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5章 イズナバール迷宮編

210話 女騎士の苦悩

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 世に理不尽という言葉があるならば、私達が今置かれている状況がそうなのだと思う。

 代々帝国に仕える騎士の家系であるマクファーレン家に生まれ、その家名に恥じぬよう剣の腕を磨いてきた私は、その甲斐もあって今回エル様の遠出に随伴として選ばれた。
 帝国第2皇子であるカイラス殿下の御子として生まれたエル様は、その尊き出自を鼻にかける事も無く、ただの護衛である私達にも気さくに接し、笑顔を向けて下さる。
 いずれは帝国をその双肩に担う方々の一人として、それに相応しい威厳や振る舞いをして頂かねばならぬ御方ではあるが、今はまだ幼さの残る童のような仕草も許されても良いと思う。
 もし私に子供がいたならば、エル様に引き合わせて友誼を結んで頂きたかったが、残念な事に剣一筋で婚期を逃した私に子供は無い。
 その代わり今回の旅が終わり帝都に戻ったら、折を見て妹が産んだ今年6歳になるキャロルを紹介しよう、最初はお側仕えから、やがて胸襟を開いて話せるように、そして願わくば終生エル様のお側に置いていただければ、などと夢想する事もあった。

 ──そんな未来予想図が今、目の前で引き裂かれたかのような絶望感を味わわされている。我等の前を、こともあろうにエル様の横に並び、あまつさえその栄誉に浴する事に感謝する事も無くブラブラと歩く男──ジンによって!!

「エル坊、今から行くのはイズナバール迷宮の31層、先週までうろついてた上層とは魔物の強さが段違いですから、くれぐれも気をつけるように、いいですかい?」
「ハイ!!」
「そんな楽しそうに返事をされてもねえ……あ、若さんも気をつけなさいよ?」
「……ジン、護衛対象はボクだって事忘れてない?」
「そうでしたっけねえ? なにせ先週は迷宮探索に置いてけぼりをくらったものでして」

 黙れ害獣!! エル様の身に迫る危険からその身を挺して守ったと聞けばこそ、短期間ではあるが貴様にエル様の護衛を任せたというのに、あのような、あのような……。

「40層かぁ……どんな魔物が出るか楽しみですね♪ ──いたっ!」

 ペチン!

「んなぁっ!!」

 ジン、貴様っ、今エル様のおでこを!!

「同行する探索者は命がけで迷宮に潜ってるんですぜ、無遠慮に楽しみとか言うもんじゃありません」
「スミマセン……」
「はい、よろしい」
「エヘヘヘ」
「ジン、ボクと明らかに扱いが違うよね?」
「……10歳の若さんは8歳のエル坊と同じ扱いをして欲しいんですかい?」

 エル様にデコピンをした挙句に頭を撫でてフォローするなど貴様、どれだけ私の神経を逆撫ですれば気が済むのだ!!
 まったく、あんな指示書さえ送られてこなければ即刻切り捨ててやるのに──。


………………………………………………
………………………………………………


 それは、迷宮に潜ったエル様の護衛を務め、無事帰還した夜の事──

「……これは一体どういう事だ?」

 私達は、現地の連絡員から受け取った指示書に目を通し、その内容に目を疑った。

『来週、「異種混合」と3人組が連れ立って40層を攻略するため迷宮に潜る、貴様等は護衛対象と共にその集団に同行せよ。先方に話は通してある、なお──』

 到底信じがたい内容に皆言葉も無い。

「ふざけるな!! 上は何を考えてんだ!?」

 沈黙に耐え切れず、私達の中で最年長のドロテアが思いを爆発させる。それは、

『──なお、殿下の護衛は件の3人組、詳細についてはジンに一任すること。貴様等は戦闘面で彼等をサポートせよ』

 私達の誇りを踏みにじるような命令に、ドロテアのみならずその場の全員が同意とばかりに頷き、指示書が本物であるのか確かめる。
 ……そして無意味な時間を費やしてこの指示書が本物であるとの結論にいたる。
 『殿下』と書かれている時点でこちらの素性が割れているのは明白で、向こうが親切にその事実を教えてくれるはずも無い、指示書は本物だという事だ。

「命令だってんなら従うけどさ、もう少し説明は欲しいよね……」

 従軍経験のあるレンジャーのイレーネが不満を漏らす。元々彼女は、上からの指令に唯々諾々と従う軍の体質に馴染めずに軍を離れた人間だ。今回の事に関しては一番不満を持っているはずだ。
 沈黙が周りを支配する──そこへ、

「ならば説明してやろう」
「──────!!」

 バンッ──!!

 私の背後から聞こえる声に全員が反応し、声とは反対の方向に飛び退って陣形を組む。
 室内、そして武装をしていてはエル様が寛げないという事もあり全員が無手ではあるが、戦えない訳ではない、いくらでもやりようはある。
 私達の前に現れたのは、身体のラインを見せない長衣に身を包んだ鬼面の女。
 女だと分かったのは鬼面越しにあごを擦る細く滑らかな指と、長衣の上からでも主張をしてくる目の前の膨らみだ……少し、いやかなりムカつく。
 この女がこの地の連絡員の元締めだろうか?

