画仙紙に揺れる影ー幕末因幡に青梅の残香

冬樹 まさ

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序章

2.敵か味方か

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「さても、そこのお方、待たれよ」

 誠三郎は立ち止まり、顔を伏せたままで答えた。

「怪我人を負うておるゆえ、急ぎます」
「われらの話を聞かれたな、顔を見せてもらおうか」」

 四、五人の若者に誠三郎は取り囲まれた。
 背中の女を一度揺すり上げ、爪先に力を入れて踏ん張る。じりじりと身構えながら顔を上げて、正面の三人と向き合った。誠三郎は若侍の顔を見渡したが、絵師見習いの身には知った顔はない。

「それがしは藩御用絵師である小畑稲升門下、米村誠三郎である」
「ふん、御用絵師門下か、それで貴殿は中道派か尊攘派か? その背負っている方はどなたであろうか」
「一介の絵師見習いが、そのような問いに答える、いわれは……ないはず」

 声が次第に掠れていく。憤怒を抑えるあまり地面に向いて唸るような声になった。居並ぶ男たちの間を縫って先に進みかけると、若侍たちは一斉に刀の柄に手をかける。
 放り出された提灯の火が消えて闇となる中、大小の刀の鞘が擦れてかちかちと鳴る音に取り巻かれた。誠三郎の頬が引き攣る。

「どういうおつもりか。怪我人を運び、通りかかっただけのこと」

 目の前の男は、酒臭い息を吐きかけてきた。この者らの憎む二十士のうち、剣士として名高い詫間樊六はわが竹馬の友であると告げれば、斬り合いになること必定である。
 騒ぎを起こしたくはないが、たちが悪い酔っ払い相手にひと勝負したい心地になっていた。まず背中の女を下ろしてからと、誠三郎は闇に慣れてきた目で正面の男を睨みつけた。
 その時である。

〽おまえと一生 くらすなら
 深山の おくの わび住居
 柴かる手わざ 糸車
 細谷(ほそたに)川の 布さらし
 ぬい針しごと いとやせん……

 朗々として艶のある歌声に、その場に立ち籠めた殺気が吹き飛んだ。この声には、聞き覚えがある。
 宵闇をかきわけて、正面の若侍の背後に歌声の主が恰幅のいい体躯を現した。男の手にした提灯の明かりが、紬の羽織に仙台平の袴を粋に着こなす姿を照らしだす。

「何を騒いでおられるかな、お若い方たち」

 刀の柄から手を離した若侍らは、懐手をして片頬で笑む男に擦り寄らんばかりである。男は鷹揚に頷いて、彼らに応えた。平べったい顔は顎がしゃくれており、円らな眸、丸っこい大きな鼻に愛嬌がある。

「根本先生、なんとも良いお声でございますな。その唄は初めて聞きましたが」
「おう、この端唄は、ひと頃江戸は柳橋で流行っておってな。鳥取城下にも広めんと、茶町の料理屋でひとしきり唄ってきたところである。なにか物騒なことでもあろうかな」
「いえ、なんでもござりませぬ。根本先生、また江戸の話をお聞かせ願いたいものです。これから共に、飲み直しはいかがでありましょうか」
「今宵はあいにく、親戚の屋敷に寄らねばならんでな。また、どこぞでご一緒しようぞ」
「次はきっと、端唄をご教授くだされ」

 若侍たちは悪酔いが醒めたのか、笑いながら提灯を拾い根本からもらった火を灯して去っていく。
 懐に入れた手で腹をさすりながら小さな目を眇めて、その男、藩お抱え絵師の根本幽峨ゆうがは佐幕派の若者らを見送っていた。城下でその画技が知れわたる根本は、若い頃より江戸と鳥取を行き来して修練を重ね、広い見識と豪快な人柄でも慕われている。

「若い者らはこのご時世に血の気が有り余っておるのか、なんとも無粋なものであるな。おう、そなたは小畑先生のところの、米村殿ではないか、奇遇よのう」

 最初からわかっていて助け船を出したのであろうが、とぼけてみせている。誠三郎は舌打ちしそうなところを堪えた。

「根本先生、無様なところをお見せしまして」
「どなたか負うておられるな、難儀なことだ、手を貸そうか」
「いえ、大榎町の屋敷まで、いま少しですから」
 
 頭を下げてから歩きだしたが、根本は暇なのか、誠三郎の歩みが余程頼りないのか、隣に並んでついてくる。
 鋳物師町の砂田屋という金物屋の生まれである根本は、誠三郎よりたしか九つ年上であった。幼い頃から絵がずば抜けて上手く、武者絵を描いては往来で売って歩いたという。二十二歳で藩から三田八幡宮絵巻を描くように命じられ、江戸狩野の絵師をも唸らせたという画才を持っていた。
 彼と対峙していると、その器のあまりの大きさに己の肝が縮んでしまう。

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