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彼を位置づけるなら、久しぶりにできたアルファの友人、といったところだろうか。
だいたい仕事が終わった頃に連絡が来て、俺は弁当を食べ終わった後、のんびりしつつメッセージで世間話をする。しつこいほどでもなく、適度に話をしては打ち切ってくれるあたり、相手の距離の測り方は上手い方なのだろう。
メッセージアプリのプロフィール欄にはビジネス姿の彼の写真と、代表取締役、という文字が並んでおり、俺のアプリの友人欄の中では異彩を放っている。
メッセージ越しでは面食いを直すも直さないもなく、暇ではないだろうに、ほぼ毎日連絡が来る。交流をしようと申し出たのがあちらとはいえ、律儀なことだった。
また会うことになったのは、仕事帰りに飲もうという誘いからだった。
その日も買ってきた弁当を食べ終わり、茶を淹れて一息ついていた頃、有菱さんから連絡が来たのだ。
『魚が美味しい店があるよ』
店のウェブページが共有され、中を見ると半個室の落ち着いた店構えだ。だが、料理の写真などはあまり載っていない。
隠れ家的な店なのだろうか、縁が無さそうだと思いつつ返事を綴る。
『会社から行きやすそうな場所だし、機会があったら行ってみるよ』
いつもなら直ぐに来る返事が、少し間を置いた。俺は傍らに置いている湯飲みを持ち上げ、口元に運ぶ。
熱々のまま緑茶を淹れすぎた所為で、唇に熱い湯がかかる。あち、と呟いて、湯飲みごと食卓の机の上に逃がした。携帯電話がピコン、と音を立てる。
『今度、仕事帰りに行かない?』
浮かんできた文字を見て、首を傾げる。かなり長い間、飲みの誘いであることを認識できなかった。
そういえば、そもそも連絡を取るようになったのは彼の面食いを直すためだった。もっと会って話をするべきなのだろう。
『いいよ。金曜とかにする?』
そう打ち込むと、相手がスケジュールをチェックしているらしい間が生まれた。
『今週? 空いてる』
『じゃあその日に。待ち合わせは────』
仕事が終わったら集合、という事で話を纏める。改めて手に取った湯飲みは適温で、美味しく茶を喉に流し込んだ。
仕事帰りならばキレイめカジュアルに踊らされることはないのだが、ネクタイには迷うものである。手持ちのスーツ類を思い浮かべながら、その日は就寝した。
金曜日まではいつもと変わらず過ごし、夜にふんわり生まれる雑談にも慣れ始める。
待ち合わせた日は普段よりも意識して仕事を進め、終業になった途端に片付けを始めた。取り敢えず脱出しないことには、と挨拶をしてロッカーに向かう俺を珍しげに見る視線は職場に残してきた。
『職場を出たよ』
鞄から出した携帯にそう打ち込んで、送信する。
最寄り駅から電車に乗り、二人の職場の間あたりにある駅での待ち合わせだ。電車に乗り、つり革を掴んでいる間に返信が届いた。
『俺も仕事終わった、すぐ向かうね』
『ゆっくりでいいよ』
返信して、車窓からの風景を眺める。
日も落ちてぽつぽつと明かりが灯る風景を、電車が猛スピードで突っ切って抜けていく。この速度では、迷いからの足踏みすら許されない。
もうちょっとゆっくり走ってくれてもいいのに、とつり革を何度か握り直した。
少し早めに駅に辿り着き、トイレで身だしなみを整えてから、待ち合わせ場所に着いた旨のメッセージを残す。
浮き足立つ心を落ち着け、全く内容が入らない駅広告に視線を向けた。瞳が律儀に文字を辿るだけの行為を繰り返していると、どうやら時間は過ぎていたらしい。
背後から、とん、と肩に手が置かれる。
びくん、と跳ね上がるように反応し、慌てて振り返った。
「お仕事お疲れさま」
「有菱さん……。びっくりした」
「うん。びっくりした顔は分かりやすかった」
