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愛人にはならない。そして、屋敷を立ち去るのなら成果を見せてから立ち去りたい。失恋で絶望を抱いた事は間違いないが、逆に道は定まってしまった。
目標が一つになったこと、ゆっくりと眠ったことで体調も少し回復した。それからは、ノックスの誘いをすべて断って研究に没頭している。また期限を明日にする、と言われるかと思ったが、俺が鬼気迫っていたのか、彼は黙ってそれを許した。
ただ、食事の誘いを断る時には、ほんのすこしだけ寂しそうに見えた。
「あー! もう無理!」
成果物として提出しようと思っている魔術式が、どうしても完成しない。大枠は固まった。あとは試行を繰り返すだけなのだが、馬鹿みたいに魔力を食う術式の所為ですぐに疲労してしまう。
ロア兄にも細かく相談を続けており、何度も助け船が出されていた。
「今日は、もう魔力が」
窓の外を見れば夕方にしては早い時間なのに、もう魔力が枯渇している。
机に突っ伏し、指を折ってあと何日、と数えた。片手の指全ては折れるが、両手の指すべては折れない。
期限までに完成させたい理由は、単なる意地でしかない。彼の眼は正しかったのだと、自分に賭けた事が間違っていなかったと証明したい。なのに、時間が圧倒的に足りないのだ。
「挫けそ……」
物質を変質させる魔術は理に逆らう度合いが大きく、魔力消費の多さに繋がっている。もし、水銀を金へと変質させることが可能だとして、果たして、それは魔力消費以上の価値を持つのだろうか。
頬を机に転がし、ぼうっと考えていたとき玄関の呼び鈴が鳴った。珍しい事もあるものだ、と思いながら扉に近づく。
「はーい」
「ラディ、いるか?」
扉の向こうから聞こえてきた声は、見知ったものだった。近くの窓からロア兄の立ち姿を確認し、扉を開ける。
そこには、ロア兄ともう一人、ローブ姿の男性が立っていた。そして、足元には黒い大型犬もいる。ロア兄が面倒を見ている犬だ。
しゃがみこんで犬に向かい合うと、飛びかかって歓迎される。一頻りわしわしと遊んで、満足したように離れた。
「ロア兄。どうして……?」
「切羽詰まってる感じがしたからな。もう、期限も近いんだろ」
自然に上がり込もうとする様子に、止める間もなく扉が閉まった。犬は、と聞くと外で待っていてくれる、という。兄貴分は躊躇いなく家に入っていき、付いてきた男性も後に続いた。
彼らはさっさと実験室に侵入すると、広げられた魔術式を見下ろした。
「あの、ロア兄。その隣の方は……?」
二人は自己紹介もなしに上がり込み、魔術式に見入っている。ちょっと待て、とでも言うように俺に手のひらを向け、また黙って読み込みはじめた。
戻ってくる余地のない視線に、はぁ、と息を吐いて台所に向かった。お茶を淹れて帰ってくると、何処からか持ち出した筆記具でがりがりと魔術式が修正されている所だった。
俺が書き付けた実験結果は付いてきた魔術師に読み込まれ、筆記具を動かすロア兄に指示を出している。
「あの、お茶…………」
「置いといて。……ヘルメス、三日前の実験結果。何が多い」
「『変化なし』」
ヘルメス、と呼ばれた魔術師は、俺が構成している魔術式の一部を宙に書き綴り始めた。記述式の魔術。大量の魔力が込められたそれに、視線を上げたロア兄はぎょっと目を剥く。
「待て! 爆発したら物理的に危険だ! 結界!」
ああ、とヘルメスは綴りかけの魔力を散らす。改めて結界を張り始める様子に、この人がロア兄の言っていた部下であることを悟った。
俺は飲み物を脇に避け、二人の向かいに立つ。
「よろしくお願いします。ヘルメスさん」
「呼び捨てで構わない、敬語は非効率的だよ。ラディ」
彼はちらりとも視線を向けず、俺と話しながらも術式を書き続ける。ロア兄も腕を動かしながら、口を開く。
「は? 俺には敬語を使うだろうが」
「代理に敬語なしだと、他が煩くてそれはそれで非効率なので」
