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魔術学校に到着すると、身体検査を受け、慣れた敷地内を案内なしに歩く。
僕が解呪に困った時に頼れる人物は少なく、師匠はそのうちの一人だ。来訪の打診をすると事情を汲み、すぐに時間の都合を付けてくれる。
僕の家のような小さな貴族に親切にしたとして、研究室に入る金銭は殆どないというのに、弟子であることを理由によく都合をあわせてもらっていた。
扉を叩いて返事を確認し、研究室に入る。
大量の本棚、術式が刻まれたいくつもの古びた品。最低限の明るさしかない狭い室内は、昔から変わっていなかった。
「いらっしゃい、シュカ」
ローブ姿の美形の男は、僕と同じような色彩でありながら、白い肌を持っていた。
手を広げる師匠の腕の中に飛び込むと、軽く背を叩かれる。僕もまた、彼の背を抱き返した。
「セイウ師匠。予定を空けていただいて、ありがとうございます」
僕は身体を離し、扉の近くに立つフロードを振り返る。
彼の眉は軽く寄せられていて、瞳の中に感情は読み取れなかった。
「この方が、フロード・ローレンツ。今回の依頼人です」
「初めまして。フロードという」
セイウ師匠は差し出された手を取ると、腕を引いてフロードさえも腕に収めた。
師がぽんぽんと背を叩く動作に、初対面であるはずの相手が驚いているのが分かる。
「これは……。西の魔女の恨みを買った? 何をしたんです」
師匠は身体を放すと、魔力の出所をぴたりと言い当てる。
続けて、無言で目を丸くしているフロードの肩を叩くと、近くにある椅子を勧めた。
「まあ、ゆっくり話を聞きましょう」
師匠は一旦その場を離れると、カップを三つ、盆に載せて運んできた。
椅子に座った僕たちの前に二つ、もう一つのカップは使い古された師匠自身のカップである。
お茶に手を付けない僕たちを放って、彼は飲み物を口に含む。
「ああ。緑茶はお好みではない?」
「いえ」
フロードに向けて尋ねた師匠の言葉に促されるように、彼はカップを口に寄せる。
こくん、と飲み込んで、興味深そうに水面を眺めた。
「そういえば、自己紹介が未だでしたね。僕はセイウ・オザキ。シュカの祖先と同じ、東の国から来た移民の子孫です。専門は呪術」
「その。西の魔女の呪いだって、どうして分かったんですか?」
僕が尋ねると、師匠は軽く目を瞠る。
「西の魔女に関する書物には、かなり多く目を通した。同じ専門分野を極める者同士ね。だから、魔力波の特徴や、術式の癖は知っている。滅多なことで人を呪わない、という彼女の人間性もね」
師匠の言葉は、ぴりり、と空気を締め付ける。
本人は薄く笑みを浮かべ、緑茶の味すら楽しんでいる様子だ。だが、僕ははらはらと二人を見守る。
フロードは肩を竦め、観念するように口を開いた。
「私は、沢山の人と交際することが多くて」
「番を持たずに遊んでいた、とか?」
師匠の問う声は浮いていて、なんだか愉しそうにすら思える。普段なら依頼人のこういった事情を煽るように聞く人ではないのだが、今日は様子が違う。
西の魔女、呪った相手のことに思い入れがあるからだろうか。
「…………ああ。だから、呪いを依頼した相手は特定できない。何故、西の魔女がその依頼に合意して、呪いを掛けたのかも分からない」
僕と同じ考えを、フロードも抱いているのかもしれない。
僅かに、彼の声に余裕がなくなっているように感じる。
「呪いの内容は、心臓に関わることですか?」
「ああ。好意を持つ人物に触れると、心臓が締め付けられるんだ」
「試していただきたいところですが、僕相手じゃ発動しなさそうですね」
はは、と師匠は笑うのだが、フロードは同意も愛想笑いもしない。
無言に耐えかね、僕は身を乗り出した。
「それで、師匠。僕は呪いを解きたいのですが、術式を無理やり剥がすには、僕と相手の力量差がありすぎるようです。何か方法はないでしょうか?」
「西の魔女の呪いを解く、か……」
ううん、と師匠は濁った声を漏らす。
彼は腕組みをしたまま、視線を空中に投げた。寄せられた眉から、簡単にはいかない事を悟る。
「西の魔女の呪いを解いた人物で、最も有名な話が一つある。昔々、とある王が西の魔女の機嫌を損ね、短命の呪いを受けた。その呪いは何代にも続き、とある若き王の時代まで続いてしまう。代々の王は諦めのうちに死んでいったが、その若き王は諦めなかった。当時、西の魔女と同じくらい力を持っていた魔術師……東の魔術師を頼り、呪いの解き方を教わったそうだ」
「その方の、呪いは解けたんですね」
「そうだよ。手段、については残っていないけれどね」
師匠の言葉が真実なら、東の魔術師を頼ればいい、ということになる。
だが、その時に簡単にはいかない、と魔術の師ですら考えた理由を察した。
「それ。何年前の話ですか、東の魔術師は……」
「何百年も前の話だ。魔術の歴史的な断絶以前の話だからね。勿論、東の魔術師の消息はいざ知れず。西の魔女、が当時の文献に残る西の魔女と同一人物かも分からない」
僕は、絶望のうちに黙り込んだ。
自然と肩が丸くなり、組んだ手が祈りの形をつくる。
「シュカ。呪いの解く手段を挙げてみてくれるかな」
