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 初めて麟太郎と言葉をかわしたのは、高2の夏。
 
 その夏、おれは人生のどん底で、人に慣れることを知らない野良猫みたいに、全身の毛を必死で逆立てていた。

 はじまりは、梅雨のさなかに起きた、ある出来事だ。


 当時おれには、ひそかに関係をもつ相手がいた。
 会うのは決まって、地元から離れた繁華街のはずれにあるラブホテル。
 その街には、高校の最寄り駅まで乗り入れる路線がなかったから、学校関係者の目にとまるリスクを怖れず、わりと自由にふるまえたのだ。
 

 でも、その日は違った。
 駅前の目抜き通りには、大手塾の本部がある。そこへ、たまたま振り替えで模試を受けに来ていた隣のクラスの生徒が、通りを並んで歩くおれたちの姿を目に留め、興味本位で後をつけたらしい。
 そして、ホテルに入るまでの一部始終を見届けた。
 
 おれがその事実を知ったのは、こっそり撮られた動画がSNSで拡散された後だった。


 ここまでなら、それほど大きな騒ぎに発展することはなかったかもしれない。
 
 そうならなかったのは、一緒に写った相手が、おれのクラスを担任する若い男性教師だったからだ。
 

 学校側の対応は、驚くほど早かった。
 彼らは、よこしまな教師が無知で従順な教え子を食いものにした、というわかりやすいストーリーをでっちあげ、弁解の余地すら与えないまま、担任教師を学校から追い出した。
 一方のおれが受けた処分は、2週間の自宅謹慎。
 他の生徒を刺激しないため、と一応の理由を説明されたけれど、マニュアル通りの内容を丁重さでくるんだ言葉や態度の端々からは、謹慎中に自主退学の意志を固めてほしいという彼らの本音が透けて見えるようだった。
 
 
 扱いにくい異物を排除したがる教師たちの思惑や、息子の今後を心配して転校をすすめる両親の言葉におとなしく従っていれば、傷はもっと浅くてすんだのかもしれない。
 頭ではわかっているのに、当時のおれは、どうしても首を縦にふることができなかった。

 それだけ意地になっていたのだと思う。
 昨日まで同僚だったはずの担任をあっさり切り捨てた教師たちの冷淡なやり口も、そんな彼らが勝手に組み立てたシナリオにそって被害者の役まわりを押しつけられることも、おとなたちの都合で決められてしまうなにもかもに、おれは納得がいかなかった。
 
 このまま黙って去ってしまえば、そのすべてを受け入れたことになる。学校に残ることは、おれにとって、せめてもの意思表示だったのだ。 

 
 とはいえ、2週間の謹慎を経て登校したおれを待っていたのは、以前とはまるでべつの世界だった。
 

 面と向かって悪意をぶつけられることは少なかった。その代わり、どこにいても好奇やあざけりの視線が突き刺さる。教師やクラスメイトは腫れ物にさわるようにおれを扱い、仲のよかった友人からは遠巻きにされた。

 弱みを見せるのが嫌で平気なふりをしていたけれど、だれひとり味方のいない環境で虚勢を張り続ける生活は、おれのメンタルを少しずつ、けれど確実に削りとっていった。


 その頃のおれが、校内で唯一、安らぎを得られた場所がある。教室棟と渡り廊下でつながった先にある、特別棟の図書館だ。
 放課後になると特進クラスの生徒でいっぱいになる館内も、授業の合い間や昼休みは閑散としている。
 おれはそこで手当たりしだいに古今東西の小説を読みあさり、現実から逃げるように、ものがたりの世界へどっぷりとひたりこんだ。

 
 ときどき、その男子が出入りしていることには気づいていた。
 

 いちばん上の書架にも難なく手が届く長身に、野生動物を連想させるしなやかな体つき。
 制服を適度に着崩し、身のこなしは自信にあふれ、カースト上位の典型みたいなキラキラした存在感をあたりに放つ彼の姿は、図書館という陰影に満ちた場所では微妙に浮いていた。

 葛西麟太郎。
 
 彼がスポーツ推薦で入学し、サッカー部のエースとして活躍していたこと。そして、男女を問わず周囲から慕われる人気者であることは、なにひとつ接点のないおれですら知っていた。
 
 サッカー部での活躍が過去形なのは、その少し前に退部していたからだ。
 試合中の怪我が原因で膝の靭帯を手術したことや、復帰に時間がかかったせいで監督との関係がこじれた話を、マネージャーをつとめるクラスの女子が泣きながら話していた光景は、まだ記憶に新しかった。


