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 一日目の視察は順調に終わり、予定していた宿へと辿り着く。用意されていた部屋は、二人部屋が二つだった。

 とはいえ、結婚相手と離れて大神官と一緒の部屋がいい、と主張するには根拠が弱く、自然と神官ふたりを同室にせざるを得なくなる。

 鍵を受け取って部屋に移動し、荷物を置いて息を吐き出す。

「アーキズ……。あっちの二人、同室で良かったのかなぁ」

「といってもな。俺たちが分かれるのは不自然だ」

 幼馴染みが外套を脱ぐのに合わせて手を差し出す。彼は少し躊躇いつつも、脱いだ服を渡してくれた。

 皺を伸ばし、洋服棚へと引っ掛ける。

「改めて説明していい? 私があの、ガウナーさん、って人。変だなと思ったの、表情がおかしくて」

「表情?」

 アーキズは筋肉の使い方のみを根拠にあの青年神官を怪しんでいたようで、私の言葉をそのまま反復する。

 うん、と頷いて、長椅子へと移動した。ぼすん、と身体を放るように腰掛ける。

「笑ってるのにね。こう、無駄に綺麗なの。舞台役者みたいな、嬉しいから笑ってるんじゃなくて、誰かに見せるために笑ってるみたい」

「成程。普通、人は隙があるのが自然だが、あの男にはそれがない。俺も、その点を不自然だと思ったのかもしれないな」

 幼馴染みは大股で歩み寄ると、私の向かいに腰を下ろす。

 シャツの首元は緩められており、整えていた髪も散っていて若々しさを増していた。

「アーキズは、あのガウナーさんって人が、武術の心得があって、隠してる、と思ったんだよね」

「ああ。しかも、隠し方が上手い。ティリアはあの男が武芸者とは思わなかっただろう?」

「思わなかった! 典型的な神官さんだなって。読書とか好きそうな」

「そうか。俺は、あの男と組み合ったら、どちらが勝つか測れない」

 アーキズは小さい頃から力が強く、武芸に才を示していた。

 豊かな家柄だったこともあり、家庭教師なども付け、剣や弓、護身術を習っていた筈だ。私の家が貧乏なのもあるのだが、二人で視察をするにも護衛を必要としないのは、この幼馴染みの腕っ節の強さと、私に魔術の心得がある故だ。

