琥珀いろの夏 〜偽装レンアイはじめました〜

桐山アリヲ

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  ぼんやりした視界のなかに、見慣れない天井が映っている。

 どこだ、ここ……?

 ふわふわと頼りない意識をかき集め、ピントを合わせるように記憶を探っていたおれは、次の瞬間、ぎょっとして跳ね起きた。
 
 ポケットから取り出したスマホに目をやり、もう一度ぎょっとする。

 時刻はすでに夕方の4時を回っていた。
 ここに来たのが昼過ぎだったから、4時間近く寝ていたことになる。

 いくらなんでも、やらかしすぎだろ……。

 スマホをポケットに戻そうとしたとき、腰の位置で丸くなっているブランケットに気づいた。
 起きあがった拍子に、おれの体から滑り落ちたらしい。
 きっと、様子を見にきたサトルさんが掛けていってくれたのだろう。 

 サトルさんに悪いことしちゃったな……。

 感謝の気持ちをこめてベッドの乱れを直し、ブランケットをていねいに畳んでから部屋を出た。

 さっきとはくらべものにならないくらい体が軽く、頭もスッキリしている。
 サトルさんのいう通り、睡眠の効果は絶大だ。盛大に寝過ごしたことを棚にあげればの話だけれど。

 リビングのドアをそっと押し開けると、思いがけず、にぎやかな話し声が耳に飛びこんできた。
 ひとつはサトルさんで、もうひとつは聞きおぼえのない男の声。

 お客さん、だよな……。

 ためらいつつ、ソファーの見える位置まで近づくと、サトルさんが気づいて声をかけてくれた。

 「おはよう。よく眠れたみたいでよかった。顔色もよくなったね」

 「すみません、おれ、爆睡しちゃって。あの」

 書類の散乱するローテーブルを挟んで、サトルさんと向かい合わせに座る男が、親しげな笑みを浮かべておれを見ている。
 おれがあわてて頭をさげると、男は笑みを深めて口をひらいた。

 「こんなにかわいいコ、いったいどこで引っかけたんだよ、悟」

 渋みのある声と落ち着いた外見からは予想もつかない軽薄なものいいに、意表をつかれた。
 サトルさんと同年代だろうか。上品な光沢のあるグレーのシャツが、肩幅の広い体型に、よく似合っている

 「下世話ないい方をするな。おまえ、それわざとだろ」

 と、サトルさん。

 「あれぇ?深山先生が珍しくムキになってる。どうしちゃったんですかねぇ」

 「うざ。おまえなぁ、小2の甥っ子だって、もうちょっとマシな煽り方してくるぞ」

 「はははは」

 男が豪快な笑い声をあげた、ちょうどそのとき、テーブルの上に置いてあったサトルさんのスマホが鳴り出した。
 着信の相手をたしかめるなり、サトルさんがソファーから立ち上がる。

 「すぐに戻るから、とりあえず座ってて」

 おれに向かってやわらかく声をかけ、次に男を見おろすと、

 「くれぐれも、千年くんによけいなこというなよ」

 低く釘を刺してから、足早にリビングを出て行ってしまった。

 このタイミングで置いていかれるのは、かなり気まずいんですけど。

 未練がましくドアの方を見ていると、男がおもむろに立ち上がり、おれの前までやってきた。
 トラウザーのポケットから皮の名刺入れを取り出し、1枚引き抜いて差しだす。

 「はじめまして。雨宮圭太といいます。悟とは大学からのつき合いだから、もう十年以上になる」
  
 さっきまでとは打って変わった紳士的な態度にほっとしながら、もらった名刺に目を落とした。
 
 肩書きの欄に、「創風社 代表取締役社長」とある。

 「社長さん、なんですか?」
 
 「初々しい反応だね~」

 雨宮さんは、屈託のない顔で笑ってから、続けた。

 「小さな出版社だから、自分でも編集やりながらの経営だけどね。今日も半分は仕事で来たんだ。悟が原稿くれるおかげで、うちはだいぶ助かってるよ」

 どうりで……ふざけた態度のわりに、服装がちゃんとしているわけだ。
 堅苦しさこそ微塵もないカジュアルな装いではあるけれど、仕事相手であるサトルさんへの気づかいや敬意がそれとなく伝わってくる。おとなの線引きという感じがして、なんとなくカッコいい。