 彼は、たいてい昼休みにやってきた。
 のんびりした動きで書架の間を行きつ戻りつしながら、目に留まった本をパラパラとめくる。気に入れば貸し出しの手続きを踏んで、あとは時間がくるまで席に座って読みふけるのがルーティンだ。

 おれもかなりの乱読だと自覚しているけれど、彼はおれ以上に節操がなかった。
 ポップなイラストのついたライトノベルを手に取ることもあれば、べつの日には難解な哲学書に没頭している。
 ほかにも、物理の専門書や、薬物の精製について書かれた本、気象科学から中世の魔女裁判、はては盆栽の育て方に至るまで、すべての書物を同じ熱量で、食い入るように読んでいた。

 へんなやつ。

 互いにひとことも交わさず、同じ空間を共有し合うだけの存在。それでも、陽キャの1軍男子というくくりではなく、生身の麟太郎に触れて感じた素朴な印象を言葉にするなら、それがいちばんしっくりきた。
 
 すぐそばで気配を感じながら、少しも気詰まりだと思わなかったのは、彼のたたずまいがあきれるほど自然体で自由だったからだろう。


 孤立しながらも安定していたおれの生活に、さざ波が立ったのは、7月に入ってすぐのことだ。
 
 その日、おれは課題の提出に手間取り、図書館へ入ったときには、昼休みも残り少なくなっていた。

 べつのクラスの男子が3人、連れだってやってきたのは、それから間もなくのことだ。まるで後をつけてきたようなタイミングだった。
 
 彼らは素早く室内を見渡し、だれもいないことをたしかめると、迷わずおれに近づいてきた。

 「玉根く~ん、こんな所にいたんだぁ」
 
 人を小馬鹿にした口調で、リーダー格の男子がいった。嫌な感じの忍び笑いが、3人の間を波紋のように伝わっていく。
 
 たちの悪い連中だということは知っていた。
 通りすがりに卑わいな言葉をかけられたことが何度もあるし、わざと体をぶつけられたこともある。
 まともにとり合えば泥沼にはまることはわかっていたから、おれはそのすべてをスルーしていた。
 
 「シカトすんなよ、ビッチくん」 
 「そうそう。仲よくしようぜぇ」

 無遠慮に距離をつめてくる3人に押され、じりじりと後ずさる。背中が書架にぶつかったところで、完全に囲まれてしまった。

 「おまえ、マジ綺麗なツラしてんのな。その顔でセンセー誘惑しちゃったんだ?」

 至近距離から舐めるように見おろされ、嫌悪感で鳥肌が立った。

 「なぁ、どうやってオトコ誘ったんだよ」
 「…」
 「また無視かよ。口がきけねぇのかなぁ、ビッチくんは」
 「こいつの口、アレ専用なんじゃね?」
 「うわ、おまえ童貞のくせに発想エロ」

 下卑た笑いがあたりに響く。

 「あのエロ教師にいろいろ仕こまれたんだろ?俺らには偉そうに説教しといて、裏で生徒とヤりまくってるとか、マジくそだな、あいつ」
 「しかもゲイってのが、ウケる」
 「それな」


 「言葉の通じない相手には、なにをいっても無駄だと思ってる。だから、おまえらとは話したくない」


 相手のことまで侮辱された悔しさがこみ上げてきて、気づいたら、そういっていた。 
 
 最悪だ。やり過ごすどころか、自分で状況を悪化させている。

 案の定、おれの正面に立つリーダー格の男が、カッとなるのがわかった。
  
 「やっとしゃべったと思ったらそれかよ。スカしやがって。俺にそんな口きいていいと思ってんのか、くそビッチ!」

 「つっ…」

 乱暴に肩をつかまれ、背中を書架に押しつけられた。興奮で顔を真っ赤に染めた男が、握ったこぶしをふりあげる。

 殴られる

 とっさに目をつむり、体を固くする。けれど覚悟していた衝撃は、いっこうにやってこなかった。
 おそるおそる目をあけると、ふりあげた男の手首を、麟太郎がつかんでいた。

