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 動物プロダクションのスタッフが言った通り、俺に対しての撮影依頼は日に日に頻度を増していった。おそらく誰に対しても仕事、と呼べるくらい時間を割いている。

 接する職員も俺と似たような一族と関わり慣れており、以前の職場で聞いた怒声が嘘のように、晴雨に似た面倒見のいい人ばかりだ。

「────何よりも、真面目に働く『狐』は、珍しい」

 休憩ブースに腰掛けて机を囲み、龍屋、という名札を付けたスタッフがそう言う。

 プロダクション内では猫神と狗神の一族を見かけた。その双方の面倒を見ているのがこの青年だ。

 特殊な一族への慣れを買われたのか、この龍屋が俺の面倒も見てくれている。

「じゃあ、この明細、間違ってないのか」

 最初の給料、と呼べるような明細を貰い、あまりの高額さに間違いか尋ねにいったのだが、龍屋は事務室に依頼ごとの報酬資料を貰いに行き、提示した上で丁寧に説明を入れてくれた。

 彼は頬を掻き、申し訳なさそうに眉を寄せる。

「猫神の一族なんかはあまり細かなことに頓着しないから、配慮が足りなかった。納得してもらえたか?」

「こちらこそ悪かった。間違っていたら、そんなに払わせるのは申し訳ないと思って」

 互いに苦笑いを浮かべ、印刷してもらった資料を仕舞った。

 これで、予定通りに返済しても余りが出るだろう。受け取ってもらえない生活費は、入れさせてもらえるだろうか。

 パチンコ、スロット、競馬に競輪に競艇。それらよりも、これから晴雨へどう恩を返していくかに、好奇心の先が向いていた。

「お話、終わった?」

 ちょこん、と近づいてきたのは猫神の一族でもある可愛らしい青年だった。

 龍屋と仲が良いようで、よく彼の周囲をちょろちょろしている。俺が頷いて見せると、ぱあっと表情を明るくし、龍屋の腕に抱きついた。

 お熱い様子に、俺は目を丸くする。

「玲音……!」

 玲音、というのは目の前にいる猫の青年の名だ。確か、花苗玲音という名だった。龍屋はくっついた花苗を引き剥がす。

「仕事中だろ」

「もう休憩でいいでしょ」

 目の前で言い合う二人の言葉は、テンポが良い。会話に慣れた間柄のように思えた。

「それに、瓜生さんだって……」

「ああ、いや。仲良いんだな」

 俺が龍屋にそう言うと、腕にしがみつく猫は俺を見上げて眦をつり上げる。威嚇するような表情だった。

 彼らの関係が特別なのは、見ていてすぐ分かった。何となく、花苗から龍屋の気配を感じたのだ。魂を染めるほどの関係なのだろう。

「取りゃしねえよ」

 そう言うと、ほっとしたように龍屋にごろごろと甘え始める。龍屋を見る視線が強いと思っていたが、この二人は間違いなく恋人同士、らしい。

 一族の生殖は、指名された者が誰かに染められた魂を分けることで行われる。生まれたままの、純粋な魂を分けることは禁じられている。

 魂を染める為には、身体を重ねるのが手っ取り早い。そして、恋人が魂を染められる存在でさえあれば、同族であろうと別種族であろうと、人間であろうと構わない。雌雄で殖える訳ではないからだ。

