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 図書館での一件をきっかけに、おれは多くの時間を麟太郎と過ごすようになった。

 クラスが離れているから、つねに顔を突き合わせていたわけじゃない。
 それでも、授業のあいまに麟太郎がひょっこり訪ねてくるのは珍しくなかったし、昼休みにはどちらかの教室か、天気が許せば屋上の日陰に入って、持ち寄った弁当を一緒に食べた。
 
 麟太郎めあてにサッカー部の連中が集まってくることも、しょっちゅうだった。
 気さくでノリのいい彼らがそろうと、昼食の場がうるさいほどにぎやかになる。
 
 謹慎が明けて以降、ひとりさみしく弁当を食べていたおれは、その状況を楽しく思う反面、彼らの輪のなかで笑う麟太郎を見るたび複雑な気持ちになった。
 
 監督からの圧力という、理不尽な理由で退部を余儀なくされた麟太郎には、サッカー部に対して、なにかしら思うところがあるはずだ。
 そんなことはおくびにも出さず、以前と変わらない態度で彼らと接する麟太郎の気持ちを思うと、やるせなさに胸が騒いだ。

 
 図書館通いは、あいかわらず続いていた。
  顔を出すのは、たいてい放課後。
 授業が終わると、特進クラスの生徒たちに混じって下校までの時間を一緒に過ごし、日の暮れた道を最寄り駅まで並んで帰る。
 早めに切り上げた日は、学校から電車でひと駅の麟太郎の自宅へ寄り道することも少なくなかった。
 
 両親ともに弁護士をしている麟太郎の家は、平凡なサラリーマン家庭で育ったおれからすると、とんでもない豪邸で、吹き抜けのある玄関だけでも十分暮らしていけそうなほど広い。
 
 おれがそういうと、麟太郎はおかしそうに笑った。

 「だったら一緒に住むか?俺、タマとなら、家族になってもやってけそうな気がする」

 「家族?」

 「おまえといると、すげぇ楽っていうか…好きなように息ができるんだよな。双子の兄弟がいたら、こんな感じなのかなって思う。俺、ひとりっ子だからさ。そういうのに、どっかで憧れてんのかも」
 
 似たようなことは、おれも時どき考えていた。
 
 ふだんは胸にしまいこんでいる様々な思いを、麟太郎のまえではためらうことなく口に出せる。麟太郎といれば、ときおり訪れる沈黙ですら、不思議なほど満ち足りていた。

 その一方で、「家族」とか「兄弟」という言葉には引っかかりをおぼえた。
 おれもひとりっ子で、いまだに兄弟がほしいと思うこともあるけれど、麟太郎がそうであってほしいと思ったことは、ただの一度もなかったから。

 だとしたら…ときおり湧き上がるこの感情はなんなのだろう。自分のこと以上に相手を気にかけずにはいられない、時どき胸がしめつけられるように切なくなるこの感情を、いったい、どんな名前で呼べばいいのか。
 ふとした瞬間、意識の端をかすめるそんな疑問に、おれは答えるすべを持たなかった。

 
  いきなり距離を縮めたおれと麟太郎の様子に、周囲は明らかにとまどっていた。
 それでも、表立ってなにかをいわれたり、けげんな目を向けられたりしなかったのは、それだけ麟太郎の影響力が大きかったからだろう。
 1軍男子のなかでも飛び抜けて人気のある麟太郎には、どんなにおかしなことをしても許されるような説得力と勢いがあった。
 
 麟太郎と親しくすることで、おれに対する周囲の風当たりが目に見えてやわらいだのは、ありがたい副作用といえるかもしれない。それまでおれを透明人間のように扱っていたクラスメイトたちも、いつのまにか、以前のように話しかけてくれるようになっていた。

 ただ、自分を取り巻く状況がよくなることを、おれは素直に喜べなかった。
 教室に居場所があると感じるたびに、学校を辞めさせられた先生のことを考えずにはいられなかったから。

 先生はいま、どうしているだろう。
 ふたりでしたことなのに、自分だけが何事もなかったように元の生活を取り戻すのは、どう考えてもフェアじゃない。
 その思いは、日がたつにつれて、おれの心に重くのしかかっていった。

 
 麟太郎が、特進クラスの編入試験を受けるといい出したのは、夏休みを間近に控えた頃のことだ。

 「サッカー辞めてから、ずっとフラフラしてただろ。そろそろ、なにかしねーとって思ってたんだ」

 麟太郎が新しいことに挑戦しようとする。そのこと自体はうれしいし、もちろん応援したい。とはいえ、簡単に「がんばれ」とはいえない事情があった。
 うちの高校の特進クラスは、このあたりでは際立ってレベルが高い。まして途中からの編入となれば、さらにハードルがあがってしまう。

 おれのとまどいが伝わったのか、麟太郎は、不敵な笑みを浮かべていった。

 「無謀に思えるくらいの挑戦じゃなきゃ、やる意味がないんだ。俺は、あのおっさんに見せつけてやりたいんだよ。サッカーじゃなくても、俺は戦えるってこと。負け犬のままじゃ、気持ちよく卒業できねぇからな」

 あのおっさんというのが、監督を指していることはすぐにわかった。
 理不尽な仕打ちに対する恨みこそ気丈に断ち切ったとはいえ、あれからずっと割り切れない感情を抱え続けていたのだろう。
 編入試験に挑戦することは、麟太郎なりのけじめのつけ方なのだ。それを理解してはじめて、おれは、麟太郎の本気の覚悟に思い至った。

 「タマはどうする」

 麟太郎に問われ、ハッとした。

 「あの先生のこと、まだ引きずってんだろ。他人の都合で引き裂かれたまま終わりにしていいのか?」

 例の出来事について触れるのは、はじめて言葉を交わしたあの日以来だった。
 それでも、おれが麟太郎を気にかけていたのと同じように、麟太郎もまた、おれのなかでわだかまる感情に思いを寄せてくれていたのだ。

 うれしさに胸が震えたけれど、同時におれは、なすすべもなく途方に暮れてしまった。
 
 「終わりになんてできない。でも、もうどうしようもないんだ。スマホの番号は変わってるし、先生はSNSもやってないから、連絡の取りようがない」

 「もし、向こうの居場所がわかったら、タマはどうしたい?」

 「会いたいよ」

 深く考えていたわけでもないのに、即答していた。

 「向こうは散々な目にあったんだから、いまさらおれの顔なんて見たくないかもしれない。それでも、おれは会いたいと思ってる。会って、たしかめたいことがあるんだ」

 「だったら、なんとかしないとな」

 「…なんとかって?」

 おれの疑問に、麟太郎は意味深な言葉を返した。

 「探す方法、ないこともないと思う。とにかく、少し時間をくれ」


 
 

 

 
 
 
 
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