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「タマ」
階段教室を出たところで、ふいに呼び止められた。
玉根千年(たまねちとせ)で「タマ」。
おれをそんなふうに呼ぶやつは、この大学にひとりしかいない。
案の定、人波にあらがって姿をあらわした高校からの友人、葛西麟太郎に腕をつかまれ、おれは廊下のすみにひっぱられた。
「なんだよ、麟。3限で帰ったんじゃないの?」
都内にある中堅の私大に入学して1年とひと月あまり。同じ学部に通う麟太郎とは、かぶる授業も多く、おれはこいつのスケジュールをほぼ完ぺきに把握している。
「タマが終わるまで時間つぶしてた。今日、バイト休みだったよな」
「そうだけど、なに」
「ひさしぶりに、めしでもどうかと思ってさ。ふたりきりで」
ふたりきり。
麟太郎にとっては大した意味をもたないその言葉が、おれの心を容赦なくかき乱す。
それでも、いつものように平静を装いながら、おれはいった。
「悪い。今日は人と会う約束があるから」
「何時?」
「え?」
「約束の時間」
「待ち合わせは6時だけど」
「じゃあ、まだ余裕あるな」
「いや、いったん帰って着替えとかしたいし」
「わざわざ着替えてから会うような相手なのか?」
かすかないらだちを含んだ低い声音に、思わず、頭ひとつぶん背の高い友人を見上げてしまう。
切れ長の目に、すっきり通った鼻すじ。だれが見てもイケメンと評する彫りの深い端正な顔が、まっすぐにおれを見おろしていた。
「おまえさぁ、最近、俺のこと避けてない?」
「…まさか。そんなわけないだろ」
動揺したせいで、ほんの一瞬、間があいた。
麟太郎の視線が痛い。
「ほんとうに?」
「ほんとだって。だいたい、麟を避ける理由がどこにあるんだよ」
「…ふぅん。まぁいいや」
核心を突いてきたわりには、あっさり引き下がると、代わりに人の悪そうな笑みを浮かべて、麟太郎が口を開いた。
「だったら問題ないよな。1時間で解放してやるよ」
「はぁ?なに勝手に決めてんの」
「ちゃんと手順は踏んだだろうが。つき合ってもらう礼に、飲み物くらいはおごってやるから」
「いや、そういうことじゃなくて」
「おまえに相談があるんだよ」
「…相談?」
ふいを突かれて視線を上げた、ちょうどそのとき、廊下の向こうから、派手な見た目の女の子たちが、勢いよく駆けよってきた。
「葛西くんたち、まだ帰らないの?」
よく見ると、それぞれ顔に見覚えがある。たぶん同じ学部のコたちだ。
「私たち、これからカラオケ行くんだけど、一緒にどぉ?大勢のほうが楽しいし。ね?」
「そうそう、みんなで行こうよ」
おれたち2人に話しかけているようでいて、彼女たちの視線は、ほとんど麟太郎ひとりに向けられている。高校の頃から見慣れた光景だから、またかとあきれることはあっても腹は立たない。
といより、この状況…むしろ渡りに船なんじゃないか?
このまま彼女たちに麟太郎を押しつけてしまえば、おれは守備よく逃げられるわけだし。
「楽しそうじゃん。行ってこいよ、麟」
麟太郎の背中に片手を当てて、さりげなくきびすを返そうとしたおれは、逆に、その手を強く引かれてバランスを崩した。
ぐらりと傾くおれの体を、麟太郎が片腕だけで抱きとめる。その態勢から流れるような動きでおれの肩を抱き寄せると、耳を疑うセリフを吐いた。
「悪いな。今日は、こいつとデートなんだわ」
なんだと、コラ。
胸のなかで毒づくおれをよそに、彼女たちの甲高い笑い声が廊下に弾ける。
「やだぁ、葛西くんおもしろい」
「2人、仲いいんだね」
「また誘うね~」
足早に遠ざかる彼女たちが、チラチラこちらをふり返るのが視界のすみに映った。
ー葛西くん、チャラいけど、やっぱカッコいいよね
ーでも彼女いるんでしょ?
ーとっかえひっかえらしいよ
ーあの見た目なら、中味クズでも許せるわぁ
内輪の会話にしてはデカすぎる声が、おれの鼓膜をちくちく突き刺す。
ー玉根くんもさぁ、キレイな顔してるけど、実はゲイだって噂あるの知ってた?
ー嘘!わたし狙ってたのに!
ーシーッ、声大きいって。聞こえちゃうから!
