耳付きオメガは生殖能力がほしい【オメガバース】

さか【傘路さか】

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 今日は仕事も早く終わり、夕食も入浴も終えて寛いでいた。広い風呂は二人部屋の特権だ、と思いながら、長椅子の上で爪にやすりを掛ける。

 風呂上がりのイザナが、居間に戻ってきた。手には酒瓶を持っている。引っ越し当日の酒は既製品だったが、彼は果実を漬け込んだ酒を自作している。

 俺は両手を挙げ、飲みたい、と意思表示をした。果実と、適度に薬草が漬け込まれた酒を飲むと、すこぶる体調が良いのだ。更に、味も美味い。

「飲ませるから、いつもみたいに魔力読ませて」

 俺がグラスに入った酒を受け取り、口をつけていると、俺の背後にイザナが回り込む。腕が伸び、ぎゅむ、とその胸の中に収められた。

 それらしい事をされたのは初めてではないが、今日のこれは距離が近い。彼は俺を抱き込んだまま、触れた場所から魔力を流し込む。

 ちびちびと酒を楽しむのに邪魔にはならないが、集中して味わおうとしても、時折こそばゆい。

「後ろ、邪魔」

「お酒いっぱい飲んでいいから。右の瓶が新作だよ」

 新しい瓶を開け、中身をグラスに注ぐ。またちびちびとやると、甘酸っぱくてこちらも美味しかった。

 俺が味を楽しんでいる間も、彼は魔力を調べて何事か呟いている。

「服の下に手を入れて、お腹さわっていい?」

「すけべ!」

「違うって。腹の下の方に生殖器官が固まっているから、その部分の流れを見たいだけ」

「………………」

「瓶、空にしてもいいよ」

 俺が黙り込むと、彼はそれを了承だ、と正しく捉えたようだった。

 服の下に手を滑り込ませ、臍の下に触れる。アルファが触るには際どい部分だが、彼がそれ以上の手を出してこないことは分かっていた。

 魔力を流し込まれるたび、むずむずとしたものが育つ。酒が入っていなければ、勃ってしまっていたかもしれない。

「昨日。試作した薬、飲んだだろ」

「うん。あれ、かなりいい所まで来てるんだよね」

「今日、魔術が絶不調だった」

「え。……あ、そうか」

 彼の理屈で言えば、普段は流れるはずの水を押し留めて氷を作ろうとしているのだから、水を流す、という観点からすれば不調になるのだ。

 上司たちは俺の研究について把握していて、魔術が不調な原因についても理解はしてくれたのだが、仕事の多いロア課長には任せなくて良かった気がする。

「早く、結果を出さないとなぁ……」

 イザナは俺の首筋に鼻先を寄せる。すん、と吸い込んだ吐息が肌にかかった。

 こうやって、魔術の研究としては必要以上に触れられているのは分かっている。分かっていて、背後にくっついてくる相手のことを撥ね除けられない。

 もぞり、と腹に触れた指が動いた。

「いま触ってる……分、は、すけべ、だろ!」

「そうかもね」

 息が耳にかかった。開いた口が、かぷり、と耳を食む。

 びくん、と身体が跳ねた。暴れて腕から抜け出し、真っ赤な顔のままぜいぜいと息をする。

 俺の反応に、イザナはぽかんとした表情をしていた。

「…………耳、だめだって。言った」

「そっか、ごめん。もう触らないよ」

 舐められた耳から、アルファの匂いがする。相手の唾液をなすりつけられて、懐に入れられる。

 それを、巣に入れられることを、安堵と捉えてしまう自分に混乱した。オメガの本能が、彼をアルファだと見ている。

 グラスを持ち上げ、くい、と煽る。

「……寝る」

 そう宣言して、その場から離れた。顔は酒だけの所為ではなく真っ赤で、耳を押さえて自室でうずくまる。

 耳を咥えられたあの一瞬、俺の身体は快楽を覚えてしまった。アルファに耳を食まれるのは、粘膜越しに相手の魔力を混ぜられるのは、悦いことだと覚えてしまった。