しれっと反論し、魔術の試行を終えると、自らも筆記具を持って逆側から修正しはじめた。ロア兄が王宮で通用するほど腕の良い魔術師なのは知っているが、ヘルメスもまた、物質に対して豊富に知識があることが窺える。疑問が出てきた時に俺の本棚から適切な書籍を持ち出してくる様子に、専門分野が似通っていることも分かった。
目は忙しなく動き、腕は勢いよく魔術式を綴っていく。ガリガリガリガリ、と二重に筆記具を走らせる音が静かな実験室に響いていた。
時間も忘れて没頭していると、窓の外の色が変わりきった頃に呼び鈴が鳴った。
「あ、俺が出てきます」
顔を上げる二人に言い置いて、玄関へと向かう。扉の向こうからは執事の声がした。鍵を開け、扉を開く。
「こんばんは。お客様がお見えですか?」
「あ、うん。魔術式の改良の手伝いに来てくれてるんだ」
玄関先で寝そべる犬も、ロア兄の家の子であることを伝える。執事は興味深そうに大人しく待っている犬を見た。しばしの静寂の間に、執事の表情がふわりと和らぐ。
「あぁ……、失礼。お客様は空腹ではないですか? 夕方頃からずっといらっしゃるので、よろしければ差し入れを、と思ったのですが」
「俺も腹減ってる。ちょっと聞いてくるな」
実験室へ戻って二人に尋ねると、ロア兄はそろそろ帰るという。仕事帰りに俺の家に立ち寄ったが、旦那がそろそろ帰宅する時間なのだそうだ。丁度いい、と立ち上がり、荷物を抱える。
「お熱いですね」
「まあ、相手が露骨にしょんぼりするからさ。犬を苛めてる気分になるんだよ。……ヘルメスはどうする?」
「僕の方はきりが悪いので、差し入れをご馳走になって、もう少し進めて帰ろうと思います」
「ラディ。ヘルメスを置いていっても大丈夫か?」
「大丈夫です。長いこと付き合わせてすみませんでした」
「はは。そこは、ありがとう、って言え」
「はい、ありがとうございました」
俺の頭を撫でると、ロア兄は大人しく待っていた犬を連れ、足早に帰っていった。
執事には二人分の差し入れを頼み、実験室に戻る。しばらく待つと、手づかみで食べやすい料理が並んだ大皿が届けられた。
術式に熱中していたヘルメスも匂いに勝てなかったようで、筆記具を滑らせながらもう片方の手で鷲掴みにしたパンを咀嚼する。以前、朝食で出てきたような、味の濃い肉団子が、半分に割ったパンの間に挟まっていた。
ポットごと届けられた珈琲を口にすると、溜まった疲労がどっとのし掛かってきた。それなのに、目の前のヘルメスは口だけで器用にパンを固定しながら、両手で魔術試験を続けていく。
彼の手元が止まった時を見計らって声を掛ける。
「魔力、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。いま食べた所だから、魔力に変換されてく」
どうやら、効率のよい炉を持っているらしい。俺の腹は魔力への変換にまだ時間が掛かりそうだ。
手分けをして魔術試験を繰り返し、結果を記録して修正箇所を探る。人数が二人になっただけなのに、数倍に感じるほどの速度で術式が書き換わっていく。
ヘルメスが、魔力が尽きた、と言い出したのは深夜に差し掛かるくらいの時間だった。流石にもう俺も続行は無理で、今日はお開き、となる。
「ごめんな。こんな夜遅くまで付き合わせて」
玄関まで見送ると、ヘルメスは、いや、と軽く言う。
「錬金は片手間でやっていたくらいだけど、なかなか楽しいよ。明日も来ていいかな?」
「俺は助かるけど……。高額な報酬なんか出ないぞ」
「部品として作ってる術式に目新しい式があった。あれ、ラディが作ったものだよね。いくつか王宮で使う術式として転用したいんだけど」
「構わない。……と、思うけど、一応この屋敷の主で、資金援助を受けてるのがノックス・グラウ、って貴族なんだ。その人に渡してもいいか聞いておくよ」
王宮の役に立つのなら、と頷きそうなものだが、念のため確認しておこうと決める。ヘルメスを見送るため、外套を羽織って一緒に外に出た。
庭の中には照明がいくつかあるが、その内の一つの下に人影があった。長身の立ち姿には見覚えがある。
「ノックス」
「こんばんは、ラディ。……お友達?」
夜の寒さの所為か、彼の声も冷え切っているように感じる。近づいてきたノックスに頷き、ヘルメスの肩に手を置いた。
