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荷物を積み、馬車に乗って、新しくできた道路の起点へと移動する。
馬車の中は静かで、御者とアーキズが経路の話をする声が時おり響いていた。私は水筒から飲み物を口にし、ほう、と息を吐く。
彼が祟られてしまってから、会話は酷く拙くなった。視線も合わなくなって、仲の良い演技をする時には態とらしさに心が痛む。
車輪が大きな石を踏んだ。揺れて傾いだ身体を、隣で腕が受け止める。
「あ、……ありがとう」
微笑みかけるが、姿勢を正せば用はない、とばかりに、あっさりと腕が離れた。
世間話がしたい、と常々思ってはいるのだが、彼に私を寄せ付ける空気はない。
屋敷から道路の起点までは遠くなく、私たちが辿り着いた時には明らかに葬儀用の馬車が停まっていた。
何かあったのでは、と慌てる私を大きな掌が宥め、二人で馬車を降りる。視線の先には、神官服を着た人物が二名立っていた。
「おはようございます。大神官様」
その内の一人が、声に反応するようにフードを下ろす。零れ出た髪は白く、陽光を受けて銀に煌めいた。
体色の中で、目立つのは瞳だ。まばゆい夏と共に在る、濃い緑だった。
「おはよう、フィリス家の……」
ちら、と投げられた視線は鋭く、気候も相俟って身を震わせたくなってしまった。
アーキズが答える前に、私が一歩先へ出る。
「初めまして。当主の息子、ティリアといいます。こちらが私の伴侶のアーキズ」
「ああ。例の」
大神官の名は『サフィア』というが、民は畏れ多い、と彼を名で呼ぶことはない。名は知っているだろう、とばかりに、相手が名乗り返す様子はなかった。
代わりに大神官は、背後に控えていたもう一人を押し出しすように身を引く。
アーキズと同じく黒髪で長身ではあるが、ゆるりとした空気に武人の色はない。だが、布地の多い神官服の下は、ある程度動ける体躯であることが窺えた。
その人は私に向け、手を差し出す。
闇のような瞳を緩ませて浮かべた笑顔は、初対面の相手としては完璧だったが、どこか作り物めいていた。
「初めまして。神官のガウナーと申します。大神官の身の回りの世話をするため、同行することになりました」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
ガウナーと名乗ったその人は、アーキズ相手にも朗らかに手を差し出していた。
神官、と呼ぶには典型的な容姿と態度で、いっそ、大神官のそっけなさの方が神殿に属する人物としては異様だった。それなのに、何となく胸がざわつく。
「あの、馬車はなぜ葬儀用なんですか?」
私が尋ねると、青年神官は苦笑を浮かべる。
「新しい道を祝福する道中で、賊に遭っても困りますので。流石に、金も物資も積まない葬儀用の馬車は狙われ辛いですからね」
「ああ。そういうことでしたか」
「ご安心ください。死人が出ても我々が送りますよ」
はは、と笑うガウナーに対し、アーキズははっきりと眉を寄せた。
くい、とこっそり服の裾を引いて、表情を改めさせる。体裁上の伴侶は、はっとして表情を作り替えた。
葬儀用の馬車は二人を置いて帰っていった。二人もまた、屋敷の馬車を使って移動することになる。
「まずは一つめ、だな」
大神官は懐から石を取り出す。日の光を跳ね返す輝きに、目を瞠った。
彼が持っていたのは、大粒の雷管石だ。
「そういえば、あんたが祟られてるんだっけ」
大神官はアーキズの前に歩み出ると、もう一つ取り出したものを握り込ませた。
幼馴染みの掌にあったのは、小さな雷管石だ。それに掌が触れた途端、ぴしぴしと罅が入り始める。
パキン、と音を立て、石は砕けてしまった。
「すみません。いつも、触るとこうなるので……」
「いや。大丈夫だ。実際に見たくて握らせた」
ふむ、と大神官は顎に手を当てる。
驚いたのは、全く怒っている様子がないことだった。アーキズを見る目は、新しい研究対象を見つけた時のように、興味深く瞬きをする。
大神官の指が、被験者の指に触れた。
「想像していたより根が深いな」
「……わかるんですか?」
思わず、横から問い返してしまった。
だが、大神官は気を悪くした様子もなく、こくりと頷く。
「像を壊した、だったか。当時の記録を当たったが、金銭的な補償は済んでいる。しかも、もう十年ほど前の事だった。俺に解けるものなら解いてやろうと思っていたんだが、昔、我が神が衝動的に祟った力は、長い期間を経て変質してしまっている」
二人の指が離れた。
大神官は痺れでもしたかのように、指先を軽く振る。続けて、困った、といった様子で頭を掻いた。