 番になるだとか宣って、勝手に同居をして、両親を丸め込んでしまうようなアルファに、俺はただ鼓動を早めている。

「いやだ」

 耳は垂れ、手のひらの下で外からの音を塞ぐ。

「……いや、だ」

 自分に言い聞かせるような声だけが、静かな室内に浮かんでは消えた。







 それから数日、なんだかぎくしゃくしてしまう日々が続いた。いつも通りに過ごしているつもりなのだが、今までなら何でもなかった触れ合いに俺がびくついてしまう。

 イザナもそれを察しているのか、俺が身を引くと追ってはこない。俺がまたその事に気落ちしてしまう、悪循環が続いていた。

 朝から無理矢理詰め込んだ腹を抱えつつ出勤すると、ロア課長が近づいてくる。

「今日、昼から休みだったよな」

「え?」

「あれ? 同居人から今日は午後から休みにしたい、って連絡があったんだが」

 残念ながら、同居を始めてからイザナの研究のためなら全ての時間が惜しい、という行動には慣れつつある。本当に、濁流のような男だ。

「…………。理由とか、聞いてます?」

「ああ。例の研究で薬の材料を探しに、遠出をするから、と。転移魔術の使用申請も通しておいたぞ」

「どうせ、イザナが急に頼んだんですよね……。すみません……」

「ははは。関連部門には急すぎるって渋られたけど、お菓子とかで懐柔しておいたから。今度からはもっと早く相談しろよ」

 見せてもらった使用申請に書かれた転移先には、ナーキア、と書かれていた。

 自国の神話によく出てくる地名で、神が岩を割り、水を湧かせたことによる豊富な水資源で有名な土地だ。

 神が与えたらしいこの耳に影響する植物を探すには、うってつけのような場所だった。

「ありがとうございました。頑張って材料を探してきます」

「おう。いってらっしゃい」

 機嫌が良さそうに耳を揺らす上司に頭を下げ、自席に戻った。彼は、俺とは違って耳を隠しはしない。イザナもまた、俺の耳を見て、褒めるばかりだ。

 俺の耳は、隠さなければいけないものなのだろうか。

 昼までは普段通りの業務をこなしていくのだが、自分の置かれている状況を考えていると、気もそぞろだ。

 昼休憩の鐘が鳴ったとき、つい、ほっとしてしまった。

「フェーレス。お迎えー!」

「はい!」

 纏めた鞄を持って立ち上がり、出入り口に駆け寄る。やあ、とこちらに手を振るイザナは、外を散策しやすいよう、動きやすい服装をしていた。

 俺の服を上から下まで見ると、大きな紙袋を渡してくる。中を見ると、服が入っていた。

「軽く山登りをするから、着替えてくれる?」

「まずナーキア行きが決まった事から話せよ!」

「まあまあ、移動しながら話すよ」

 言われたとおり、更衣室で服を着替える。山道が歩きやすいような特殊な底のある靴に、ぴったりと全身を覆うような厚めの服だった。

 着替えを終えてイザナと合流し、転移魔術式のある場所まで向かう。

「で? 経緯は?」

「以前、フェーレスのご実家に伝わっていた資料を預かったでしょう。少しずつ読み解いていたんだけど、その中に『神の泉にしか咲かない花』の記載があってね」

 白い花弁を持つ植物だ、と資料には記載されていたらしい。神の泉、とはナーキアで神が石を割って湧かせたと言い伝えられている泉のことだろう。

 だが、その泉は伝説上のものだ。地図を探したとて見つかるようなものではない。

「その花について、別の文献では、古い言葉で『耳有る者へ贈る』と書かれていたんだ。元々、耳付きの人たちに対して差し出すような慣習があったのかもしれない。けど、それ以外の意味があるんじゃないか。耳に魔力壁を作るような成分が、その花に含まれているんじゃないかって」

