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別荘に行くと、別荘の管理人が出迎えてくれた。お茶にお菓子が添えられ、歩き疲れた僕たちは有難く手を付け始める。
フロードは本屋の件を管理人に告げ、机の上に内容をまとめた紙片を広げた。
「今までの情報を纏めると、『昔、西の魔女が掛けた呪いを解く方法を東の魔術師が若き王へ教えた』『東の魔術師は強大な魔力を持ち、治癒の魔術に長けていた。これは水妖の特性と極めてよく似ている』。ここまでは、港町に来るまでに分かってたこと」
長い指が、紙片を摘まみ上げる。低い声が僕の言葉に続けて、内容を読み上げ始めた。
「ここからは港町に来て分かったこと、だね。『水妖は歌をうたう。これは昔から同じ記述があるが、現在でも少ないものの歌を聴ける人が存在する』『三日前にも水妖は歌った。何か嬉しいことがあると歌うらしい』『昔、若き王の呪いが解けた際にも、水妖は歌った』『東の魔術師は、何故か港町を訪れていたことが言い伝えられている』それと、紙には書いていないけど『どうやら、今でも水妖は存在しているらしい』……こんなところかな」
二人して、紙片を前に腕組みする。
紙を持ち上げ、目を通してはひらひらと振る。途中、お腹が減ると菓子を摘まんだ。
「一つ、思いついたのは水妖に会って、呪いの解き方を聞くって方法。でも、これって会える可能性、低いよね」
「私が思いついたのは、同じように『東の魔術師』に会って、呪いの解き方を聞く、って方法もかな」
「港町に来てるかも、ってこと?」
「ああ。通りを歩いてみたけど、魔術師らしい格好をしている人物は少ない。手っ取り早く全員に声を掛けてみて……それこそ、今日、浜辺で会った人とか」
魔術師に次々と声を掛け、東の魔術師であるか尋ねる。
可能ではあるが、ある程度の労力と、変質者と間違われかねない懸念があった。それに、東の魔術師であっても、そんな変な問いをされて頷きはしないだろう。
うーん、と僕は唸り声を上げた。
「明らかに東の魔術師です、って人がいたら声を掛けてみるのもいいかもしれないけど、外見じゃ分かんないなぁ」
「そういうのを調べる魔術はないの?」
魔術師ではないフロードの問いに、僕は情けない声を出す。
「触れてみるのが手っ取り早い、けど。東の魔術師って僕なんかとは比較にならないほど優れた魔術師だし、たぶん巧く誤魔化されるよ」
萎れてしまった僕の皿に、フロードは微笑んで菓子を積み上げた。
僕がだいたい食によって機嫌が直ることが知られてしまっている。手を伸ばし、ぱりぱりと咀嚼する。
「取り敢えずは、水妖に会うことを優先しよう。昼間は情報収集と観光をして、夜は時間を変えつつ浜辺に行く、でどうかな?」
提案に頷くと、また皿の上の菓子が増えた。
減ってしまった菓子を補充しようか、と管理人が近寄ってくる。遠慮しようとした僕より先に、フロードが受け入れてしまった。
増えた焼き菓子は、僕の皿に積み上がる。たくさん歩いて頭を使った今日は特にお腹が空いていたし、魔術師は食べ物に関する効率がすこぶる悪い。
食事を疎かにすれば忽ち痩せるし、多少食べ過ぎても研究のために魔力を撃っていたらやっぱり減るのだった。
僕は大人しく菓子を咀嚼し、無力感を慰める。
「シュカ。君が東の魔術師に比べて力がないと自称したとしても、一生懸命、私を助けてくれようとした魔術師は君だけだ。君に報いるために、私自身が変化しなければ、と思い直す程にね」
「僕、は何もしてないよ……!」
「嘘。君の父君と話をしたよ。寝る間も惜しんで調べてくれていたそうだね。旅行のことを心配しながらも、成果が出て良かった、と喜んでくれた。父君が喜ぶほど、君は努力してくれたんだろう?」
皿から顔を上げると、彼は柔らかい表情をしていた。
何か、美しいものでも眺めているような眼差しは、ずっと向けていてほしいという欲望を喚起させる。