「大神官様は、……アーキズのこと、許してくださるんですか?」
「そもそも、子ども相手に持続する怒りなんかない。だが、忙しさにかまけて放っておいたのは悪かった。視察ついでに、何とかならないか探ってみよう」
「あ、ありがとうございます!」
つい、叫ぶような調子になってしまった。口元に手を当て、そろそろと緑の目を見ると、鋭かった筈の目元が少し緩んでいた。
大神官が砕けていない方の雷管石を握り込むと、魔力とは違う流れが渦を巻く。
力は石に向かって収束し、彼が手のひらを開くと、地面に落ちた。石は地を転がることなく、地中にずぶずぶと潜り込む。
祝福、という話だったが、確かに空気の流れ方というか、力の方向性が変わった気がする。
「祝福、とは。神術、というものですか?」
「そうだな。神術を使って祝福を為す、と言う方が正しいかもしれない」
大神官、というよりは研究者のような口ぶりに、魔術学校時代を思い出す。私はオメガとしては魔力が多く、領地運営に役立つように、と医療魔術を専門に学んだのだ。
ただ、寮生活をしていた魔術学校時代はアーキズとも疎遠となり、更に喋りづらくなってしまった。
「雷管石に私たちは魔力を込めますが。神の力もまた、雷管石の中に留まる?」
「やり方次第ではな」
「祝福、の効能は?」
「精神の安定だ。…………なんだ、やけに興味があるみたいだな。魔術師か?」
私はこくんと頷いた。緑の目が、まぶたの裏に何度も隠れる。
「けれど。魔術学校を出て、今は主に領地運営に携わっているので、魔術師、と名乗るのも烏滸がましいような人間です」
「専門は?」
「医療魔術です。けど、精神の安定、の術式のようには読めません」
「そりゃそうだ。そもそも神術は形態が違う────」
つらつらと神術というものについて語り始めた大神官に対し、私は相槌と質問を挟みながら知識を引き出す。
放っておけば何時間もそうしていられたのだが、大神官の背後から伸びた腕によって話は遮られた。
「んぐ!」
もごもごと濁った音が漏れるが、口を塞いだ掌は外れない。
「大神官様。祝福を捧げる地点は一カ所ではありません、移動しましょう」
ガウナーは大神官の肩を抱くと、私たちが乗ってきた馬車へと誘導する。
私もまたアーキズと視線を交わし、彼らの後に続いた。言い合っている様子を見るに、世話係、という割に上下関係は薄いようだ。
気安い態度を羨ましく思いながら、ちらちらと隣にいる幼馴染みを見る。
「ごめんね。長話になっちゃって」
「いや。大神官から直々に講義を受ける機会も珍しいだろう」
「そう、かな」
「ああ。特にティリアは魔術学校を出てから、働きっぱなしだったし……」
今日は珍しく、会話が続いているような気がする。私は跳ねる鼓動を抑え、表情を変えないように努めながら歩く。
視察の数日間は、馬車内でも、宿でも一緒だ。もし、万が一でも祟りが鎮まったら、彼の番が見つかるのかもしれない。
最終的に選ばれるのが私でなくても、彼の番が見つかるのは喜ばしいことだ。その筈だ。
彼に番が見つかる前に、せめて幼馴染みの関係を取り戻したい。昔のように、気軽に会話を続けたい。
水面に上がって息を吸って、また未来を思って水底に沈む。今はほんの少しだけ、呼吸が楽だった。
馬車内の空気は、アーキズと二人のものよりも賑やかだ。ガウナーと名乗った青年神官は車窓の景色を興味深そうに見ては、私に話を振ってくる。
私達が会話を続けていると、時おり大神官も会話に加わる。神官二人の空気は長い付き合いのそれで、初対面の他者を交えて尚、くるくると話題が回った。
今日は、こんなに喋ったのは久しぶりだ、と思うほど口を動かしている。
昼前には二カ所めの祝福を終え、昼食のために飲食店へと立ち寄ることになった。
「お二人は、食べられない物はありますか?」
「いや。好き嫌いも、教義上も特に気にしなくていい」
「右に同じく」
通信魔術を起動し、立ち寄る予定にしていた食事処に人数を伝えていると、大神官はともかく、ガウナーは嬉しそうに微笑んでいた。
初対面で一瞬感じた、あのそわりとした空気は、今はなりを潜めている。二人をちらちらと見ていると、アーキズが隣で手帳を開く。
向かいにいる二人には見えない位置で、真っ白な頁に彼はペン先を走らせた。
『あの二人がどうかしたか?』
明らかに、私に対する問いかけだった。頁を覗き込み、思い出したかのように自分の手帳を鞄から取り出す。
「ごめん。もういっかい予定見せて」
彼の予定を書き写すふりをしながら、答えを綴る。
『ガウナーさん、ただの小間使いじゃないかも』