「理由は、分かったけど……。急に休みにするな!」

「本当は昨日伝えるつもりだったんだけど、資料の読み込みをしてたら忘れちゃってた」

 あはは、と笑う彼の目元には隈が浮いていた。いつも、こうやって夢中で研究している。

 薬も雛形だった頃は飲んだあと副作用で吐いていたが、今はそういったことは起きず、魔術以外の不調は格段に減っていた。

「寝不足で軽い山登り、って大丈夫か?」

「徹夜には慣れてるし、アルファだしね。体力には自信があるよ」

 本人がそう言うのなら、と納得して、これからの打ち合わせをしつつ歩くと、目的の場所にはすぐ辿り着いた。

 職員に話を通し、転移術式の準備をしてもらう。術式の中に立つと、しばらくして魔術式が動き出した。

 浮遊感と共に、周囲の景色が移り変わっていく。

 隣に立つイザナを見ると、興味深そうに周囲を見回していた。彼は、俺よりもずっと、疑問を持ったものに対する好奇心が強い。

 膨大な魔力は、彼の方にこそあれば良かったのに。何故、この耳は俺の上にあるのだろう。

「────フェーレス。着いたみたいだよ」

 考え込んでいた所で、横から掛けられた声に顔を上げる。周囲の景色の変化は止まり、見知らぬ場所に立っていた。

 ナーキア側の職員が、到着を知らせてくれる。礼を言い、帰りについての説明を受けて建物を出た。

「こっちは、少し暖かいな」

「そうだね。お昼、まだだったよね。お店に入ろう」

 さっそく山に、と言うかと思ったが、彼は調べてあったらしい店に徒歩で向かっていく。どうやら分厚い肉を炭火で焼いてくれる店らしく、豪快な皿が多い。

 朝はあんなに食欲がなかったのに、目新しい料理につい食べ過ぎてしまいそうになる。程々に食べ、イザナへ連れてきてもらった礼を言った。

「良かった。フェーレス、お肉は嬉しそうに食べていたもんね」

「…………うん」

 最後に出てきた甘味も、俺が好きだといった果実が使われている。二人暮らしにも慣れ、相手の事も少しずつ分かってきた。

 彼は、俺の好きなものを覚えていてくれる。

「ご馳走様」

「ふふ。じゃあ、運動に行こうか」

 支払いは済んでいたようで、何も言われず見送られて店を出る。

 それから乗合馬車を使って、山の麓まで移動した。山の近くには小さな集落があり、堀で囲まれてはいるが、人の気配があった。

 もっと人が立ち入ることを禁ずるような山を想像していたが、獣道に毛が生えた程度の道もある。

「イザナはこういうの、慣れてるのか?」

 使い古された鉈を、腰に提げる様子を見て尋ねる。彼は間も置かずに肯定した。

「特定の場所でしか採取できない植物はあるし、そういった物ほど、尖った成分を含んでいることが多いからね」

「確かにそうだな。先頭、任せていいか」

「勿論」

 彼は強化魔術を使い、おそらく頂上であろう場所を目指して駆けていく。途中、目の前が植物で覆われている場所では止まり、切り払ってから、更に上へ足を向けた。

 山道は長い。強化魔術を使っていても、行って帰った頃には日が暮れるだろう。

「────これ、朝から出発した方が良かったんじゃないか」

 頂上に近づいた頃、休憩の合間に水筒で喉を潤しながら尋ねる。イザナは首を横に振った。

「いや。純粋に行って帰って、夕方になるくらいの距離なんだ。行って、すぐ神の泉に辿り着けないのなら、さっさと帰った方がいい」

「なんで?」

「喚ばれていない場所にあるような植物で、大きな運命が変わるはずがないよ」

 その言い分に首を傾げるが、彼は分からないならいい、というように話を続けることはなかった。