 「あの、おれ……じゃなくて自分は、名刺とか持ってなくて」

 「知ってるよ、玉根千年くん。大学生なんだってね。さっき悟から聞いた。というより、聞き出したっていう方が近いかな。あいつは内緒にしておきたかったみたいだけど、きみをここへ連れこんだ時点でバレるのは時間の問題だったから、あきらめて吐いたんだろう。とはいえ、聞き出せたのは名前と年齢くらいだけどね」

 流れるように話しながら、さりげなくおれの肩を抱き、ソファーへ座らせる。

 自分のペースにひとを巻きこむのがうまいタイプらしい。
 
 ちょっと麟太郎に似てるな。

 なにげなく浮かんだ感想に、おれは軽いショックを受けた。
 この期に及んでなお、麟太郎に執着している自分が情けなくなる。

 「千年くんには、ずっと会ってみたかったんだ」

 向かい合わせに腰をおろした雨宮さんが、人好きのする笑みを浮かべていった。

 「あの深山先生がせっせと餌付けしてる……いや、食事に連れ回してる若いイケメンがいるらしいって、同業者の間で話題になってたからさ」

 いま、餌付けっていわなかったか?
 まぁ、事実だからいいんだけど。

 「イケメンじゃなくてすみません。それと、忙しいのに、サトルさ……深山先生には、いつも時間を割いてもらってて」
 
 「とんでもない。きみには、みんな感謝してるんだよ」

 「感謝?」

 「あいつ、この数年は東京を離れることが多くてね。用事があるたびに半日かけて房総くんだりまで出向かなきゃならないのが悩みの種だったんだ。それが最近は、都内でつかまる率が増えて仕事が格段にやりやすくなった。きみのおかげだよ。業界を代表して感謝状を贈りたいくらいだ」

 「いや、おれはなにも」

 知らない間に自分が出版業界に貢献していたなんて、にわかには信じがたい話だ。それともこれは、雨宮さん独特のジョークなんだろうか。

 「で、悟とはどうなの。うまくいってる?」

 にこやかに問われ、おれは返事に困ってしまった。

 「どうっていわれても……サトルさんとは、まだそういう関係じゃないですから」

 「いやいや、それはないだろ。あいつはつき合ってもないコをここに連れてきたりしないし、きみだって恋人でもない三十路の男の家で寝コケたりしないでしょ、ふつう」

 「……すみません。おれ、ふつーじゃないみたいです」
 
 「そうなの?」

 雨宮さんは、心底驚いたように目を見開くと、片手で作ったこぶしを口元に当て、くっと肩を揺らした。
 どうやら、笑いをこらえているらしい。

 「ごめん。いや、きみがまだ学生だから、あいつが慎重になるのはわかるんだけどさ。いまだに手を出してないってのが、友人として気の毒っていうか、いじらしいっていうか」

 「おれが悪いんです。いつまでも煮えきらないから」

 とっさに、言葉が口を突いて出た。

 「サトルさんは、待ってくれてるんだと思います。でもおれは、その気持ちに甘えてばかりいる。ずるいですよね、こういうの」

 笑いをおさめた雨宮さんが、口をひらいた。

 「それでも悟がこうして目をかけてるってことはさ、きみの事情を承知のうえで、そういう役回りを受け入れてるってことだろう。悟自身の意思でやってることなんだから、きみが後ろめたく思う必要はないんじゃないかな」

 「でも……」
 
 「そもそも、こういうことに、どっちが悪いなんてことはないんだ。案外あいつも、きみを甘やかすのが楽しいのかもしれないよ。三十過ぎると、きみくらいの年代の子なんて、なにやっててもかわいく見えるからね」

 「そういうものなんでしょうか」

 「そういうものなんですよ、悲しいかな」

 半分おどけた調子でしんみり相づちを打ってから、雨宮さんがたずねた。

 「千年くんは、あいつがバツイチってことは知ってるかな。巷じゃけっこう有名な話なんだけど」

 「はい。デビューしてすぐ、学生時代からつき合ってた女性と籍を入れたんですよね」

 サトルさんがゲイよりのバイセクシャルであることは、最初の頃に聞いていた。
 公にはしていない個人的な情報を、早い段階で打ち明けてくれていたのだと思うと、サトルさんがどれだけ真摯におれと向き合おうとしてくれているかに改めて気づく。

