勃たなくなったアルファと魔力相性が良いらしいが、その方が僕には都合がいい【オメガバース】

さか【傘路さか】

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 僕の体調の改善は劇的だったようで、病院に仕事で訪れる度、復帰したミィヤを含めた仕事仲間から指摘されるようになった。

 その度に魔力相性がいい人が見付かって一緒に食事をしている、と話すと、覚えのある人たちは自分の番の話を始める。いつもなら興味の持てなかった話も、立場変われば、なのか、ついつい耳を傾けてしまった。

 レナードは発情期を一緒に過ごせないことに思うところがあるようだが、僕はゆっくり関係を深めたい、と言って聞かなかった。彼以外のアルファがすぐに番える、と言ったって、別に魅力的には見えないのだ。

 近付いてきた次の発情期も、変わらずに一人で過ごすつもりでいる。

 番候補がいるのに、と感傷的になることはなく、今まで通り薬の力を借りてやり過ごすつもりだ。ただ、発情期が近付いていることは、レナードには伝えなかった。

「来週から、しばらく仕事が忙しくなるからこっちには来ない。落ち着いたら連絡する」

 気にするかもしれない彼には何も伝えず、忙しくなる愚痴をそれらしく語った。レナードはただ労りの言葉を述べ、日が近付いてきたらまた作り置きを持たせてくれると言う。

「たまに、料理を渡しにいってもいい?」

「いや。忙しいと気が立ってしまうから、気にしないでほしい。食事は気を付ける」

 忙しいことは日常でしかない。彼相手に八つ当たりしたりもしないのだが、嘘ではないことが分からないよう、普段通りの声音になるよう努める。しばらく会えないことを寂しそうにはしていたが、それ以上突っ込んで聞かれることはなかった。

 レナードの家を訪ねることもなくなり、いつもとは違った買い置きを揃えて引きこもりがちになっていた。そんなある日、病院から魔術を使いに来てほしいと要望があった。発情期が近いことを伝えたのだが、患者の症状も芳しくないようで何とかならないか、と食い下がられる。

 薬を服用し、誰か番持ちを付けてくれ、と言うとミィヤが付き添ってくれる事になった。普段は使わない香水を振り、首には防護用の頚飾を填めて髪を下ろす。

 急ぎだったのか、ミィヤはすぐに小屋を訪れた。

「ごめんね急に。こんな時期のニッセを引っ張り出したくなかったんだけど、代わりができそうな人が全員不在で……」

「いや。もともと僕のフェロモンは強くないし、人を選ぶ匂いだからまだいい。魔力相性がいい相手じゃなければ、発情期に引き込むこともないはずだ」

 近くにレナードさえいなければ、僕自身も匂いを振りまいたりはしないだろう。

 彼女と一緒に家を出ると、特殊な患者用の裏口を通って院内に入り、人が通らない通路を選んで処置室へと向かった。僕を出迎えた医師は、ミィヤと患者以外はいない部屋で病状と患部の説明をする。

 身体の中央付近で、血の流れる管が詰まりかけているらしい。位置の把握に慣れていないと、適切な場所を拡張した上で術を固定できない。人を選ぶ魔術であることは確かだった。

 眠っている患者の手に、そっと指を添える。違和感を覚えないよう、ゆるやかに魔力を込めていく。

 運良く口頭で指示された場所付近に詰まりを見つけ、魔力で捉えた。静かに詠唱を始めると、室内は僕の声だけになる。

「込める魔力量を決めたい。どれくらいの期間、持たせればいい?」

「とりあえず盛夏くらいまでかな。それ以降の維持が必要ならまた処置に来てもらうから、別の魔術師でも魔力の補給ができるよう、目印を付けておいて」

 問いに医師が答える。あとは薬品を投与し、経過を見ながらどれくらい魔術の補助を続けるかを決めるそうだ。あえて魔力を探りやすくする式を埋め込んでおけば、他の魔術師にも容易く維持魔力を供給できる。

 一通りの魔術を行使し、僕は患者の腕から手を離した。医師は体内を診る装置を動かし、魔術の結果を確認する。

「お見事。ニッセが院内にいなくなって、新しい魔術が頻繁に増えるようになったのはいいけれど、呼ぶのに時間が掛かるのが難だね。例の上司もいなくなったことだし、院内に戻ってこないかい?」

「今の一人部署も気に入っている。僕がいなければ、が無いに越したことはないしな」

 医師は確かに、と手短かに同意し、次の処置に移った。

 解放された僕たちは、部屋を出て、使った魔術の記録をするために事務室へ向かう。事務室は受付に近く、行き来が多い所為か扉も開け放たれている。僕たちも扉を閉めることもなく、筆記具と用紙が置かれている台に近付いた。

