煩悩と狗は追いかけ去らず

さか【傘路さか】

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 白夜が『俺の飼い主』という存在に執着している。それに気づいていて尚、宙ぶらりんに関係性を定めないまま逃げ回っている内に、そもそもの目的であった映画の撮影が始まった。

 当然、定期的に会う機会もなくなり、彼も撮影で忙しそうだ。たまに夜遅くに連絡を寄越してくるが、会話は短く切り上げるし、会おうとは言われない。

 もう、俺の身体から白夜の匂いもしなくなってしまった。

 今日は、花苗と二人での撮影だ。

 似たような毛色で、典型的な愛玩犬と猫という姿形の俺達は、撮影に一緒に呼ばれることも多い。時間は少し余裕を持って用意されていたが、狗神と猫神の一族が揃った現場はするすると進み、予定よりずいぶんと早く終わった。

 花苗は恋人である龍屋の仕事終わりを待つそうで、俺もこれからの予定はない。撮影陣が引き上げていった撮影ルームに残り、ジュース片手にふたりで駄弁りはじめた。

 甘えんぼな花苗とは性格が合わないように思われがちだが、人好きなところは共通している。気まぐれで甘えたがり、という猫らしい相手。あまりにも予測しやすい性格も相俟って、付き合いやすい相手である。

 花苗はソファに腰掛け、全体重を預けている。

「────そういえば、尾上さん、だっけ。その後どう?」

「どう、……って」

「成海がね。尾上さんが戌澄の飼い主になるんだろうか、って気にしてた」

 ごっと咳き込みかけ、胸を押さえて呼吸を整える。隣で半分寝転がっている花苗は俺の様子を気にすることなく、勝手に話を続ける。

「尾上さんとは廊下ですれ違ったけどさ。僕は、やだな、って思っちゃった。だから、戌澄にはちょうどいいかもしれないけど」

「やだ、って。どこが?」

「説明しづらい。それで、あのひと、やけに人を惹き付けるでしょ。だから、純粋な人だけど加護持ちなのかなあ、って思ってさ。龍屋みたいに」

 ああ、と猫に嫌われる特性を持つ友人を思い出す。龍屋は純粋な人だが、蛇神の加護が強すぎて、生涯、金には困らないだろう。だが、その加護ゆえに純粋な猫から怯えられている。

「手がかりないかな、って思って尾上さんの今までの経歴、みたいなの読んだんだ」

「お前にしては能動的だな」

「僕だって友人の恋路は心配なんだから」

 眉を寄せる姿も愛らしい花苗は、ぷくりと頬を膨らませた。怒っています、と彼としては毛を逆立てているのだろうが、猫が毛を逆立ててもやっぱり可愛く見える。

 手元でソーダの残りを揺らし、しゅわしゅわと炭酸を無駄に空気中に逃がしながら、彼は口を開いた。

「ストーカー、多いんだって」

「ああ。それは聞いた」

「でもね、だいたい『何事もなく終わる』んだって。言い寄られていたところに警備員が偶然来たり、尾行されている時に近くをパトカーが通ったり。そういう事が、異様なほどある、んだって」

 彼は、そういう厄介ごとに慣れきっているようだった。芸能人、という立場からすれば、遭遇する件数としては多いのか、それが普通なのかは想像がつかない。

 だが、いま気にするべきは、それらを何事も無く収めていることだろう。

「厄が去る、の猿とか、鱗を持つ動物とか。いろいろ考えたんだけど分からなかったから、こんど尾上さんと映画を撮る子に何か知っているか聞いたんだ」

「ああ、あの柴犬の?」

「うん、あのね。まか、何だったっけ……興味なくて忘れちゃった。えっと、とにかく尾上さんの一族に加護を与えているのは『狼』の神なんだって。柴犬は狼に近しいから、あの子には分かるんだ、って言ってたよ」

 近しい種ゆえ、俺も狼の加護、その神の特性は知っている。

「ああ。『厄除け』だっけ」

「そう。だから、色々な厄介ごとを除けることができるのかもね。でも、顔立ちも綺麗だし、芸能人だし。あと、あの人、番無しで揺らいでるから。そういうものを惹いちゃうのかもね」

 礼代わりに飴を取り出すと、花苗は残っていたソーダを飲み干し、飴の袋を手に取った。ぱりぱり、と包装を剥き、飴玉を口に放り込む。

「狼は、群れと順位の感覚があるから主従をはっきりさせたがるし、一途な質だね。大変だ」

「…………お前、俺が白夜を飼い主に選ぶと思ってるのか」

「思ってるよ。だって、戌澄って勘が鋭いほうじゃない。それに、どちらかというと従いたがり。主人の選り好みは激しいから、ああいう、あからさまに主人、って位置を定めてくれるタイプは好きでしょ。束縛されるのもね」

「……………………」

「やった。図星だ」

 けらけらと花苗は笑った。言い返そうとも思ったが、わざわざ調べてくれた好意に対して怒りを向けるほど落ちぶれてはいない。

 はあ、と息を吐く。

「まあ、礼は言っとく。飼い主になるかどうかは、……まあ、向こうが求めるなら考えるよ」

「ふぅん。まあ、僕は何でもいいけど。でも、恋人っていいよ」

「惚気かよ」

「惚気ー」

 へへ、と顔を綻ばせる花苗は、春の陽気を思い起こさせる。もう夏らしく暑くなってしまった今では、恋しく思えてしまう気温だった。

 つい買ってしまった無糖コーヒーは、今日は苦み以外の味も分かる。黒いばかりに見えて、うっすらと缶の底が窺い見えた。

「そういえば、白夜の家の近くで、いつも同じ女性に会うんだよ。ずっと、カメラアプリ起動してる」

「え? なんか、……気になるね」

「うん。毎回、髪型とか服の感じは違うけど、香水の臭いが同じで。それで、厭な感じがしたから、白夜には伝えてあるんだけど。加護持ち、ってことならちょっと安心した」

 俺の言葉を聞いて、花苗は、ううん、と顎に手を当てた。俺の言葉を受け入れがたい、と思っている様子だった。

「加護持ち、なのは安心だけど、人間社会では色々な要素が絡むから絶対もないし。戌澄が『厭な感じがした』かぁ……」

「なんだよ」

「僕らの勘って当たるじゃない。犬は鼻が利くから、得られる情報も多いしね。だから、その人、何かありそうだよ」

 白夜とは、昨日の夜に携帯電話ごしにメッセージのやり取りをしたばかりだ。明日も遅くなる、と言っていたが、だいたいの帰宅時間の目途もつく。

 携帯を取り出して、返信のための画面を開いた。悩みつつメッセージを作る。

『渡したい物があるんだ。最寄りの駅で待ち合わせて、白夜の家まで少し歩かないか?』

 少し経って、承諾の返事があった。俺は息を吐き、携帯電話を仕舞う。様子を見守っていた花苗は、少しだけ安心したように唇を持ち上げた。

「────飼い犬も、楽じゃないね」

 飼い主じゃない、と釘を刺したが、花苗は受け入れる様子もなく、くすくすと静かに笑い続けていた。




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