「……はい。一つは、術式を別の術者が解くこと。これは、術式に精通している必要があり、掛けた術者よりも、解く術者の方に力量がある場合に行えます」
「じゃあ、この場合は不適切だね。他には?」
「呪いの主に、呪術を諦めてもらうこと。呪いたいと思った原因を取り除くこと。そうすれば、今後、同じことも起きにくくなる」
「そうだね。僕は、後者を君に勧めてきた。それは、呪いは解消しなければ繰り返すからだ。恨みは呪いを呼び、呪いは相手ともども術者を蝕む」
「でも、西の魔女は、その呪いを行使しています」
僕と師匠の問答を、フロードは黙って聞いていた。いや、口を挟む隙もなかったのかもしれない。
彼の眉は寄りっぱなしで、それでも、僕はそんな依頼主へ気を遣う余裕もなかった。
「西の魔女は過去、呪いの代償となるものを一気に支払ったと言われている。その後、何百年も誰かを呪い続けて尚、残るほどの代償をね」
「じゃあ、西の魔女に働きかけるのは、得策ではないですか?」
「ああ。僕は、その……彼が遊んだ、と認識している人全員に、誠意を持った別れをやり直すことを勧めたい。今回の件が解決したとして、恨みが残っていればまた呪われる。呪術師は世の中にいくらでもいるからね」
僕は、フロードの方を見る。
視線を受けた彼は、何かを決意したような強い眼差しで頷いた。
「分かった。それが最適だというのなら、そうするよ」
「フロードは、それでいいの……?」
普通は、誰かに謝れ、と言われれば、避けたい人間が多いものだ。
僕がおずおずと尋ねると、彼はいびつな笑みを浮かべた。
「その方法があることは、うすうす分かっていたことだよ。けれど、私はその方法から逃げて、解呪を魔術師に依頼する、という手段を選んだ。何となく、この呪いを呼んだ原因が……僕自身の悪い部分が、分かったかもしれない」
彼は自らの拳を、反対側の手で包み込む。
ふと、また肩を貸してあげたくなった。この事態を呼んだのは彼自身に違いなく、だが、そこまで彼が人を惹くのは天性の才能だ。
人たらし、というのはこういう人のことを言うのだろう。
「心当たりがある全員に謝罪して回る。……けれど。もし、それで上手くいかなかったら、また相談に伺っても?」
「ええ、お待ちしていますよ。この研究室はあまり人気がなくて」
はは、と笑った師匠は立ち上がり、机の上から菓子箱を持ってくる。
蓋を開けた中には、可愛らしい包装で包まれた飴が入っていた。師匠はその内とびっきり可愛らしい包装を摘まみ上げ、フロードに差し出す。
「今、僕の魔力を込めておきました。短時間、多少ではあれど、術式の効果を和らげる効果があるでしょう」
フロードは包みを解くと、中身の飴を口に含んだ。
薄紅色に染まっていた飴が、口の中でからからと音を立てる。
「美味しい」
強ばっていた彼の表情が、ふわりと和らぐ。
師匠は僕にも飴を薦め、僕は両手で受け取って同じように口に含んだ。
それから、師匠からたくさんの菓子をご馳走になり、次の授業の時間まで研究室で世間話をする。
そろそろ、と話を切り上げた時には、思ったよりも長い時間が経っていた。
「────では、師匠。お世話になりました」
「うん。もし進展がなければ、またおいで」
見送りを受け、僕たちは研究室の外に出た。
師匠は別れ際に、思い出したように口を開く。
「良きを願うも、悪きを願うも『まじない』です。そして、人が変化し続ける限り、恨みという力を人は長くは保てない。人は、生きなければ、進まなければなりませんから」
師匠は、僕の頭に、ぽん、と手を置く。
掌は頼りがいがあり、柔らかい魔力が手を通して流れ込んでくる。
「いずれ、呪いは解けますよ。うちの弟子を信じてやってください」
師匠の柔らかい笑みが、フロードにも伝染った。
そして僕もまた、隣で唇を緩める。
「ありがとう。世話になった」
「気が早い。まったく終わってなどいませんよ。……また、お会いしましょう」
では、と師匠は手を振り、研究室に戻っていく。
フロードは足を動かし、廊下を歩き始めた。僕も小走りにその背に続く。
「師匠は願いを口に出すことを、言霊、っていうんだ。何でも言い続ければ叶う、って。だから、いつも別れ際に、またね、って言うんだよ」
「へぇ。あの人は、なんというか、君の師匠、って感じだ」
「そうかな。でも、師匠にも解けない呪いが一つだけあって……」
師匠は、いつも一人のことを話すときだけ嬉しそうで、頬を赤らめて、難しい顔をする。
その呪いは生涯解けることはないのだ、と、誇らしげに言うのだ。
少しだけ脚を大きく開いて、いつもより大きな一歩を踏み出す。
「自分が番へ抱く感情は呪いだと思ってるけど、解けないんだって。難儀だ、っていつも言ってた」
僕の歩幅が広がり、フロードを追い越す。
乾いた床を靴底が叩き、心音のようにトトン、と小気味よい音を立てる。僕が彼から離れようとした時、振っていたはずの腕が掴まれた。
「……早く歩きすぎてた?」
「そうだよ。心細い、一緒に行こう」
ふふ、とフロードは笑い、手首を掴んだまま歩き出す。
掴まれると手を握り返せないと思って、ふと、僕は握り返したいのかと自問した。
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