ぴくり、と目の前にいる男の片眉が動く。
「こっちは、研究に協力してくれてるヘルメス。王宮の魔術式構築課の一員なんだ。で、こっちがさっき言ったノックス」
「よろしく」
「どうも」
ノックスが差し出した手を、ヘルメスが取る。屋敷の主が握った手を、客は不思議そうに見下ろした。
手が離れ、ヘルメスは一歩引く。そして、俺の肩に手を回した。
「この人が、愛人になれーって言ってる人かな?」
「お前……! なにを」
歯に衣着せぬ物言いに、慌ててノックスから引き剥がす。ヘルメスの口元を押さえながら、小声で、言うなよ、と窘めた。無礼を働かれたのに無言のままでいる、見知った男が恐ろしかった。
ヘルメスは満足げに頷くと、俺の服の裾を引く。
「しばらくラディの手伝いにお邪魔することになると思います。よろしくお願いします」
それだけを言い残すと、俺の服を引いたまま屋敷の門へと歩いていく。気になって途中で振り返ると、ノックスが普段は整った髪をくしゃくしゃにかき乱しているところだった。
いつもと違う様子に驚きながらも、ヘルメスを見送るために視線を戻す。
「いいの?」
「…………何が?」
首を傾げると、ヘルメスは、ほう、と白い息を吐いた。
「あっちも、愛人は嫌みたいだけど」
「は?」
「ちょっと境界を崩してみたら、魔力がびりびりって」
握手をした時、この目の前の魔術師は、自らの魔力の境界をわざと崩してみたのだそうだ。その時、攻撃的な魔力の波が襲ってきたのだという。
だからといって、愛人が嫌、とは何のことだろうか。
「いや……まあ、向こうも愛人は冗談で、成果物に失敗して出て行け、って思ってるかもだけど」
「そうなんだ?」
「ああ、なんか。元妻とよりを戻しそうだし」
ヘルメスは、へえ、と興味のなさそうな返事をすると、また明日、と門から出て手を振った。俺は手を振り返し、自分の家の灯りを求めて庭を歩く。
ふと、視線を感じて屋敷を見る。窓の奥、こちらを見ていたらしいノックスが、身を翻す姿が見えた。
愛人にはならない。そして、屋敷を立ち去るのなら成果を見せてから立ち去りたい。失恋で絶望を抱いた事は間違いないが、逆に道は定まってしまった。
目標が一つになったこと、ゆっくりと眠ったことで体調も少し回復した。それからは、ノックスの誘いをすべて断って研究に没頭している。また期限を明日にする、と言われるかと思ったが、俺が鬼気迫っていたのか、彼は黙ってそれを許した。
ただ、食事の誘いを断る時には、ほんのすこしだけ寂しそうに見えた。
「あー! もう無理!」
成果物として提出しようと思っている魔術式が、どうしても完成しない。大枠は固まった。あとは試行を繰り返すだけなのだが、馬鹿みたいに魔力を食う術式の所為ですぐに疲労してしまう。
ロア兄にも細かく相談を続けており、何度も助け船が出されていた。
「今日は、もう魔力が」
窓の外を見れば夕方にしては早い時間なのに、もう魔力が枯渇している。
机に突っ伏し、指を折ってあと何日、と数えた。片手の指全ては折れるが、両手の指すべては折れない。
期限までに完成させたい理由は、単なる意地でしかない。彼の眼は正しかったのだと、自分に賭けた事が間違っていなかったと証明したい。なのに、時間が圧倒的に足りないのだ。
「挫けそ……」
物質を変質させる魔術は理に逆らう度合いが大きく、魔力消費の多さに繋がっている。もし、水銀を金へと変質させることが可能だとして、果たして、それは魔力消費以上の価値を持つのだろうか。
頬を机に転がし、ぼうっと考えていたとき玄関の呼び鈴が鳴った。珍しい事もあるものだ、と思いながら扉に近づく。
「はーい」
「ラディ、いるか?」
扉の向こうから聞こえてきた声は、見知ったものだった。近くの窓からロア兄の立ち姿を確認し、扉を開ける。
そこには、ロア兄ともう一人、ローブ姿の男性が立っていた。そして、足元には黒い大型犬もいる。ロア兄が面倒を見ている犬だ。
しゃがみこんで犬に向かい合うと、飛びかかって歓迎される。一頻りわしわしと遊んで、満足したように離れた。
「ロア兄。どうして……?」
