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個人美術館へ辿り着くと、知人らしき明るい男が出迎えた。荷物に歓声を上げる様子に、大事にしてもらえそうだ、と元の持ち主が微笑む。
個人美術館を一通り案内すると、あとは自由に、と言い置いて立ち去っていった。グラウ家の美術品を集めればこの個人美術館よりも当然のように多くなるだろうが、他の貴族と比較しても素晴らしい所蔵数だ。
高い天井。光の抑えられた室内は、他に誰もいない。静かに絵を鑑賞し、こつりこつりと靴音を響かせると、また立ち止まって絵を見る。
隣にノックスがいると、作者の話を付け加えてくれる。作者の人生を下敷きに作品を観る経験は、彼から教えてもらった。
生きてきた中で、美術品を見ることのできるほど余裕のある時期は今が初めてだ。もし屋敷を出ることになったら、また俺は忙しなく生きていくのだろう。今の平穏は彼から与えられたものだ。
いくら無茶ぶりをされたとしても、恩は変わらない。思っていたより、俺は彼に牙を抜かれ、飼い慣らされていたようだ。
コツン、と音がして、目の前の男が立ち止まった。
「ラディ。この絵は結婚式の様子なんだけれどね」
絵に描かれているのは、先ほど会った貴族の親族の結婚式らしい。嬉しそうな新郎……の隣にも新郎がいる。下の服もすっきりとしており、髪も短い。参列者たちの嬉しそうな姿に見入っていると、その間、隣からは呼吸音しか聞こえなかった。
ちら、と一度、隣を見て、また絵に視線を戻す。
「これ、新郎と新郎、だよな。貴族って、こんな大々的に結婚式するんだ」
「勿論。馬車で話した宰相閣下の結婚式は大きなものになるだろうし、貴族間の結婚も大々的にやるよ。昔は、ひっそり式を挙げたりもしたそうだけどね」
「この二人、は家同士の繋がりが必要だったのか?」
俺に向けられる瞳は細められ、ゆっくりと首が横に振られた。俺は呑まれるように、じっと彼を見つめる。
「いまは恋愛結婚、多いよ。この二人は家の繋がりもあるだろうけど、愛し合っての結婚じゃないかな」
「……そっか、悪いこと言ったな」
そろり、と、あたかもそれが自然であるかのように掌が腰に伸びてきた。隣に並んだ身体から、頭の上に体重が乗る。俺の頭に頬を擦り付けるその人は、猫が喉を鳴らすようにご機嫌に呼吸をしている。
馬車の中でもそうだったが、撥ね除けずに触れていると、彼の魔力の波が心地よく感じる。彼を無下に扱うのは恒例だったが、そのやりとりだって球をお互いに打ち返すような空気感があった。
彼と俺の魔力は、相性がいいらしい。自覚してみれば、馴染んでしまったそれが変に皮膚を引っ掻いた。
「なぁ、俺とあんたが魔力相性いいの、知ってた?」
腰を抱く手に、指を重ねる。波が砂浜に打ちつけるように、触れた場所から高揚が伝わる。こんな感情を抱くひとなんだ、意外に思って目を見開いた。
彼は至極当然、というように呟く。
「知ってたよ。ずっと、────出会ったときから」
彼と出会ったのは、酒場だ。
何度目かの仕事を辞めた翌日、俺は服屋に飛び込み、自分をめいっぱい着飾る服を買った。そこそこ高価で、派手めの服を身に纏い、貴族も出入りするような高級な酒場へと足を踏み入れる。酒場には招待が必要だったが、ロア兄の親戚が、無茶をしないように、という忠告と共に口を利いてくれた。
その時は、数度目の離職にやけっぱちになっていた。顔の良さでも何でも使って、研究の金を出してくれて囲ってくれる相手、を探すことにしたのだ。
酒場に入った途端、人が少ないことが見てとれた。来る日を間違えたらしい。
照明は柔らかく、色とりどりの酒瓶が並んだ棚が天井まで伸びている。棚の前には、酒を提供するであろう上品な姿の男性が立ち、その前には飴色に磨かれた一枚板が横長く伸びている。濃い赤色をした椅子の生地が、ゆったりと人が腰を沈み込ませるのを待っていた。
