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いつもなら廊下を歩いているところを捕まって、雷管石の相談を始めるのに、数日間、僕は放っておかれた。オースティン様からの頂き物だったお菓子は既に食べ尽くし、中を洗って調味料を仕舞うことにした。
変わらない日々。雷管石の相談を受ける前、いや、もっと前。屋敷に来た直後のような距離感に、胸がしくしくと痛む。
彼の魔力の波を味わってしまったからだろうか。家の中の立場を知ってしまったからだろうか。それとも、あの時、抱き寄せられるのを拒めなかったからだろうか。
ずっと両親のことばかりで、屋敷で働くようになって久しぶりに安穏が訪れた。家族以外のことを考える余裕ができたと思ったらこれだ。僕は、そうとう人間関係が不器用らしい。
黙って仕事をしていると、二人でやいやいと言っていた時間を思い出す。また、あの時間を過ごしたくなった。
その日は作業室で、頼まれた調理器具の修理を行っていた。器具自体の故障ではなく、水蒸気が染みこんだことで錆ができ、魔術式の掠れに繋がったようだ。水を弾く材質を書き直した術式の上に貼り付け、蓋を閉じる。
修理をした魔術装置は大型で、両腕で抱えてもふらつく。重い物を厨房まで運ぶことを憂いながら、装置の下部に手を掛けた。
「おっも……!」
左右に揺れた身体を立て直し、作業室から出る。
よたよたと歩いていると、廊下の先の方に見慣れた姿があった。視線を上げて目を瞠り、ぐっと眉を寄せて地面を見る。
せいいっぱい端に寄り、重い装置を抱え上げて背を丸める。目の前で、リカルドの身体が立ち止まった。
無言の間にそろりと視線を上げると、装置の下を別の掌が支えた。
「重……! なんでこんなの一人で運んでるんだ」
装置が両手で抱え上げられると、ふっと重さが楽になった。重心がずれ、その場でたたらを踏む。
眉を顰めたリカルドは、僕の手を心配そうに見る。
「腕、平気か。どこに運べばいいんだ?」
「厨房へ。あの、服が汚れるから僕が……」
「午後は家で仕事するから平気だよ」
厨房に向けてつかつかと歩いていく背を、慌てて追う。重い物を持っていて尚、脚の長さの所為で向こうの方が速い。
僕が必死で追っているのが分かると、速度が緩んだ。
「こういうのは台車を使うか誰かを呼べ。腕を痛める」
言い分は尤もで、背を丸めながら彼の踵まで視線を落とす。軽く拭ったとはいえ、油汚れの多い厨房で使われていた品だ。多少は裾を汚してしまったのではないだろうか。
自分が浅慮だった所為で、他の使用人の仕事を増やしてしまった。しゅんとして、謝罪の言葉も浮かばなくなっている姿を、ちらりとリカルドが振り返る。
「あと。反省しすぎるんじゃない。重い物を容易く持てる方が俺なら、俺は荷物を持つよ。それだけ」
「…………うん」
きっと僕だけでなくそうするだろう彼の背は大きい。明るい厨房に向けて進んでいく身体を、少し広い歩幅で追いかけた。
「なぁ、今日。時間はあるか?」
「うん。その装置の修理、思ったよりも早く終わったから」
「この装置を届けた後でも?」
「……いいよ」
二人で厨房へと行き、修理済みの装置を届けて報告する。正常に動作していることを確認してもらうと、厨房の前で待っていたリカルドと合流した。
部屋へ、と促され、連れ立って歩き出す。
午後の日差しは明るく、窓辺から差し込む光で溢れていた。綺麗に拭き上げられた廊下は飴色に輝き、その上を背筋を伸ばして歩いていくアルファは、誰が見ても貴族の一員に見える。
彼の自室の扉を開き、中へと入った。後に入ったはずのリカルドは僕を追い越し、机の上から箱を持ち上げた。
「はい」
「はい……?」
両手で受け取ったものの、なぜ渡されたのかは分からない。箱は薄い金属で作られており、蓋には結婚式で使われる花が浮き彫りにされていた。
なぜ箱を、と目を瞬かせると、手渡してきた方は気恥ずかしそうに後頭部に手を当てる。
「お土産」
「なんで、お土産?」
「兄貴の土産を嬉しそうにしてたから」
ソファに腰掛けて蓋を開けると、中には袋に包まれた菓子が何種類も入っていた。色の付いた包み紙にも細工が施され、宝石箱のような配置に見える。