 「恋人候補のきみに、こんなこというのもなんだけど、大恋愛の末の結婚だったんだ」

 雨宮さんが、遠くを見るような目をしていった。

 「相手も出版社に就職したくらいだから、悟の仕事には理解があるし、俺も周囲も、うまくいくもんだと思ってたよ。でも結局は、それがアダになった。作品の良し悪しがわかるだけに、口を出さずにはいられなかったみたいでね。結婚すると遠慮がなくなるってことも、悪い方に働いたんだろう。離婚まえの数ヶ月は、ケンカすらできないくらいに冷え切ってたよ」

 サトルさんのいないところで彼の過去について語る言葉を聞くことに、おれはかすかな抵抗をおぼえた。拾った写真を盗み見ているみたいで、なんとなく居心地が悪い。
 
 そんなおれの内心を知ってか知らずか、雨宮さんが口調を変えていった。

 「つまりさ、きみが相手にしてる男は、恋愛の酸いも甘いも、その先に続く結婚の地獄も、ひと通り経験してるってことだ。ちょっとやそっとのことで動じたりしないだろうし、目先の欲望に負けて筋を曲げるようなこともない。きみは細かいことなんて気にせず、気持ちのままにふるまえばいいんだよ。担当編集としては、むしろ思いっきりふりまわしてほしいくらいだ。あいつは、私生活に強めの刺激があったほうが筆が進むタイプだから」

 「はぁ」

 くだけた笑顔の下から現れた、したたかなプロ根性に内心たじろいでいると、サトルさんが戻ってきた。

 「お待たせ。この軽薄なおじさんから、なにかおかしなこと吹きこまれなかった?」

 「お兄さん、な。おまえそれ、まわりくどい自虐か?」

 おれが応えるより早く、雨宮さんはそういうと、とまどうおれに向かって派手にウインクしてみせる。

 「軽く自己紹介してただけだよ、なぁ、千年くん」

 「え……まぁ、はい」

 「これから、いよいよジャレ合おうと思ってたのに、残念」 

 にやにやしながらつけ足した雨宮さんに、サトルさんがあきれ顔で片手をふった。
 
 「くだらないこといってないでさっさと帰れ。もう用件はすんでるだろう」
 
 「あいかわらず薄情だなぁ」

 ぼやきながらも書類をバッグにしまいこんだ雨宮さんは、見送りのために立ち上がったおれに向かって、

 「ここでいいよ。今度、一緒にごはん行こう」

 と、にこやかに声をかけ、リビングを出て行った。
 玄関まで見送りに出たサトルさんが、ほとんど間を置かず、戻ってくる。

 「悪かったね、バタバタして。おなかすいてるだろう。昼に作ったの温め直すから、ちょっと待ってて」

 サトルさんがそういってから、ものの5分と経たないうちに、彩りも鮮やかな料理の数々がダイニングテーブルにずらりと並んだ。

 ビタミンカラーの野菜がたっぷり入ったラタトゥイユに、黄色のサフランライス。レモンを添えたチキンソテーと、つけ合わせのグリーンサラダ。

 鮮やかな見た目と匂いに思いきり食欲を刺激され、おれはテーブルにつくなり、黙々と箸を進めた。

 「きみはいつも、ほんとうにおいしそうに食べてくれるね」

 向こう側で頬杖をついたサトルさんが、目を細めておれを見る。

 「だって、ほんとにおいしいですよ、これ」

 実際、どれも素材のうまみが生かされたやさしい味わいで、サトルさんが連れて行ってくれる三ツ星レストランにも引けを取らないレベルに思える。
 サトルさんのおかげで舌が肥えてきている自覚があるから、おれの感想もあながち的外れじゃないはずだ。
 
 
 後片づけを手伝いながらそのことを伝えたおれに、サトルさんは、にやりと笑っていった。

 「それはよかった。書けなくなったら、そっちの道も考えようかな」


 


 

 
 
 
 
 

 
 
  
 
 

 
 
 

 
 

 

 

 
 
 
 

 

 
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