視線を巡らせると、奥の方に派手な髪色で、ぐったりと顔を垂らした男が座っていた。耳は赤く染まっており、既にかなりの深酒をしていることが分かる。不用心だ、と思い、心配になって彼の隣の椅子に腰掛けた。
隣の男に視線をやる。
俺が腰掛けたことすらも気づいていない様子で、まるで何もかもを失ったかのように唇にグラスを押し当て続けていた。
肩に手を添えて、軽く揺らす。顔を上げた瞳に光が入った。そこらでは見ない、上品さが顔に出るような美形だった。高級とは言え酒場に出入りして、深酒していることが似合わないような男だと思った。
「体調は大丈夫か? 水を頼もうか」
ぱちり、ぱちりと長い睫に灰色の瞳が現れては消えた。何かに撃たれたかのように、はらりと柔らかい髪が落ちる。
あまりにも目を瞠るものだから、どこか停まってしまったのではと焦った。目の前の男性に水を頼み、届いたグラスを渡す。
彼が震える指で受け取ろうとしたが、危ない、と俺が持ったまま唇に当てる。喉が隆起し、水を飲み込んでいった。
背をさすってやると、荒れていた呼吸が大人しくなる。
「────私は酔って、神様でも見えてしまったのかな?」
「は? 本当に大丈夫か?」
追加で水を頼み、同じように飲ませてやる。時間を置くと、ぐるぐると回っていた男の瞳が大人しくなった。
口元を手持ちの布で拭ってやると、彼は恐縮するように身を縮こまらせる。
「世話になったね。一気に酒を煽ってしまったようで……」
「耳が真っ赤で驚いた。次は軽い果実酒にしたらどうだ?」
「ああ、そうしようかな」
二杯分の果実酒を頼み、ちびちびと水を飲む男に視線を戻す。睫が長く、鼻筋も高い。顔の造りは綺麗、かつ髪色も目立つ色をしている。
俺の視線に気づいた男は、にこり、と微笑んだ。
「初めまして。私はノックス・グラウというんだ。君は?」
「どうもご丁寧に。名前はラディ、姓はない。ここには、幼い頃に世話になった貴族の紹介で来たんだ」
姓がない、というのは余程の田舎に住んでいるか、孤児であったか、のどちらかだ。そのような人物がこの店に出入りしていることを訝しがられないよう、言葉を添えた。
事情は察しただろうに、ノックスは表情には出さなかった。彼に悪い印象を抱けずにいるのは、この時の態度が目に焼き付いているからかもしれない。
「連れ、はいないんだよね? わざわざどうして?」
瞬間、彼の姿を頭からつま先まで辿って値踏みした。厚い布地で綺麗に仕立てられた服、身につけた装飾品の宝石の大きさ。聞き覚えのあるような家名。位が高い貴族であろうと踏んだ。
「俺は、錬金術を研究している魔術師なんだ」
「錬金、というと、金を作る?」
「そう」
錬金術を極めたいと思ったのは、単純に金が欲しかったからだ。幼い頃、親に金が無かったから捨てられた。金が無かったから殴られなければならなかった。金が無かったから、働きたくも無い職場を転々としなければならない。
金、金、金。生きていくのに何時までも付き纏う怪物。怯えて、執着して、縋らなければ生きていけないもの。安い金属を金に変えられたら、永遠にその呪縛から逃れられる気がした。
「いま無職でさ。研究資金を捻出できそうにないから、資金援助をしてくれる後援者を探してる。それで、貴族が出入りするこの店に来た」
「そう…………」
瞳に理性が戻った。きらり、と奥を光らせた目が、今度は入れ替わりに俺を値踏みする。他の人から向けられるような、粘つくようないやらしさは無かった。単純に、ノックスは俺自身が価値を提供できるか考えている。
無言の間を埋めるように、注文していた酒が届いた。まずは、とグラスを持ち上げる。
「素敵な出会いに」
「…………、まあいいか。乾杯」
