画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ

文字の大きさ
上 下
17 / 39
2章

7.砂丘、晩秋の烈風②

しおりを挟む
 見晴らしのよい松林の高みで、切り株に腰を据えた。
 帳面と矢立てを取り出し、誠三郎は一刻ほど絵を描いていた。松林の全容を横から眺めたままではなく、頭上を飛び過ぎる鳶が眺める視点で見下ろすように松樹群を描いてみることにした。
 ありきたりな景であっても、雪舟の天橋立図のごとく景色を俯瞰して描くことで修練になると教えてくれたのは、根本幽峨である。このところ長年の師の小畑稲升の教えでなく、根本の言葉にばかり動かされていた。
 一方、要之介は誠三郎の絵を傍らから眺めては、と呼ばれる砂丘の窪地や海辺へと駆け下りて時を過ごしている。通り過ぎる漁師に話しかけたりもする。その幼さの残る横顔も、誠三郎は時折描き写した。
 日が沈みかけて砂の熱が失われ、足先から冷気が這い上がってきた。空の藍が薄墨色に滲んで、海面が耀きを失い黒ずんでいく。
 じきに引き返すぞ、と要之介に声をかけた。

「晩になると、狐や狼が怖いのであろう、誠三郎どのは。大榎町まで付き合ってもよいが」振り返った要之介は笑って唇を歪める。

「わが屋敷が恋しくなったのか、要之介よ。根本先生の屋敷が居辛くなれば、あの離れにいつでも戻ればよい。まあ、狭苦しくとも、あそこはわが城よ」
「離れでの日々は、なんとも愉快であったな」

 駆け寄ってきた要之介のこめかみには解れた毛筋が貼りつき、白い膚が夕日を映して煌めく。影になった細い首筋は蒼白く儚げで、面差しには生意気な娘が見せる婀娜あだっぽさがあった。
 思わず目を逸らせた誠三郎は帳面と矢立て袂に仕舞う。二人は城下へ戻るべく南へと歩きだした。
 前方では、二人連れの百姓が但馬浜道へと向かっている。手拭いを被り、背負子しょいこや風呂敷包みを背にして寄り添って歩む姿が、松林を背景にして絵になる。背筋が伸びて腰が据わり、立ち姿が毅然としていた。
 背の高い方の百姓が、振り返ってこちらを窺った。遠目にも、細面の顔つきがひどく精悍なのが見てとれる。
 百姓らは足を急がせて、瞬く間に松並木の狭間に見えなくなった。

「そこの者ども、立ち止まって名を名乗れ!」

 不意に背後から、鋭く叫ぶ声がした。
 振り返ると、役人が四、五人、長柄の得物を手にして猛烈な勢いで追いかけてくる。浜坂御茶屋の番士であろうか。誠三郎は足を止め、身を屈めて平伏した。要之介も隣で伏せる。

「怪しい者ではござりませぬ。藩絵師の小畑稲升門下、米村誠三郎とその朋輩、寺島要之介であります」

 神妙に名乗ったが、役人らは容赦しない。
 爪がびっしり生えた金棒が付けられた突棒つくぼうで、右腕の動きを抑えられる。袖が裂けて鋼の爪が腕の肉に食い込んだ。思わす呻く喉元に、別の者が差股さすまたを突きつけてくる。誠三郎はのけ反った態勢で取り押さえられた。わずかでも動くと、突棒の爪がさらに腕を深くえぐりそうで身動きがとれない。
 目だけを動かして横を窺うと、要之介は差股で後ろ首を押さえ込まれ、うつ伏せたまま声も出さない。

「どのようなお疑いで、このような無体なことをなさるのか!」
「長州賊軍の残党が、藩内に紛れておるとの報せが入った。怪しい者は片端から調べよとの、上からのお達しである」
「我らは鳥取藩士の子息である。調べていただければわかる……」

 申し開きを続けるも聞き入れるどころか、差股が喉から離れたと思う間もなく背を蹴られて倒され、後ろ手に縛られる。腰の大小の刀は奪われた。砂に顔を突っ込まれて大量の砂が口中に入り、吐き出そうにも唾すら出ない。
 両肩を獣のように掴まれて、引き立てられた。最初に取り押さえられた時に痛めた腕から、血が噴き出して袖を濡らす。斜め前で捕えられた要之介は、片足を引きずっていた。砂を吐き出そうとしきりにえずいては、そのたびに差股で殴られている。
 千代川岸に並び建つ藩主の御茶屋と塩御倉の脇に番屋があり、そこへ向かって引きずられて行く。
 病を得て帰鳥したと聞く藩主が療養のために到着したのか、御茶屋の周囲は先刻とは異なり、藩士や徒士かちが多くひしめいていた。こちらへ向けられる数多の眼差しには、夕闇の中ぎらつく殺気が充ちている。
 汚れた藁が捲き散らされた番屋の土間に、二人共に叩きつけられた。眩暈を堪えて誠三郎が頭を上げようとしたとき、背中に激しい痛みが走る。

「こら、身を起こさんか」

 髷を掴まれて引き起こされた。
 嘲笑う声の方を見上げる。割れた竹刀を手にした役人が、薄ら笑いを浮かべていた。再び振り上げられた竹刀が何度も背に食い込み、肉が崩れ裂ける痛みに気が遠のいていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...