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 アルヴァと関わってみよう、と決めて数日。

 二人の間での会話が増え、食事に誘われれば全部受けた。彼との空気感にも慣れ始め、このままいい関係が築けるかも、と思った矢先だった。

「研修旅行……?」

 今日はアルヴァはいないのか、と目で追っていると、同僚のメルクが近寄ってきて旅行だったよね、と告げたのだった。

 俺はぽかんと口を開き、明らかに知らなかった、と顔に出してしまう。

「あれ。聞いてなかった? 東の大国に技術交流に行くって。数日で帰ってくるとは言ってたけど」

「聞いてなかった。……いや、仕事で聞きたいことあったんだけど。ごめん、ありがと」

 取り繕ってメルクに礼を言い、椅子に躓きつつ自分の席に座る。同僚も知っていたということは、ある程度は根回しをしての旅行だったはずだ。

 けれど、俺は何も聞いてはいなかった。

 東の大国には、アルヴァの親族がいると聞いたことがある。

 うちの国よりも、向こうの方が知り合いも多いのかもしれない。旅行のことすら知らせて貰えない、俺なんかよりもずっと仲がいい相手が、向こうの国にいるのかもしれない。

 つい苛立って、そんな自分に困惑した。魔力を変質させておいて、自分は好きな相手と過ごすのか、と八つ当たりも似た感情を抱く。

 俺が怒りと困惑を行き来していると、横からメルクが菓子の包みを差し出してきた。のし、と背後から肩に手を置き、頭の上に顎を乗せる。

「彼氏が浮気したら、飲みに付き合うね?」

「だから彼氏じゃねえの。飲みじゃなくて飯に行こう」

 二度目の過ちの種は蒔きたくなくて、そう提案した。

 包みを開いて、砂糖の塗された焼き菓子を口に入れる。メルクはことりと小首を傾げ、両側から頬を押してきた。

 触れた場所から、魔力が流れ込んでくることはない。お互いに魔力を制御しており、おそらくだが、アルヴァほどの絶対的な相性の良さが無いのだ。

 メルクは誰とでも気が合うような朗らかな性格で、俺相手でも相性が悪くはならない。それでもアルヴァとの間で起きるような魔力の交換は、メルクとは起き得ないのだった。

 納得がいかない、と美味しい菓子をしかめっ面で咀嚼する。

「驚いた。ディノってやきもち妬くタイプだったんだ」

「妬いてない。連絡なしにいなくなる程度の関係ですよね、ってだけ」

「でもアルヴァって、こう、って決めたら連絡なしに飛びだしてく性格だしさ。大目に見てあげなよ。僕が知ってるのも課長から聞いただけだしね」

 妬かないの、とぎゅうぎゅうと背後から柔らかく抱きしめられるのは、悪い気はしなかった。ただ、俺の中の何かが、メルク以外の体温を欲しがるだけだ。

 魔力はアルヴァがいなければ元に戻るのだろうが、それすらも腹立たしく思えてきた。

「メルクー。俺甘いもん食いたい」

「えーいいよー。お昼に食べにいこ」

 メルクは快く承諾し、ころころと笑いながら自分の席に戻っていった。

 元々、アルヴァよりメルクとの付き合いの方が深かった気がする。それでも、メルクとの間柄は友人を踏み越えない気がした。

 直感というのか、本能というのか。俺は始業の鐘が鳴るまで、魔術機の画面を心ここにあらずのまま見つめていた。

 心が無くとも手は動く。アルヴァがいなくなったことで補佐に入ることもあったが、その日も何事も無く過ぎていった。彼が物を破壊する報告も入らないので、平和なものである。