硝子の重なる音を、二人の間で打ち鳴らす。こくり、と口に含むと甘酸っぱい匂いが鼻を過ぎていった。
軽い酒の筈なのに、体温が上がって仕方ない。胸がとくとくと鳴って、隣にいる男からの答えを待ちわびていた。
「君をここに紹介してくれた貴族は、君の後援者にはならないのかな?」
「ああ。……頼んでもいいんだろうけど。実は、紹介者、モーリッツの一員なんだ。俺よりも魔術の腕が良い相手に後援を頼むのも気が引けてさ」
「あの魔術一族か。確かに、彼らなら自前でやってのけそうだね」
納得したように、彼は指先を顎に当てた。ただの会話のようでいて、互いに互いを審査している。自然と背筋が伸び、口元には笑みを刷いた。
媚びるつもりはないが、印象は大事だ。
「モーリッツ一族に伝手があるということは、出身はフィッカだね? 当主のお膝元の」
「そうだよ。そこの孤児院に拾ってもらって、魔術学校を出させてもらったんだ。まあ、それもあって、あの一族にはこれ以上頼りづらいのもあるのかな」
「分かる気がするよ。あの一族なら、お気に入りを大事にはするだろうけどね」
お気に入り、という言葉はよく分からなかったが、そう、と頷いておいた。ノックスが頼んでくれた料理をつまみながら、育った地であるフィッカの話をする。モーリッツ一族とも関わったことがあるようで、彼の口からは見知った名前がちらほらと現れた。
話題が研究内容へと移る。現在の進捗と、今後の展望について語った。予想外にノックスは飲み込みが早く、俺のしようとしていることの方向性を掴んだようだった。
回答を棚上げしたまま、二人で互いのことを語り合う。ノックスは深酒に逃げることなく、寧ろ喋るのに邪魔だとばかりにグラスを脇に追いやっていた。
夜中を回った頃、そろそろ、と会話を切り上げる。思ったより長く話しすぎてしまった。懐具合を気にしていると、さらりと向こうがすべて支払った。
俺も会話を楽しんだ自覚があるだけに、申し訳なく感じてしまう。
「ノックス。あの……」
「馬車を呼んであるから。ラディの家まで送るよ」
「……っと、助かる」
暗闇の中でも洒落ていることが分かる馬車が、酒場の前に走ってくる。どうぞ、と御者が扉を開け、ノックスもまた先に乗るよう視線で促した。
車内には華美な装飾が至る所に施され、ふかふかとした座席はずっと撫でていたくなる触り心地の良さだ。これだけ多様な装飾がありながら、抑えているところが抑えられている所為で下品には感じない。
自然に隣に座ってくる男に、飛び退くのも失礼か、とその場に留まる。
「提案があるんだけど」
顔を上げると、瞳の奥に悪戯っ子特有の煌めきが見えた。
「私と、一晩『寝てくれたら』後援者になる、って言ったらどうする?」
文字通りに受け取れるほど、安穏と生きてきた訳ではなかった。はあ、とあからさまに溜め息を吐く。
「悪いけど、俺の身体は高価いんだ。────まっさらなもんで」
べしり、と相手の頬に軽く手のひらを当てる。本気じゃないことは分かっていたから、強化魔術込みでぶん殴りはしなかった。ノックスは俺の手のひらに自身の掌を添えると、くすり、と笑う。
やっぱり。今この男は素面に近いし、本気で俺を抱くつもりはない。意中になりようがない、と宣言されたようで腹は立つが、唇は閉じたままにしておく。
「明日。いや、今日か。朝から予定はあるかい?」
「特にはないが……」
「屋敷に招待するよ。敷地内に、後援している人に貸し与えている家がいくつかある。そのうち一つを、君に貸す」
こくん、と唾を飲んだ。おそらく、俺は賭けに勝ったのだ。
「じゃあ……」
「研究資金と生活費、だっけ。他にも必要なものがあれば言って。これから、私が面倒を見るよ」
広い掌が差し出される。そろり、と指先を沿わせ、握り込んだ。心臓が高鳴って、耳から聞こえそうなほど喧しい。
この時、俺は後援者を掴み取った。
