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2章
7.砂丘、晩秋の烈風②
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見晴らしのよい松林の高みで、切り株に腰を据えた。
帳面と矢立てを取り出し、誠三郎は一刻ほど絵を描いていた。松林の全容を横から眺めたままではなく、頭上を飛び過ぎる鳶が眺める視点で見下ろすように松樹群を描いてみることにした。
ありきたりな景であっても、雪舟の天橋立図のごとく景色を俯瞰して描くことで修練になると教えてくれたのは、根本幽峨である。このところ長年の師の小畑稲升の教えでなく、根本の言葉にばかり動かされていた。
一方、要之介は誠三郎の絵を傍らから眺めては、すりばちと呼ばれる砂丘の窪地や海辺へと駆け下りて時を過ごしている。通り過ぎる漁師に話しかけたりもする。その幼さの残る横顔も、誠三郎は時折描き写した。
日が沈みかけて砂の熱が失われ、足先から冷気が這い上がってきた。空の藍が薄墨色に滲んで、海面が耀きを失い黒ずんでいく。
じきに引き返すぞ、と要之介に声をかけた。
「晩になると、狐や狼が怖いのであろう、誠三郎どのは。大榎町まで付き合ってもよいが」振り返った要之介は笑って唇を歪める。
「わが屋敷が恋しくなったのか、要之介よ。根本先生の屋敷が居辛くなれば、あの離れにいつでも戻ればよい。まあ、狭苦しくとも、あそこはわが城よ」
「離れでの日々は、なんとも愉快であったな」
駆け寄ってきた要之介のこめかみには解れた毛筋が貼りつき、白い膚が夕日を映して煌めく。影になった細い首筋は蒼白く儚げで、面差しには生意気な娘が見せる婀娜っぽさがあった。
思わず目を逸らせた誠三郎は帳面と矢立て袂に仕舞う。二人は城下へ戻るべく南へと歩きだした。
前方では、二人連れの百姓が但馬浜道へと向かっている。手拭いを被り、背負子や風呂敷包みを背にして寄り添って歩む姿が、松林を背景にして絵になる。背筋が伸びて腰が据わり、立ち姿が毅然としていた。
背の高い方の百姓が、振り返ってこちらを窺った。遠目にも、細面の顔つきがひどく精悍なのが見てとれる。
百姓らは足を急がせて、瞬く間に松並木の狭間に見えなくなった。
「そこの者ども、立ち止まって名を名乗れ!」
不意に背後から、鋭く叫ぶ声がした。
振り返ると、役人が四、五人、長柄の得物を手にして猛烈な勢いで追いかけてくる。浜坂御茶屋の番士であろうか。誠三郎は足を止め、身を屈めて平伏した。要之介も隣で伏せる。
「怪しい者ではござりませぬ。藩絵師の小畑稲升門下、米村誠三郎とその朋輩、寺島要之介であります」
神妙に名乗ったが、役人らは容赦しない。
爪がびっしり生えた金棒が付けられた突棒で、右腕の動きを抑えられる。袖が裂けて鋼の爪が腕の肉に食い込んだ。思わす呻く喉元に、別の者が差股を突きつけてくる。誠三郎はのけ反った態勢で取り押さえられた。わずかでも動くと、突棒の爪がさらに腕を深く抉りそうで身動きがとれない。
目だけを動かして横を窺うと、要之介は差股で後ろ首を押さえ込まれ、うつ伏せたまま声も出さない。
「どのようなお疑いで、このような無体なことをなさるのか!」
「長州賊軍の残党が、藩内に紛れておるとの報せが入った。怪しい者は片端から調べよとの、上からのお達しである」
「我らは鳥取藩士の子息である。調べていただければわかる……」
申し開きを続けるも聞き入れるどころか、差股が喉から離れたと思う間もなく背を蹴られて倒され、後ろ手に縛られる。腰の大小の刀は奪われた。砂に顔を突っ込まれて大量の砂が口中に入り、吐き出そうにも唾すら出ない。
両肩を獣のように掴まれて、引き立てられた。最初に取り押さえられた時に痛めた腕から、血が噴き出して袖を濡らす。斜め前で捕えられた要之介は、片足を引きずっていた。砂を吐き出そうとしきりにえずいては、そのたびに差股で殴られている。
千代川岸に並び建つ藩主の御茶屋と塩御倉の脇に番屋があり、そこへ向かって引きずられて行く。
病を得て帰鳥したと聞く藩主が療養のために到着したのか、御茶屋の周囲は先刻とは異なり、藩士や徒士が多くひしめいていた。こちらへ向けられる数多の眼差しには、夕闇の中ぎらつく殺気が充ちている。
汚れた藁が捲き散らされた番屋の土間に、二人共に叩きつけられた。眩暈を堪えて誠三郎が頭を上げようとしたとき、背中に激しい痛みが走る。
「こら、身を起こさんか」
髷を掴まれて引き起こされた。
