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2章
8.砂丘、晩秋の烈風③
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次に朦朧として瞼を開けると、壁に差股など三道具や縄が吊されているのが見えた。びしっびしっ、という音がして横を見れば、要之介が座した姿勢で下役に笞打たれている。
誠三郎は背を屈めて反動をつけ、要之介の方へと身を投げ出した。要之介の躰を打つ笞を、己の後背で受け止める。笞は後ろ手に縛られた誠三郎の手首を、したたかに打ち据えた。
こ奴、邪魔するな、と役人は誠三郎の下腹を、何度も蹴り上げてくる。痛みで動けなくなったところ、背中を踏みにじられた。土間に押しつけられた片頬が、己の口から吐き出された胃液と血に塗れていく。必死に声を上げた。
「ど、どうかお止めくだされ。それがしは藩御用絵師である小畑稲升の弟子、米村誠三郎であります。この者は朋輩で、藩絵師の根本幽峨の弟子、寺嶋要之介でございます。両絵師に取り次いでお調べくだされば、わかることであります」
「あのようなところで、一体なにをしておったか!」
「絵師修行中でございますゆえ、松林の下絵など描いておりました。ここに帳面がございます。この寺嶋を連れ出したのはそれがしでして、寺嶋の方は是非とも、ただちにご放免願い上げます」
下役が、誠三郎の袂から画帳を取り出した。
受け取った役人が、下絵の描いてあるところを広げて調べている。塩御倉や御茶屋を描いておらぬか、確かめておるようだ。その間、下役らが竹刀で誠三郎と要之介の背や胸を小突き続けた。小袖の下で、皮膚が裂けて血が滲んでくるのがわかる。笞を振り回して脅してくる者もいた。役人らは絵を食い入るように眺め尽くしてから、視線を二人に戻した。
「長州を目指す賊どもが、なにやら扮装してわが藩に入っておるとのこと。紛らわしい行いは慎むがよいぞ」
罪などないことがわかったであろうに、憂さ晴らしなのか、再び竹刀で二人の背や胸を打ってくる。己の痛みよりも、要之介の呻き声に胸が潰れそうになった。怒りと憎しみを通り越し、あまりの情けなさに目が潤む。
面倒かけおって、この不埒者めが、などと口汚く罵りながら、痛めつけることに飽きた役人たちは竹刀を放り出して番屋から出て行く。下役に見張られたまま、二人はその場に放置された。
どれくらい正気を失くしていたのか、我に帰ってみれば傷や打ち身が腫れ、寒さも相まって全身が痙攣していた。
夜が更けて、番屋の内は闇が深まっている。眠り込んだ見張りの下役の荒々しい鼾が響き渡っていた。誠三郎は闇に目が慣れると、要之介の傍ににじり寄っていった。
凍えながら舟を漕ぐ要之介の耳元に囁きかける。
「誠に済まぬ。こんなことに巻き込んで、申し訳ない」
ぴくりとして顔を上げた要之介は、焦点の合わぬ視線を宙にさ迷わせた。
「――ああ、お陰でえらい目にあった。まあ、詫間先生のご苦労を思えば、なんともないが」
要之介が無理に笑むと、目の下の傷から新たに血が流れだした。
「いかん、笑うでない。済まん、許せ」
二人で身を寄せ合うと、幾らかでも温もりが得られる。要之介の絶え間ない震えを膚で受け止めながら、誠三郎は浅い眠りを貪った。
小突かれる痛みで、目が覚めた。
白々と夜が明けはじめ、役人たちが番屋に戻ってきている。手荒く縄を解かれ、画帳と大小の刀を突き返された。役人からは疑いが晴れたとも、不要な捕縛であったともなんら弁解のないまま、無言で番屋から引き出された。
青ざめた薄明の下、寒風に震えて顔を上げる。
浜坂御茶屋の門前では、幼馴染みの山岡辰之進が番士らを統率している姿があった。明らかに目が合ったが、向こうは素知らぬ顔をしている。誠三郎が藩士の子息であるとわかっていて、なぜに仕置きに合わせたのか。聖さんの境内で不逞浪士を見かけたことを黙っていたのが知れ、尊皇派と見なされたという訳か――。