「……付き合ってるのか?」

 問いは、龍屋に向けた。迷いなく頷かれる。

「何となく、そこの『腕にくっついてるの』から龍屋さんの気配がして。魂の混ざり方が濃いのかもな。俺はあんまり魂が視えない質だし」

「それを言うなら、瓜生さんだってそうでしょ。『狐』の気配がする」

 この猫は、俺の種族を知らなかっただろうか。不思議に思いながら、訂正のために口を開く。

「俺は狐だ。狐の気配くらいするだろ」

 猫……花苗は、む、と唇を尖らせた。

「それくらい知ってるよ。別の狐っぽい気配がする、ってこと」

「別の狐……?」

「…………え? 僕、間違えてる……?」

 俺が考え込んでいる様に、目の前の花苗のほうが慌てている。

 魂から別人の気配がするほど混ざる、というのは並大抵のことじゃない。俺が知らないうちに魂を混ぜられているというのは、異様なことだった。

 呆然と、言葉を発した。

「魂を混ぜられておいて、相手が分からない、ってこと、考えられるか?」

「……普通は、魂を意図して混ぜようとするくらい力のある一族が近くにいれば、何となく分かるよ。でも、狐でしょ。『化かす』の得意だから、気づけないかも」

 狐の魂、というのは人々の想像が反映されて変幻自在。人のみならず力の弱い同族さえも騙せるもの。

 だとすれば、花苗の勘違い、と共に、俺が気付いていないだけ、もあり得る気がした。

「僕の勘違いだったら、変なこと言ってごめんね」

「いや。知らないうちに魂が混ぜられてるとしたら、意図が分からなすぎて気味悪いな……。気をつけておくよ」

 龍屋は何か言いたげだったが、言葉を飲み込んだ。その代わり、何かあれば、と連絡先を差し出してくる、乗っかった花苗の連絡先と共に、携帯電話に登録する。

 今までは晴雨しか頼れる人がいなかったから、正直、安堵した。少し増える予定の通帳の残高、そして頼ることができる相手が二人。

 新しい流れを掴み取った予感は、悪いものではなかった。








 会いたくない人とは、望まなくとも顔を合わせるものだ。

 晴雨が不在のうちに庭の隅の草むしりをしていると、屈み込んでいる俺の手元を影が覆った。ビビッドなスニーカーが視界に入る。

 顔を上げると、色の薄いジーンズにパーカー姿の早依さんがいた。

「こんにちは」

「……こんにちは。晴雨はいないけど」

 俺の言葉に、彼女の片眉がひくついた。

 兄がいないのが不満なのか、その他に理由があるのか分からない。だが、俺は触らぬ神に、とばかりに抜いた草を掻き集める。

「借りた本を返しに来たの」

「ああ、じゃあ手を洗ったら預か────」

「客人にお茶も出ない家なの?」

 ぐ、と言葉を押し込める。にこり、と顔に笑みを刷いた。

「…………どうぞ」

 自分の表情が分からないまま立ち上がる。玄関の前で軍手を外し、いつも通りの場所に仕舞った。

 靴を脱いで上がりこみ、スリッパを差し出す。踵を返すと、背後から付いてくる足音がした。

「お茶を淹れてくるので、座って待っていてください」

 キッチンに入り、電気ケトルに水を入れる。沸くまでの間、早依さんの様子を窺いにいっても良かったが、何となく会いたくない気持ちが勝った。

 紙コップに入れたお茶をお盆に載せ、リビングへと向かう。

「お待たせしました」

「ありがとう、いただきます」

 両手で紙コップを持ち、リップが落ちることも厭わずに一口飲む。礼儀として口を付けた、という様子に、喉が渇いていた訳ではないのだと悟る。

 彼女はカバンから本を取り出し、テーブルへと置いて差し出した。

「これ。お兄ちゃんに返しておいてほしいの」

 受け取って、水に濡れないよう離れた場所へと移す。俺がソファから少し離れたスツールに腰掛ける様を、彼女はじっと見守っていた。

「あの、……以前、訂正しそびれたんですが、晴雨とは恋人ではないです」

「じゃあ、恋人でもない相手を、あの兄がずっと家に置いてる、ってこと?」

「それは……俺が、いま収入が少なくて。生活費を浮かせる為に、気を遣ってくれていて……」

「兄が、衣食住の面倒をみている訳ね」

