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朝までには着く、と言っていたが、ナーキア地区に辿り着いたのはまだ深夜と呼べる時間だった。
山の麓に降り立ち、雪車を片付ける。山道では車輪は躓くばかり、ここからは徒歩での移動になる。
「ティリア。自分に身体強化魔術は使えるか?」
「勿論です。大神官様は?」
「俺は自分で出来る」
身体強化の魔術を詠唱し、その場で軽く跳び上がる。疲労感はどこかに消えていた。
「先ずは頂上まで登ってみるか。麓で神の泉を見つけた報告は少ない」
「はい」
山に踏み入り、整備された山道を駆けていく。身体強化を使っているおかげで速度は十分だが、暗い闇の中では距離感もよく分からない。
ふと背後に視線をやっても、樹木に覆われてどれだけ登ってきたか分からなかった。
長いこと走り通して、ようやく頂上へと辿り着く。街を見下ろすと、水平線から日が昇るのが見えた。
「朝になってしまいました、ね」
「ああ。少し、頂上付近を歩いてみるか」
手分けして見て回ったが、泉が湧いている地を見つける事はできなかった。
登ってきた経路、頂上から見て東側はなだらかな斜面になっているが、逆に西側には切り立った崖がある。下を見るも、岩場が広がっており、泉がある余地はなさそうだ。
三人で集まり、地図を広げる。過去、神の泉があった、と記された場所は固定の位置ではなく、山中に散っている。
「『日が一番高く昇る時刻までに、神の泉へ辿り着くこと』が、賭けに勝つ条件、でしたよね」
「ああ。そして、神の泉は、神が望んだ者しか招かれることはない」
「ニュクス神が招いてくれたら行けませんか?」
『泉は父上の領分だからなぁ』
犬は草の上に腰を下ろし、尻尾を揺らしている。
ううん、と口元に手を当てる。こうやっている間にも段々と気温が上がっていた。
「日が高く昇らなければいい。ってことで、夜にする、とか」
「ニュクス神様が力を持ったままなら可能性はあったんだろうが。今は犬だしな」
『ひどい悪口を言われてる気がする』
頭でぐりぐりとやられている青年と頭突きをしている犬が、我が国の大神官様と守護神様である。
明日から、神祠でどんな気持ちで祈ればいいのだろう。
「じゃあ。やっぱり正攻法で、クロノ神に招いてもらうしかない、ですよね」
「なにか策でもあるのか?」
「何となく、相手も完全試合は望んでいない気がするんです」
サフィアの頭が傾ぎ、隣にいる大型犬の頭も傾いだ。
喜劇の一場面のような動作に、くすりと場違いな笑いを零す。
「クロノ神は、騒動の元凶です。作り上げた舞台装置が面白ければ面白いほどいい。きっと、私たちが苦しむほど、喜ぶ」
「そうだな!」
『ひどい悪口を言われてる気がする』
犬は不満げだが、私はそれを放って言葉を続ける。
「それでいて、恋愛話はお好みのようでした」
「ああ。昔から、そういう傾向はあったな」
サフィアが持ち込んだ鞄に視線を向ける。祝福に使うために、彼は大量の雷管石を持ち込んでいた。
「あの、雷管石をひとつ。頂けますか?」
「ああ。予備はあるから構わないが」
そう言うと、大神官は持ち込んだ雷管石が仕舞われた小箱を取り出す。
好きなものを、と言われ、いちばん形の整った一粒を摘まみ上げる。魔力を込めると、内部に波が保持された。
力の篭もった雷管石を、サフィアの手に預ける。
「これ、一応。形見です」
「は?」
「少し、危ないことを。クロノ神と我慢比べをしようと思います」
きっと聞いているだろう、と想像しながら、声を張り上げる。
「私、今から西にある崖から飛び降ります。助ける気になったら、助けてください」
死ぬつもりはなかった。自分の手には魔術があり、風の毛布くらいなら飛び降りながらでも唱えられる。
だが、唱えるのは、地面に叩き付けられる直前だ。