 どうやら、奥の書架にいたらしい。

 「おまえら、さっきからキャンキャンうるせぇんだよ。犬だって吠える場所くらいわきまえるぞ」 

 「げ、葛西…」
 

 いきがっていた3人の目に、明らかな怯えの色が浮かんだ。

 彼は、つかんでいた男の手首を逆手に返してひねり上げると、空いた右腕で男の上半身を抱えこみ、動きを封じる。
 それから、場にそぐわない陽気な声でいった。
 
 「そんなに暇なら、俺が遊んでやるよ。ちょうど体もなまってたとこだし」

 「わかった!もう騒がないから離してくれ!腕が折れる!」

 ひねられた腕がよほど痛いのか、リーダー格の男が悲鳴のような声をあげた。

 「なんだ、もう降参?つまんねぇ」

 そういいつつ、あっさり体を離した麟太郎は、腕をさする男と、取り巻き2人に向かって、「おまえらさぁ」と、軽い口調で語りかけた。

 「いままでの人生で、他人の頭のなか、一度でもマジメに想像したことある?」

 ぽかんとする3人組の様子などおかまいなしに、麟太郎は続けた。

 「たとえば、おまえらが嫌がらせしてる玉根。おとなしそうに見えるけど、中味はけっこうヤバいやつかもしれない。いまは黙ってるけど、頭のなかで虎視眈々と仕返しのチャンスを狙ってないとはいいきれない。そう考えると、怖くならないか?たとえば明日、いや、十年後でもいい。道を歩いてるときにナイフで切りつけられるとか、寝てるときに部屋に忍びこまれて練炭自殺に見せかけて殺されるとか、同窓会で飲み物に青酸カリ入れられるとか…あぁ、金属バットで滅多打ちにされたあげく舌を切り取られるってのもあったな。二度と他人を罵倒させないようにするためだってさ。まぁ、死んでるんだから、罵倒したくてもできないんだけど」 

 こいつ…なにいってんの?

 突飛すぎて現実味のうすい話なのに、描写がリアルなせいか、妙に説得力がある。その証拠に、凄惨なイメージが脳内に流れこんできて、胃のあたりがずっしりと重たくなっていた。

 同じ印象を抱いたのだろう。3人組が、語り手の麟太郎ではなく、なぜかおれを見ている。うっかりエイリアンと鉢合わせしたときのような顔つきで。

 
 「全部、実際に起きた事件だ。嫌な感情ってのは記憶に残りやすいからな。何年も前の嫌がらせに恨みをつのらせて、入念な計画を立ててから実行に移す人間がいたって、べつにおかしくない。しかも、時間が経てばそのぶん利子がふくらむから、たいていは大事になる。玉根がそうしないって、おまえら、なんの根拠があって決めつけてるわけ?」

 
 3人組の顔色は、いまや青ざめていた。あいかわらず、おれに向けられた6つの目から、いまにも疑惑と恐怖があふれ出てきそうだ。

 
 「他人が腹のなかで何を考えてるかなんて、だれにもわからない。でも、足を踏まれたら、だれだって痛いんだ。どうしても嫌がらせがしたいなら、この先、バットで滅多打ちにされて舌を切られる可能性もついて回るってこと、忘れんなよ。まぁでも、おまえらはすでに恨みを買ってるわけだから、今後は玉根の視界に入らないように生活するのが賢明だろうな。うまくすれば、おまえらのことは不愉快なバグとして記憶から消してくれるかもしれないし」