「切羽詰まってる感じがしたからな。もう、期限も近いんだろ」
自然に上がり込もうとする様子に、止める間もなく扉が閉まった。犬は、と聞くと外で待っていてくれる、という。兄貴分は躊躇いなく家に入っていき、付いてきた男性も後に続いた。
彼らはさっさと実験室に侵入すると、広げられた魔術式を見下ろした。
「あの、ロア兄。その隣の方は……?」
二人は自己紹介もなしに上がり込み、魔術式に見入っている。ちょっと待て、とでも言うように俺に手のひらを向け、また黙って読み込みはじめた。
戻ってくる余地のない視線に、はぁ、と息を吐いて台所に向かった。お茶を淹れて帰ってくると、何処からか持ち出した筆記具でがりがりと魔術式が修正されている所だった。
俺が書き付けた実験結果は付いてきた魔術師に読み込まれ、筆記具を動かすロア兄に指示を出している。
「あの、お茶…………」
「置いといて。……ヘルメス、三日前の実験結果。何が多い」
「『変化なし』」
ヘルメス、と呼ばれた魔術師は、俺が構成している魔術式の一部を宙に書き綴り始めた。記述式の魔術。大量の魔力が込められたそれに、視線を上げたロア兄はぎょっと目を剥く。
「待て! 爆発したら物理的に危険だ! 結界!」
ああ、とヘルメスは綴りかけの魔力を散らす。改めて結界を張り始める様子に、この人がロア兄の言っていた部下であることを悟った。
俺は飲み物を脇に避け、二人の向かいに立つ。
「よろしくお願いします。ヘルメスさん」
「呼び捨てで構わない、敬語は非効率的だよ。ラディ」
彼はちらりとも視線を向けず、俺と話しながらも術式を書き続ける。ロア兄も腕を動かしながら、口を開く。
「は? 俺には敬語を使うだろうが」
「代理に敬語なしだと、他が煩くてそれはそれで非効率なので」
しれっと反論し、魔術の試行を終えると、自らも筆記具を持って逆側から修正しはじめた。ロア兄が王宮で通用するほど腕の良い魔術師なのは知っているが、ヘルメスもまた、物質に対して豊富に知識があることが窺える。疑問が出てきた時に俺の本棚から適切な書籍を持ち出してくる様子に、専門分野が似通っていることも分かった。
目は忙しなく動き、腕は勢いよく魔術式を綴っていく。ガリガリガリガリ、と二重に筆記具を走らせる音が静かな実験室に響いていた。
時間も忘れて没頭していると、窓の外の色が変わりきった頃に呼び鈴が鳴った。
「あ、俺が出てきます」
顔を上げる二人に言い置いて、玄関へと向かう。扉の向こうからは執事の声がした。鍵を開け、扉を開く。
「こんばんは。お客様がお見えですか?」
「あ、うん。魔術式の改良の手伝いに来てくれてるんだ」
玄関先で寝そべる犬も、ロア兄の家の子であることを伝える。執事は興味深そうに大人しく待っている犬を見た。しばしの静寂の間に、執事の表情がふわりと和らぐ。
「あぁ……、失礼。お客様は空腹ではないですか? 夕方頃からずっといらっしゃるので、よろしければ差し入れを、と思ったのですが」
「俺も腹減ってる。ちょっと聞いてくるな」
実験室へ戻って二人に尋ねると、ロア兄はそろそろ帰るという。仕事帰りに俺の家に立ち寄ったが、旦那がそろそろ帰宅する時間なのだそうだ。丁度いい、と立ち上がり、荷物を抱える。
「お熱いですね」
「まあ、相手が露骨にしょんぼりするからさ。犬を苛めてる気分になるんだよ。……ヘルメスはどうする?」
「僕の方はきりが悪いので、差し入れをご馳走になって、もう少し進めて帰ろうと思います」
「ラディ。ヘルメスを置いていっても大丈夫か?」
「大丈夫です。長いこと付き合わせてすみませんでした」
「はは。そこは、ありがとう、って言え」
「はい、ありがとうございました」
俺の頭を撫でると、ロア兄は大人しく待っていた犬を連れ、足早に帰っていった。
執事には二人分の差し入れを頼み、実験室に戻る。しばらく待つと、手づかみで食べやすい料理が並んだ大皿が届けられた。
術式に熱中していたヘルメスも匂いに勝てなかったようで、筆記具を滑らせながらもう片方の手で鷲掴みにしたパンを咀嚼する。以前、朝食で出てきたような、味の濃い肉団子が、半分に割ったパンの間に挟まっていた。