胸を押さえると目の前の男は、あはは、と罪悪感も無さそうに笑った。咎めるように目を細めると、有菱さんはそれすらも意に介さない様子で俺の腕をとんと叩く。
「今日おごるから、許してよ」
「いやだ。自分の払いじゃないと気兼ねするからあんまり食えないし」
彼は眉を上げ、仕方なさそうに息を吐く。行こ、と促すと、道を知っているらしい有菱さんが少し前を歩き始めた。
並んで立つと、顔を見るためにはやっぱり軽く見上げることになる。アルファ相手と分かっていても、物珍しさを感じた。
歩幅はさり気なく合わせられ、普段と同じように歩くことができる。脚の長さだって違うはずなのに、それを俺が実感することはなかった。
「俺の顔、慣れてきた?」
「……まあまあ。でもまだ会うのは二回目なんだから、ゆっくり慣れさせてよ」
焦りすぎたか、と反省して口を閉じた。
俺と長く過ごして無表情で普通の顔の男を見慣れれば、彼の面食いのハードルは下がりそうなものだ。ひいては彼の番候補の幅も広がると言うことで、俺との交流は悪くない結果を生むはず。
俺は彼にアルファとの仲介を頼めたらいいかな、くらいで気楽なものだった。こうやってアルファという護衛付き、美味い飯付き、で飲めるのも嬉しい。
「ふだん連絡してる時間って、空いてる?」
歩きながら、有菱さんが問い掛けてきた。口元からは白い息が漏れ、夜の冷えが忍び寄っているのが分かる。
「弁当食べて、のんびりしてる時間だから空いてる」
「弁当?」
その単語を問い返されるとは思わなかった。手抜きへの気まずさから視線を逃がす。
「作るの面倒なんだよ」
「俺もたまに作るくらいかな。……じゃあ、またあれくらいの時間に連絡していい?」
「うん。合わせてくれるのは助かるけど、ほどほどでいいからな」
無理をしないよう念押しすると、分かっているようないないようなトーンで返事があった。
ひゅう、と強く風が吹くと、隣で歩いている有菱さんの速度が落ちた。少し前を歩いていた距離が狭まり、ほぼ並んで歩くような位置取りに庇われているのだと察する。
こうやって、完全に庇護される側に立つのも珍しい。いい機会だ、と守られている体温を享受した。
「そっち側、寒いだろ」
「なんとこのコートも自社製品なんだ、温かいよ」
おどけるように襟をつまみ上げて見せる動きに、はは、と笑いで返す。彼が手掛けている会社の服は俺にとって少し背伸びをするような値段だったが、質は当然高い。
裾の厚みを触らせてもらうと、適度に重さのある造りだった。
「店ってどのへん?」
「本社の一階に店があるよ。こんど案内する」
歩いて行く道の途中で、有菱さんの視線が店先のオブジェへと向く。金属でできたアヒルのようなオブジェを眺める視線を追った。
「ちょっと時間もらっていい?」
「どうぞ」
有菱さんは携帯電話を取りだし、そのオブジェを写真に収める。きちんと撮れたか画面で確認し、興味本位で一緒に覗き込む俺に過去に撮った写真を何枚か見せてくれた。
ついで、とばかりに俺にもカメラのレンズが向けられたため、適当なポーズを取った。間を置かずにシャッター音が鳴る。
「美形に撮れた?」
「撮れた撮れた」
「……同じ言葉を二度言うのって嘘なんだっけ」
俺がわざとらしく語尾を上げると、有菱さんの眉が下がり、視線が逸らされた。ごほん、と咳払いをして、俺を見下ろす。
「かわいく撮れたよ」
誤魔化すように伸びた指先が俺の前髪を乱す。無愛想な男がする素の表情の何がかわいい、だ。あのな、と文句を言うと、笑いながら大股で歩み去られる。
何だったんだ、と思いつつ、同じように脚を開いて後を追った。
しばらく歩いて辿り着いた店は、送られてきたページの写真通りだった。俺ひとりなら絶対に入ろうとはしない落ち着いた店構えだ。狭いスペースながら店先には砂利が敷かれ、店名は背後から照らす明かりで押しつけがましくなく主張する。
有菱さんは気負いなく店に入っていき、和服を着た従業員であろう女性が出迎えた。