 「わ、わかったよ。もう絡んだりしねぇから!悪かったな、玉根」


 しきりにそわそわしながらも、隙を見せたら襲われるとばかりに最後までおれから視線を外さなかった3人組が、バタバタと図書室から走り出ていく。

 「想像以上にチョロい連中」

 ひとりごとのようにつぶやくと、麟太郎は、初めておれに向き直った。

 「災難だったな。肩、怪我してないか?」
 
 「平気。それより…」

 どうしても、いっておきたいことがある。

 「助けてもらっておいてなんだけど、おれ、そんなに執念深くないから」
 
 「ただの例え話だよ。気にすんな」
 
 「でも、おれ確実にヤバいやつ認定された気がする」
 
 「玉根にとっては好都合だろ。あいつら、二度と絡んでこないぜ」

  たしかに。でも…。
 
 「どっちかっていうと、ヤバいのはおれじゃなくて、そっちだよね。脅し方が斬新過ぎて、ちょっとびっくりした」

 おれの言葉に、彼が小さく笑う。
 
 「べつに脅したつもりはないんだけどな。思ったことをいっただけ。本気で他人に仕返ししようと思ってたヤバいやつだから、俺」
 
 「…どういう意味?」

 「どうしても許せない相手がいてさ。少し前まで、どうやって腹いせしようか、まじめに考えてた」

 心臓が、どきりと跳ねた。
 日の当たる場所から、突然、暗い淵に立たされたような感覚に、軽いめまいをおぼえる。

 許せない相手…それは一体だれなんだろう。
 
 聞くのをためらっていると、彼は、
 
 「サッカー部の監督が、なんつーか、癖のある人でさ」

 と、問わず語りに話しはじめた。

 「俺、1年の終わりに大怪我したんだ。左膝の前十字靭帯断裂。前兆はあったんだけど、なかなかいい出せなくて。これでも一応、スポーツ特待だから、俺」

 と、かすかに口の端をあげる。
 
 スポーツ特待生が在学中に競技をやめると学校に居づらくなる、という話は聞いたことがある。それが事実なのも容易に想像がついた。

 「しばらくの間だましだまし使ってたら、体中いろんなところにガタがきてさ、もう限界だと思ってたところに、試合中のコンタクトプレーで一発入院。見舞いにきた監督にいわれたよ。サッカーのできないおまえに、なんの価値があるんだって」

 「それは…ひどいな」

 「とことん結果にこだわる人だからな。結果のともなわない努力なんて努力とはいわないってのが口癖の、徹底した成果主義」

 それは、行き過ぎなんじゃないだろうか。
 
 プロスポーツの世界ならわかる。けれど、仮にも教育に携わる人間が、スポーツに打ちこむ高校生に求める方針として適切とは思えない。

 「そうはいっても、おれの価値云々っていう監督の言葉は事実だからな。ガキの頃からサッカーばっかやってきて、ほかに取り柄なんてないし」
 
 麟太郎は、苦笑を浮かべて続けた。

 「悔しいから、絶対復活してやるんだって、毎日、必死でリハビリに食らいついてた。でも、元通りにプレーできるレベルまで回復するには、どうしたって時間がかかる。復帰まで半年って伝えた時点で、たぶん監督は、俺に見切りをつけたんだろう。部内に自分の居場所がなくなっていくのがわかった。練習試合の日程が知らされなくなったり、部室から俺のロッカーが消えてたり。監督は、話しかけても応えてくれないどころか、俺とは目を合わせようともしない。そのうち、家に退部届けが郵送されてきてさ…あぁ、俺、マジで必要とされてないんだなって思ったら…そこで気持ちが折れた」

 「それ、人としてどうなんだよ。そんな人間が監督におさまってるとか、絶対おかしい」

 怒りのままに口を開いたおれを見て、麟太郎は少し笑った。

 「俺も最初は恨んだよ。図書館に通いはじめたのも、捕まらずに相手をボコボコにする方法がないかどうか、調べようと思ったからだ。でも、いろんな本に目を通してるうちに、読むこと自体が楽しくなってきてさ。俺の知らないことが、世界には掘り尽くせないほどあるんだと思ったら、俺の恨みなんて、すげぇちっぽけに感じた」

 いったん言葉をきると、麟太郎はやわらかく口の端をあげ、それから続けた。
 
「そもそも怪我のことだって、考えてみれば半分は自業自得なんだよな。もっと早い段階できちんとケアしておけば、ここまでひどくはならなかったかもしれない。俺が現実から目をそらして、ちゃんと向き合わなかったツケが回ってきただけなのに、そういうのも全部あのオッサンのせいにするのはカッコ悪すぎる。そう思えるようになったら、へんな話だけど、すごく気が楽になった」

 「強いな…おれとは大違いだ」

 気づけば、言葉がこぼれ落ちていた。

 「おれなんて、いま自分がどこに立ってるのかもわからない。周りに流されてフラフラ生きてきて、その結果がこれだよ。身近なひとの人生ぶっ壊して、親にもさんざん嫌な思いさせてる」