個人美術館へ辿り着くと、知人らしき明るい男が出迎えた。荷物に歓声を上げる様子に、大事にしてもらえそうだ、と元の持ち主が微笑む。
個人美術館を一通り案内すると、あとは自由に、と言い置いて立ち去っていった。グラウ家の美術品を集めればこの個人美術館よりも当然のように多くなるだろうが、他の貴族と比較しても素晴らしい所蔵数だ。
高い天井。光の抑えられた室内は、他に誰もいない。静かに絵を鑑賞し、こつりこつりと靴音を響かせると、また立ち止まって絵を見る。
隣にノックスがいると、作者の話を付け加えてくれる。作者の人生を下敷きに作品を観る経験は、彼から教えてもらった。
生きてきた中で、美術品を見ることのできるほど余裕のある時期は今が初めてだ。もし屋敷を出ることになったら、また俺は忙しなく生きていくのだろう。今の平穏は彼から与えられたものだ。
いくら無茶ぶりをされたとしても、恩は変わらない。思っていたより、俺は彼に牙を抜かれ、飼い慣らされていたようだ。
コツン、と音がして、目の前の男が立ち止まった。
「ラディ。この絵は結婚式の様子なんだけれどね」
絵に描かれているのは、先ほど会った貴族の親族の結婚式らしい。嬉しそうな新郎……の隣にも新郎がいる。下の服もすっきりとしており、髪も短い。参列者たちの嬉しそうな姿に見入っていると、その間、隣からは呼吸音しか聞こえなかった。
ちら、と一度、隣を見て、また絵に視線を戻す。
「これ、新郎と新郎、だよな。貴族って、こんな大々的に結婚式するんだ」
「勿論。馬車で話した宰相閣下の結婚式は大きなものになるだろうし、貴族間の結婚も大々的にやるよ。昔は、ひっそり式を挙げたりもしたそうだけどね」
「この二人、は家同士の繋がりが必要だったのか?」
俺に向けられる瞳は細められ、ゆっくりと首が横に振られた。俺は呑まれるように、じっと彼を見つめる。
「いまは恋愛結婚、多いよ。この二人は家の繋がりもあるだろうけど、愛し合っての結婚じゃないかな」
「……そっか、悪いこと言ったな」
そろり、と、あたかもそれが自然であるかのように掌が腰に伸びてきた。隣に並んだ身体から、頭の上に体重が乗る。俺の頭に頬を擦り付けるその人は、猫が喉を鳴らすようにご機嫌に呼吸をしている。
馬車の中でもそうだったが、撥ね除けずに触れていると、彼の魔力の波が心地よく感じる。彼を無下に扱うのは恒例だったが、そのやりとりだって球をお互いに打ち返すような空気感があった。
彼と俺の魔力は、相性がいいらしい。自覚してみれば、馴染んでしまったそれが変に皮膚を引っ掻いた。
「なぁ、俺とあんたが魔力相性いいの、知ってた?」
腰を抱く手に、指を重ねる。波が砂浜に打ちつけるように、触れた場所から高揚が伝わる。こんな感情を抱くひとなんだ、意外に思って目を見開いた。
彼は至極当然、というように呟く。
「知ってたよ。ずっと、────出会ったときから」
彼と出会ったのは、酒場だ。
何度目かの仕事を辞めた翌日、俺は服屋に飛び込み、自分をめいっぱい着飾る服を買った。そこそこ高価で、派手めの服を身に纏い、貴族も出入りするような高級な酒場へと足を踏み入れる。酒場には招待が必要だったが、ロア兄の親戚が、無茶をしないように、という忠告と共に口を利いてくれた。
その時は、数度目の離職にやけっぱちになっていた。顔の良さでも何でも使って、研究の金を出してくれて囲ってくれる相手、を探すことにしたのだ。
酒場に入った途端、人が少ないことが見てとれた。来る日を間違えたらしい。
照明は柔らかく、色とりどりの酒瓶が並んだ棚が天井まで伸びている。棚の前には、酒を提供するであろう上品な姿の男性が立ち、その前には飴色に磨かれた一枚板が横長く伸びている。濃い赤色をした椅子の生地が、ゆったりと人が腰を沈み込ませるのを待っていた。
