画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ

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3章

3.城下にて、新たな春③

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 さして時が経たぬ間に、静かだった屋敷内に動きがあった。
 来た時と同じく、掛け声はなく密やかに駕籠が門を出てゆく。その後ろから藩士が四人、無言のまま通りへと出た。今度は城へと、鹿野往来を東へ向かうのであろう。
 役人が立ち去り気配がなくなると、散らばっていた神風流の弟子らが合図を交わして門内に入って行く。根本と誠三郎も、屋敷の中の様子を探りながら門を潜る。
 十人ほどの弟子は庭木の間に固まり、融けた雪でぬかるむ地面に手をついて平伏していた。屋敷の縁に向かい、動きを止めて息も漏らさない。彼らの背後、柘植の植え込みの影で、誠三郎は身を屈めた。根本は門脇に立ったままである。
 縁に面した障子が開き、詫間樊六はんろくが座敷から姿を見せた。
 鴨居につかえる六尺余りの頑丈な体躯は謹慎の日々にも鍛錬を欠かさなかったと見え、衰えは微塵も感じさせない。長い時を駕籠に揺られてさすがに顔は蒼褪めているが、弟子らを見渡す樊六には仁王のごとき威風が備わっていた。

「貴殿ら、そのような所でなにをしておる、手を上げよ。それがしは謹慎の身の上である。ここに来てはならぬ。皆まで、藩より咎を受けてしまうぞ」

 筆頭弟子が前に進み出た。

「先生、伏見にも黒坂にもお助けに参れずに、大変申し訳ござりませぬ。師のお姿を、何度夢に見たことか……」

 震える声は嗚咽となって途切れ、他の弟子たちも肩を震わせて咽び泣く。誠三郎の胸までもが熱くなったとき、門内に走り込んできた華奢な人影があった。

「詫間先生、ご帰藩、お待ち申し上げておりました」

 要之介だった。声を荒げてそう言うと、要之介は大髻おおたぶさを揺らして神風流たちの最後尾、誠三郎の斜め前にひざまづく。
 樊六は要之介に頷いてみせた。

「城下での謹慎となれば、切腹などの沙汰が下りるか、仇討ちの許可が下りるか、いずれにしてもわが命はないものと覚悟しておる。今宵こうやって皆に会えたのは、嬉しい限りである。しかしもうここへ来てはならぬ。わが父母に迷惑をかけるし、皆にもなんらかの仕置きが下るやもしれん。よいか、今宵限りと思え。さあ、立ち去るがよい」

 静かな声で諭すと、樊六は門を指さした。

「先生、我らの他にも、二十士皆様のご赦免を願う同志は城下に多くおります。望みはございます。我ら弟子一同は、先生と生死を共にする覚悟で働きまする」

 弟子らの必死に訴えに動じることなく、樊六は静かに口辺を引き締める。わずかに目元だけ緩ませて庭にいる弟子らに目礼し、背を向けて座敷へと戻っていった。
 屋敷内は静まり返った。弟子たちは力なく立ち上がって、ぽつぽつと門を出て行く。要之介だけが平伏したまま、柘植の植え込みの脇を動かなかった。

「どうして、今日だと教えてくれなかったのです!」

 要之介は俯いたまま、地に向けて怒りをぶつけていた。

「それがしは役宅での絵仕事の帰りに伯耆往来に寄ったところ、たまたま駕籠の行列に行き合ったのよ」

 誠三郎が応えた後を、根本が受けた。

「わしは二日前から知っておったが、あえて要之介には教えなかったのだ。この目で様子を確かめてから、報せようと思ったゆえな。夕刻、そろそろかと鋳物師橋の辺りに出てみたら、それらしき行列と米村どのに、鉢合わせたのだ」
「根本先生を信じておりましたのに、悔しゅうござる」

 顔を上げた要之介は、根本をきっと睨みつけた。
 頬が紅潮し、噛み締めた唇は血が滲んだごとく赤黒い。まなじりを釣り上げ、握り締めた拳を振り上げんばかりに憤っている。
 これほどに怒り猛った要之介は見たことがなかった。

「弟子仲間が通りすがりに報せてくれたから間に合ったものの、危うく師にお会いできんところであった。俺は信用できぬということですか!」

 要之介は立ち上がって声を荒げた。根本は意に介さぬ風で、陽気な声をたてる。

「信用しておる。神風流の一員でもあろうが、わが門下でもあると、大事に思うておる。弟子を守ろうと、手をかけすぎたかのう」

 そう言って根本が屋敷内を立ち去ろうとした時、縁に面した障子が開き、樊六が再び現れた。

「まだおられたか。根本先生に誠三郎、要之介、長らく無沙汰しておりまする。お会いできて嬉しいが、ここには長居はせぬほうがよろしい。さあ、急ぎ帰られよ」

 師である樊六にそう命じられ、要之介は頭を垂れ、重い足取りで門から出て行く。根本がその後を追い、誠三郎は最後に門へと向かった。

「誠三郎、よく来てくれた。お主は、まったく変わらぬな」

 そう声をかけられて、誠三郎は足を止めた。

「それがしが、時流に乗り遅れておるということか!」

 時勢の奔流の真っただ中にいる樊六に変わってないと言われると、わが身がひどく惨めに思われた。

「そうではない」樊六は、ふっと解けた笑みを向けてくる。
「世の中は大きく動きすぎておる。我らが京におったのは一年足らずの間だったが、日々政情が移り変わっていってな。この鳥取の情勢も、大きく変わったものよ。中道派が力を持ち、長州と与することは、藩論としてあり得ぬ流れになってきた。重苦しいことばかりでな。誠三郎、少年の面影の残るお主の顔を眺めたらば、道場通いの頃の愉快な日々が久方ぶりに思い出せたぞ」

 樊六は目を細め、潤んだ眸で誠三郎を見つめてきた。十六本松で砂浜を転げ回って遊んだ日々が昨日のことにも思えてくる。

「それがしとて、定まらぬ藩の政情の下で御用絵師の道は途絶えておる。絵師としてどう身を立てるのか、絵師でなく別の道へ進むのか、分かれ道に立っておるのだ」
「お主は変わらぬがよい。どうか、絵を描き続けてくれ。本圀寺の企てに誠三郎を無理に引き込まず、まことによかったと思うておる。今宵は屋敷に来てもらい、ありがたかった。さあ、急ぎ帰れ」
「おう、樊六、わが身を大切にせよ。また会おう」

 樊六は何度も頷いて、目配せしてくる。弟子たちの前とは違って、腕白だった少年剣士の頃のまま、いたずらっぽく唇を反らせた笑顔になっていた。
 誠三郎は頷き返し、二、三歩後ずさりして門を飛び出した。


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