いや、ぜんぶ聞こえてますけど。
しかも、ほとんど事実だから反論できないのが痛い。
悪かったな、ゲイで。
「でっかいナイショ話」
笑いを含んだ声に、目をあげると、たったいまクズ呼ばわりされたばかりの男が、盛大にズレた感想をのたまった。
「タマも、案外すみに置けないんだな」
階段教室を出たところで、ふいに呼び止められた。
玉根千年(たまねちとせ)で「タマ」。
おれをそんなふうに呼ぶやつは、この大学にひとりしかいない。
案の定、人波にあらがって姿をあらわした高校からの友人、葛西麟太郎に腕をつかまれ、おれは廊下のすみにひっぱられた。
「なんだよ、麟。3限で帰ったんじゃないの?」
都内にある中堅の私大に入学して1年とひと月あまり。同じ学部に通う麟太郎とは、かぶる授業も多く、おれはこいつのスケジュールをほぼ完ぺきに把握している。
「タマが終わるまで時間つぶしてた。今日、バイト休みだったよな」
「そうだけど、なに」
「ひさしぶりに、めしでもどうかと思ってさ。ふたりきりで」
ふたりきり。
麟太郎にとっては大した意味をもたないその言葉が、おれの心を容赦なくかき乱す。
それでも、いつものように平静を装いながら、おれはいった。
「悪い。今日は人と会う約束があるから」
「何時?」
「え?」
「約束の時間」
「待ち合わせは6時だけど」
「じゃあ、まだ余裕あるな」
「いや、いったん帰って着替えとかしたいし」
「わざわざ着替えてから会うような相手なのか?」
かすかないらだちを含んだ低い声音に、思わず、頭ひとつぶん背の高い友人を見上げてしまう。
切れ長の目に、すっきり通った鼻すじ。だれが見てもイケメンと評する彫りの深い端正な顔が、まっすぐにおれを見おろしていた。
「おまえさぁ、最近、俺のこと避けてない?」
「…まさか。そんなわけないだろ」
動揺したせいで、ほんの一瞬、間があいた。
麟太郎の視線が痛い。
「ほんとうに?」
「ほんとだって。だいたい、麟を避ける理由がどこにあるんだよ」
「…ふぅん。まぁいいや」
核心を突いてきたわりには、あっさり引き下がると、代わりに人の悪そうな笑みを浮かべて、麟太郎が口を開いた。
「だったら問題ないよな。1時間で解放してやるよ」
「はぁ?なに勝手に決めてんの」
「ちゃんと手順は踏んだだろうが。つき合ってもらう礼に、飲み物くらいはおごってやるから」
「いや、そういうことじゃなくて」
「おまえに相談があるんだよ」
「…相談?」
ふいを突かれて視線を上げた、ちょうどそのとき、廊下の向こうから、派手な見た目の女の子たちが、勢いよく駆けよってきた。
「葛西くんたち、まだ帰らないの?」
よく見ると、それぞれ顔に見覚えがある。たぶん同じ学部のコたちだ。
「私たち、これからカラオケ行くんだけど、一緒にどぉ?大勢のほうが楽しいし。ね?」
「そうそう、みんなで行こうよ」
おれたち2人に話しかけているようでいて、彼女たちの視線は、ほとんど麟太郎ひとりに向けられている。高校の頃から見慣れた光景だから、またかとあきれることはあっても腹は立たない。
といより、この状況…むしろ渡りに船なんじゃないか?
このまま彼女たちに麟太郎を押しつけてしまえば、おれは守備よく逃げられるわけだし。
「楽しそうじゃん。行ってこいよ、麟」
麟太郎の背中に片手を当てて、さりげなくきびすを返そうとしたおれは、逆に、その手を強く引かれてバランスを崩した。
ぐらりと傾くおれの体を、麟太郎が片腕だけで抱きとめる。その態勢から流れるような動きでおれの肩を抱き寄せると、耳を疑うセリフを吐いた。
「悪いな。今日は、こいつとデートなんだわ」
なんだと、コラ。
胸のなかで毒づくおれをよそに、彼女たちの甲高い笑い声が廊下に弾ける。
「やだぁ、葛西くんおもしろい」
「2人、仲いいんだね」
「また誘うね~」
足早に遠ざかる彼女たちが、チラチラこちらをふり返るのが視界のすみに映った。
ー葛西くん、チャラいけど、やっぱカッコいいよね
ーでも彼女いるんでしょ?
ーとっかえひっかえらしいよ
ーあの見た目なら、中味クズでも許せるわぁ
内輪の会話にしてはデカすぎる声が、おれの鼓膜をちくちく突き刺す。
ー玉根くんもさぁ、キレイな顔してるけど、実はゲイだって噂あるの知ってた?
ー嘘!わたし狙ってたのに!
ーシーッ、声大きいって。聞こえちゃうから!
いや、ぜんぶ聞こえてますけど。
しかも、ほとんど事実だから反論できないのが痛い。
悪かったな、ゲイで。
「でっかいナイショ話」
笑いを含んだ声に、目をあげると、たったいまクズ呼ばわりされたばかりの男が、盛大にズレた感想をのたまった。
「タマも、案外すみに置けないんだな」
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