画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ

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3章

1. 城下にて、新たな春①

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 翌朝、寝室のドアを叩く音に起こされた。
 ディナリスとレプラがここにいることは知られたくない。
 部屋の外で相手をしようと、ドアに向かう。

 来客は……予想していた通り、叔父上だった。

「おはようございます。叔父上。
 公務を怠けている王を諌めに参られましたか?」
「体調が優れないというなら無理強いはすまい。
 だが、そなたには時勢を把握する義務はあろう」

 そう言って新聞を手渡してきた。
 これは……ロイヤルベッドの方か。
 受け取って扉を閉めようとしたが、足を挟んで邪魔してきた。
 自分の目の前で見ろということか。
 中身は見なくても大体わかる。

 サンク・レーベン修道院で暴動発生。
 悪女レプラを救うために、たぶらかされた愚王が民に暴行を働いた……というところか。

 絶対に叔父上を喜ばすような反応はしてやるものか、と覚悟を決めていた。

 普段のロイヤルベッドは一枚の紙の両面に記事が印刷されただけのものだ。
 しかし、今日のものは普段の倍の大きさの紙を半分に折り畳まれている。
 まるで人目から隠すように、買った者だけが中を見られるように……

 

【最新技術の写真にて本誌独占掲載!!
 王族を虜にした悪女レプラの魅惑の裸体!
 泣き叫んで許しを乞おうと、もう遅い!
 国民の怒りが悪女を蹂躙し尽くした夜!】



 ————————新聞を開いた瞬間、一瞬意識を失った。

 おかしいだろう。
 これがヒトのやることか?
 こんなの予想できるか? できるわけない。

 全身から汗が噴き出すのに、どんどん体が冷えて震えが止まらなくなる。
 涙で視界が滲んで、その上ぐらぐらと揺れるから文字がなかなか追えない……

 斜め読みで読み取れた記事の内容は…………口にするのもおぞましい……
 端的に言えば、レプラが押し寄せた暴徒達に陵辱されたというものだ。

 ロイヤルベッドには似たような内容の記事の掲載は今までにもあった。
 奴らの記事の中で私が強姦した女性の数は片手で数え切れない。

 だが、結局は筆者の妄想記事。
 汚名を書き立てても実際に行われていないことの罪は問えない。
 信憑性が薄い低俗な記事を書き続ければ、情報媒体として自分の首を絞めることになるだけだし、わざわざまともに相手することはないと思っていた。


 しかし…………これはダメだろう……….


 記事の右側には複数の写真が貼られていた。

 一番上に貼られていたのは……地下墓所で、鎖に繋がれているレプラの顔写真だった。
 抵抗している様子で険しい顔をしている。

 その下に貼られているのは…………こんなの、見れるわけがない!!

 服を剥がれ殴りつけられているレプラの写真と首から上を写していない女の情事の写真が交互に並べられている。
 情事の写真が別の女のものであることは私から見れば明らかだ。
 しかし、タチが悪いのは半分以上、本物のレプラの写真だということ。
 痛みに歪む顔の写真の隣に顔が見えない女の身体が犯されているのがあれば……まるで本当にレプラが陵辱されているように見える……


