の服の裾を握り締めた。

「それは……猪瀬、さんが……優しい、から……」
「最上さんに比べれば、私なんて全然……」
「そんなことないよ!」
「……!?」

 力強く否定する最上さんに、私はビクッと肩を震わせて固まってしまう。
 すると、彼女は少し間を置いて、「そんなこと……ない」と、念を押すように言った。

「猪瀬さんは、優しい、よ……ハンカチのことも、だし……グループ作る、時も……助けて、くれたし……今も、面白いって、言ってくれて……私、い、今までそんなこと、い、言われたこと、なくて……」

 そう言いながら、最上さんは自分の前髪を指で弄る。
 彼女の言葉に、私は何も言えなかった。
 ……私が……優しい……?
 そんなこと、あるはずがない。
 私なんかに、そんなこと言われる資格は無い。
 一人そんな風に考えていると、最上さんは私の袖を小さく摘まんだ。

「……?」
「猪瀬さんに、比べたら……私なんて、ダメダメだよ……」
「……そんなこと……」
「私は、ひ、人に優しくする、どころか……人と、まともに話すことも、出来なくって……」

 そう言いながら、最上さんは俯く。
 彼女は私の袖を握る力を強くして、続けた。

「私……じ、自分の名前……嫌い、なんだ……」
「……名前?」
「も、最も上、なんて……名前負け、だし……友達を、た、たくさん作って欲しいって……友子って、名前、付けてもらった、のに……全然、ダメで……」
「……別に、名前負けはしてないんじゃない?」

 私の言葉に、最上さんは「え?」と顔を上げた。
 前髪で隠れているから分からないが、キョトンとした顔をしているのが、なんとなく分かった。
 だから、私は彼女の手を自分の手で包み込みながら、続けた。

「私は、別に名前負けなんて、してないと思うよ」
「……なんで……?」
「最も上、って言うけどさ、一番なんて人によって色々な基準があるでしょ? これっていう正解があるわけじゃないんだし、最上さんにだって、きっと誰よりも優れているところがあるよ」
「……でも……」
「友子って名前もさ、古風で良いじゃない。それに、今は友達がいないってことは、周りには友達になれる可能性がある人ばかりってことじゃん。今は無理でも、これから増やしていけば良いんだよ」

 自分が、やけに饒舌になっているのを感じる。
 なぜかは分からないが、言葉が次から次へと出てくる。
 饒舌に語る私の言葉を受けた最上さんは、少し考えた後で、フッと小さく笑った。

「やっぱり……猪瀬さんは、優しいね。そんな風に、考えたこと……全然無かった」
「……最上さんが卑屈過ぎるんだよ」
「……自覚してます」

 苦笑のようにはにかみながら言う最上さんに、私は笑い返す。
 そういえば、彼女の話し方が、少し流暢になっているのを感じる。
 ……やっぱり、話し方さえ何とかなれば、ただの良い子だ。
 こんな良い子を救えたのだとしたら、それだけで、私にも少しは存在意義があると思える。

「……猪瀬さん」

 その時、最上さんがそう名前を呼んで来た。
 私が「何?」と聞き返して見せると、彼女は少しだけ間を置いてから、私の顔を見て続けた。

「わ、私と……と、と、友達に、なって、くれませんか!?」
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