「────……──」
二人が話しているのをいいことに、物珍しく店内を眺める。店内も木を基調とした空間で、外から見た敷地のイメージよりも余裕のある造りに見えた。
出入り口近くには予約無しでも通してくれそうなテーブル席が並んでいるが、これから案内される個室として用意されている席数はかなり少なそうだ。
次来るなら表のほうの席かな、と考えつつ、促されるままに店員の後について廊下を歩いた。案内された席は半個室席で、気を遣ってくれた有菱さんにコートを渡して席に着く。
落ち着いたところで酒を選び、二人以外がいなくなったところで力を抜いた。
「俺、たぶん普段なら表のほうにあるテーブル席にしか来ないな」
「ああ。表のほうにも席があると、店自体には入りやすいよね」
やがて食卓の準備が始まり、続けて酒も届く。
料理に押し付けない程度の味わいのある日本酒を持ち上げ、互いに乾杯、と呟いた。酒は強いのか問うと、最近はひどい失敗はしない、とゆるりと微笑まれる。
杯を重ねないように気を付け、運ばれてきた料理に箸を伸ばす。季節としてはもうすぐ本格的な春、というところだが、皿の上にはもう爛漫の春が訪れている。
歓声を上げ、料理を口に運んだ。
「春の皿、悪いものが出て行きそうでいいな」
「あぁ。あんまり苦みも強すぎないしね」
興味深くじっと皿を眺め、視線を上げると、和食の楽しみだよね、と放っておかれているにしては寛大な言葉が返る。
黙っていたとしても、適度に放任してくれるのは有難かった。
「頼んだお酒、味はどうだった?」
「舌が鈍いからぜんぶ美味い。けど、今日は料理も美味しいから、今飲んでるくらいの味が好いかな」
甘味がどう、辛口がどう、と感想を述べながらのんびりと酒も進めた。
目の前の男は、言葉は緩んでいるものの背はしっかりと伸びたまま、この隙の無さは褒めたくなるほどだ。
自宅に帰ったところで、気が緩む姿を見せることはあるのだろうか。僅かに彼という人間への興味が湧いた。
「有菱さん、ってリラックスできる時間ある?」
「……いまだって、酔いは回っているしリラックスしてると思ってたんだけど、そうは見えない?」
「んー。ほんとに姿勢とか言葉とか、抜けてるとこがないんだな。身に染みついてるのか」
俺の言葉が否定だと悟ったのか、彼の視線が僅かに上を向いた。俺相手だと寛げないんだろう、と嫌味を言ったようにも思えて、繕う言葉を紡ぐ。
「ごめん。悪い意味じゃなくて、有菱さんが……完璧だなって感じがしただけ」
「完璧からは遠いよ。そうだったら、もっと早く番が見付かってる」
俺はその言葉に反射的に首を傾げ、なんでそう思ったんだろう、と頭を浚う。ああ、と思い付いた答えを口に出した。
「完璧って、それはそれで番は見付かりづらい気がするな」
「そう?」
「うん。だって、今の有菱さんに、俺は要らないよな、って思うもん。あと、俺にとっては自分がいなかったら相手は成り立たない、ってのは魅力、かな」
伝わるだろうか、と瞳を覗き込むと、どうやら伝わったようでこくりと頷き返された。くい、と目の前の男は杯を干して、ことん、と手から抜けるようにテーブルに空いた杯を置く。
「……毎日、話しかける時間はちゃんと時計を見るし、……返事が遅れるとそわそわする。今だって、嫌ではないかと緊張しているよ」
造りのいい顔立ちは憂いに満ち、視線は下がったままだ。心細げに言う声のトーンに、僅かに胸が疼く。
おや、とその変化をやり過ごして、表情が出ない顔は平常時のまま保った。
「今のは擽られる感じがして良かった」
「どうも。参考にするよ」
本気にしていないような響きだが、まあいいか、と口を噤む。空いた杯に日本酒を注ぎ、更に飲むように促す。
くっと干すときに見える喉は、気持ちよく隆起していた。
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