嘲笑う声の方を見上げる。割れた竹刀を手にした役人が、薄ら笑いを浮かべていた。再び振り上げられた竹刀が何度も背に食い込み、肉が崩れ裂ける痛みに気が遠のいていく。
帳面と矢立てを取り出し、誠三郎は一刻ほど絵を描いていた。松林の全容を横から眺めたままではなく、頭上を飛び過ぎる鳶が眺める視点で見下ろすように松樹群を描いてみることにした。
ありきたりな景であっても、雪舟の天橋立図のごとく景色を俯瞰して描くことで修練になると教えてくれたのは、根本幽峨である。このところ長年の師の小畑稲升の教えでなく、根本の言葉にばかり動かされていた。
一方、要之介は誠三郎の絵を傍らから眺めては、すりばちと呼ばれる砂丘の窪地や海辺へと駆け下りて時を過ごしている。通り過ぎる漁師に話しかけたりもする。その幼さの残る横顔も、誠三郎は時折描き写した。
日が沈みかけて砂の熱が失われ、足先から冷気が這い上がってきた。空の藍が薄墨色に滲んで、海面が耀きを失い黒ずんでいく。
じきに引き返すぞ、と要之介に声をかけた。
「晩になると、狐や狼が怖いのであろう、誠三郎どのは。大榎町まで付き合ってもよいが」振り返った要之介は笑って唇を歪める。
「わが屋敷が恋しくなったのか、要之介よ。根本先生の屋敷が居辛くなれば、あの離れにいつでも戻ればよい。まあ、狭苦しくとも、あそこはわが城よ」
「離れでの日々は、なんとも愉快であったな」
駆け寄ってきた要之介のこめかみには解れた毛筋が貼りつき、白い膚が夕日を映して煌めく。影になった細い首筋は蒼白く儚げで、面差しには生意気な娘が見せる婀娜っぽさがあった。
思わず目を逸らせた誠三郎は帳面と矢立て袂に仕舞う。二人は城下へ戻るべく南へと歩きだした。
前方では、二人連れの百姓が但馬浜道へと向かっている。手拭いを被り、背負子や風呂敷包みを背にして寄り添って歩む姿が、松林を背景にして絵になる。背筋が伸びて腰が据わり、立ち姿が毅然としていた。
背の高い方の百姓が、振り返ってこちらを窺った。遠目にも、細面の顔つきがひどく精悍なのが見てとれる。
百姓らは足を急がせて、瞬く間に松並木の狭間に見えなくなった。
「そこの者ども、立ち止まって名を名乗れ!」
不意に背後から、鋭く叫ぶ声がした。
振り返ると、役人が四、五人、長柄の得物を手にして猛烈な勢いで追いかけてくる。浜坂御茶屋の番士であろうか。誠三郎は足を止め、身を屈めて平伏した。要之介も隣で伏せる。
「怪しい者ではござりませぬ。藩絵師の小畑稲升門下、米村誠三郎とその朋輩、寺島要之介であります」
神妙に名乗ったが、役人らは容赦しない。
爪がびっしり生えた金棒が付けられた突棒で、右腕の動きを抑えられる。袖が裂けて鋼の爪が腕の肉に食い込んだ。思わす呻く喉元に、別の者が差股を突きつけてくる。誠三郎はのけ反った態勢で取り押さえられた。わずかでも動くと、突棒の爪がさらに腕を深く抉りそうで身動きがとれない。
目だけを動かして横を窺うと、要之介は差股で後ろ首を押さえ込まれ、うつ伏せたまま声も出さない。
「どのようなお疑いで、このような無体なことをなさるのか!」
「長州賊軍の残党が、藩内に紛れておるとの報せが入った。怪しい者は片端から調べよとの、上からのお達しである」
「我らは鳥取藩士の子息である。調べていただければわかる……」
申し開きを続けるも聞き入れるどころか、差股が喉から離れたと思う間もなく背を蹴られて倒され、後ろ手に縛られる。腰の大小の刀は奪われた。砂に顔を突っ込まれて大量の砂が口中に入り、吐き出そうにも唾すら出ない。
両肩を獣のように掴まれて、引き立てられた。最初に取り押さえられた時に痛めた腕から、血が噴き出して袖を濡らす。斜め前で捕えられた要之介は、片足を引きずっていた。砂を吐き出そうとしきりにえずいては、そのたびに差股で殴られている。
千代川岸に並び建つ藩主の御茶屋と塩御倉の脇に番屋があり、そこへ向かって引きずられて行く。
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汚れた藁が捲き散らされた番屋の土間に、二人共に叩きつけられた。眩暈を堪えて誠三郎が頭を上げようとしたとき、背中に激しい痛みが走る。
「こら、身を起こさんか」
髷を掴まれて引き起こされた。
嘲笑う声の方を見上げる。割れた竹刀を手にした役人が、薄ら笑いを浮かべていた。再び振り上げられた竹刀が何度も背に食い込み、肉が崩れ裂ける痛みに気が遠のいていく。
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