「ていうか、この場に俺がいる意味ってあったのか? 勢いに呑まれて来てはみたけど、今のとこ、俺、お荷物だと思うんだけど」

「いや。君が鍵だよ」

「え?」

 ふわりと、周囲が霧で満たされ始める。

 霧はだんだんと濃くなり、恐ろしくなってイザナに歩み寄った。彼は俺の手を掴む。見知った体温が、見知った魔力が、あまりにも心強かった。

 低い声が、近くで響く。真剣な声音は、彼のものにしては珍しい響きを持っていた。

「神の泉には、招かれた者しか立ち入れない。招かれる可能性があるとしたら────」

 俺の手が引かれ、ずんずんと霧の中を突き進んでいく。あれほどあったはずの木々は、真っ直ぐ進んでいるはずなのに遮るように存在しない。

 ただ先へ、霧中で歩いた。

「耳付きだけだ」

 突然、開けた場所に出る。

 中央には青く光る泉があり、こぽりこぽりと底から泡が湧き上がっていた。大きいとはいえない泉だったが、魔力ではない、妙な気配がある。

 イザナは、泉自体には関心を示さず、周囲に視線を走らせる。

「あった!」

 手を引かれて歩いて行くと、そこには小さな白い花が咲いていた。繋いでいた手が離れる。

 彼は花を根っこごと引き抜くと、用意していた袋に入れた。ある程度の量を、袋に仕舞う。

「……この花」

 夢中で収穫しているイザナの横で、花の形状をまじまじと見る。どこかで、見覚えがあるような気がした。

 この花と同じものを、最近、どこかで見たのだ。水の側……いや、池の側で咲いていた。

「イザナ。この花、うちの実家になかったか?」

「は?」

 彼は、眼鏡の奥からこぼれ落ちんばかりに目を丸くした。俺は花弁に触れ、まじまじと全体を見る。

 以前、両親に話を聞きに行った時、見せてもらった庭で、池の側に咲いていた花そのものに見える。

「確かに。……すごく似てる」

「うちの庭、って神殿に近くて、あの池の水、たぶん出所は神殿なんだよな」

 イザナは何かを思いついたように、抜いた花を土ごと袋に入れ始める。

「これ、フェーレスの実家で、神殿の水を借りてたくさん育てられないか試そう。植木鉢とか持ってくるんだったな」

 引き抜いてしまった花は直近で薬の試作に使うことにして、それ以外にも土ごと花を袋に入れる。

 ある程度の量が集まったところで、袋を背負って立ち上がった。

「じゃあ、出ようか」

 彼の言葉に呼応するように、周囲に霧が立ちこめる。来た方向へまっすぐ歩いて行くと、やがて、見覚えのある道に出た。

 さわり、と風が通り過ぎ、髪留めの下の耳を撫でて過ぎる。

 その感触はとても優しく、大事にされているものを布の下に隠してしまっているのが、申し訳なく感じてしまう程だった。

 来た道を辿って山を下りると、イザナが予想していた通り、夕方になっていた。乗合馬車を使って転移魔術式の元まで移動すると、想定していた通りの時間に戻ることになる。

 魔術式を動かしてもらい、俺たちはその日のうちに帰路についた。

「本当に、順調に見つけられたな」

「うん。やっぱり、耳付きって。僕は、祝福なんだと思うよ」

 イザナは、この花が見つかると信じていたようだ。耳は祝福であり、その耳を持つ人物なら、神の泉には辿り着けるのだ、と。

 耳を持つ俺ですら見えていないものを、この男は信じる、と言う。

「…………どうだかな」

 景色はめまぐるしく変わって、やがて元いた場所へと辿り着く。地面がぐらぐらと揺れて、果たして地に立っているのかあやしく思った。

 耳は髪留めの下で、今日も折り畳まれている。




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