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「目は口ほどにものをいう」なんて、昔の人はうまいことをいったものだと思う。
人影もまばらになった人工芝のコートから、コンテナ型のクラブハウスが建ち並ぶエリアへと砂利敷きの通路を移動しながら、おれはひとり、深い吐息をついた。
ハーフタイムの途中で突然ベンチに引き入れられた部外者を、観客たちがけげんに思うのも無理はない。とりわけ麟太郎めあてのギャラリーにとって、当の麟太郎からかいがいしく世話をやかれる素性のしれない男の姿は、さぞかし目ざわりだったことだろう。
ーだれだよ、おまえ
肌がピリピリするような鋭い視線の束と一緒に、そんな声まで聞こえてきそうで、居心地はサイアクだった。
意外にも救いになってくれたのは、こないだ学食で声をかけてきた麟太郎のチャラい友人。
麟太郎がピッチに出ている後半戦のあいだ、彼が話し相手になってくれたことで気がまぎれたのは、ほんとうにありがたかった。
「いまさらだけど」と前置きしてから、三雲悠人と名のった彼は、足首の怪我から復帰したばかりだという。調整と様子見を兼ね、前半戦だけ出場したあと、控えの選手と交代してベンチに下がっていたのだ。
『さっき、麟が血相変えて飛び出してったときは意外だったな』
チャラい友人あらため三雲は、おれに向かってそんなことをいった。
どうやら、おれが麟太郎から抱きしめられるまでの一部始終をバッチリ見ていたらしい。
『びっくりしたんじゃないかな。おれ、ふだんあんまり調子崩したりしないから』
恥ずかしいやら気まずいやらで、消え入りたくなりながらがおれがいうと、三雲はニヤニヤしながら首を横にふった。
『それもあるかもだけど、あれは完全にヤキモチだって。千年っちがほかの男からベタベタ触られてんの見て、我慢できなかったんだろ。歴代の彼女には超絶ドライだったくせに、あんなに熱くなっちゃって。あいつもかわいいとこあるよな~』
とんでもない勘違いだと思ったけれど、もちろん口には出さなかった。
もっとも、ふだん身近に接している三雲にそんなふうに思わせたのだから、麟太郎のパフォーマンスは成功しているとみていいんだろう。
それがわかったところで、よけいに気が重くなるだけだけれど。
後半も攻めの試合展開を繰り広げたチームは、危なげなく勝ち星をあげ、簡単なクールダウンを終えたのち、ついさっき、シャワーや着替えのためにクラブハウスへ引き上げたばかりだ。
大勢いた観客も散り散りになり、残っているのは選手の親しい友人や彼女など、このあとの打ち上げに参加するメンバーだけになっていた。
さっき紹介されたばかりの三雲の彼女も、おれの隣で手持ちぶさたにスマホをいじっている。学食で三雲がだいぶ失礼なことをいっていたけれど、快活で、よく気の回るできた彼女だ。
気さくな三雲は、おれのことも如才なく打ち上げに誘ってくれたのに、麟太郎から「俺とタマはパス」とばっさり斬られて話は終了。
ついでに、「タマ、俺が出てくるまで帰るなよ」と念押しされてしまい、おれは、おとなしく主人を待つ忠犬さながら、こうして時間をつぶしているというわけだ。
なんだか、考え方がどんどん卑屈になっていく。
体調はすっかりよくなったというのに、気分はまったく晴れてくれない。
唯一よりどころにしていた麟太郎との友情すら、おれのひとりよがりな妄想かもしれない可能性に気づいてしまったばかりだというのに、いったいどんな顔をして麟太郎と向き合えばいいんだろう。
麟太郎に送ってもらう自宅までの道のりを、途方もなく遠く感じる。
頼みの綱だった秋斗とは、さっきのドタバタの間に、ろくなあいさつも交わさないまま別れていた。
アキはもう、バイト先についたかな…。
せめて今日の礼だけでもとスマホを取り出したところで、サトルさんからメッセージが届いているのに気づいた。
受信したのは、ほんの数分前。バイブにして背中のボディーバッグに突っこんでいたせいで、気づかなかったらしい。
【いまなにしてる?時間がぽっかり空いたんだけど、よかったらランチでもどうかな】
サトルさんらしい軽やかな文面。最後に会ってから、まだ1週間ほどしかたっていないのに、懐かしいような気持ちになる。
どうしよう。
