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 最近の僕は、永登と遊ぶために仕事をこなしているように思う時がある。彼がちょくちょく予定を入れてくるため、仕事はその前に片付けなくてはならない。

 夜中にモニタを見て唸りながら、キーボードを叩くのが常だった。

『稔くん、海いきたい』

 村雨映人は、日頃は行かない場所に僕を連れて行くことに味を占めたらしい。長い夏休みはあと一ヶ月ほど余っているそうで、お呼び出しが掛かった。

 最近になって、ほんの少しだけ村雨映人の長期休暇が取り上げられつつある。といっても、ずっと働きっぱなしだった彼をねぎらうコメントばかりだ。そして、いまも休業している叶隆生のことを述べて、典型の取り上げ方が終わる。

 携帯を握り、メッセージ画面を見つめる。海に行くなら、電車を乗り継いで二時間ほどかかるだろうか。

『泳ぐ?』

『泳ぐのはいいかなあ。海辺を歩きたい』

 じゃあ、と場所の案を出すと、永登と意見が合った。その場で仕事用のファイルを閉じ、座席の空きを調べる。空席は十分で、平日だけあって直ぐに押さえられそうだ。

「移動に時間かかるし、朝早い便で行くか。えっと……」

 時間を伝えると、同意が返ってくる。予約画面でクリックしていた座席の予約を確定した。

 帰りの便の時間を相談すると、少し間を置いて文字が浮かんでくる。

『移動に時間が掛かるなら、泊まりも良さそうだね』

 びくり、と手を震わせ、指先を動かす。

『泊まりで行きたきゃもっと前に言えよ』

『あはは。ごめんごめん』

 謝るタヌキの画像が浮かんでくると、僕はほっと息を吐いた。

 ベータ相手だと思って泊まり、を軽率に提案するのだろうが、何の気もないオメガ相手にアルファが誘うなんて、普通に大問題だ。

『稔くんと、長く一緒にいたいなって思って』

『ずっと遊んでたいだけだろ。泊まりの旅行はいつか、な』

 いつか、なんて言って、そのいつかが来るだなんて端から思っていない。いくら仲良くなったってアルファとオメガだ。間違いが起きるような状況は避けるべきだろう。

 そして、こうやって交友を続けるべきかも迷っている。

 いずれ、僅かにでも発情期のフェロモンが嗅ぎ取られてしまったら。騙していた、と詰られでもするんだろうか。

『ほんと? 楽しみにしてる』

 本当に楽しそうにしている言葉を見ていられない。ふい、と顔を背けてパソコンの画面に向き直った。








 海に行く、と決めた日は快晴だった。互いに電車の中でぺたぺたと日焼け止めを塗り足し、持参した帽子を見せ合う。

 暑さのせいで永登もマスクをする気はないようで、人の少ない車内でのんびりと背を座席に預けている。横の窓からは、途方もないスピードで切り替わる風景が流れていく。

 ゴシップ誌なんかは大丈夫か、とちょくちょく視線を巡らせているが、今のところ僕たちに向けられるレンズは見当たらない。目の前にいる美形のアルファも見慣れて、芸能人であることを忘れてしまいそうだ。