「誰かが告白して、振られるような悲恋だって、紛れもなく恋の話。そういうお話だって、お好きですよね? ────見届けたくば、私を神の泉に招いてください」
強化魔術が掛かったままの脚は、西側にある崖まで容易く駆け抜ける。
虚を衝かれた二人が追いつけなかった事にほっとしながら、切り立った崖から身を投げた。
落ちていく中で、蘇ってくる記憶があった。像を壊すよりもほんの少し前、寮生活を提案されて、受け入れた日のことだ。
彼の屋敷の温室。芝生の上で、身を寄せ合いながら緑を眺める。まだ春の日差しは温かくて、自然と重なった指先は熱を分け合っていた。
『アーキズ。私、お父様にオメガかもしれない、って言われちゃった』
『オメガは嫌か?』
『あんまり、大きくなれない事が多いんだって。今もアーキズに庇ってもらってばっかりなのに、ずっと、そのままになっちゃう』
こてん、と彼の肩に頭を預け、未来への不安を告げる。重なった指が、強い力で握り込まれた。
幼馴染みは、私よりもずっと大きくて、力が強い。
『父上は、力だけが守り方じゃない、って言ってた』
『どういうこと?』
『誰かが辛い気持ちにならないよう、笑っていることも。誰かを守ってる、ってことなんだって。俺は、ティリアが笑ってくれるから、色々、がんばれる』
そわそわとした幼馴染みの様子はなんだか妙で、それでも隣で待っていると、小さく声がした。
『俺が、もしアルファだったら。ティリアの雷管石をすぐ神殿に預けてくれないか?』
『どうなるの?』
『そうしたら。神殿で、運命の相手を探してくれるんだって』
ううん、と小さな私は首を傾げる。
幼馴染みの手は汗をかいていて、耳まで真っ赤になっていた。
『アーキズは、そうして欲しいの?』
『そう、だな』
『よく分からないけど、いいよ。預けてみるね』
結局、アーキズは雷管石に魔力を込めることができなくて、私たちはただ結婚だけをしてしまって、幼い頃の約束は未だ宙に浮いたまま。
けれど、この時に見た幼馴染みの笑顔は、どの顔よりも鮮やかに映った。
朝までには着く、と言っていたが、ナーキア地区に辿り着いたのはまだ深夜と呼べる時間だった。
山の麓に降り立ち、雪車を片付ける。山道では車輪は躓くばかり、ここからは徒歩での移動になる。
「ティリア。自分に身体強化魔術は使えるか?」
「勿論です。大神官様は?」
「俺は自分で出来る」
身体強化の魔術を詠唱し、その場で軽く跳び上がる。疲労感はどこかに消えていた。
「先ずは頂上まで登ってみるか。麓で神の泉を見つけた報告は少ない」
「はい」
山に踏み入り、整備された山道を駆けていく。身体強化を使っているおかげで速度は十分だが、暗い闇の中では距離感もよく分からない。
ふと背後に視線をやっても、樹木に覆われてどれだけ登ってきたか分からなかった。
長いこと走り通して、ようやく頂上へと辿り着く。街を見下ろすと、水平線から日が昇るのが見えた。
「朝になってしまいました、ね」
「ああ。少し、頂上付近を歩いてみるか」
手分けして見て回ったが、泉が湧いている地を見つける事はできなかった。
登ってきた経路、頂上から見て東側はなだらかな斜面になっているが、逆に西側には切り立った崖がある。下を見るも、岩場が広がっており、泉がある余地はなさそうだ。
三人で集まり、地図を広げる。過去、神の泉があった、と記された場所は固定の位置ではなく、山中に散っている。
「『日が一番高く昇る時刻までに、神の泉へ辿り着くこと』が、賭けに勝つ条件、でしたよね」
「ああ。そして、神の泉は、神が望んだ者しか招かれることはない」
「ニュクス神が招いてくれたら行けませんか?」
『泉は父上の領分だからなぁ』
犬は草の上に腰を下ろし、尻尾を揺らしている。
ううん、と口元に手を当てる。こうやっている間にも段々と気温が上がっていた。
「日が高く昇らなければいい。ってことで、夜にする、とか」
「ニュクス神様が力を持ったままなら可能性はあったんだろうが。今は犬だしな」
『ひどい悪口を言われてる気がする』