「私のような人間は、遊び人が報いを受けた、そう言われて当然だよ。けれど、君は見捨てなかった。与えられた責務を果たそうとしてくれた。もし呪いが解けずに終わっても、きっとこの嬉しさは残る。それが私にとっては、とても嬉しいよ」
彼が言い終えた後、飲み物の補充に来た管理人が、僕たちが話しているのを見て戻ろうとするのを引き留める。
ポットを取り替えた管理人は、フロードの様子を見て眦を下げた。
「呪いに掛かったと聞いたときには、フロード様もたいそう落ち込んでいるだろうと心配しておりましたが、杞憂だったようで」
「はは。私には、腕のいい魔術師もついている。『いずれ呪いも解ける』さ」
彼は僕に向け、片目をつぶってみせた。
師匠の言葉の受け売りだと察して、くすりと笑う。
「うん。きっと解けるよ」
僕もまた、言霊とも呼べるような言葉を返した。
それからは、半分遊んで、半分調査して、夜に浜辺へ出る日々を過ごした。領地よりも温暖ながらからっとした気候は過ごしやすく、海鮮はあまりにも美味だ。
初日に調べた情報を超える話は出てこなかったが、二人して船に乗ったり、海で遊んだりと思い出だけは積み上がっていく。
フロードに悲観した様子はなかった。その事に安堵するも、他に触れる人がいないのか、僕と積極的に触れ合おうとしてくる彼の様子には少し戸惑っている。
彼にとっては解呪のための魔術師でしかない僕も、いちおうオメガの端くれである。なぜ僕だけ心臓が痛む呪いは発動しない……好意が育たないのかと、胸に宿った焦りは次第に大きくなっていく。
その日は遅めに起床すると、管理人が朝食を用意してくれる。朝食が出来上がる頃、フロードも目を覚ましたようで居間へと姿を見せた。
「よく寝た……」
ふあ、と欠伸をする様子は、気が抜けきっていた。普段なら整っている髪も、ちらほら癖が付いている。
「おはよう、フロード。朝のお魚、揚げ物だって」
「おはようシュカ。……それは楽しみだけど、私より君の方がずっと嬉しそうだ」
立ち上がって出迎えると、彼は僕の身体を自分の両腕に収めた。
ぎゅ、ぎゅ、と抱擁し、ぐい、と体重を掛けられる。僕はその背を叩き返し、腕から逃れた。
「もう。半分寝てるでしょ。顔洗ってきたら?」
「……もう顔は洗ったよ。髪は後で整える」
残念そうに両手を見下ろしたフロードは、飲み物の容器を手に取り、露壇に置かれた机へ向かって歩いていく。
日陰の下のその席は海風も届くいい場所で、よく朝食をそこで摂っていた。
僕も飲み物を持ち、彼の座った机の向かいに腰掛ける。彼はずっと海を視線で追っていた。こちらに気づくと、くしゃりと幼く表情を崩す。
「ずっと、こうやっていたいね」
「うん。ここに来た目的、ぜんぶ忘れて遊んじゃいたい」
僕の返事に満足そうに唇を動かすと、彼は飲み物を口に含んだ。持ち運びやすい野外用の容器に入れられたそれは、絞った果汁を他の材料で薄めたものだった。
こくりと飲み干すと、甘酸っぱい味がする。
「そうだ。今日、食事のあとでシュカに手伝ってもらいたい事があるんだけど」
「いいよ。何?」
本の解読か、遊びへの誘いか。
そう当たりを付けて問いかけると、彼は嬉しそうに唇を持ち上げる。
「私に触ってみてほしいんだ」
「え?」
「呪いがどういった条件で発動しているのか、少し確認したいことがあって」
詳細について問い返したかったが、途中、管理人が食事を運んできたことによって中断する。
根菜の冷製スープも、焼きたてのパンも、からっと揚げた魚も、添えられた野菜の味付けも抜群に美味しく、僕はその間だけ、彼の頼みを忘れた。
「美味しかった……」
食事を終えて長椅子で休んでいると、隣にフロードが腰掛けた。
僕は膨れたお腹を触っていた手を下ろすと、彼に視線を向ける。
「はい」
かるく両手を広げた彼に面食らう。僕がその両手をどうすべきか戸惑っていると、相手は首を傾げた。
「触ってくれる、って約束だったでしょう」
「言ってたね。でも、なんで?」
僕がそう問うと、彼はいったん手を下ろした。