————気持ち悪い。

 
 こんなのうそなんだけどそれに意味はなくて…………
 これを見た人間はみんなレプラが……本当に……犯されたように……


————いやだ。


 多くの民の頭の中でレプラが汚されてしまう……


————やめてくれ。

————やめてください。

————おねがいです。


 思考が混濁し、情報の受容を全身が拒否している。
 痛みに等しい吐き気が津波のように押し寄せて私の臓腑をかき混ぜるように嬲った。


「う……おええええええええっ!!」


 床に膝を突き、嘔吐した。
 ろくに食事を取っていなかったから出たのは胃液ばかりだ。
 叔父上は足に吐瀉物がかかると、後ろにのけぞり、舌打ちをした。

「大変なことになってしまったな。
 やはり、ロイヤルベッドは悪辣な新聞だ。
 粛清する必要があるな」

 …………明らかに用意された言葉。
 しかも、自分で考えた言葉ではないのだろう。

「この……写真は…………」
「昨日の夕方頃から配られ始めておる。
 王都の至る所に売り子が出ており、ウォールマン新聞を上回る勢いで買われているそうだ。
 さもありなん、このように精細な絵で情事が描かれているのだ。
 値段も1000オルタ程度と数時間荷物運びでもすれば稼げるものだ。
 既に王都外に運ぶ便も出ていることだろうし、王国中————いや、噂を聞きつけて世界中に広まるかもしれんな。
 あの売女の娘のあられもない姿がな」

 そう語る叔父上の声音には節々に悦びが滲み出ている。

 ああ、今ならよく分かる。

 それは嬉しかろう。
 気に食わない女がこの上ない辱めを受けて、邪魔で仕方ない甥がそれを見て打ちひしがれているのだから。


 私は完全に読み間違えた。
 負けてしまった。
 私はマスコミに敗北した。
 マスコミの毒牙はレプラの首の根に突き刺さり、彼女の尊厳は踏みにじり尽くされてしまう。



 …………腹が立つなどという生易しいものではない。
 今まで私が怒りと思っていたものが、些細なことだと思えてくる。
 所詮我慢できること。
 忘れてしまえること。
 そんなもの怒りではない。


 真の怒りとは我慢しようとする葛藤すら許さないほど強いものだったのだ。


「叔父上。いつの間に市井の金銭感覚を覚えられました?
 オルタなどという細かい単位は平民が暮らしの中で使う程度の少額にしか使わない」
「あ……そ、それは自領の政務を行う身であるからして」

 笑わせる。
 平民の家族が一年間暮らすのにかかる生活費よりも高額なワインを安物呼ばわりするような世間知らずの浪費家のくせに。

「貴様のようなゲスの性根が今更変わるわけがなかろう。
 無能の分際で用意された原稿を覚えるのは長けているようだな」

 そう言い放つと、奴はカッとなって私の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。

「貴様ぁ!! 王族の年長者たる我輩になんたる口を————ゴォォォホッェッ!?」

 喉を貫手で突いて潰してやった。
 これで耳障りな文句を吐くことはできまい。

 胸がスッとした。

 思えばこの人はずっとずっと不愉快な存在だった。
 身体の弱い父上の仕事を支えるようなことはせず、貴族ではないフリーダ妃や男爵家出身の母上を軽んじ、裏では愚弄していた。
 フランチェスカの傲慢な性格はコイツ譲りなのだ。


 立ち上がると同時に蹴りを放ち、叔父上————ダールトンの腕を叩き折った。

「ぉぉぉぉ……ひ……ひはっ……」

 床に転がって虫の息のような声をあげてのたうち回る奴を見て、思わず口元が緩んでしまう。
 人を傷つける時に感じる嫌な気分が一切なかった。
 むしろ奴の醜く歪む顔や汚らわしい悲鳴すら甘美なものに思えてくる。

 だが、まだ足りない。
 感情の赴くままこの怒りを解放してさらに燃え上がらせたい。

 この愚かな王が、見逃してきてしまった全ての過ちを今から焼き尽くすのだ。


 みっともなく床に這いつくばるダールトン。
 悠々と見下ろしていたいが、側面から殺気が発されている。

「公爵様っ!! おのれえっ!!」

 ああ、そういえば部屋の前には私の護衛騎士が立っていたな。
 王がゲロを吐いて、のたうちまわっていても我関せずだったのに、公爵が痛めつけられた瞬間に王に刃を向ける。
 しかも、、などと口走らせて…………バカめ。

「ククククッ!! 語るに落ちたな!!
 不忠者めっ!!」

 知っていたさ。
 私の護衛騎士にダールトンの息がかかっていることくらい。

 私がなんのために鍛錬を積んでいたと思う?

 だなんて期待していなかったからだ!!