アーキズは筆記具を私の手帳に向けると、白い箇所に文字を綴る。
『俺もそう思ってた。歩き方や身体の使い方を見るに、武術の心得がある』
私は武人に見えない、と思った。けれど、腕っ節の強い幼馴染みが、武術の心得がある、と感じている。
手練れながら、それを隠すことができる技術を持っているということだ。
『護衛を兼ねてる、ってこと?』
今度は私がアーキズの手帳へ筆記具を走らせる。出鱈目な日付を読み上げ、あくまで予定入れをしているように装う。
『それならいいが、妙に技量の隠し方が上手い』
幼馴染みは、ぴたり、と筆記具を動かす手を止める。
視線の先には、顔を上げたガウナーの姿があった。視線が交わり、ぞわ、と背が粟立つ。
『護衛は威圧の為、ある程度の武力は詳らかにする。こんな隠し方をするのは、暗殺者のような、身分を偽る者だけだ』
素早く書き綴ると、彼はぱたんと手帳を閉じる。
刹那、向けられていた視線が逸れ、窓へと向かっていった。
「………………」
アーキズが言うとおり、あの青年神官が何かを偽って大神官の傍にいるというのなら、視察の間は目を光らせておくべきだろう。大神官に万が一のことがあったら、自国から神の加護は失われる。
数百年前、このケルテ国は荒れ、貧しい国であったらしい。神の加護を当然としている人々は、喪われることを畏れる。
アーキズの祟りを鎮めるためにも、大神官を守るのは絶対だ。手帳をそっと閉じ、手元に置く。
「なんか、予定でいっぱいだね。少しくらい、アーキズにもお休みをあげたいんだけど」
普段なら黙るところだし、喋っても相手から返事がない言葉を選択した。
けれど、ガウナーに対して誤魔化す為なのか、返ってくる言葉がある。
「それを言うのなら、ティリアだって同じだ。義父上が、長期で旅行に行っては、と話をしてくれた」
「旅行?」
今回のような数日間ならまだ良いが、長期、ともなれば会話が続かないだろう。
疑問に思って問い返すと、彼は困ったように目の下を染める。
「新婚旅行が、まだだろう」
「そう…………、だったね。行き先、決めなきゃなぁ」
あはは、と笑ってみせるが、新婚旅行が彼の頭にあった事に驚いている。
結婚式だけは体面上、完璧にこなしてみせたが、新婚旅行は正直、忙しいとでも何とでも言えるものだ。
「へえ。お二人は、新婚旅行まだなんですか」
向かい側から、ガウナーが話し掛けてくる。
はい、と肯定して、これまで通りの声音で言葉を返した。
「延び延びになってしまっていて。ガウナーさんは、ご旅行には行かれますか?」
「いえ。神官の身分ですので、あまり神殿以外の場所には出歩きませんね。行き先も神に縁のある地になるので、数カ所に固定されてしまって」
彼の語る言葉には真実味がある。長年、神殿に仕えているというのは確かなようだ。
となると、武術の技量を隠す理由は何なのだろう。護衛も兼ねているというのなら、情報を共有しておいたほうが良い筈だ。
「ちなみに、ご出身は?」
「生まれは遠い土地ですが、キルシュ国の王都で幼少期を過ごしました」
キルシュ国は、これから行くナーキアを領地とする国。自国であるケルテからすれば隣国にあたる土地だ。
確かに、彼の名の響きは隣国で使われている音だった。
「どうしてわざわざ、ケルテへ?」
「キルシュ国の神殿は大きく、神官の人数も足りています。あちらの神殿は組織として、課題というものが少ないんですよ。だから、正直やることがなくて。こちらに移りました」
またしても、自分の認識と齟齬のない回答だった。例え暗殺者だとしても、長いこと神殿に属する中で、知識を持っているのは確かなようだ。
隣国の話をしている間に、食事処へと辿り着く。ガウナーは率先して荷物を持ち、大神官の降車を助けている。
だが、その補助を受ける大神官は、ずっと落ち着かない様子だ。
私はそっとアーキズに身を寄せ、囁きかける。
「どう思う?」
「神殿に長く在籍していたのは確かなようだ。そんな人物がこの数日の間に事を起こすとは考えづらいが、念のため、様子見は続けよう」
「分かった。大神官様は気安い感じだし、アルファではなさそうだから、私が近くで見ておくね」
「頼む。あの神官は……ベータか、アルファかもしれない。俺が近くにいるようにしよう」
顔を上げると、思ったよりも近くに幼馴染みの端正な顔立ちがある。
どくり、と胸が騒いで、手のひらの内にある彼の服を握り込む。平穏な視察にはならなそうだが、こうやって近くに居られる事が純粋にうれしかった。
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