 窓の外には鳥の鳴き声が響き、それすらも耳に届く余裕があった。

 昼の少し前に仕事に区切りを付け、昼休憩の鐘が鳴ると同時に立ち上がった。メルクも同様で、鞄を持って一緒に職場を出る。

 アルヴァとは違って距離感を保ったまま、やや早足で並んで歩く。

「あのさ。アルヴァに旅行のこと、欠片も聞いてなかったの?」

「本当に何も。てか、まあ。言わなきゃいけないような関係じゃないし」

 メルクの視線がじっとこちらに注がれ、俺は失言を悟った。

「恋人じゃない、って言ってるみたいに聞こえる。けど、ディノって貞操観念しっかりしてるよね。恋愛自体も好きそうじゃないし」

「…………恋人じゃない」

 声を落として、ひそりと告げたそれに、メルクは悲鳴混じりの声を上げた。俺が歩みを早めると、小走りになりながらも付いてくる。

「だって! あんなに魔力が混ざってて、何もしてないってある!?」

「何もしてない訳じゃないの。恋人じゃないだけ」

 俺はアルヴァの家での経緯を掻い摘まんで話した。メルクはとと、と廊下を足の裏で叩きながら、俺の言葉ひとつひとつに声を上げて反応する。

 ちらりと表情を窺うと視線がぐるぐると彷徨っていて、あまりにも動揺しすぎて可哀想に見えた。

「────そういうことで。恋人じゃないけど寝ちゃったみたい」

「ディノさあ。覚えてないとはいえ、自分と寝た相手とよくそんなに普通にしてられるね。ここ数日、すごく仲良かったように見えたよ」

「だって、覚えてないし。仲良かったのは、アルヴァが俺と『結婚したい』って言うから、その検討中だからだし」

「はぁ!?」

「魔力の相性がもの凄くいいんだってさ。俺ら」

 メルクはとうとう歩きながら頭を抱えてしまった。それもそうだよなあ、と他人事のように思う。

 事故で一夜を共にした相手に、翌日になってそれはそれとして、と求婚する男が何処にいるのだろう。

 もうすこしアルヴァが俺を突き放したら、俺はもっと落ち込んでいたのかもしれない。だが、アルヴァがあまりにも押してくる所為で、ぽかんと惚けたまま渦に巻き込まれている感覚だ。

「アルヴァって正気なの? 事故で寝た相手に求婚、普通する?」

「でも、その言葉は昨日までずっと一貫してた。その割に旅行のこと話さずに旅立つから俺もう何がなんだか」

「それは。僕も何がなんだかだなあ……」

 そうだよなあ、と言うと、こくこくと同意が返ってきた。

 メルクと話していて安心したのは、アルヴァのあの性格がやはり規格外だという共通認識が持てたことだ。自分かアルヴァしかいないと、自分がおかしいのかと思えてくる。

 戸惑ってばかりの自分を肯定してもらえて、地に足が着いた気分だった。

 打てば響くように会話を交わしながら店まで歩いていき、さっさと席を決めて食事とケーキを頼む。

 メルクも俺もケーキは二つずつにして、全てを半分ずつ分け合った。

 大食らいになりがちな魔術師が二人集まればこんなもんだ。メルクも小柄な方だが、魔力も強くてよく食べる。

 食事を早々に食べ終えてケーキをつつくメルクは、アルヴァの文句とケーキの感想を行き来する俺に、思い出したように話題を変える。

「アルヴァって魔術の研究のために、割と何でもするじゃない? 髪の色が無くなったのも、大ごとに思えるのに本人は気にしてなさそうだし」

「ああ。今だって綺麗な色だとは思うけど、やっぱ、俺なら思い悩むな」

「それで東の大国にも居られなくなったしね」

 東の大国にある神殿の大神官は、同じく若くして髪の色を失っている。けれど、それは神の加護によるもので、決して魔術の副作用ではない。

 若いながらも自然に反して色を失った彼の存在は、神に対する冒涜。魔術に秀でた彼に、逆恨みのようにそう言う者もいたそうだ。

 それ以外でも外見が衆目を集めがちだったようで、アルヴァはかの国に居づらくなり、魔術の腕を買われて隣国……我が国の宮殿付となった経緯がある。

 ただ、当の本人は魔術の研究さえできればいい、と髪の色を失った理由も平然と教えてくれる。もし魔術の失敗が原因で命を失ったとしても、死に際にけろりと残念だった、とのたまって死にそうだ。

「僕はディノに幸せになってほしい立場だからさ。アルヴァがディノに求婚するの。相性がいい魔力と混ざったらどうなるか、っていう実験目的も含んでるんじゃない、って穿った見方しちゃうわけ」

「いや、俺もそう思うよ」

 何せ、興味があるものしか追い求めない男だ。

 研究に邪魔な欲求が満たされて、相性の良い魔力と混ざることによる研究が進めやすくなり、自分を縛るような相手じゃない。アルヴァにとって俺は目の前に降って湧いたような、おあつらえ向きの相手になるだろう。

 だから取り繕って、恋をさせるくらいの努力をしろ、と言ったのだ。

 口の中は甘ったるく、脳をびしびしと叩いてくる。糖で腹を満たしていくのは心地よく、二人してぽろぽろと言葉が口をついて出た。

「アルヴァにとって、恋って何なんだろうね」

「だよな。俺もさ、恋してみたいんだけどなー」

「アルヴァに?」

「………………それは。できたらいいねえ」

 残っていた最後の一切れをフォークに刺すと、メルクの口から文句が零れた。笑いながら相手の口元に差し出し、お気に入りだったらしいそれを譲る。

 もぐもぐしつつ、にんまりと満足そうなメルクを見ていると、こちらの口元まで綻んだ。

 休憩時間が終わる間際までお茶を片手に居座り、そろそろかと席を立つ。半分、と財布を出しているのを断り、店員に代金を手渡した。

「ありがと。どういう風の吹き回し?」

「アルヴァ以外の意見が聞けてよかったな、と」

「まあ、あの人と一対一で過ごしてたら、自分の価値観、揺らぐよね」

「逆に言えば、アルヴァは絶対的に揺らがない、ってこと。それ自体はいいことなんだけどな」

 つい擁護してしまって、にたにたと笑みを浮かべているメルクの髪を乱す。

 友人は高い笑い声を上げながら、暑い石畳を小走りに駆ける。靴が立てる音は軽快で、軽くなった肩と、重くなった腹を抱えながら帰路に就いた。
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