 首を狙って放たれた突きを上半身を捻ってかわし、即座に距離を取る。

 相手は制式剣ではなく自前の業物を構え、鎧を身につけている。
 一方こちらは着の身着のまま寝室から出てきたのだ。
 護身用の短剣どころか、寸鉄すら帯びていない。
 だが、


 シャラン————


 何度聞いても心地よい音色だ。


「な…………にぃ!?」

 ディナリスが私の前に現れると同時に護衛騎士の剣は手首ごと宙に舞う。
 驚くほど自然に次の命令が口から出てきた。

「殺せ」
「ああ」

 再び、シャラン————と音がすると今度は護衛騎士の首が宙を舞い、ダールトンの眼前に落ちた。

「ひぃぃぃ……ひぃぃぃぃぃ…………」

 涙目で鼻水を垂らしながら生首から目を背けるダールトン。

「冷たいじゃないか。ダールトン。
 貴様のために彼は命を投げ出したのだろう。
 しっかり目を開いて弔ってやりたまえよ!!」

 私はダールトンの側頭部を踏みつけなじる。
 ディナリスはそんな私を咎めるわけでもなく、床に落ちて広がった新聞と貼られた写真を見ていた。
 それで察したらしい。

「人間ってのは、嫌な生き物だな。
 シウネはあなたの名誉を取り戻すために写真を発明した。
 なのにその写真を使ってあなたの大切な人を辱めるなんて……しかも、今までこの世になかったくらいタチが悪いやり方でだ」

 沈痛そうな物言いをするディナリス。
 だが今は悲しみに共感してもらう必要はない。


 寝室に戻り、身支度を始める。
 服と靴を動きやすく頑丈な修練用のものに変え、髪の毛も後ろに束ねて縛る。
 壁の隠し金庫の鍵を開けて愛剣のシルバスタンを取り出して、腰に下げた。

「ディナリス。バルトと合流次第、レプラを連れて王都を出ろ。
 二人を絶対に守り抜け」

 彼女の性格ならこんな頼み方では断られてしまうかも、と思っていた。
 だが、

「本当なら……あなたを止めてやるべきなんだろうな。
 これからしようとしていることは世間一般で悪虐とされることだろう」

 そう言ったディナリスの顔には諦めの感情が滲んでいた。
 失望させてしまっただろう。
 だが、その程度で揺らぐほど私の怒りの炎は脆弱ではない。

「私は……思っていた以上に自分勝手で、我慢がきかない男なのだ。
 王としての立場によって縛られてかろうじてまともに見せていただけだ。
 それから解き放たれた今……何の迷いもない!!
 私を! 私の大切なものを踏みにじってくる相手に!! 制裁を加えて何が悪い!!
 奴らが私を呪った力の何倍もの力で呪い返し、大切にしているものを全部蹂躙してやりたくて仕方がないんだ!!
 ……そう、私は……もう善良な王には戻れない」

 興奮して震えている私の肩を彼女ががっしりと掴む。

「善良で清廉なあなたを……私は尊く思っていたよ。
 きっと、彼女もだ」

 だろうな。
 私はそうあるように努めてきた。
 レプラの望みでもあった。
 それらを全部投げ捨てるのだ。いまから。

「私は止まりたくない。
 だから、私を止めるな」
「……ようやく自分のために命令できるようになったんだな」

 ギュッと握りしめられた肩に痛みが走り、私は飛び退いた。
 ディナリスは気まずそうに苦笑する。
 そして、私に向かって敬礼する。

「シュバルツハイム辺境伯とレプラ嬢は我が命に代えてもお守りする。
 陛下、ご武運を」

 畏まった返答に私は安堵を覚えた。
 背中を向け、彼女の表情を見ずに言い残す。

「バルトにレプラを頼む————と……
 レプラには…………」

 怒りの炎に変えられない感情は今は必要ない。
 こんな弱々しい言葉はここに捨てていけ。

「約束、守れなくてすまない……と」

 ディナリスの了承を聞かず、ダールトンの首根っこを掴んで廊下を歩き始めた。
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