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逃走開始

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 二回の休憩をはさんで、私を運ぶ一行は本日の宿に泊まるために停車した。
 城を出てから半日。休憩のたびに逃げるすきを探したけれど、少しその辺を歩くと言えばメイドと騎士がついて回り、明らかに不審なナップザックを持って馬車を降りることはためらわれた。

 もし、私が草原に行きたくないのだと知られたら、彼らは私を守る立場から一変し、私を逃がさないための見張りになるかもしれない。もしかしたら、一人くらいは味方になってくれる人がいるかもしれないけど……。

「その箱はいいわ。それよりも、こっちの箱を運んで」

 小銭が大量に入った箱を馬車から降ろして宿に持っていこうとする従者に、ナップザックを隠している箱を持つように指示を出す。

 小銭とカモフラージュ用の荷物のせいでそれなりに重いけれど、他の荷物と比べればかなり軽いその箱が、私の生命線。

「中に入っているのはお気に入りのガラス細工なの。転ばないようにゆっくりね」

 今回の旅に同行するくらいだから経験豊富なのだろうけど、その箱は慎重に運んでもらわないといけない。もし転んで中に入っているナップザックが外に出たら、言い訳を即座に考え付くかどうか怪しいし。

 もしかしたら寝る前に眺めるかもしれないと、その箱だけは寝室に入れてもらった。万が一メイドが中のガラス細工を飾ったとしても、衝撃吸収用のクッションの下に隠してあるナップザックには気づかないはず。

 食事は宿の部屋に届けられ、私は一人で食べることになった。給仕の者がいるから、部屋に完全に一人になったわけじゃないけれど。

「……騒がしいわね」

 数人の声が重なって意味のある言葉は拾えないけれど、どうやら今私がいる宿の周囲でなにかあったようだ。

「ねえ。少し様子を見てきてくれる?」
「しかし」
「このまま食事を続ける気分じゃないし、もう下げてもらってかまわないから」

 残りは宿の下働きが食べるだろう。
 今は食事よりも、この混乱に乗じてここを抜け出せるかもしれない期待に胸が高鳴る。

「さっと行って近くの騎士に事情を聞けばいいわ。私の命令だと言えばすんなり答えてくれるはずよ」

 食器を片付ける者と、状況を確かめに行く者と仕事を分担した私のメイドは、それぞれ部屋から姿を消した。部屋の出入り口の中と外に護衛の騎士がいることに変わりはないけど。

 怒鳴り声も聞こえてきたけど、どうやらそれは騎士の声らしい。室内にいた騎士が知っている声なので安心してほしいと、怒鳴り声の主を教えてくれた。

 しばらくすると部屋を出て行ったメイドが帰ってきた。宿に泊まっている王女を一目見たいと町の住民が押し寄せ、一種のフェスのように盛り上がっているらしい。

 王家への不満があっての行動ではないので、最低限の秩序と理性のおかげでけが人は出ていないけど、騎士の声が届かなくなる程度に興奮状態になっているそうだ。

「……明日の朝までその状態なら、少し顔を出してもいいかもね。今日は疲れたからもう寝るわ」

 夕飯を食べたばかりだけど、寝間着へと着替えさせてもらう。
 これでもう、今日のメイドの仕事はあらかた終了。あとは私のいないところで色々やることはあるかもしれないけど、この部屋での仕事はもうない。

「あなたたちも休みなさい。明日も馬車の旅は続くのですから」

 メイドを部屋から追い出し、奥の寝室へと移動する。
 ベッドのそばに置いてある箱を開け、ガラス細工とその下のクッションを取り出すと、みすぼらしいナップザックが姿を見せた。

「チャンス到来」

 一度寝間着を脱ぎ、ナップザックの中に入っているワンピースに着替え、室内用の靴から室外用の靴へはきかえる。そしてワンピースの上から再び寝間着を着込む。

 宿の寝室には大きな窓がある。警備の関係で城の寝室にはなかったけれど、ここの宿の寝室には、窓の外にちょっとしたバルコニーが設置されている。

 そっと窓を開けると、室内に外の空気が入り込んできた。よく手入れされている窓は音を立てることもなく、静かに外へつながった。

 目立たないように身を低くして下をのぞくと、兵士が数人ランプを持って警備にあたっているのがわかった。窓が開いたことに気づいたのか、見上げているのがランプに照らされるシルエットでわかったけど、あっちからは私の姿は見えないだろう。多分。室内の明かりは消えているし。

 寝室の窓が開いている状態に兵士が慣れるまで待つしかないかと長期戦を覚悟した時、大きな歓声がこの宿を包んだ。

「なに?」

 うおぉぉ、わぁぁ、と意味を持たない声がバルコニーの後ろ側、つまり宿の表の入り口から上がっている。誰かが集まった民衆に何か言ったのだろうか?

 バルコニーの真下の宿の裏庭を警備していた兵士たちも、何事かと連絡を取り合っているのがランプの動きでわかる。建物の影から出てきた兵士の一人が、裏庭を警備していた兵士たちを招集し、兵士の持つランプが一つの団体になったかと思うと、そのままランプの光は全て表の方へ向かって走っていった。

「ありがとう町の人たち!」

 バルコニーから身を乗り出し、下の階のベランダの屋根を確認すると、思ったよりも近い場所にあった。シーツを手すりに固くしばってたらすと、長さは少し足りないけれど安全に降りられるくらいにはなった。

「泥棒に入られやすそうな宿だけど、逆に今はありがたいわね」

 するする、と気持ちよく降りることはできなかったけれど、警備の兵士が帰ってくるよりも先に降りることができた。ベランダの屋根から降りるのは簡単だったので、あとは窓を割ってでも下の階の部屋に入るだけ。

「……うそでしょ。真上に王女泊まってるのに不用心すぎ」

 偶然にも二階の窓のカギが開いていた。
 この宿は現在王族貸し切りで、この部屋にも私と一緒に旅をしている誰かが泊まる予定なんだろうけど、不用心すぎて心配になる。ここから泥棒が入ってきたらどう責任とるつもりなんだろう。助かったけど。

「まぁいいわ。さて、裏口、裏口。裏口はどこですか~」 

 宿の中はまだ敵陣地。
 さっきの兵士たちが戻ってくる前にこの宿をでないと。バルコニーのシーツが発見される前に、なんとしても!
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