旅するイスカ

とるる やびほ

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 翌朝になって、地下牢から出された。

「今朝方、ナタリア王女殿下から直々にご連絡をいただいた。どうしてもとおっしゃられるので、検討の結果、拘束を解くこととした。お口添えに感謝することだな」

 解放してくれた警官いわく、そういうことだった。王女誘拐の容疑については、王女自ら晴らしてくれたというわけだ。持ち物については煙草と財布と携帯電話が返ってきた。銃は所持が禁止されているらしく、戻ってはこなかった。


 警官に伴われ、警察署を出た。

 沿道に人だかりができていた。
 なんだろうと思う。

 連絡がつかず、また帰ってもこないライジらのことを心配しているに違いないイスカのクルーに電話を入れるようサヤに指示を出しながら道をゆく。人の群れはずっと続いている。

 途中、群衆の最後尾にいて、曲がった腰ながらも、首を上に伸ばしてなんとか前を見ようとしている老婆を見つけた。なんの騒ぎだと話しかけた。

「今日は王女様がご結婚される日じゃ。これから教会で式をお挙げなさる。もう宮殿からはお出になられたらしいでの。じきにここをお通りになる。王女様の花嫁姿をひと目見よう思うてと出て参ったのじゃが、これでは見えんのう」

 なるほどと合点がいった。王女の結婚式は、国の一大行事というわけだ。どうやらナタリアは貴族の男と一緒になるらしい。女王陛下の言いつけを守った格好だ。

 昨日、夕食をともにしたよしみだ。見送りくらいしてやるか。そういう気になった。

 老婆の手を引き、人ごみを割って進む。嫌な顔をする人間ばかりだったが、気にもとめずに最前列にまで至った。サヤももちろん、ついてきた。老婆は周囲に向かって申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げる。悪いのは俺だから気にするなと言っておいた。

 正面には片側二車線の広い道路。左を向くと、こちらに向かってくる馬車列が見えた。先頭をゆくのは二頭の白馬。騎乗者は赤い上着に黒のズボン姿。上着に付いている金色のボタンが日光に照らされてまぶしく輝いている。

 沿道の人々は一様に右手を胸に当て、こうべをたれている。帽子をかぶっている者はそれを取ってお辞儀をしている。みな神妙な面持ちだ。ライジも真似をして、上半身を前に傾斜させた。

 目の前を進む馬車列。
 それが、ふいに停止した。
 目線は下にやったままでいるので、止まったことしかわからない。
  
 ほどなくして、人が近づいてくる気配を感じた。
 その人物がすぐそこで足を止めたこともわかった。

「顔を上げよ」

 聞き覚えのある声。
 自分に放たれた言葉だろうと思い、顔を上げた。

 華やかな白いウエディングドレスを身にまとったナタリアがいた。

 二人の衛兵が険しい表情でライジに槍を突きつけてくる。

「よい」ナタリアは低い声でそう言い、衛兵を引き下がらせた。

 花嫁が馬車を降りたからだろう。
 群衆がざわつき始めた。

「良くお見つけになられましたね。王女殿下」
「おまえは目立つ。昨日は訊きそびれた。その水色の服はなんなのじゃ。民族服かなにかなのか?」
「いえ。これは入院患者が身に着けるものでございます」
「おまえは病人なのか?」
「いえ」
「では、好みで着ておるのか?」
「はい」
「ほんに、変な男じゃの」
「恐れ入ります」
「かしこまった態度に言葉づかい。昨日のおまえはどこに行った?」
「場をわきまえているつもりでございます」
「昨日のおまえの方がよい」
「そうなのですか?」
「うむ」
「ご所望とあれば」ライジはギアをチェンジした。「おはよう、ナタリア。おまえのおかげで朝飯も食ってねぇ」
「それはすまなかった。申しわけない」
「冗談だよ。元から朝は、あんま食わねぇんだ」
「食べた方が良い」
「覚えとくよ」

 アンティークな色合いの馬車から男が一人、降りてきた。緑の上着に白いズボン。髪の毛をぴっちり七三に分けている。小男だ。そいつは眼前にまで近づいてきた。

「なな、なんだ、おまえは。王女殿下とどういう関係だ!?」

 男は腰が引けた様子でライジを指さし、どもりながらそう言った。こいつがナタリアの旦那になる貴族の男なのだろう。

「ロズウェル卿、お下がりください。この者はわたしの友人です」
「ど、どういう友人なのですか?」
「大切な友人なのです。お引きを」

 貴族の男はライジとナタリアを交互に見てから、すごすごといった感じで退いた。

「腹はくくったのか」

 ライジがそう問いかけても、ナタリアは答えない。彼女はおだやかに微笑んでいる。悲しげに見えるのは気のせいではないだろう。

 列の前方の馬車のドアが開いた。一人の女が地に降り立った。フォーマルな黒い着衣に、白い手袋。金色の髪の上には白くて平たい帽子がのっている。背筋をすっと伸ばしたまま一定の歩幅で上品に歩いて、その女はやってきた。得も言われぬ威圧感があり、ブルーの瞳には相手を射抜くような鋭さがある。