 普段どおり与えられた書式を埋めていると、暇になったのかミィヤは口を開く。

「そういえば、神殿で会ったお相手には発情期の話はした?」

 僕は魔術を埋め込んだ位置を記載し、細かく魔術式の仕様を書き添えた。位置を辿れなくなったら手間だろうな、と図示も始める。

「ちょっと、事情があってな。仕事が忙しいことにしてある」

「そう。必要なものがあったら昼休みにでも買ってきてあげるから、通信魔術でも飛ばしなさいね」

「ああ、そうだな。頼む」

 普段から、彼女には細々と頼み事をしていた。今まではお互い様だったのだが、これからは頼りっきりになってしまうのだろうか。

 コン、と筆記具の背で机を叩く。鈍い音が跳ね返った。

「……別に、上手くいってない訳じゃないのよね?」

「そういう訳じゃない」

「安心した。他の貴族の都合だかで雷管石を預ける羽目になったんだから、悪い相手じゃなくて良かったわよ」

 ふと、見知った匂いがした気がして振り返る。

 視線を向けた先、当然のようにそこに探している顔はいない。出入りが多い院内では匂いの元も多く、気のせいだったかと首を傾げた。

 僕が見つめた方を見て、ミィヤが問うてくる。

「どうしたの?」

「……いや。この時期は匂いに敏感になるな」

 求めているのはレナードの匂いなのだろうが、幻覚を見るようになってしまうほど、懐に入りすぎたのかもしれない。

 必要事項を記載し終わり、別の職員から確認を受けて病院を出た。裏口は暗く、職員しか使わない扉は端が錆びている。ぎぃ、と濁った音を響かせる扉を押して、外に出た。

 ミィヤに送られて小屋に戻り、また、と手を振り合う。

「今度、相手の人に会わせてくれない?」

「……考えておく」

「その返事で、予定が決まった試しがないんだけど」

 ミィヤとレナードの間で何があるとも思わなかったが、何となく避けてしまった。

 扉を閉めて部屋に戻り、魔術式を書き付けていた紙を拾い上げた。これからの体調の変化でまともに構築できる気はしないが、できる限り進めておくつもりだ。

 レナードから体調を気にするよう言われて、決まった休み時間を作るようになった。仕事のことを考えている時間は格段に減っているのだが、別に構築の速度は落ちなかった。

 なんだ、と肩すかしを食らった気分だ。僕はもっと、好き勝手に生きても良かったらしい。

 容器から実験に使う乾燥した葉を取り出すと、変わった匂いがする。そっと鼻先に当てて、すう、と息を吸い込む。

「嫌いな匂いじゃないかもな」

 ただ身の回りにあっただけの何か、が、そうではなくなっていく。開けるようになった窓から、風が抜けていって髪を揺らした。

 呼び鈴が鳴ったのは、その時だ。

 ミィヤが何か届けに来たのだろうか、玄関まで近付いて、匂いが違うことに気づく。なんでいるのだ、と動揺しながら、声を掛ける。

「……はい」

「急にごめん」

 扉の先から聞こえたのは、レナードの声だった。ひゅっと息を呑み、鼓動が高くなった。だが、まだ頚飾も身に付けたままで、匂いも香水の匂いが残っている筈だ。

 大丈夫、と胸に手を当てて自身を落ち着かせる。

「急に、どうしたんだ?」

 彼の声は、暗く沈んでいた。

「ごめん。訪ねるつもりはなくて、本当は、来ない方がいいかなって思ったんだけど……」

 不思議に思ったのは、レナードが扉を開けるよう言わなかったことだ。僕の事情さえも知っているかのように、扉の前で話し続ける。

 たかが扉一枚が、何故だか遠かった。沈黙も長かった。

「────他の貴族の都合、で神殿に雷管石を預けることになった、のは、本当?」

「……なんで、それを」

「受付の近くにいたら、ニッセの匂いがした。話しかけようと思って近付いたら……」

 僕がミィヤと話していた時に感じた残り香は、やっぱりレナードのものだったのだ。受付から事務室に近付いたところで、僕たちが話している場に出くわしてしまったらしい。

 彼はごめん、と謝罪して、僕は黙って聞いた。

「神殿に預ける切っ掛けになったのは、本当のことだ」

「じゃあ、……ニッセは別に番が欲しかった訳じゃないんだね」

 自嘲が含まれた響きに、ぞっと背が冷えた。怒っているわけではないのに、ただ闇が広がっているように昏い声音だ。

「俺が来て、がっかりした? それとも、そっちの方が、都合がよかった?」

 都合、は『今の彼と番になれないこと』を指している気がした。否定する言葉を躊躇った。ゆっくり関係を深められるほうがいい、と言い出したのは僕の方だ。

 指を握り込んで、扉の先に神経を研ぎ澄ます。

「いや。こんな、責めるようなことを言いたい訳じゃないのに。…………発情期すら、正直に相談できないような相手でごめん」

 扉に額を預ける。体温が伝わらないことが分かっていて、そっと冷たい板に指を添えた。コトン、と何か音がして、足音が遠ざかっていった。

 扉を開ければ追える距離にいるはずなのに、僕の脚は竦んで動かない。強張りが解けたのは、彼がかなり遠くに行ったであろう時間が過ぎてからだった。

 扉の鍵を開け、万が一を期待して視線を向ける。見つめる先には、誰の姿もない。その代わり、振り返った扉の引き手には紙袋が掛かっていた。ゆっくりと開くと、すぐに食べられる日持ちのする食品が、袋一杯に詰め込まれていた。

 会えない、と言ったから、品だけでも置いて帰るつもりだったんだろう。袋を玄関に引き込んで、鍵を掛け、ずるずると扉にもたれ掛かる。

「…………あれ。なんで」

 視線の先、玄関の床がまだらに濃く濡れる。頬に手を当てると、べったりと湿っていた。ごしごしと服で目元を拭うが、また、ぽたりぽたりと雫は落ちていく。

 はぁ、と細切れに息を吐いて、静かに泣き崩れた。



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