 買い求めた観光雑誌を開き、ぺらりぺらりと捲る。二人とも土地勘がなく、今日はこの観光モデルコースをなぞる形になりそうだ。

「────つっても、この観光コース、明らかに恋人用なんだよな……」

 ぼそり、と文句を言うと、永登は横から雑誌を覗き込んだ。

「俺が相手だと不満でも?」

「ありませんけどぉ……」

 茶化すように語尾を上げると、横で愉快そうに喉が鳴った。覗き込む体勢は、ほんの一、二週間前とは比べものにならないほど近い。

 映画館で、背後の座席から彼を見つめていた時期が遠い昔のようだ。

「稔くん、俺の顔ってあんまり好みじゃない?」

「友達に好みとか好みじゃないって何だよ」

「どっち?」

「……ノーコメント」

 答えがお気に召さなかったらしい永登は、ぐいー、っと横から体重を掛けてくる。おもい、と文句を言うと、気が済んだようで元に戻った。

「稔くん、俺の顔はじっと見てくれるんだけど、反応が薄いんだよなぁ……。悪くない顔だと思うのに」

 真横でひとり拗ね始めた、綺麗な顔立ちを見つめる。反応が薄いと思われているのなら、そう思われないよう努力している甲斐があるものだ。

 好んで彼を見ていた、だなんて、オメガが伝えたって嬉しくはないだろう。

 ページを捲ると、雑誌の途中に時計の広告が挟まっていた。身に付けているのは、叶隆生だ。

「叶隆生『は』、かっこいいよなぁ」

「ちょっと含みを感じるんだけど」

 思ったよりも棘のある声音を、不思議に思う。叶隆生と村雨映人は二人揃うと悪ガキ二人、といった空気で、気の置けない仲であったはずだ。

 僕の言葉も、冗談として受け取ってくれると思っていた。

「……ごめん。目の前に本人がいるから、素直に褒めづらくて」

「いや。俺も、大人げなかったな」

 気にしないで、と今度は萎んだ声に、ちら、と隣を見る。ぽつり、と寂しげに声が漏れた。

「……僕は、叶隆生より村雨映人の作品の方を好んで観てたよ」

 永登がこちらを見る気配がする。

「お世辞でもうれしいな」

「……その言葉、嫌いなんだよな。お世辞にされてるみたいで」

「あ。お世辞じゃない方が嬉しい!」

「知らん。勝手に意地張って曲解してろ」

 横から腕をぶらぶらと揺らす迷惑な男から視線を逸らし、見てもいない窓に向ける。やがて、腕から指が離れた。

 表情を窺うために、視線を元に戻す。

「俺、やっぱ、あいつにコンプレックスでもあるのかなぁ……」

 へにゃりとした声は、彼がしがない男を演じるときによく聞く声音だ。そこには演技派、と称されるであろう役者の影はない。

 だが、ただ一人として付き合うならば、そちらのほうが好ましかった。

「外れてたら笑ってくれていいんだけど、叶隆生の休業と、あんたの夏休み、って関係してる?」

 ばれるよなあ、と呟く彼は、隠すつもりもなさそうだ。

「うん。まぁ、そんな感じ。ずっと競ってたライバルっていうか、視界に入れてた奴がさ。急に休業することになったんだけど」

 叶隆生は子役時代からこれまでずっと役者として一線を走ってきたが、急に私生活が取り沙汰されることになった。

 最近、叶隆生には番ができた。番との間に子も生まれた。だから、叶隆生は番の仕事への復帰に伴い、自分が休業して家での仕事を分担できるようにする、と発表して休業に入ったのだった。

 そして、ずっと視界に入れていた人物が急に消えてしまった男、がここに生まれた訳だ。

「敵対視してた訳でもないし。あいつ仕事しか興味ありません、って顔してたくせにちゃっかり番いるんじゃん、とか思ってないけど」

「うん。……ふふ、そう思ったんだな」

「思ったけどね。仕事だけだと思ってた奴が、どうやら仕事も人生も充実してたらしいんだ。そもそも仕事でもあっちの方が評価されてるし、休業して子育てが話題になりはじめたら今度は父親役をやらせてみよう、なんて前向きな話も出るし。じゃあ、仕事しかやってこなかった俺はなんなの、みたいになっちゃってさ」

 永登は、全てを投げ出すようなジェスチャーをした。それだけで、彼の気持ちは窺い知れる。

 一度すべり出した唇は、彼の気持ちを率直に次々と吐露した。

「人生的な下地がなくたって、いくらでも役貰ってから積み上げて世界を演じられる、って思ってやってきたのに。違うのかなあ、違うんだろうなあ、って。それで、うわー、ってなっちゃった」

「確かに、そんな相手が近くにいるの。やだな」

 僕がくすくすと笑い始めると、永登もつられるように笑った。画面越しに見るものとは違っていたが、そのいびつさも好ましい。

「そういう……やだな、って思っても、いいのかなぁ」

「良くも悪くもない。思っても言わなきゃ同じことだろ」

「え。稔くんに言っちゃったよ」

「本人に対して言わなきゃいいって話だよ。僕は叶隆生と関わり無いし」

 彼はそういうものかなあ、とでも言いたげに首を傾げていた。

 善人を演じさせれば人柄が滲み出ていると称され、悪役を演じさせてもどこか憎めなさが漂う。あまり他人に対して、黒い感情を持ったことはなさそうだ。

「じゃあ、内緒にして。共犯だからね」

 喋りすぎて疲れたのか、永登は僕の肩に寄り掛かった。脚の長さがあるとはいえ、肩の位置だってあちらのほうが高い。

 黙り込んだ相手をひたすら放置していると、やがて寝息が聞こえてきた。短時間の睡眠が上手いらしい。

 僕はちらちらと綺麗な顔を眺め、何もかもを持っているように見えるアルファにもコンプレックスはあるのだなあ、とぼんやり思った。

 座席の揺れは心地良く、つられて眠ってしまいそうになる。

 ちょうど曇が晴れたのか、車内には強く光が差し込んできた。冷房で整えられた車内へ押し寄せるように、熱が伝わってくる。

「……あんたに秘密があるような奴を、共犯にするな」

 ぽつん、と呟いて、眠気覚まし用のタブレットを口に含んだ。今日の休みのために昨日だって夜遅くまで仕事を片付けたのだが、先に眠られては負けだ。

 仕方ない、と窓からの景色を独り占めすることに決めた。

「────……はぁ」

 いつか、オメガだと打ち明けるべきなんだろうか。それとも、墓まで持っていくべきなんだろうか。どちらが、彼に対して誠実だと言えるのだろう。

 じりじりと灼く陽は暑い。服越しに触れ合っている場所が熱い。跳ねっぱなしの鼓動は煩い。

 人を観察する眼がある癖にどうして気づいてくれないのか。共犯者に選んだ相手が、最も自分を騙していることを。



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