 早依さんは、途端に眉を寄せた。明らかに不機嫌である事が伝わる表情に、ごくりと唾を飲み込む。

「兄は。……なんでだか分からないけど、貴方には寛容な気がするの」

「確かに、そう感じる事はありますが……」

「────それを、貴方は利用しているのね」

 問いかけではなく、彼女の中では断定だった。

 否定する言葉を躊躇った。俺だって、彼を利用しているであろう自覚はある。それを、晴雨の家族に咎められて当然、という意識もある。

 知らず知らずのうちに、指先が強張った。

「そう言われても、……仕方がないと思います」

 長い睫毛が、目の前でゆっくりと瞬きをする。晴雨に似た顔立ちに責められていると、ずきずきと心臓が痛む。

「妹としての立場だけで言うけど。私は、貴方が兄に甘えて、寄りかかっているように見える」

 はあ、と彼女は長く息を吐いた。

「……兄も兄ね。蒐集に向ける好奇心が変に働いたんだと思うけど、よりにもよって人を集め始めるなんて、理解が追いつかないわ」

 早依さんの言葉は正しかった。

 狐神の一族、という存在を調べるため、彼は俺を家に留め置いている。物を集めて調べようとする、眺めようとする目的と変わりない。

 膝の上で拳を丸め、唇を噛み締める。俺達の関係は、彼にとっては健全ではない。

「兄に対して、少しでも恩を感じているのなら、貴方から出て行く事を、……普通の友人へ戻る事を考えてほしいの。友人なら、友人なりの付き合い方があると思う。こんな長い間、生活の面倒まで見るのは、度を超している気がするわ」

 おそらく、彼女にとっては嫌味ですらなかったのだろう。

 早依さんは家同士の結婚を受け入れるほど家族思いで、おそらく、家族仲も悪くない。兄とだって、言われれば会食を受け入れる程度には関わりを保っている。

 家族と、借金の返済についての連絡だけ、を文面でしか行わない俺とは違う。

「……貴方を背負うことで、兄まで倒れるのが怖い。私は家族が大事よ」

 声は僅かに震えていて、彼女の不安を感じ取るには十分だった。

「────自分の親族より先に。友人でしかない兄を頼っている貴方には、伝わるか分からないけど」

 付け足された言葉は、トドメだった。泣き出さなかった事を不思議に思うくらい、魂を飛ばしていた。

 どれだけ、無言の時間が過ぎたか分からない。

「考えておいて」

 彼女はそれだけを言うと、席を立って、玄関から出て行った。見送る余裕すらなかった。誰もいなくなった途端、ふっと糸が切れた。

 ぼたぼたと目元から涙が零れ、拭っても拭っても落ちた。ふらふらと滲む視界のまま立ち上がって、浴室でタオルを拾った。目元に当てる。

 吸い取る度に頬が冷たい。晴雨に食事を与えられて泣いた時と、涙の温度が違った。

「────……」

 何となく歩いて辿り着いた先は、晴雨の寝室だった。ふっかりとした布団の上に身体を倒す。

 目元を拭いつつ、寝台に横になる。ここは、晴雨の匂いばかりがする。

 出て行くことを考えて、と言われて、気付いたことがあった。

「俺、出て行きたく……ないんだな…………」

 衣食住を失う事の怯えは少ない。動物プロダクションの仕事を真面目に続けていれば、食うには困らない。返済の算段も立てて貰った。これからはきっと、家を失うほど酷いことにはならない筈だ。

 だが、この家を出れば、晴雨との関わりは絶たれる気がした。

 彼の妹は出て行く事しか提案しなかったが、出て行けばきっと、俺は申し訳なさで晴雨に連絡を取れなくなる。

「やっぱり……自分勝手だな。俺」

 晴雨に提案したとして、気を遣って止められるだろう。話し合いの余地なんてない。彼の事を思うのなら、荷物だけをまとめて、出ていく方がいい。

 ぎゅう、と目を閉じる。

 友情とは、こんなに胸が千々に切れるほど痛むのだろうか。俺は、彼になんの感情を抱いているのだろうか。

 沢山の本で目にした、たった一文字が胸に絡み付く。頭を捩って、必死に追い払おうと身を捩った。





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