「……ふぅ、戦士としては立派だが、護衛としてはお粗末としか言い様が無い」
「なんだと?」
「殿下の寝室は私の背後なのだが?」
「あっ!!」

 なんという失態! もしも彼女がどこかの国の刺客であればそのままエル様の部屋に踏み込んでそのお命を──
 溢れる冷や汗を全身に感じながら血の気の引いている私達に追い討ちをかけるように、

「──あの男がどうして殿下と一緒に寝ていたのか、そんな事も考えなかったと見える」

 ────!!

 私は、そして他の面々も頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、その場で固まる。
 あの男、そこまで殿下の安全を考えて──?

「あの男──いえジン殿はそこまで考えて?」

 幼馴染のカレンが目の前の女に問いただす。返答次第では我等全員、彼の前に平伏さねばならない。

「冗談だ──いや、そうとも言えんか、あの男が何を考えているかなど読めぬのでな」

 ……どっちなんだ、結局。

「ただ、一つ確実に言えることは、お前達は一度殿下を見失い、あまつさえその危機に何も出来なかったという事だな」

 それに関しては返す言葉も無い、詳しい経緯はエル様より聞いたが、そもそもの騒動の原因はあの男の屋台かも知れぬが、殿下の不注意さえなければ起きなかった事だ。
 それに引き換えあの男は、どこの誰かも知れぬ子供の為に、よりによってあの・・悪名高き迷宮荒らしのユアンから、身体を張って守ってくれたのだ。
 感謝こそすれ、あのように罵倒するべきではなかった。たとえ同じベッドでエル様と寝ていたとしても……添い寝……同衾……死罪にならないだけ感謝しろ、ケダモノが!

「では、今回の指示は、護衛任務に不慣れな私達に、彼のやり方を学ばせるためだと?」

 最年少でありながら私達の頭脳でもあるサビーナが質問をすると、

「いや、あの男は護衛の達人という訳でも無いし、アレの真似をお前達にしろといっても無理なのは明白だ。なにせあの男は正々堂々という言葉が嫌いだからな」

 ……おい女、お前は私達を説得したいのかしたくないのかどっちなんだ?
 しかも今までの会話の中で一番楽しそうに喋っていたぞ。

「だったら──」
「殿下はこの町に来た初日に勇者あれに因縁を付けられ、あの男ジンに助けられるという成果を得た。元王女アルミシアの言を借りるならば運命という事になるが、今回については僥倖ぎょうこうと言える」
「その言い様だとあの3人について詳細を知っているのか?」
「さてな、あいにく女子供については知らん、知っているのはあの男だけだ。詳細を語る事は出来んが、あの男の側にいればまあ、何があろうとも守ってくれるだろう。説明は以上だ」

 それを信じろというのか? 根拠も示さずに?
 結局のところ、いくら言葉を並べられようが納得など出来る話では無い、だがせめて、無理矢理にでも私達を納得させるだけの言葉を紡ぐつもりがこの女には無いのか?
 そのまま部屋の出口に向かって歩き出す女、話は終わりだという事か? そういえばこの女、いつの間に部屋に侵入したんだ?
 私達が未だに納得していない事を背中で感じたのか、扉の前で女は立ち止まり、最後とばかりに話し出す。

「護衛というのはな、死んでさえいなければ良いという訳ではない」

 ? 何を当たり前のことを。

「いくら立場というものがあろうとも、四六時中大人に囲まれかしずかれてでは心の休まる暇も無かろう。特に、いくら聡いとはいえまだ8歳の子供の身ではな」
「……………………………………」
「あの3人はその辺に関して何か察してはいても何も言わぬ、ただ8歳の子供として接している。だからこそああも懐いておるのだろう、それこそ同世代のわらべと遊んだり年の離れた世話焼きの兄姉に甘えるようにな。だから、今まで殿下が内に溜めて耐えてきた分、ここは貴様らが譲れ、せめてこの町を離れるまでの間くらいはな」

 ──バタン。

 女は、好き放題言ったあと、返事も聞かずに部屋を出て行った。
 ……………………………………。
 クソ。
 そのように言われては何も言えない。
 確かに必要以上に構い過ぎたかも知れない。思えば「エル様」という呼び名も、周囲の目が届かない所では私達に殿下と呼ばれる事を嫌ったエル様の提案だった。

「子供の気持ちか……」

 サビーナが呟く。
 5人の中で子持ちで無いのは私と彼女だけ、いや、未婚はと言うべきか。
 くそ、仕方ないじゃないか! 父から立派な騎士になるようにと、今までそれだけを目標に生きて来たんだから子供の気持ちなどわかるはずも無い。その甲斐もあってエル様付きの護衛の任務を与えられた、家族は皆喜んでくれたし、跡継ぎに関しては妹に頑張ってもらえばいいんだ、そうだ、何の問題も無い、婚期を逃したくらいどうってこと……。