朝霧の立ち込める道を要之介と二人、よろめきながら南へと歩む。
「商人の姿をした怪しき者が、急ぎ足で浜坂へ向かったと言えばよかったのであろうな。奴らが長州に違いない」誠三郎が呟くと、要之介は力なく頷いた。
「商人の一人は、振り返った顔つき,躰つきが風格ある剣士そのものであった。先の蛤御門の変で辛くも京から逃げ落ちたという長州の傑物、桂小五郎かもしれん。桂は詫間先生とは、江戸で神道無念流の同門であったのよ。まあ、長州者を見たと言わなかったのは、俺の誇りだ。これでも、尊皇派の端くれだからな」
笑おうとする要之介の声は掠れて、激しく咳き込んだ。
「九月に京屋敷大目付の堀庄次郎が暗殺されて以降、中道派はますます、勢力を伸ばしておる」
「堀を討った刺客の一人が藩絵師沖家の次男、剛介どのだったゆえに家名断絶となった沖家のお身内を、根本先生が屋敷に預かっておられるのだ……」
「それで、屋敷に見慣れぬ母子がおったのだな。さすが根本先生、大恩ある沖家への忠義を貫いておられるのか。尊皇攘夷の後ろ盾だった堀どのが保守の中道寄りになったのがけしからんと尊皇派が斬ったわけで、先生は尊皇派を庇ったと見なされるな」
「己の立場など構わず、沖家に恩義を尽くされておられる。先生は名だたる絵師であり、心根は忠義を重んじる武人でもあられる」
熱を帯びた要之介の言葉につい、その横顔を覗き込む。
要之介の左目の下には深い切り傷ができ、頬全体が擦り剥けていた。整った顔立ちは傷ついて凄みを増し、妖艶さに磨きがかかっている。首筋には血と土がこびり付いて、酔芙蓉の刺青が咲いたごとくであった。
海風が一段と激しく背後を襲ってきた。打擲を受けた体躯は軋んで痛み、寒さが骨まで沁みる。腕の傷が再び疼きだした。
足を引きずっていた要之介が、立ち止まってしゃがみ込んだ。誠三郎は要之介の右腕を肩に担ぎ、支えて立ち上がらせる。傷だらけの腕は力なく冷えきっていた。己の羽織を被せて手で擦り、温め合いながら足を早める。
但馬浜道に戻れば犬橋が見えてくる。城下もさして遠くはない。
誠三郎は背を屈めて反動をつけ、要之介の方へと身を投げ出した。要之介の躰を打つ笞を、己の後背で受け止める。笞は後ろ手に縛られた誠三郎の手首を、したたかに打ち据えた。
こ奴、邪魔するな、と役人は誠三郎の下腹を、何度も蹴り上げてくる。痛みで動けなくなったところ、背中を踏みにじられた。土間に押しつけられた片頬が、己の口から吐き出された胃液と血に塗れていく。必死に声を上げた。
「ど、どうかお止めくだされ。それがしは藩御用絵師である小畑稲升の弟子、米村誠三郎であります。この者は朋輩で、藩絵師の根本幽峨の弟子、寺嶋要之介でございます。両絵師に取り次いでお調べくだされば、わかることであります」
「あのようなところで、一体なにをしておったか!」
「絵師修行中でございますゆえ、松林の下絵など描いておりました。ここに帳面がございます。この寺嶋を連れ出したのはそれがしでして、寺嶋の方は是非とも、ただちにご放免願い上げます」
下役が、誠三郎の袂から画帳を取り出した。
受け取った役人が、下絵の描いてあるところを広げて調べている。塩御倉や御茶屋を描いておらぬか、確かめておるようだ。その間、下役らが竹刀で誠三郎と要之介の背や胸を小突き続けた。小袖の下で、皮膚が裂けて血が滲んでくるのがわかる。笞を振り回して脅してくる者もいた。役人らは絵を食い入るように眺め尽くしてから、視線を二人に戻した。
「長州を目指す賊どもが、なにやら扮装してわが藩に入っておるとのこと。紛らわしい行いは慎むがよいぞ」
罪などないことがわかったであろうに、憂さ晴らしなのか、再び竹刀で二人の背や胸を打ってくる。己の痛みよりも、要之介の呻き声に胸が潰れそうになった。怒りと憎しみを通り越し、あまりの情けなさに目が潤む。