頭でぐりぐりとやられている青年と頭突きをしている犬が、我が国の大神官様と守護神様である。
明日から、神祠でどんな気持ちで祈ればいいのだろう。
「じゃあ。やっぱり正攻法で、クロノ神に招いてもらうしかない、ですよね」
「なにか策でもあるのか?」
「何となく、相手も完全試合は望んでいない気がするんです」
サフィアの頭が傾ぎ、隣にいる大型犬の頭も傾いだ。
喜劇の一場面のような動作に、くすりと場違いな笑いを零す。
「クロノ神は、騒動の元凶です。作り上げた舞台装置が面白ければ面白いほどいい。きっと、私たちが苦しむほど、喜ぶ」
「そうだな!」
『ひどい悪口を言われてる気がする』
犬は不満げだが、私はそれを放って言葉を続ける。
「それでいて、恋愛話はお好みのようでした」
「ああ。昔から、そういう傾向はあったな」
サフィアが持ち込んだ鞄に視線を向ける。祝福に使うために、彼は大量の雷管石を持ち込んでいた。
「あの、雷管石をひとつ。頂けますか?」
「ああ。予備はあるから構わないが」
そう言うと、大神官は持ち込んだ雷管石が仕舞われた小箱を取り出す。
好きなものを、と言われ、いちばん形の整った一粒を摘まみ上げる。魔力を込めると、内部に波が保持された。
力の篭もった雷管石を、サフィアの手に預ける。
「これ、一応。形見です」
「は?」
「少し、危ないことを。クロノ神と我慢比べをしようと思います」
きっと聞いているだろう、と想像しながら、声を張り上げる。
「私、今から西にある崖から飛び降ります。助ける気になったら、助けてください」
死ぬつもりはなかった。自分の手には魔術があり、風の毛布くらいなら飛び降りながらでも唱えられる。
だが、唱えるのは、地面に叩き付けられる直前だ。
「誰かが告白して、振られるような悲恋だって、紛れもなく恋の話。そういうお話だって、お好きですよね? ────見届けたくば、私を神の泉に招いてください」
強化魔術が掛かったままの脚は、西側にある崖まで容易く駆け抜ける。
虚を衝かれた二人が追いつけなかった事にほっとしながら、切り立った崖から身を投げた。
落ちていく中で、蘇ってくる記憶があった。像を壊すよりもほんの少し前、寮生活を提案されて、受け入れた日のことだ。
彼の屋敷の温室。芝生の上で、身を寄せ合いながら緑を眺める。まだ春の日差しは温かくて、自然と重なった指先は熱を分け合っていた。
『アーキズ。私、お父様にオメガかもしれない、って言われちゃった』
『オメガは嫌か?』
『あんまり、大きくなれない事が多いんだって。今もアーキズに庇ってもらってばっかりなのに、ずっと、そのままになっちゃう』
こてん、と彼の肩に頭を預け、未来への不安を告げる。重なった指が、強い力で握り込まれた。
幼馴染みは、私よりもずっと大きくて、力が強い。
『父上は、力だけが守り方じゃない、って言ってた』
『どういうこと?』
『誰かが辛い気持ちにならないよう、笑っていることも。誰かを守ってる、ってことなんだって。俺は、ティリアが笑ってくれるから、色々、がんばれる』
そわそわとした幼馴染みの様子はなんだか妙で、それでも隣で待っていると、小さく声がした。
『俺が、もしアルファだったら。ティリアの雷管石をすぐ神殿に預けてくれないか?』
『どうなるの?』
『そうしたら。神殿で、運命の相手を探してくれるんだって』
ううん、と小さな私は首を傾げる。
幼馴染みの手は汗をかいていて、耳まで真っ赤になっていた。
『アーキズは、そうして欲しいの?』
『そう、だな』
『よく分からないけど、いいよ。預けてみるね』
結局、アーキズは雷管石に魔力を込めることができなくて、私たちはただ結婚だけをしてしまって、幼い頃の約束は未だ宙に浮いたまま。
けれど、この時に見た幼馴染みの笑顔は、どの顔よりも鮮やかに映った。
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