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4章 港湾都市アイラ編

159話 想定外

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「あん? 「歯の卵」の製法をみんなに教えろだと!?」

 その日、漁から帰ってきたナッシュの耳にサイモンの不機嫌な声が届く。
 シンの薬によって手足を取り戻したナッシュは現在、ガイランシャークの漁に出る船の船長をサイモンから引き継ぎ、そのサイモンは近海漁をしながら村にやってくる面倒な──主に製法を調べに来る──客人を追い払う役目を買って出ている。
 その村長サイモンの声が、いつもより多目の怒気をはらんだものである事にナッシュは不安に駆られ、急いで声のほうに走って行く。

「オヤジ、何があった?」
「あん? おお、ナッシュか! このバカどもが例の薬を他の村でも作るから作り方を教えろなんてふざけた事をぬかしやがるのよ!!」
「……はぁ!?」

 サイモンの言葉を聞いたナッシュはすぐに父親同様に不機嫌顔になり、そのふざけた通達を寄越した連中を睨みつける。

「ひっ!? …………これは周辺一体の漁村を治める、港湾都市アイラの執政官タレイア様の指示である。素直に要求に応じるがいい」

 船上で鍛え上げられた男2人に睨まれ一瞬怯んだ行政官ではあるが、自身の役割と相手の立場を考え踏みとどまり、毅然とした口調で要求を突きつける。その口調に高圧さは見て取れないが、文言は傲慢そのものである。

「執政官サマがどうかしたってのか? アレはある人物から教えてもらった秘伝だ。そんな羊皮紙1枚に書かれた寝言に従う義理はコッチには無ぇぞ?」
「その薬師・・も同意の上での事だ。なにより「歯の卵」の製造・販売は港湾都市と近隣一帯の町村活性化の一助として行われる公共事業である。今までは試験的にこの村でのみ行われてきた生産を、今後は別の場所でも生産して大量に売り出す、なんの異論があると申すか!?」

 正義は我にありとばかりに勢いづく行政官に、しかしサイモンとナッシュは疑いの眼差しを向け続ける。
 ──薬師が同意──そんな事があるはずが無い! あれほど作り方を教える際に「誰にも教えるな」と何度も釘を刺してきたシンがそんな事を言うはずがない。
 ……しかし、小さな漁村の長ごときが執政官──しかも6大領主の紐付き──に逆らえるようはずも無く、

「……けっ、来いや! 見せてやるよ」
「オヤジ!!」
「意地張って突っ張って、それで村が得するでなし、アイツ・・・がいいって言ってんならそうするしかねえだろ」

 どのような事情があるにせよ、この件をシンが知らないはずは無いだろう、その上で何も言って来なかった、ならば何か思惑でもあるのだろう。仮に無くともここで逆らって、上からも周りの村からも疎まれる訳にはいかない。

(まあ、いざとなりゃあワシの首で勘弁してもらえばええ話よ、尤も、あいつシンが欲しがるとも思えねえがな)

 ──そしてその後、1週間もすれば歯の卵の製法は各漁村に知れ渡り、今までその生産力ゆえに調整をかけていた漁獲制限は取り払われ、各漁村はこぞってガイランシャークの漁に乗り出す。
 しかし、その中にナッシュたちの村から船が出港する事はなかった。
 その代わり彼等は、かつてシンに言われた言葉「製法が広がればすぐに価格は下落する」の言葉に従い、ほうぼうの商人に声をかけて現在完成している歯の卵、そしてアイラの行政府には過少申告して隠していた歯の卵の在庫を売りさばく。
 折りしも、流通の活性化と価格競争を見据えた取引の自由化が行政府から通達された事もあって、未だ高い利益が見込めるうちにと取引を急ぐ商人達にまずまずの値段で卸す事の出来た彼等は、これを最後にサメ漁に見切りをつける。
 今後は危険と利益のバランスが取れなくなるだろうとの予測であった。