「最近、旅行先で人と触れることもあったんだけど、本当に何ともなくて。だけど、シュカは呪いはそのままだ、って言うよね」
僕は手のひらを彼に向ける。彼は、掌を重ねた。
魔力を伝わせてみるが、心臓に絡みつく魔力にも術式にも、まったく変化はなかった。
「そのままだよ」
フロードは二人の間で掌を上下する。重ねられた僕の手もその場で跳ねた。手遊びのようなそれは、考えついでの無意識の動作らしい。
「確かに、誰かと接しても恋愛関係の選択肢が浮かばなくなったのはそうなんだけど。でも、それくらいで……?」
ううん、と悩んでいるらしい彼に、仕方がないかとも思う。
胸の痛みは人間を生死の狭間へと揺さぶるもので、恐怖感もひとしおだ。それが心情の変化ひとつで起きなくなった、という事が疑問なのだろう。
そして僕も、ひとつ考えていたことがあった。
もっと深く触れ合ったら、ほんの少しでも彼の胸に痛みを灯せるだろうか。
「…………取り敢えず、触るだけ触ってみる……?」
おずおずと切り出した提案は、彼のためではなく僕のためだ。
フロードは何も知らないまま、喜んで両手を広げる。少し腰を持ち上げ、彼の方に近づいた。
長い腕が腰へ伸び、彼の膝上へと引き寄せられる。
「うぁ……」
体勢を整えられ、気づけば彼の太股に腰掛ける形になっていた。腰には腕が絡みつき、立ち上がれば引き戻されそうだ。
ちらりと視線を向けると、触れているフロードの表情に変化はない。今でさえ、こんなに触れてさえ、痛みはないのだ。
「ほら、触って」
僕の手が持ち上げられ、彼の頬へと当てられる。咄嗟に動いた指先の下には、滑らかな肌があった。
美しい顔立ちは、少し身体を持ち上げれば触れそうなほど近くにある。近くで見れば更に凄みがあり、彼を恋人にしたいと思う人が多いのも頷けた。
「……肌、綺麗だね」
「シュカの肌には敵わないよ」
僕の手を握った指先が、肌の上を滑った。
お互いの手を重ねて、息が掛かるほど近くで触れ合っても、僕たちは番同士ではない。そのことに胸が引き絞られる感情、これは哀しみに違いなかった。
依頼に託けて仕舞い込んでいた恋情が、すとんと腹の奥に落ち着く。
「頬にキスしたら怒る?」
そう問いかけておいて、持ち上げた僕の手の甲を己の唇に当てる。
手の甲には柔らかい感触がした。
「…………ほっぺ以上は、怒る」
気持ちを悟られてしまうかと怯えたが、彼は黙って僕の頬へと唇を寄せた。
ほんのすこし触れるだけ、柔らかいものが薄い皮膚に当たって離れていく。自然と頬に血が上り、触れられた場所を押さえて俯く。
視線を合わせられないでいる僕を、フロードは抱き込んだ。
「ほんっと。可愛いなぁ……」
「協力しようと思ったのに……!」
腕の中で暴れるが、それよりも上手く押さえ込まれる。
力も、身体の大きさも、何もかもが違うアルファ。彼が望めば、僕なんてどうにでもなってしまう存在だ。
でも、どうしようもなく『どうにもなりようがない』のだった。
「胸、痛まなかったよね。大丈夫?」
「うん。本当に、この呪い、どういう条件で発動しているんだろう」
フロードはまだ、不思議そうにしている。最初に術式に触れた時に反撃を受けてから、僕は術式を読めていない。
不思議には思うのだが、僕には発動しない事に変わりはないのだし、解呪を優先したい気持ちの方が強かった。
「解いちゃえば一緒だよ」
絡みつく彼の腕をぺしぺしと叩いて、解放してくれ、と主張する。
フロードはぱちぱちと大きな瞬きを繰り返し、僕を抱き込んだまま長椅子に倒れ込んだ。
そのまま起き上がらず、彼は目を閉じる。
「え、寝る気?」
最近は、夜に浜辺へ出歩いている。眠りの量は増えているが、時間が不規則なのには違いなかった。
「ちょっとだけ」
間近で、彼が目を開いた。薄青色の瞳が、僕を見返す。
僕よりも人魚らしい彼の瞳は、困惑するオメガの姿を映し続けていた。
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