「つってもなあ、ウチのが小さい頃なんか、棒切れ振り回して戦士や騎士ごっこばかりだったから、エル様とは比べようも無いさ。イレーネん所もだろ?」
「そうだね、うちも似たようなもんだよ、てかドロテアが愚痴ってる内容がそのまま家の今って感じかな」

 普通はそうだ、子供ってのは同年代の連中と一緒になってバカやったり無茶したり、そうかと思えば大人に構って欲しくて付き纏っては甘えたり……。
 ……今のエル様に良く当てはまるな、あの男にベッタリで、かと思えば私達のいない所で15層で身体を鍛えていたり、まるで今までの鬱憤を晴らすかのようだ。
 ならば……。

「……それが上の指示だと、エル様にとって良いというのであれば私達が口を挟むのはやめよう。私達はエル様の為に集められたのだから」
「そうね、リーダーのデイジーがそう言うのなら私達は従うわ」
「カレン……やっぱり私がリーダーなのはどうかと思うのだが……」

 ここは最年長のドロテアがリーダーになるべきだと思う。基本レベルも一番高いことだし。

「アタシはヤダって言ったろ、考えるのはサビーネ、決めるのはデイジー、残るアタシ達は動く係さ」
「そうやって全部私に押し付けて……」
「いいじゃない、リーダーはエル様と一番言葉を交わすことの出来るお役目よ。アンタの将来設計には有利じゃない」

 将来設計ってどういう意味だ!? 私は不実な動機でエル様のお側にいるわけじゃないぞ!!

「そんな顔しなくても、アンタが自分の妹──マーガレットだっけ? あの子が産んだキャロルちゃんとエル様が仲良くなればいいって思ってるのはカレンから聞いてるよ」
「カレン!!」
「いいじゃないデイジー、さっきの監視役のヒトが言ってたみたいに同世代の友達は必要だわ、それがたとえ異性だとしてもね」
「いいねえ、将来2人がくっ付いてくれたらおこぼれでアンタにも縁談が舞い込んでくるかもよ?」
「アンタ達の中でアタシは何年独り身でいる事になっているんだ! その頃には結婚もして子供くらいいるわ!!」
「ハッ、そういう台詞は浮いた話のひとつでも聞かせてから吐くんだね。なんならあのジンって男でも良いんじゃない?」
「良い訳が無いだろうが!!」

 クソ、既婚者の余裕をこんな所で発揮しおって!!
 見てろよ、いつか凄いイイ男とくっ付いてやるからな!!
 あと、あんまり大声で笑うな、エル様が起きちゃうじゃないか──。


………………………………………………
………………………………………………


「ほいエル坊、若さんとお揃いで申し訳ないけど、ブーツと手袋、それと背嚢ですぜ」
「ありがとう、ジンさん♪」
「ジン、今日は特にボクに当たりが強くない?」
「キノセイデスヨ若さん。別に、俺へのリオンのお仕置きを肴に甘玉をパクついていた事を根に持ってるわけじゃありません。ええ、決して」
「あれはジンの自業自得じゃん!!」
「人間、割り切れない気持ちって奴があるんですよ」

 ……クソッ、割り切れないのはコッチの方だ、まったく!
 これ見よがしにエル様に手袋をはめてブーツを履かせ、しまいには背嚢を背負う手伝いまで!?

「チョットまて! エル様にそんな重い物を背負わせるつもりか!?」
「……迷宮に潜るのに手ぶらなんてあり得んでしょうが」
「大丈夫だよデイジー、僕、凄くワクワクしてるんだ。まるで本当に探索者になったみたいだ」

 エル様が向けてくる満面の笑みが嬉しくて辛い。

「そ、そうですか……くれぐれもお気を付け下さい……ジン、絶対にエル様を守るのだぞ、御身にキズ一つ付けてみろ、地の果てまで追って貴様を切り捨ててくれる」

 あいにく私は本気だ。

「ハイハイ、わかりましたからその剣は是非とも迷宮の魔物に向けてくださいな。そうすりゃエル坊も安心安全ですから」

 ……まったく、この男は本当に苦手だ。
 怒っても挑発してものらりくらりと受け流して、唯一慌てたのはエル様の……エル様の……思い出すだけで腹の立つ。

「あ、そうだ、31層から39層に出てくる魔物は、硬くてデカイか速くて厄介のどちらからしいので気をつけてくださいね」
「……厄介とはどういう意味だ?」
「毒とか、毒とか……毒とか?」
「全部毒ではないか……」
「麻痺毒とか、能力低下とか、精神に影響するとか……どのみち迷宮内でくらえば全部致死毒みたいなモンですよ。まあご安心を、解毒薬なら大量に持ってるんで、いざとなったら口移しで処方してあげますよ」
「バ、バカモノ!!」

 クソ、クソ、全く腹の立つ!!
 ……ドロテア! それにカレン、お前達、リーダーが馬鹿にされているんだぞ、ニヤニヤせずに少しは怒らんか!!
 まったく……女神ティアリーゼよ、願わくば我が身に降りかかる理不尽を跳ね返す力を、祝福を我に与えたまえ──
 …………………………。
 …………………………。
 少しだけ体が軽くなった気がする……ティアリーゼ様、感謝を。
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