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しおりを挟む偽装カレシ発言の翌日から、麟太郎は、おれの隣にぴったり張りつくようになった。
朝は、自宅通学しているおれをわざわざ実家まで迎えにきて、30分ほど電車に揺られてから肩を並べて大学へ。
授業が終われば、同じ道筋を逆にたどるか、おれのバイトがある日は当然のようにバイト先のカフェまで同行してきて、すっかり顔なじみになった店長と長話をしてから帰っていく。
おまえはSPかとつっこみたくなる密着ぶりは、キャンパスにいる間、さらに激しさを増した。
授業中はもちろんのこと、空き時間の暇つぶしも昼食の席も、常におれの隣を陣どり片ときも離れようとしない。黙っていると、トイレにまでついてこようとする始末だ。
「あのさぁ」
そんな生活が3日目に突入した昼休みの学食。おれは、とうとう麟太郎に食ってかかった。
「百歩ゆずって恋人のふりをするのはいいよ。いや、全然よくないけど、しょうがないから、おまえの気がすむまで好きにさせようくらいには思ってた。でもなぁ」
自然と、ため息がこぼれてしまう。
「いくらなんでもやり過ぎなんだよ。これじゃあ、カレシっていうより完全にストーカーだぞ」
「これくらい徹底しないと説得力に欠けるだろうが。こないだまで俺が女とつき合ってたこと、ここにいる大半のやつが知ってんだから」
向かい合って日替わり定食の鶏カラをほおばりながら、麟太郎が、いけしゃあしゃあといってのける。
こいつが、いったん口にしたことは何があろうと絶対にやり遂げる超絶有言実行タイプなのは知っていたけれど、それがまさか、こんな茶番にまでもれなく発揮されるとは…。
マジでかんべんしてほしい。
ふいに視線を感じて横を見ると、隣のテーブルでラーメンをすする男子学生と目が合った。ぎょっとした様子の彼は、なぜか慌てて目をそらす。
まるで、見てはいけないものを視界に入れてしまったようなリアクション。
なんだろう、この感じ。もう嫌な予感しかしないんですけど。
ためしに、混雑した学食のなかをぐるっと見回してみる。
周囲の視線が冗談みたいにパッと散るのを目にした瞬間、おれは、自分の身になにが起きているのか、うすぼんやりと理解した。
「なぁ、麟。念のために聞くけど、おれたちがつき合ってるとか、あえていいふらしたりしてないよな」
麟太郎は、定食のトレーから目をあげずに口をひらいた。
「多少プロモーションもしておかないと、作戦の効果が出にくいかと思ってさ」
「…いいふらしたんだな」
どうりで、ここのところやけに視線を感じると思った。黙っていても人目をひく麟太郎が隣にいるせいだと自分なりに納得していたけれど、それだけじゃなかったのだ。
「おおっぴらにゲイバレすんの、嫌だった?」
と、麟太郎。
「それはいいよ。べつに隠してないから」
以前、同じ学部の女の子に告白されたとき、思いきってゲイだと伝えた。
勇気を出して思いを告げてくれた相手に嘘をつきたくなかった、というのもあるけれど、高校時代の経験を経て、おれの神経が多少図太くなっていたことも影響していると思う。
傷つくことは、いまでも怖い。それでも、あのとき痛みの輪郭をぼんやり捉えたことで、おれは、目に見えないなにかを闇雲に恐れていた頃より、ほんの少し大胆になっていた。
そんな背景も手伝って、この1年あまりのあいだ似たようなことを何度かくり返すうちに、玉根ゲイ説は、すっかり定着しつつある。
噂がひとり歩きしている状況とはいえ、そんなに嫌な気がしないのは、出だしの部分に自分の意思がしっかり介在しているからだろう。
生身の自分を外の世界にさらすことで心もとなさを感じることも、ないとはいわない。けれどその一方で、おれはサイズの合わない服を着せられているような居心地の悪さや息苦しさから、ゆるやかに解放された。
でも、麟太郎は違う。よけいな障壁など感じることなく、ありのままの自分で堂々と生きられる人間が、わざわざ他人の服を着こむことに、どれほどのメリットがあるというのだろう。
正直、おれは麟太郎の気持ちが理解できない。
「おれはともかく、麟はホントにこれでいいわけ?このままみんなにゲイ認定されたら、卒業までずっとそういう目で見られるんだぞ」
おれの問いかけに、麟太郎は箸を止めて視線をあげた。
「おまえ、おもしろいこというな。そのための偽装恋愛だろうが」
偽装恋愛。
わかっていても、こいつの口から改めていわれると、やっぱり少し胸が痛む。
「おれがいいたいのは、もっとほかに方法があるんじゃないかって」
「はい、あーん」
おれの言葉をさえぎる麟太郎のふざけたかけ声にのせられ、うっかり口をあけると、つけ合わせのミニトマトを放りこまれた。
「あにふんらよ」
「ははは。おまえ、ほんとにトマト好きだよな」
トマトは、おれの好物であると同時に、ほとんど好き嫌いのない麟太郎が、唯一苦手とする食べ物だ。
ただの残飯処理じゃねーか。
しかも、おもいきり話をはぐらかされた気がする。
「仲いいねぇ、お二人さん」
頭上から降ってきた声に顔をあげると、昼食のトレーを手に、長身の男が立っていた。
よく日に焼けたその顔には、見覚えがある。麟太郎が入っているフットサルチームのメンバーだ。
「麟が千年っちとつき合ってるって、ホントだったんだな」
「なにが千年っちだ。気安く呼んでんじゃねぇぞ」
と、麟太郎が彼をにらむ。
「だって玉根くん、すげぇかわいいじゃん。ぶっちゃけ肌なんか俺の彼女よりよっぽどきれいだし。麟がよろめいたのもわかるわー」
「よろめいたんじゃない。俺は最初からタマ一筋だ」
よくいうよ。
しらけた気持ちが顔に出るのをごまかすため、おれは目の前のから揚げ定食に集中する。
「麟が浮気したら俺にいいなね。責任持って、俺がばっさり去勢してやるから」
「浮気なんてするわけないだろ。つーか、おまえうるせぇよ。さっさと行け」
「はいはい。そうだ、千年っち。今度の日曜、社会人チームと試合するから見に来てよ。カレシの活躍、見たいでしょ?」
「あぁ、うん」
あいまいな笑顔で応じたおれに、彼はヒラヒラ手をふって、「んじゃ、邪魔者は退散しま~す」と、べつのお仲間が待つ席へと去っていく。
その後ろ姿を目で追いながら、おれはいった。
「こんなふうに友だちダマして、後ろめたくない?」
「全然」
「おれは後ろめたいよ」
この罪悪感が、だれに対するどんな種類のものなのか、わからなくなるくらいに。
「そのうち慣れる」
と、麟太郎。
「慣れたくないっていったら?」
「あいかわらずだな、タマは。へんなところでマジメっていうか、嘘がつけないっていうか」
「要するに、融通がきかないっていいたいんだろ」
「ばぁか。そこがいいっていってんの」
やわらかく笑った麟太郎は、おもむろに片手をのばし、おれの髪の毛をくしゃっとかき回した。
なんだ、コレ…。
とっさのことに固まっているおれの様子なんておかまいなしに、麟太郎が、再び口をひらく。
「日曜の試合、観に来いよ。さっきフライングされたけど、もともと、おまえを誘うつもりだったんだ」
「…」
「来るよな、タマ?」
「…うん」
念を押すように問われ、ぎくしゃくと首をたてにふる。
おれが平常心を取り戻したのは、いつもと変わらない様子の麟太郎から、試合の詳細を説明された後だった。
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