 「身近なひとって、あの先生のことか」

 応えずにいると、麟太郎が再び問いかけてきた。

 「好きだったんだろ?」
 
 思わず、顔をあげる。

 「さっき、かばってるように聞こえたからさ。自分のことは、あれほど侮辱されても黙ってたのに、先生のこと悪くいわれたときだけしっかり反応してた」

 麟太郎のまなざしに、好奇の色はなかった。ただ目の前の人間を知りたいという純粋な欲求と、おれに対する気づかいが、同じぶんだけ注がれている。
 
 この男にすべてを話してしまいたい。話しても大丈夫だと思えたのは、自分が人とは違うと自覚して以来、初めてのことだった。
 
 「ほんとに好きだったのかどうか、自分でもよくわからないんだ」

 正直に、おれは応えた。

 「先生から告られたとき、嫌な気はしなかったよ。リアルで同類に会うのは初めてだったから。いろいろ話してみたいこともあったし、ぶっちゃけセックスもしてみたかった。先生はやさしくて、おれの話もちゃんと聞いてくれた。無理強いされたことなんて一度もない。先生と寝たのは、いつだっておれの意志だった。でも…こんなことになるって、もしあのときわかってたら、たぶん、おれは受け入れてなかったと思うんだ。失うもののないおれはともかく、先生が払った代償は大き過ぎるから。…向こうも、いまは後悔してるんじゃないかな」

 「連絡、取ってないのか」

 麟太郎に聞かれて、うなずいた。

 「スマホ、解約したみたい。家も引っ越して…山梨の実家に帰ったって聞いた」

 「玉根が転校しなかったのってさ…ひょっとして、罪悪感のせいだったりする?」

 その遠慮がちな問いかけに、おれはハッっとなった。
 学校に残ったのは、たしかに教師たちへの反発からだった。
 けれど、針のムシロのような環境で、冷たい悪意に傷つけられる日々のなか、気づいたことがある。心のどこかで、おれはその痛みにほっとしていたのだ。これで少しは「おあいこ」になるかもしれない、と。
 

 沈黙をイエスと受け取ったのか、麟太郎が口をひらいた。

 「なんか、やりきれねぇよな。罰を受けるべきなのは、他人をつけまわしたあげく盗撮して、結果なんかロクに考えもせずSNSにさらした頭からっぽなクソ野郎の方だろ。なのに、そっちはほとんどお咎めなしで、とばっちり食っただけの玉根たちが処分されて、ほんとなら背負わなくていい罪悪感まで背負わされてる。どう考えても理不尽すぎるだろ。…って、悪い。そんなこと、玉根はきっと嫌になるくらい考えたよな」

 自嘲するように、麟太郎がトーンを下げる。
 おれは首を横にふってみせた。

 「うれしいよ。そんなふうにいってもらったの、初めてだから」

 「悪いことなんて、なんにもしてねぇのにな」

 ぽつりと、麟太郎がいった。

 「玉根も、あの先生もさ…自分らしく生きようとしてるだけなのに」

 それは、長い間おれの心のなかに澱のように沈殿してきた思いを、そのまますくいあげた言葉だった。
 
 だからこそ、胸の奥のいちばんやわらかい場所までまっすぐにおりてくる。

 「玉根…」

 ぎょっとした麟太郎の視線を受けてはじめて、自分の頬が濡れているのに気づいた。
 
 最悪だ。同級生の前で泣くなんて、高2男子としてイタすぎる。

 慌てて顔をそらすと、おれ以上に焦った麟太郎の声がした。

 「ハンカチ…ない…ない…ってか持ってきてねーし」

 制服のポケットを探りまくったあげく、途方にくれたように自分でつっこみを入れている。
 
 おれは、思わず吹き出した。

 むき出しの暴力を前にしても顔色ひとつ変えず、終始冷静だった男が、今日はじめて言葉をかわした同級生の涙に激しくうろたえている。そのギャップが妙におかしくて、なんとも名状しがたいあたたかな感情が、じんわりと胸のなかに広がっていく。

 「なに笑ってんだよ」
 「ごめん」
 「ったく、泣いたり笑ったり、忙しいやつだな」

 あきれたようにいって、麟太郎が、おれに一歩近づいた。
 両手を伸ばして、おれの頬をてのひらで包みこむ。
 びっくりしすぎて固まっているおれを尻目に、麟太郎は、親指の腹を滑らせて、頬をぬらす涙をぬぐいとった。発想の荒っぽさのわりに、その手つきはやさしかった。

 「葛西くん、手…」
 「麟でいい。みんなそう呼んでる」
 「あぁ、うん…」
 
 麟太郎が、腕をおろしておれを見る。

 「玉根は」

 いいかけておいて口をつぐむと、なぜか、おれの目の奥をのぞきこむように、じっと見つめた。
 数秒間…いや、数十秒かもしれない。いよいよ居心地の悪さをおぼえはじめた頃、麟太郎はようやくおれから視線を外し、あらぬ方を向いたまま、ぼそりといった。

 「今日からタマって呼ぶから」


 



 

 

 


 
 


 

 
 
 

 
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