サトルさんには会いたいけれど、麟太郎にどう説明すればいいのか…。
返信をためらっていると、ふいに砂利敷きの地面を踏みしめる音がした。
なにげなくスマホから目をあげ、ハッとする。
思いのほかすぐそばで立ち止まった女のひとが、含みのあるまなざしで、おれをじっと見つめていたからだ。
短い髪に、大きな目元が印象的な、華のある美人だった。
足首まで隠れる細身のワンピースが、スタイルのいい長身によく似合っている。
この顔、どこかで見たような…。
「玉根くんだよね」
緊張をはらんだ低めの声で問われ、おれは、困惑しながらうなずいた。
「森本美優です」
「あ…」
ミユ、と聞いて、ようやく思い出した。麟太郎が、ついこないだまでつき合っていた元カノだ。
以前、噂を聞きつけた秋斗から彼女のSNSを見せられたことがある。にも関わらず、すぐにミユだと気づけなかったのは、髪型が変わっていたせいだけじゃない。
彼女のまなざしが、あまりに暗く沈んでいたからだ。
動画のなかの彼女は、背中まで届く髪を風になびかせ、弾けるように笑っていた。
「あなた、ほんとうに麟くんのことが好きなの?」
唐突に、ミユがいった。
「…え」
あ然として言葉につまるおれを、しばらく暗い瞳で見つめていたミユは、やがてしびれをきらしたように再び口をひらいた。
「答えられないんだね。あきれた。あんたみたいなのに麟くん取られたと思うと情けなくなる」
吐き捨てるようにそういうと、早口でまくしたてる。
「私は麟くんに好かれたくて、たくさん努力したよ。短い髪が好きって聞いたから髪もばっさり切ったし、サッカーにもくわしくなった。麟くんの見てる世界が知りたくて必死にがんばったの!なのに…どうして男のあんたなんかに横取りされなきゃなんないの?」
「…」
「黙ってないで、なんとかいいなさいよ!」
理不尽に責め立てられているというのに、不思議と腹は立たなかった。
激しいいらだちの奥にある彼女の行き場のない思いが、透けて見えるような気がしたから。
好きな相手にはじめから見向きもされないのと、一度は受け入れられた相手から突き放されるのとでは、どちらが、よりこたえるだろう。
彼女には、自信があったはずだ。自分がなんの留保もなく女性として存在していることや、見た目の美しさに対する自覚が、なにものにも邪魔されず、まっすぐ麟太郎へ向かっていける強さに結びついていたんだと思う。
けれど麟太郎の関心を失ったいま、彼女のなかで、その自信は大きく揺らいでいるんじゃないだろうか。
そのうえフラれた理由が「男を好きになった」なんて突拍子もないものなら、にわかに現実を受け入れられないのは当然の話だ。顔も知らない相手の男を自分の目でたしかめ、問い詰めたくなる気持ちもわかる。
おれには、彼女の疑問と怒りを正面から受け止める義務があるのかもしれない。図らずも麟太郎の片棒をかついでいる、共犯者としての義務が。
「麟くんのこと、本気じゃないなら、さっさと手を引きなさいよ。彼じゃなくたって、あんたなら相手はいくらでもいるでしょ。わたしは麟くんじゃないとダメなんだから!」
強気な言葉の端ににじむ懇願のような響きに、胸がしめつけられる。
たまらなくなって、おれは無言のまま深々と腰を折った。
「ちょっと、それ、なんのつもり?」
固く尖った冷ややかな声が、つららみたいに突き刺さる。
顔をあげずに、おれはいった。
「あいつじゃなくてもいい。どうしたらそんなふうに思えるのか、おれもずっと考えてました。でも、いまだにあいつにこだわってる。苦しすぎていますぐ降りたいのに、降り方がわからない。バカみたいだって、自分でも思います」
ゆっくり顔をあげると、ミユはいまにも泣きそうに顔をゆがめておれを見ていた。
「麟太郎の真意なんておれにはわからないし、あなたの気持ちが楽になるような言葉も思いつかない。でも、思いどおりにならなくて苦しいのは、あなただけじゃないです」
おれも彼女も、麟太郎をめぐる小さな世界のなかでは似たもの同士だ。その事実が、わずかでも彼女の救いになればいい。
そんな気持ちでいったつもりだけれど、受け取り方によっては責めているように聞こえなくもない。そのことに思い当たったのは、きびすを返して歩きはじめてからだった。
立ち去る直前、隣にいた三雲の彼女が、なにかいいたげな視線を向けてきたけれど、おれは一礼しただけでフットサル場を後にした。