視線を巡らせると、奥の方に派手な髪色で、ぐったりと顔を垂らした男が座っていた。耳は赤く染まっており、既にかなりの深酒をしていることが分かる。不用心だ、と思い、心配になって彼の隣の椅子に腰掛けた。
隣の男に視線をやる。
俺が腰掛けたことすらも気づいていない様子で、まるで何もかもを失ったかのように唇にグラスを押し当て続けていた。
肩に手を添えて、軽く揺らす。顔を上げた瞳に光が入った。そこらでは見ない、上品さが顔に出るような美形だった。高級とは言え酒場に出入りして、深酒していることが似合わないような男だと思った。
「体調は大丈夫か? 水を頼もうか」
ぱちり、ぱちりと長い睫に灰色の瞳が現れては消えた。何かに撃たれたかのように、はらりと柔らかい髪が落ちる。
あまりにも目を瞠るものだから、どこか停まってしまったのではと焦った。目の前の男性に水を頼み、届いたグラスを渡す。
彼が震える指で受け取ろうとしたが、危ない、と俺が持ったまま唇に当てる。喉が隆起し、水を飲み込んでいった。
背をさすってやると、荒れていた呼吸が大人しくなる。
「────私は酔って、神様でも見えてしまったのかな?」
「は? 本当に大丈夫か?」
追加で水を頼み、同じように飲ませてやる。時間を置くと、ぐるぐると回っていた男の瞳が大人しくなった。
口元を手持ちの布で拭ってやると、彼は恐縮するように身を縮こまらせる。
「世話になったね。一気に酒を煽ってしまったようで……」
「耳が真っ赤で驚いた。次は軽い果実酒にしたらどうだ?」
「ああ、そうしようかな」
二杯分の果実酒を頼み、ちびちびと水を飲む男に視線を戻す。睫が長く、鼻筋も高い。顔の造りは綺麗、かつ髪色も目立つ色をしている。
俺の視線に気づいた男は、にこり、と微笑んだ。
「初めまして。私はノックス・グラウというんだ。君は?」
「どうもご丁寧に。名前はラディ、姓はない。ここには、幼い頃に世話になった貴族の紹介で来たんだ」
姓がない、というのは余程の田舎に住んでいるか、孤児であったか、のどちらかだ。そのような人物がこの店に出入りしていることを訝しがられないよう、言葉を添えた。
事情は察しただろうに、ノックスは表情には出さなかった。彼に悪い印象を抱けずにいるのは、この時の態度が目に焼き付いているからかもしれない。
「連れ、はいないんだよね? わざわざどうして?」
瞬間、彼の姿を頭からつま先まで辿って値踏みした。厚い布地で綺麗に仕立てられた服、身につけた装飾品の宝石の大きさ。聞き覚えのあるような家名。位が高い貴族であろうと踏んだ。
「俺は、錬金術を研究している魔術師なんだ」
「錬金、というと、金を作る?」
「そう」
錬金術を極めたいと思ったのは、単純に金が欲しかったからだ。幼い頃、親に金が無かったから捨てられた。金が無かったから殴られなければならなかった。金が無かったから、働きたくも無い職場を転々としなければならない。
金、金、金。生きていくのに何時までも付き纏う怪物。怯えて、執着して、縋らなければ生きていけないもの。安い金属を金に変えられたら、永遠にその呪縛から逃れられる気がした。
「いま無職でさ。研究資金を捻出できそうにないから、資金援助をしてくれる後援者を探してる。それで、貴族が出入りするこの店に来た」
「そう…………」
瞳に理性が戻った。きらり、と奥を光らせた目が、今度は入れ替わりに俺を値踏みする。他の人から向けられるような、粘つくようないやらしさは無かった。単純に、ノックスは俺自身が価値を提供できるか考えている。
無言の間を埋めるように、注文していた酒が届いた。まずは、とグラスを持ち上げる。
「素敵な出会いに」
「…………、まあいいか。乾杯」
硝子の重なる音を、二人の間で打ち鳴らす。こくり、と口に含むと甘酸っぱい匂いが鼻を過ぎていった。