 自らのそばまで歩み寄ってきたその女を見て、ナタリアが「お母様…」と声を発した。やはり、彼女が女王陛下であらせられるようだ。

「なにごとです」
「いえ、特にはなにも…」
「でしたら、すぐ馬車に戻りなさい」
「…わかりました」

  ナタリアが少しうつむいた。一度顔を上げ、ライジの方を見た。やはり悲しげに微笑んで見せた。

 女王と貴族の男がきびすを返した。ナタリアも身を翻して歩き出す。

 ライジは「待てよ」とナタリアを呼び止めた。

 ナタリアがゆっくりと振り返る。

「おまえはまだ俺の問いかけに答えてねぇぞ。腹はくくれてんのかよ」

 女王がライジの方に向き直った。威厳に満ちた声で、「誰です、あなたは」と言った。

 矢の鋭さを持つその視線を、ライジは微笑みまじりに受け止めた。

「女王陛下、ひとつ、おうかがいしたいことがございます」
「言ってみなさい」
「煙草を吸ってもいいですか?」
「なにを言うかと思えば…。いけません。控えなさい」
「そうですか。残念です」
「あなたはなにがしたいのです」
「なにも。ただこれから行われるであろう結婚式が、少し気に食わないだけです」
「立ち去りなさい」
「お断りいたします。つーか、嫌でございます」

 貴族の男がまた目の前までやってきた。
  
「ぶ、無礼だぞ、貴様。女王陛下に向かって、なんたる物言いか。極刑にも値するぞ!」

「ああ、そうですか。だけど、俺はこの国の人間じゃないんでね」
  
 ライジは煙草をくわえ、火をつけた。ひとつ煙を吐くと、左手を伸ばして男の胸ぐらをつかんだ。

「な、なにをする!?」
「貴族なんだってなあ、おぼっちゃん」

 衛兵が二人、飛んできた。二人はライジの左右に立ち、彼の首に槍を突きつけてくる。

「待て!」とナタリアが大きな声を出した。

 二人の衛兵はナタリアの方を向いた。だが、看過できる状況ではないからだろう、二人とも槍を引かない。いつ刺し殺されてもおかしくないように思う。

 それでもライジは行動した。煙草の火を貴族の男の額に押しつけてやった。

「ぎぃやあああああっ!」
「うるせぇ。ぎゃあぎゃあわめくな。この国の中じゃあ、おまえはそれなりに偉いのかもしれねぇけどな、よそもんの俺からしたら、おまえはただの小僧にすぎねぇんだよ。わかったか、このくそったれ」

 解放してやると、男は額を両手で押さえながら地面に転がった。つばを吐きかけてやりたい衝動にかられたが、すんでのところで思いとどまった。

 衛兵の槍がいよいよ迫る。切っ先が首に触れた。

「お母様!」ナタリアが必死の表情で女王にすがりついた。「この男は、ほんとうに、ほんとうに、わたしの大切な友人なのです!」
「だから、なんですか。この男は王女の夫となる男に暴力を振るったのですよ」
「悪気があってのことではないのです!」
「悪気がないのに、あのような真似をしたのですか?」
「それは…」
「まあ、いいでしょう。今の行為は水に流しましょう」
「ほんとうですか?」
「ええ。不問に付します」
「ありがとうございます、ありがとうございます、お母様!」

 衛兵が槍を引いた。

 ようやく首の周りが涼しくなった。

「ただし、ゆるすのは一度だけです」女王の目は鋭いままだ。「よそ者と言いましたね?」
「ええ」ライジは笑みをたたえたまま答えた。「俺はよそ者ですよ。女王陛下」
「では、二度とこの国を訪れないと約束しなさい。約束を破った場合は…、わかりますね」
「はい。その際にはどんな罰でもお受けしましょう」

 と、ライジが胸に手を当て、慇懃に深々と頭を下げた直後のことだった。

 突然、群衆から人が飛び出してきた。半袖の白いシャツに茶色いズボン。一見して粗末ないでたち。若い男だ。

 男は麦わら帽子を右手に握りしめ、平伏した。

「恐れながら、恐れながら、申し上げたいことがございます!」

 男を見て女王は眉間にしわを寄せた。

 その一方で、ナタリアは驚いたような顔をしていた。

「私は庭師でございます。週に一度、宮殿の庭に手を入れさせていただいております。それだけの者です。それだけの男でございます。であるにも関わらず、身分をわきまえず、私は…、私は王女様、ナタリア様に恋をしてしまいました。分不相応であることは百も承知でございます。ですが、この感情は、偽りようがありません!」

「どうして今、そのようなことを申すのですか」女王は毅然とした態度を崩すことなく、男にそう問いかけた。

 男は顔を上げることなく、はいつくばるようにして額を地面に押しつけたままでいる。

「叶わぬ想いであることは重々承知しております。ただ、ただ、申し上げなければこの先、ずっと、後悔するだろうと考えました。叶わぬとも気持ちだけはお伝えしたい。そう考えました。私の行いは間違いかもしれません。いえ、きっと間違いなのでございましょう。どうか私の首をおはねください。思いを遂げた今、もはや私に後悔の念はございません」

 ライジは新しい煙草に火をつけた。
 女王にとがめられるようなこともなかった。
 誰もが男に注目していた。

「顔を…、顔を上げよ」男の前まで歩み出て、ナタリアが言った。

 男がナタリアを見上げる。
 ナタリアは笑っているような泣いているような、なんとも言えない顔をした。

「わらわのことを好いてくれたこと、礼を言う。ありがとう」

 王女の「ありがとう」は、涼やかな心地良さをともなって、あたりに響き渡った。


 ナタリアが馬車に戻った。女王、くそったれの貴族も、戻っていった。
  
 なにごともなかったように、馬車列が動き出す。

 立ち上がった庭師の男は麦わら帽子を胸に当て、その様子を見ていた。馬車列がゆきすぎても、ずっと見送っていた。庭師の男はほおに涙を伝わせ、はらはらと泣いていた。ただ静かに泣き続けていた。

 どうやらこの世界には、実らずとも、綺麗な恋というものが存在するらしい。
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