歓声を上げると、隣に座ったアルファは満足げに微笑む。
「箱を大事そうにしてたから、箱があるほうがいいんだろ?」
「うん! オースティン様から頂いた箱も大事に使ってるよ」
とはいえ、中身は調味料なのだが。
僕が夢中になって箱を眺めている間、リカルドは奇妙なほど静かだった。
包みのうち一つを開けると、中身は果物を模った飴が入っている。ちらりと視線を上げると、こくんと頷かれた。許しを得て、ぱくんと口に運ぶ。甘い味がくちいっぱいに広がった。
「リカルドも食べる?」
「ああ」
隣でぱかり、と口を開ける。
飴を見下ろし、開いた口を眺め、僕は求められていることを察した。悪戯っぽく細められた目を見るに、からかわれている事くらい分かる。
自分には優しくしない、とでも思われているんだろうか。何となく腹立たしくて、飴を摘まみ上げた。
伸ばした手で彼の口に運び、飴を唇の上に載せると、彼は器用に口に収める。指先が唇を掠めた部分がじわりと痺れる。指を擦り合わせ、もう片方の手の下に隠した。
「────美味い」
くしゃりと崩れ、取り繕った所のない表情だった。もごもごと口を動かし、頬を膨らませてみたりもする。
しばらく飴を舐め、口の中で溶かしきった。
「そういえば、雷管石の件。進展しそう?」
さりげなさを装って尋ねる。あぁ……、と声を漏らしたリカルドは、縛っていた後頭部の結い紐を雑に解いた。
両手で紐を掴み、くるくると指を回して捩る。
「あんまり……、考えが纏まらなくてな」
「あの。気を悪くしないで欲しいんだけど……。オースティン様は、雷管石に魔力が込められるようになるの、急がなくてもいいんじゃない、って言ってたよ」
目の前の唇に皺ができる。
「兄貴は俺ほど金に頓着しないからな……。でも、こんなに高価な石。このままにしておいたら勿体ないだろ」
声の響きには、何かを振り切ろうとするような、がむしゃらな勢いがあった。波の振れが痛々しくも思えてしまう。
僕は、隣にいるひとの腕に手を添える。びくん、と下になった指がいちど跳ねて、落ち着く。
「リカルドは、あの雷管石。好き?」
「…………え。……ああ、良い石だと思う。綺麗で……」
続くと思っていた言葉は、喉の奥に呑み込まれた。
彼は、発した言葉以上の価値を感じている。静寂に蓋をされた感情たちは、オースティン様の仮説を裏付けるものにも思えた。
「うん。夕陽みたいな色……いい色だよね。好きな色だった?」
「…………あぁ。いい色で、好きな色だよ」
切れた言葉に顔を上げると、大きな掌が頬に触れた。
親指が僕の目の下を辿り、くい、と軽く引く。開くことになった目の表面が、すこし乾いた。指が力を失い、逃れた皮膚で瞬きをする。
「じゃあ、ジール家のものにしちゃうのもいいんじゃない? ……このお屋敷。大きすぎて、その石いっこ売れなかったくらいで傾きそうにないし。リカルドがこれから、そのぶんくらいすぐ稼いじゃうでしょ」
あれだけ各所の鉱山を回っているのだから、彼が生み出す金銭は僕が想像もつかないほど莫大なのだろう。大きな家が建つくらいの石だ。けれど、彼がこれから領地に齎すであろう利益と比べれば、これは只の石ころだ。
呆然としたように、リカルドは僕を見つめていた。
「リカルド、神殿に行ったとき、すごく苦しそうだった。悩むくらいなら、もう、切り替えちゃったら? その分、他の石を掘って稼ごうよ」
頬に当たった手に、自分の頼りない手のひらを添える。体温と魔力が伝うと、ふわ、と鼻先に知らない匂いが届いた。
「それは…………」
すんなりと頷いてはくれないようだ。僕は自分の無力さに肩を落とした。添えていた手からは力が抜け、ソファの布地の上に落ちる。
掌は僕の頬をひと撫でし、彼の太腿の上に戻った。
「悪い。しばらく、考えさせてくれないか?」
瞳には光が戻らない。表情に不安は残るが、僕が口を挟むのも違うような気がした。
「分かった。僕はね、…………リカルドが、望むようにしてほしい。それだけだよ」
彼は顔を上げ、こくん、と頷いた。頼りない身体は、十数年前の彼を見ているようだった。
腕が伸びてくる。避けもせず、抱き寄せてくる腕を受け止めた。