人影もまばらになった人工芝のコートから、コンテナ型のクラブハウスが建ち並ぶエリアへと砂利敷きの通路を移動しながら、おれはひとり、深い吐息をついた。
ハーフタイムの途中で突然ベンチに引き入れられた部外者を、観客たちがけげんに思うのも無理はない。とりわけ麟太郎めあてのギャラリーにとって、当の麟太郎からかいがいしく世話をやかれる素性のしれない男の姿は、さぞかし目ざわりだったことだろう。
ーだれだよ、おまえ
肌がピリピリするような鋭い視線の束と一緒に、そんな声まで聞こえてきそうで、居心地はサイアクだった。
意外にも救いになってくれたのは、こないだ学食で声をかけてきた麟太郎のチャラい友人。
麟太郎がピッチに出ている後半戦のあいだ、彼が話し相手になってくれたことで気がまぎれたのは、ほんとうにありがたかった。
「いまさらだけど」と前置きしてから、三雲悠人と名のった彼は、足首の怪我から復帰したばかりだという。調整と様子見を兼ね、前半戦だけ出場したあと、控えの選手と交代してベンチに下がっていたのだ。
『さっき、麟が血相変えて飛び出してったときは意外だったな』
チャラい友人あらため三雲は、おれに向かってそんなことをいった。
どうやら、おれが麟太郎から抱きしめられるまでの一部始終をバッチリ見ていたらしい。
『びっくりしたんじゃないかな。おれ、ふだんあんまり調子崩したりしないから』
恥ずかしいやら気まずいやらで、消え入りたくなりながらがおれがいうと、三雲はニヤニヤしながら首を横にふった。
『それもあるかもだけど、あれは完全にヤキモチだって。千年っちがほかの男からベタベタ触られてんの見て、我慢できなかったんだろ。歴代の彼女には超絶ドライだったくせに、あんなに熱くなっちゃって。あいつもかわいいとこあるよな~』
とんでもない勘違いだと思ったけれど、もちろん口には出さなかった。
もっとも、ふだん身近に接している三雲にそんなふうに思わせたのだから、麟太郎のパフォーマンスは成功しているとみていいんだろう。
それがわかったところで、よけいに気が重くなるだけだけれど。
後半も攻めの試合展開を繰り広げたチームは、危なげなく勝ち星をあげ、簡単なクールダウンを終えたのち、ついさっき、シャワーや着替えのためにクラブハウスへ引き上げたばかりだ。
大勢いた観客も散り散りになり、残っているのは選手の親しい友人や彼女など、このあとの打ち上げに参加するメンバーだけになっていた。
さっき紹介されたばかりの三雲の彼女も、おれの隣で手持ちぶさたにスマホをいじっている。学食で三雲がだいぶ失礼なことをいっていたけれど、快活で、よく気の回るできた彼女だ。
気さくな三雲は、おれのことも如才なく打ち上げに誘ってくれたのに、麟太郎から「俺とタマはパス」とばっさり斬られて話は終了。
ついでに、「タマ、俺が出てくるまで帰るなよ」と念押しされてしまい、おれは、おとなしく主人を待つ忠犬さながら、こうして時間をつぶしているというわけだ。
なんだか、考え方がどんどん卑屈になっていく。
体調はすっかりよくなったというのに、気分はまったく晴れてくれない。
唯一よりどころにしていた麟太郎との友情すら、おれのひとりよがりな妄想かもしれない可能性に気づいてしまったばかりだというのに、いったいどんな顔をして麟太郎と向き合えばいいんだろう。
麟太郎に送ってもらう自宅までの道のりを、途方もなく遠く感じる。
頼みの綱だった秋斗とは、さっきのドタバタの間に、ろくなあいさつも交わさないまま別れていた。
アキはもう、バイト先についたかな…。
せめて今日の礼だけでもとスマホを取り出したところで、サトルさんからメッセージが届いているのに気づいた。
受信したのは、ほんの数分前。バイブにして背中のボディーバッグに突っこんでいたせいで、気づかなかったらしい。
【いまなにしてる?時間がぽっかり空いたんだけど、よかったらランチでもどうかな】
サトルさんらしい軽やかな文面。最後に会ってから、まだ1週間ほどしかたっていないのに、懐かしいような気持ちになる。
どうしよう。
サトルさんには会いたいけれど、麟太郎にどう説明すればいいのか…。
返信をためらっていると、ふいに砂利敷きの地面を踏みしめる音がした。
なにげなくスマホから目をあげ、ハッとする。
