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2章
9.佐治谷、冬の紙漉き唄①
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夜来の時雨が止んで、曙光が差すようになって城下を立った。
冬日はすぐに雪雲に隠れ、地吹雪となって視界が白濁する智頭街道を一日中歩き続けて、佐治谷へたどり着いた。笠も蓑も雪まみれで、蓑の下に着込んだ桐油合羽でなんとか身は濡れてない。
誠三郎と要之介は城下を出る頃には話し続けていたが、吹きつける風雪に話も途切れて昼過ぎには黙りがちになっていた。
十六本松の番屋に引かれた日からしばらく、離れに籠って躰中の痛みに耐える寝たり起きたりの日々であった。なんとか出歩けるようになった頃には、城下に木枯らしが吹きすさんでいた。師走に入ってようやく、誠三郎は江崎町の師の役宅や根本の屋敷へ通うことを再開した。
佐治谷は、海沿いの青谷とともに因州和紙の産地として知られる。師の小畑稲升は佐治の三椏紙を画仙紙として愛用していた。急ぎの注文があるとき、誠三郎は何度か佐治まで紙を受け取りに出向いたことがある。数年前に紙漉きの様子を見たが、なんとも趣深い光景であった。こたびは、根本が屏風絵に使う紙の引き取りである。根本に依頼されて佐治谷に出向く日取りを話していると、聞きつけた要之介が紙漉きを見たいと言い出し、同行することになったのだった。
出来上がった和紙を取りまとめる百姓家を訪ね、注文していた画仙紙を検分した。紙漉きの様子が見たいと頼むと、隣にある納屋に案内された。稲扱千刃、木臼、鍬や背負子と、農具が雑に置かれた奥に紙漉きの場が見えていた。
外は凍てつく寒さの上、木肌剥き出しの板壁は隙間だらけで納屋の内には風が入り込む。歩き続けている間に身体が暖まっていたが、じっとしていると冷えて傷痕が疼きそうだった。
「済まぬが、あまり冷えるので火を頼みたい。濡れてもおるしな」
「はあ、納屋は火の気のないものですが、火鉢を持ってこさせますがね」
紙漉き名人で知られる四十がらみの百姓は喜助といい、不愛想な顔で納屋を出て行った。
「粗忽者の笑い話、佐治谷話で知られる村だけに、滑稽味のある村人に会いたいが、連れてきてはくれんかな」
「陽気な村人は、どこぞに隠れておるのだ。会ったことはない」
要之介は濡れた蓑を脱がぬまま、納屋の内を珍しそうに見回していた。その背から蓑を脱がせ、笠と共に壁の隙間を塞ぐように引っ掛けた。
「冷えて傷が痛まぬか」
「痛みにはもう慣れておる、構わん。杣人の家は、なにやら面白い物がいろいろあるな。ひどく散らかっておるが」
筵が敷かれた作業場では、手前に三椏の枝が幾束も積まれている。黒い枝の樹皮に包丁が刺され、皮を剥きかけのまま放り出されていた。奥の風呂桶のような漉き舟の傍らには、いくつか小ぶりの桶が置かれて、中の水には樹皮を剥かれた三椏の繊維の白い塊が浸けられていた。この白い綿状の塊が、紙の元なのである。
要之介は俯いて、漉き舟の内を眺めている。漉き残った紙の原料がほろほろと漂う水の面に、青白い顔が映って揺れていた。
冬日はすぐに雪雲に隠れ、地吹雪となって視界が白濁する智頭街道を一日中歩き続けて、佐治谷へたどり着いた。笠も蓑も雪まみれで、蓑の下に着込んだ桐油合羽でなんとか身は濡れてない。
誠三郎と要之介は城下を出る頃には話し続けていたが、吹きつける風雪に話も途切れて昼過ぎには黙りがちになっていた。
十六本松の番屋に引かれた日からしばらく、離れに籠って躰中の痛みに耐える寝たり起きたりの日々であった。なんとか出歩けるようになった頃には、城下に木枯らしが吹きすさんでいた。師走に入ってようやく、誠三郎は江崎町の師の役宅や根本の屋敷へ通うことを再開した。
佐治谷は、海沿いの青谷とともに因州和紙の産地として知られる。師の小畑稲升は佐治の三椏紙を画仙紙として愛用していた。急ぎの注文があるとき、誠三郎は何度か佐治まで紙を受け取りに出向いたことがある。数年前に紙漉きの様子を見たが、なんとも趣深い光景であった。こたびは、根本が屏風絵に使う紙の引き取りである。根本に依頼されて佐治谷に出向く日取りを話していると、聞きつけた要之介が紙漉きを見たいと言い出し、同行することになったのだった。
出来上がった和紙を取りまとめる百姓家を訪ね、注文していた画仙紙を検分した。紙漉きの様子が見たいと頼むと、隣にある納屋に案内された。稲扱千刃、木臼、鍬や背負子と、農具が雑に置かれた奥に紙漉きの場が見えていた。
外は凍てつく寒さの上、木肌剥き出しの板壁は隙間だらけで納屋の内には風が入り込む。歩き続けている間に身体が暖まっていたが、じっとしていると冷えて傷痕が疼きそうだった。
「済まぬが、あまり冷えるので火を頼みたい。濡れてもおるしな」
「はあ、納屋は火の気のないものですが、火鉢を持ってこさせますがね」
紙漉き名人で知られる四十がらみの百姓は喜助といい、不愛想な顔で納屋を出て行った。
「粗忽者の笑い話、佐治谷話で知られる村だけに、滑稽味のある村人に会いたいが、連れてきてはくれんかな」
「陽気な村人は、どこぞに隠れておるのだ。会ったことはない」
要之介は濡れた蓑を脱がぬまま、納屋の内を珍しそうに見回していた。その背から蓑を脱がせ、笠と共に壁の隙間を塞ぐように引っ掛けた。
「冷えて傷が痛まぬか」
「痛みにはもう慣れておる、構わん。杣人の家は、なにやら面白い物がいろいろあるな。ひどく散らかっておるが」
筵が敷かれた作業場では、手前に三椏の枝が幾束も積まれている。黒い枝の樹皮に包丁が刺され、皮を剥きかけのまま放り出されていた。奥の風呂桶のような漉き舟の傍らには、いくつか小ぶりの桶が置かれて、中の水には樹皮を剥かれた三椏の繊維の白い塊が浸けられていた。この白い綿状の塊が、紙の元なのである。
要之介は俯いて、漉き舟の内を眺めている。漉き残った紙の原料がほろほろと漂う水の面に、青白い顔が映って揺れていた。
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