面倒かけおって、この不埒者めが、などと口汚く罵りながら、痛めつけることに飽きた役人たちは竹刀を放り出して番屋から出て行く。下役に見張られたまま、二人はその場に放置された。
どれくらい正気を失くしていたのか、我に帰ってみれば傷や打ち身が腫れ、寒さも相まって全身が痙攣していた。
夜が更けて、番屋の内は闇が深まっている。眠り込んだ見張りの下役の荒々しい鼾が響き渡っていた。誠三郎は闇に目が慣れると、要之介の傍ににじり寄っていった。
凍えながら舟を漕ぐ要之介の耳元に囁きかける。
「誠に済まぬ。こんなことに巻き込んで、申し訳ない」
ぴくりとして顔を上げた要之介は、焦点の合わぬ視線を宙にさ迷わせた。
「――ああ、お陰でえらい目にあった。まあ、詫間先生のご苦労を思えば、なんともないが」
要之介が無理に笑むと、目の下の傷から新たに血が流れだした。
「いかん、笑うでない。済まん、許せ」
二人で身を寄せ合うと、幾らかでも温もりが得られる。要之介の絶え間ない震えを膚で受け止めながら、誠三郎は浅い眠りを貪った。
小突かれる痛みで、目が覚めた。
白々と夜が明けはじめ、役人たちが番屋に戻ってきている。手荒く縄を解かれ、画帳と大小の刀を突き返された。役人からは疑いが晴れたとも、不要な捕縛であったともなんら弁解のないまま、無言で番屋から引き出された。
青ざめた薄明の下、寒風に震えて顔を上げる。
浜坂御茶屋の門前では、幼馴染みの山岡辰之進が番士らを統率している姿があった。明らかに目が合ったが、向こうは素知らぬ顔をしている。誠三郎が藩士の子息であるとわかっていて、なぜに仕置きに合わせたのか。聖さんの境内で不逞浪士を見かけたことを黙っていたのが知れ、尊皇派と見なされたという訳か――。
朝霧の立ち込める道を要之介と二人、よろめきながら南へと歩む。
「商人の姿をした怪しき者が、急ぎ足で浜坂へ向かったと言えばよかったのであろうな。奴らが長州に違いない」誠三郎が呟くと、要之介は力なく頷いた。
「商人の一人は、振り返った顔つき,躰つきが風格ある剣士そのものであった。先の蛤御門の変で辛くも京から逃げ落ちたという長州の傑物、桂小五郎かもしれん。桂は詫間先生とは、江戸で神道無念流の同門であったのよ。まあ、長州者を見たと言わなかったのは、俺の誇りだ。これでも、尊皇派の端くれだからな」
笑おうとする要之介の声は掠れて、激しく咳き込んだ。
「九月に京屋敷大目付の堀庄次郎が暗殺されて以降、中道派はますます、勢力を伸ばしておる」
「堀を討った刺客の一人が藩絵師沖家の次男、剛介どのだったゆえに家名断絶となった沖家のお身内を、根本先生が屋敷に預かっておられるのだ……」
「それで、屋敷に見慣れぬ母子がおったのだな。さすが根本先生、大恩ある沖家への忠義を貫いておられるのか。尊皇攘夷の後ろ盾だった堀どのが保守の中道寄りになったのがけしからんと尊皇派が斬ったわけで、先生は尊皇派を庇ったと見なされるな」
「己の立場など構わず、沖家に恩義を尽くされておられる。先生は名だたる絵師であり、心根は忠義を重んじる武人でもあられる」
熱を帯びた要之介の言葉につい、その横顔を覗き込む。
要之介の左目の下には深い切り傷ができ、頬全体が擦り剥けていた。整った顔立ちは傷ついて凄みを増し、妖艶さに磨きがかかっている。首筋には血と土がこびり付いて、酔芙蓉の刺青が咲いたごとくであった。
海風が一段と激しく背後を襲ってきた。打擲を受けた体躯は軋んで痛み、寒さが骨まで沁みる。腕の傷が再び疼きだした。
足を引きずっていた要之介が、立ち止まってしゃがみ込んだ。誠三郎は要之介の右腕を肩に担ぎ、支えて立ち上がらせる。傷だらけの腕は力なく冷えきっていた。己の羽織を被せて手で擦り、温め合いながら足を早める。
但馬浜道に戻れば犬橋が見えてくる。城下もさして遠くはない。
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