思いのほかすぐそばで立ち止まった女のひとが、含みのあるまなざしで、おれをじっと見つめていたからだ。
短い髪に、大きな目元が印象的な、華のある美人だった。
足首まで隠れる細身のワンピースが、スタイルのいい長身によく似合っている。
この顔、どこかで見たような…。
「玉根くんだよね」
緊張をはらんだ低めの声で問われ、おれは、困惑しながらうなずいた。
「森本美優です」
「あ…」
ミユ、と聞いて、ようやく思い出した。麟太郎が、ついこないだまでつき合っていた元カノだ。
以前、噂を聞きつけた秋斗から彼女のSNSを見せられたことがある。にも関わらず、すぐにミユだと気づけなかったのは、髪型が変わっていたせいだけじゃない。
彼女のまなざしが、あまりに暗く沈んでいたからだ。
動画のなかの彼女は、背中まで届く髪を風になびかせ、弾けるように笑っていた。
「あなた、ほんとうに麟くんのことが好きなの?」
唐突に、ミユがいった。
「…え」
あ然として言葉につまるおれを、しばらく暗い瞳で見つめていたミユは、やがてしびれをきらしたように再び口をひらいた。
「答えられないんだね。あきれた。あんたみたいなのに麟くん取られたと思うと情けなくなる」
吐き捨てるようにそういうと、早口でまくしたてる。
「私は麟くんに好かれたくて、たくさん努力したよ。短い髪が好きって聞いたから髪もばっさり切ったし、サッカーにもくわしくなった。麟くんの見てる世界が知りたくて必死にがんばったの!なのに…どうして男のあんたなんかに横取りされなきゃなんないの?」
「…」
「黙ってないで、なんとかいいなさいよ!」
理不尽に責め立てられているというのに、不思議と腹は立たなかった。
激しいいらだちの奥にある彼女の行き場のない思いが、透けて見えるような気がしたから。
好きな相手にはじめから見向きもされないのと、一度は受け入れられた相手から突き放されるのとでは、どちらが、よりこたえるだろう。
彼女には、自信があったはずだ。自分がなんの留保もなく女性として存在していることや、見た目の美しさに対する自覚が、なにものにも邪魔されず、まっすぐ麟太郎へ向かっていける強さに結びついていたんだと思う。
けれど麟太郎の関心を失ったいま、彼女のなかで、その自信は大きく揺らいでいるんじゃないだろうか。
そのうえフラれた理由が「男を好きになった」なんて突拍子もないものなら、にわかに現実を受け入れられないのは当然の話だ。顔も知らない相手の男を自分の目でたしかめ、問い詰めたくなる気持ちもわかる。
おれには、彼女の疑問と怒りを正面から受け止める義務があるのかもしれない。図らずも麟太郎の片棒をかついでいる、共犯者としての義務が。
「麟くんのこと、本気じゃないなら、さっさと手を引きなさいよ。彼じゃなくたって、あんたなら相手はいくらでもいるでしょ。わたしは麟くんじゃないとダメなんだから!」
強気な言葉の端ににじむ懇願のような響きに、胸がしめつけられる。
たまらなくなって、おれは無言のまま深々と腰を折った。
「ちょっと、それ、なんのつもり?」
固く尖った冷ややかな声が、つららみたいに突き刺さる。
顔をあげずに、おれはいった。
「あいつじゃなくてもいい。どうしたらそんなふうに思えるのか、おれもずっと考えてました。でも、いまだにあいつにこだわってる。苦しすぎていますぐ降りたいのに、降り方がわからない。バカみたいだって、自分でも思います」
ゆっくり顔をあげると、ミユはいまにも泣きそうに顔をゆがめておれを見ていた。
「麟太郎の真意なんておれにはわからないし、あなたの気持ちが楽になるような言葉も思いつかない。でも、思いどおりにならなくて苦しいのは、あなただけじゃないです」
おれも彼女も、麟太郎をめぐる小さな世界のなかでは似たもの同士だ。その事実が、わずかでも彼女の救いになればいい。
そんな気持ちでいったつもりだけれど、受け取り方によっては責めているように聞こえなくもない。そのことに思い当たったのは、きびすを返して歩きはじめてからだった。
立ち去る直前、隣にいた三雲の彼女が、なにかいいたげな視線を向けてきたけれど、おれは一礼しただけでフットサル場を後にした。
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