いつもなら廊下を歩いているところを捕まって、雷管石の相談を始めるのに、数日間、僕は放っておかれた。オースティン様からの頂き物だったお菓子は既に食べ尽くし、中を洗って調味料を仕舞うことにした。
変わらない日々。雷管石の相談を受ける前、いや、もっと前。屋敷に来た直後のような距離感に、胸がしくしくと痛む。
彼の魔力の波を味わってしまったからだろうか。家の中の立場を知ってしまったからだろうか。それとも、あの時、抱き寄せられるのを拒めなかったからだろうか。
ずっと両親のことばかりで、屋敷で働くようになって久しぶりに安穏が訪れた。家族以外のことを考える余裕ができたと思ったらこれだ。僕は、そうとう人間関係が不器用らしい。
黙って仕事をしていると、二人でやいやいと言っていた時間を思い出す。また、あの時間を過ごしたくなった。
その日は作業室で、頼まれた調理器具の修理を行っていた。器具自体の故障ではなく、水蒸気が染みこんだことで錆ができ、魔術式の掠れに繋がったようだ。水を弾く材質を書き直した術式の上に貼り付け、蓋を閉じる。
修理をした魔術装置は大型で、両腕で抱えてもふらつく。重い物を厨房まで運ぶことを憂いながら、装置の下部に手を掛けた。
「おっも……!」
左右に揺れた身体を立て直し、作業室から出る。
よたよたと歩いていると、廊下の先の方に見慣れた姿があった。視線を上げて目を瞠り、ぐっと眉を寄せて地面を見る。
せいいっぱい端に寄り、重い装置を抱え上げて背を丸める。目の前で、リカルドの身体が立ち止まった。
無言の間にそろりと視線を上げると、装置の下を別の掌が支えた。
「重……! なんでこんなの一人で運んでるんだ」
装置が両手で抱え上げられると、ふっと重さが楽になった。重心がずれ、その場でたたらを踏む。
眉を顰めたリカルドは、僕の手を心配そうに見る。
「腕、平気か。どこに運べばいいんだ?」
「厨房へ。あの、服が汚れるから僕が……」
「午後は家で仕事するから平気だよ」
厨房に向けてつかつかと歩いていく背を、慌てて追う。重い物を持っていて尚、脚の長さの所為で向こうの方が速い。
僕が必死で追っているのが分かると、速度が緩んだ。
「こういうのは台車を使うか誰かを呼べ。腕を痛める」
言い分は尤もで、背を丸めながら彼の踵まで視線を落とす。軽く拭ったとはいえ、油汚れの多い厨房で使われていた品だ。多少は裾を汚してしまったのではないだろうか。
自分が浅慮だった所為で、他の使用人の仕事を増やしてしまった。しゅんとして、謝罪の言葉も浮かばなくなっている姿を、ちらりとリカルドが振り返る。
「あと。反省しすぎるんじゃない。重い物を容易く持てる方が俺なら、俺は荷物を持つよ。それだけ」
「…………うん」
きっと僕だけでなくそうするだろう彼の背は大きい。明るい厨房に向けて進んでいく身体を、少し広い歩幅で追いかけた。
「なぁ、今日。時間はあるか?」
「うん。その装置の修理、思ったよりも早く終わったから」
「この装置を届けた後でも?」
「……いいよ」
二人で厨房へと行き、修理済みの装置を届けて報告する。正常に動作していることを確認してもらうと、厨房の前で待っていたリカルドと合流した。
部屋へ、と促され、連れ立って歩き出す。
午後の日差しは明るく、窓辺から差し込む光で溢れていた。綺麗に拭き上げられた廊下は飴色に輝き、その上を背筋を伸ばして歩いていくアルファは、誰が見ても貴族の一員に見える。
彼の自室の扉を開き、中へと入った。後に入ったはずのリカルドは僕を追い越し、机の上から箱を持ち上げた。
「はい」
「はい……?」
両手で受け取ったものの、なぜ渡されたのかは分からない。箱は薄い金属で作られており、蓋には結婚式で使われる花が浮き彫りにされていた。
なぜ箱を、と目を瞬かせると、手渡してきた方は気恥ずかしそうに後頭部に手を当てる。
「お土産」
「なんで、お土産?」
「兄貴の土産を嬉しそうにしてたから」
ソファに腰掛けて蓋を開けると、中には袋に包まれた菓子が何種類も入っていた。色の付いた包み紙にも細工が施され、宝石箱のような配置に見える。
歓声を上げると、隣に座ったアルファは満足げに微笑む。