 手帳を開いて、今日、会話に使った頁を破り取った。向かいのアーキズも同じようにして、頁を手渡してくる。

「炉は新たな炉へ。炎は分かたれ続け、竈は永久に灯る」

 両手に掲げた紙は、ぼうっと炎を纏って空中で焼き消えた。炭の欠片すらも残らない。

 この部屋にも、既に結界を展開してあった。

「アーキズから見て勝てるか分からない。ってことは、大方……勝てないよね」

「そうだな」

 私の指摘を、彼は気を悪くした様子もなく肯定する。

 相手の力量が測れない、という時点で概ね負けているのと同じことだ。こちらは、無闇に戦を仕掛けることができない。

 相手の黒々とした瞳を思い出す。闇であり呑むような色をしていた。

「私たち。気にしすぎ、だと思う?」

「……長く神殿にいたことは間違いないだろう。その上で、人として怪しすぎようとも何もしないのなら、監視に留めておくしか出来ることはない」

「だよねえ」

 声にならない音を漏らしながら、椅子の背に身を預ける。

 本当に今日は、よく喋る日だ。神官二人もそうだが、アーキズがずっと返事をしてくれる。

 嬉しい、嬉しい、と気持ちばかりが溢れて、妙な言葉を走らせようとする。

「そうだ。アーキズの祟りのこと。…………ええと、長いこと放置してたから、力が変質してた? だっけ。どうにかなるかな」

 向かい側で彼は掌を組み、視線を間に置かれた机に落とす。

「力を読み取った結果としては、それで正しいかもしれない。だが、神の祟りを鎮める事が、神官にできるのかというと、疑問はあるな」

「あー……。確かに神官って、基本的には仲介、がお仕事だもんね」

「俺は大神官であれ、どうにもならないような気がしている」

 アーキズは、そう言うと口を引き結んだ。

 誰よりも祟りを鎮めたいと思っていたのは彼の筈で、それでいて尚、鎮まることはない、と明言するのだ。

 ふつり、と腹の内に炎が燃え上がる。

「あの、私も魔術師の端くれだし、力の流れ、読ませてもらうことはできないかな?」

「構わないが。……大神官にもどうにもならないものが、魔術でどうにかなるのか」

「わ、分からないよ……! 難しい病の特効薬が、身近な植物から生成されたりするんだから!」

 拳を握りしめて熱弁すると、アーキズの空気がふっと緩む。

 その一瞬、彼が私を守ってくれたあの時に戻ったような気がした。

「そっち、行ってもいい?」

「ああ」

 ぽん、と隣を叩かれ、私は席を立つ。ほんの一人分だけ空いていた隣の席に腰掛け、彼の手を借りる。

 両手できゅっと握り込むと、二つの手で包み込もうとしても、やっぱり大きかった。訓練で剣を握る掌の皮は厚く、日頃の鍛錬が窺える。

 そういえば、あの青年神官はこんな手をしていなかった。筆記具しか握ったことのないような、綺麗な手だったのを思い出す。

 境界を崩すと、魔力の波が触れる。ずっと隣にいたいと、手を繋いでいたいと思うほど、昔から魔力相性は悪くなかった。

「どうだ?」

「……魔力同士は触れ合えるから、障壁、のような形状ではないみたい。けど、偶に厭な波がある」

「厭な波、っていうのは」

「アーキズと私の魔力って、昔からの付き合いもあるだろうけど、そこまで相性、悪くないんだ。でも、昔と違って今は、偶にちくちくする」

 皮膚同士が擦れ合って、包み込むうちに体温が移る。

 ずっと、こうやって触れ合いたかった。何の理由もなく、ただ触れたくなったから、と手を伸ばしたかった。

「魔力の波が強く触れている、ということか? その棘のような、という感覚は、雷管石を砕くほどの何かがある?」

「うん。このとげとげした波が異質だし、鋭い。でも昔は、こんな波じゃなかったよ。魔力の波形は性格に由来することが多いけど、アーキズの性格、昔とすごく変わったわけじゃないし……」

 喋りが得意、と言うほどずっと会話しているような質ではなかったから、彼の基本的な性格はそのままだ。

 私が寒い朝に出歩いていたら、服を持ってきてくれるような人。怪しい人物がいたら、警戒を促してくれる人。体面上の結婚相手に文句も言わず、弱小貴族の領地運営を一緒に担ってくれる人。

 昔から、一緒にいて必ず守ってくれる人だ。

「なだらかな筈の魔力の波が、棘が被さっているような形で神力の影響を受けてしまってる。それが祟りの質、とか、特徴みたいなもの、なのかな」

「その棘の部分だけ、外せないのか」

「魔力を変質させる、って事だよね。それだと────」

 ふと思いついた案に、ぼっと顔に血が上る。

「どうした?」

「あ、いや…………」

 魔術師でなくとも、魔力を変質させるのは、境界を溶かして他者の魔力を大量に受け入れた時だ。

 その影響の間隔が狭くなるほど、長期的に影響を受け続けるほど、人の魔力は波を変える。試してみる価値はあるように思えた、が、境界を触れさせるには肉体的な接触が不可避だ。

 動揺を抑え込み、無理やり唇を動かす。

「私は魔力の境界を崩せるから、触ればお互いの魔力を混ぜられる、よ」

 性行為が一番手軽かつ効果的な手段、だとは黙っておいた。

「…………。人はそれぞれが別の形の波を持つから、混ぜれば波の形が変わる、ということか?」

「そう、だね。形が変われば、棘も丸くなるかもしれないな、って思って」

 されるがままだった彼の手が動き、私の手を握り返す。

 逃がさないように絡みついた指先は、痛みはなくとも引き剥がしづらい。どくどくと胸が鳴って、体温が上がる。

 思い合えなくとも、意中の相手の匂いと魔力が身体を引っ掻く。

「手を握るだけでいいのか」

「『だけ』?」

「もっと広い範囲で触れた方がいいのかと思って」

 隠すこともできないほど、頬に血が上っていくのが分かる。

 思わず手を離して、頬を隠そうとしてしまった。慌てて上擦った声を漏らし、ようやく言葉になる。

「それは……。その方がいいけど」

「だったら視察の間、意識して触れるよう協力してくれないか。過剰に思うもしれないが、俺も結婚相手として適切だと思う程度には、接触を持つようにするから」

 妙な空気に、気圧されて頷く。

 彼の身体が私との距離を詰め、広げられた腕が身体を抱き込んだ。

「…………ひぇ、え!?」

 つい声が裏返ってしまい、隣で不機嫌そうに喉が鳴った。

 いつもより高い声が、私の身体を揺らす。

「昔はこれくらい平気でしてただろ!」

「今は今だよ!」

 きゃんきゃんと抱き込まれたまま言い合って、しばらくして疲れて黙った。

 どくどくと鳴る音は、私のそれなのか。もしくは、相手のそれであるのか。

「………………」

 抱き返そうか延々と迷って空中で泳ぐ指は、陸に辿り着くことはなかった。




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