ポットごと届けられた珈琲を口にすると、溜まった疲労がどっとのし掛かってきた。それなのに、目の前のヘルメスは口だけで器用にパンを固定しながら、両手で魔術試験を続けていく。
彼の手元が止まった時を見計らって声を掛ける。
「魔力、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。いま食べた所だから、魔力に変換されてく」
どうやら、効率のよい炉を持っているらしい。俺の腹は魔力への変換にまだ時間が掛かりそうだ。
手分けをして魔術試験を繰り返し、結果を記録して修正箇所を探る。人数が二人になっただけなのに、数倍に感じるほどの速度で術式が書き換わっていく。
ヘルメスが、魔力が尽きた、と言い出したのは深夜に差し掛かるくらいの時間だった。流石にもう俺も続行は無理で、今日はお開き、となる。
「ごめんな。こんな夜遅くまで付き合わせて」
玄関まで見送ると、ヘルメスは、いや、と軽く言う。
「錬金は片手間でやっていたくらいだけど、なかなか楽しいよ。明日も来ていいかな?」
「俺は助かるけど……。高額な報酬なんか出ないぞ」
「部品として作ってる術式に目新しい式があった。あれ、ラディが作ったものだよね。いくつか王宮で使う術式として転用したいんだけど」
「構わない。……と、思うけど、一応この屋敷の主で、資金援助を受けてるのがノックス・グラウ、って貴族なんだ。その人に渡してもいいか聞いておくよ」
王宮の役に立つのなら、と頷きそうなものだが、念のため確認しておこうと決める。ヘルメスを見送るため、外套を羽織って一緒に外に出た。
庭の中には照明がいくつかあるが、その内の一つの下に人影があった。長身の立ち姿には見覚えがある。
「ノックス」
「こんばんは、ラディ。……お友達?」
夜の寒さの所為か、彼の声も冷え切っているように感じる。近づいてきたノックスに頷き、ヘルメスの肩に手を置いた。
ぴくり、と目の前にいる男の片眉が動く。
「こっちは、研究に協力してくれてるヘルメス。王宮の魔術式構築課の一員なんだ。で、こっちがさっき言ったノックス」
「よろしく」
「どうも」
ノックスが差し出した手を、ヘルメスが取る。屋敷の主が握った手を、客は不思議そうに見下ろした。
手が離れ、ヘルメスは一歩引く。そして、俺の肩に手を回した。
「この人が、愛人になれーって言ってる人かな?」
「お前……! なにを」
歯に衣着せぬ物言いに、慌ててノックスから引き剥がす。ヘルメスの口元を押さえながら、小声で、言うなよ、と窘めた。無礼を働かれたのに無言のままでいる、見知った男が恐ろしかった。
ヘルメスは満足げに頷くと、俺の服の裾を引く。
「しばらくラディの手伝いにお邪魔することになると思います。よろしくお願いします」
それだけを言い残すと、俺の服を引いたまま屋敷の門へと歩いていく。気になって途中で振り返ると、ノックスが普段は整った髪をくしゃくしゃにかき乱しているところだった。
いつもと違う様子に驚きながらも、ヘルメスを見送るために視線を戻す。
「いいの?」
「…………何が?」
首を傾げると、ヘルメスは、ほう、と白い息を吐いた。
「あっちも、愛人は嫌みたいだけど」
「は?」
「ちょっと境界を崩してみたら、魔力がびりびりって」
握手をした時、この目の前の魔術師は、自らの魔力の境界をわざと崩してみたのだそうだ。その時、攻撃的な魔力の波が襲ってきたのだという。
だからといって、愛人が嫌、とは何のことだろうか。
「いや……まあ、向こうも愛人は冗談で、成果物に失敗して出て行け、って思ってるかもだけど」
「そうなんだ?」
「ああ、なんか。元妻とよりを戻しそうだし」
ヘルメスは、へえ、と興味のなさそうな返事をすると、また明日、と門から出て手を振った。俺は手を振り返し、自分の家の灯りを求めて庭を歩く。
ふと、視線を感じて屋敷を見る。窓の奥、こちらを見ていたらしいノックスが、身を翻す姿が見えた。
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