「箱を大事そうにしてたから、箱があるほうがいいんだろ?」
「うん! オースティン様から頂いた箱も大事に使ってるよ」
とはいえ、中身は調味料なのだが。
僕が夢中になって箱を眺めている間、リカルドは奇妙なほど静かだった。
包みのうち一つを開けると、中身は果物を模った飴が入っている。ちらりと視線を上げると、こくんと頷かれた。許しを得て、ぱくんと口に運ぶ。甘い味がくちいっぱいに広がった。
「リカルドも食べる?」
「ああ」
隣でぱかり、と口を開ける。
飴を見下ろし、開いた口を眺め、僕は求められていることを察した。悪戯っぽく細められた目を見るに、からかわれている事くらい分かる。
自分には優しくしない、とでも思われているんだろうか。何となく腹立たしくて、飴を摘まみ上げた。
伸ばした手で彼の口に運び、飴を唇の上に載せると、彼は器用に口に収める。指先が唇を掠めた部分がじわりと痺れる。指を擦り合わせ、もう片方の手の下に隠した。
「────美味い」
くしゃりと崩れ、取り繕った所のない表情だった。もごもごと口を動かし、頬を膨らませてみたりもする。
しばらく飴を舐め、口の中で溶かしきった。
「そういえば、雷管石の件。進展しそう?」
さりげなさを装って尋ねる。あぁ……、と声を漏らしたリカルドは、縛っていた後頭部の結い紐を雑に解いた。
両手で紐を掴み、くるくると指を回して捩る。
「あんまり……、考えが纏まらなくてな」
「あの。気を悪くしないで欲しいんだけど……。オースティン様は、雷管石に魔力が込められるようになるの、急がなくてもいいんじゃない、って言ってたよ」
目の前の唇に皺ができる。
「兄貴は俺ほど金に頓着しないからな……。でも、こんなに高価な石。このままにしておいたら勿体ないだろ」
声の響きには、何かを振り切ろうとするような、がむしゃらな勢いがあった。波の振れが痛々しくも思えてしまう。
僕は、隣にいるひとの腕に手を添える。びくん、と下になった指がいちど跳ねて、落ち着く。
「リカルドは、あの雷管石。好き?」
「…………え。……ああ、良い石だと思う。綺麗で……」
続くと思っていた言葉は、喉の奥に呑み込まれた。
彼は、発した言葉以上の価値を感じている。静寂に蓋をされた感情たちは、オースティン様の仮説を裏付けるものにも思えた。
「うん。夕陽みたいな色……いい色だよね。好きな色だった?」
「…………あぁ。いい色で、好きな色だよ」
切れた言葉に顔を上げると、大きな掌が頬に触れた。
親指が僕の目の下を辿り、くい、と軽く引く。開くことになった目の表面が、すこし乾いた。指が力を失い、逃れた皮膚で瞬きをする。
「じゃあ、ジール家のものにしちゃうのもいいんじゃない? ……このお屋敷。大きすぎて、その石いっこ売れなかったくらいで傾きそうにないし。リカルドがこれから、そのぶんくらいすぐ稼いじゃうでしょ」
あれだけ各所の鉱山を回っているのだから、彼が生み出す金銭は僕が想像もつかないほど莫大なのだろう。大きな家が建つくらいの石だ。けれど、彼がこれから領地に齎すであろう利益と比べれば、これは只の石ころだ。
呆然としたように、リカルドは僕を見つめていた。
「リカルド、神殿に行ったとき、すごく苦しそうだった。悩むくらいなら、もう、切り替えちゃったら? その分、他の石を掘って稼ごうよ」
頬に当たった手に、自分の頼りない手のひらを添える。体温と魔力が伝うと、ふわ、と鼻先に知らない匂いが届いた。
「それは…………」
すんなりと頷いてはくれないようだ。僕は自分の無力さに肩を落とした。添えていた手からは力が抜け、ソファの布地の上に落ちる。
掌は僕の頬をひと撫でし、彼の太腿の上に戻った。
「悪い。しばらく、考えさせてくれないか?」
瞳には光が戻らない。表情に不安は残るが、僕が口を挟むのも違うような気がした。
「分かった。僕はね、…………リカルドが、望むようにしてほしい。それだけだよ」
彼は顔を上げ、こくん、と頷いた。頼りない身体は、十数年前の彼を見ているようだった。
腕が伸びてくる。避けもせず、抱き寄せてくる腕を受け止めた。
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