軽い酒の筈なのに、体温が上がって仕方ない。胸がとくとくと鳴って、隣にいる男からの答えを待ちわびていた。
「君をここに紹介してくれた貴族は、君の後援者にはならないのかな?」
「ああ。……頼んでもいいんだろうけど。実は、紹介者、モーリッツの一員なんだ。俺よりも魔術の腕が良い相手に後援を頼むのも気が引けてさ」
「あの魔術一族か。確かに、彼らなら自前でやってのけそうだね」
納得したように、彼は指先を顎に当てた。ただの会話のようでいて、互いに互いを審査している。自然と背筋が伸び、口元には笑みを刷いた。
媚びるつもりはないが、印象は大事だ。
「モーリッツ一族に伝手があるということは、出身はフィッカだね? 当主のお膝元の」
「そうだよ。そこの孤児院に拾ってもらって、魔術学校を出させてもらったんだ。まあ、それもあって、あの一族にはこれ以上頼りづらいのもあるのかな」
「分かる気がするよ。あの一族なら、お気に入りを大事にはするだろうけどね」
お気に入り、という言葉はよく分からなかったが、そう、と頷いておいた。ノックスが頼んでくれた料理をつまみながら、育った地であるフィッカの話をする。モーリッツ一族とも関わったことがあるようで、彼の口からは見知った名前がちらほらと現れた。
話題が研究内容へと移る。現在の進捗と、今後の展望について語った。予想外にノックスは飲み込みが早く、俺のしようとしていることの方向性を掴んだようだった。
回答を棚上げしたまま、二人で互いのことを語り合う。ノックスは深酒に逃げることなく、寧ろ喋るのに邪魔だとばかりにグラスを脇に追いやっていた。
夜中を回った頃、そろそろ、と会話を切り上げる。思ったより長く話しすぎてしまった。懐具合を気にしていると、さらりと向こうがすべて支払った。
俺も会話を楽しんだ自覚があるだけに、申し訳なく感じてしまう。
「ノックス。あの……」
「馬車を呼んであるから。ラディの家まで送るよ」
「……っと、助かる」
暗闇の中でも洒落ていることが分かる馬車が、酒場の前に走ってくる。どうぞ、と御者が扉を開け、ノックスもまた先に乗るよう視線で促した。
車内には華美な装飾が至る所に施され、ふかふかとした座席はずっと撫でていたくなる触り心地の良さだ。これだけ多様な装飾がありながら、抑えているところが抑えられている所為で下品には感じない。
自然に隣に座ってくる男に、飛び退くのも失礼か、とその場に留まる。
「提案があるんだけど」
顔を上げると、瞳の奥に悪戯っ子特有の煌めきが見えた。
「私と、一晩『寝てくれたら』後援者になる、って言ったらどうする?」
文字通りに受け取れるほど、安穏と生きてきた訳ではなかった。はあ、とあからさまに溜め息を吐く。
「悪いけど、俺の身体は高価いんだ。────まっさらなもんで」
べしり、と相手の頬に軽く手のひらを当てる。本気じゃないことは分かっていたから、強化魔術込みでぶん殴りはしなかった。ノックスは俺の手のひらに自身の掌を添えると、くすり、と笑う。
やっぱり。今この男は素面に近いし、本気で俺を抱くつもりはない。意中になりようがない、と宣言されたようで腹は立つが、唇は閉じたままにしておく。
「明日。いや、今日か。朝から予定はあるかい?」
「特にはないが……」
「屋敷に招待するよ。敷地内に、後援している人に貸し与えている家がいくつかある。そのうち一つを、君に貸す」
こくん、と唾を飲んだ。おそらく、俺は賭けに勝ったのだ。
「じゃあ……」
「研究資金と生活費、だっけ。他にも必要なものがあれば言って。これから、私が面倒を見るよ」
広い掌が差し出される。そろり、と指先を沿わせ、握り込んだ。心臓が高鳴って、耳から聞こえそうなほど喧しい。
この時、俺は後援者を掴み取った。
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