………………………………………………
………………………………………………


 サメ漁解禁から2ヶ月──多くの漁村は困っていた。

 ガイランシャークがいない──漁民達にとって予想外の展開だった。
 周辺各地の漁村がこぞって1つの獲物に群がる……乱獲が起きればどうなるか、彼等はイヤと言うほど知っているはずなのに、目の前にぶら下げられた金貨の詰まった袋に魅せられて暴走した結果であった。
 今まで漁の対象でなかったガイランシャークを大量に獲った結果、成魚の数は減少し、今後産み落とされるであろう卵の数にも影響が及ぶのでは無いかとの懸念が起きている。
 もちろん、一時期数が減ろうとも、人間ごときが一つの種を絶滅させられようはずも無く、とはいえ稚魚が成魚に成長するまで何もせずまんじりと待つことも出来ず、結果として彼等はなく船を走らせる。
 反面、その2ヶ月の間にダンピング競争は進んでおり、漁民達には当初想定されていた利益から大きく下回っており、だれもが当てが外れたと嘆いている。
 ならばと辞める事の出来る漁村はまだ幸いで、悲惨なのは、将来のあて・・を見込んで商人と継続的な契約を交わした漁村などだ。
 契約通りに商品を納めなければ違約金を払わされる、しかし物は無い、となれば有る所から仕入れてでも揃える必要に迫られる。
 相手は当然近くの漁村であり、彼等も少ない利益を少しでも上げるため、欲しがる村に相場よりも高い額をふっかける!
 いかに理不尽だとしても、それが無ければそれ以上の違約金を取られるとなれば取引に応じねばならず、結果、各漁村の間に表に出ない深刻な溝が生まれてしまう。
 また、そういった継続契約している商人がいるせいで、在庫不足にもかかわらず他の商人は漁民達の値上げ交渉に応じず、少しでも金を得たい漁民達は商人の言い値で取引をする、かつてシンが懸念した通りの状況に事態は転がり落ちてゆく。

「こんなはずじゃ無かった!!」

 どんな世界、そしていつの時代でも叫ばれてきた嘆きの言葉があちこちで聞こえる中、

「……漁村の中には、すでにサメ漁を取り止めた所も出始めているようだな」
「タレイア様、それに関しては問題ないかと。元より全ての漁村が同じ事をしようとすれば一時的な飽和状態が生まれる事は予測済みの事態、ここからサメ漁を続ける者、辞める者、各々が選択をする事になりましょう。そうなれば逆に流通量も価格も適正価格に落ち着くというものです」
「確かにな、それに初めはどの漁村も歯の卵の売り上げで大いに潤っているはずだ、多少の不漁が続いても耐え切る体力は残っているに違いないしな」

 そう結論付ける執政官タレイアではあるが、現場では前述の通りに干上がっている村も出来上がっている、しかし漁村から上がる陳情の声は黙殺された。
 これは別にタレイアが非情と言う訳ではなく、部下共々目算違いに気付いていない悲劇である。なぜなら、内陸の農村部における醤油工場の稼働状況は上々であり、こちらの農村部からは執政官への感謝の声と、作業量が楽になった分、余力を使って開墾や狩猟など、多方面における新規の取り組みが行われているとの報告が上がって来ているからである。
 地道に成果を上げる内陸部と、儲けの手段を提示されておきながら上手くいかないと嘆く漁村、役人達は単なる甘え・・だと取り合おうとしなかった。

 もしもあのまま、薬の生産を一つの漁村でまかない、その生産量に見合っただけの漁獲量に留めておけばどの村も安定した収入が得られたことだろう。
 漁獲制限がなくなったおかげでフカヒレの生産量も跳ね上がり、結果としてこちらの価格も下落した。コチラは乾物のため長期保存が可能で、いくら漁村が将来の品不足を訴えようとも商人達は首を縦に振らず、やはり目先の金に釣られて安価で取引をする者が出るため、価格が上昇に転じる事は無い。
 もし、はじめからこのような事態を想定して各漁村が一致団結し、自分達で率先して漁獲量制限と価格交渉を一任する組合などを作っておけばこのような事態にはならなかったはずである。
 この点に関してはシンが「歯の卵」の価格を高くし過ぎたため、漁民達の目を曇らせた責任があるかもしれないが、それをもって彼を責めるのは酷である。
 彼の計画ではこうしない為のプランを事前に提示しており、それをある段階で握り潰されているのだから──


 そんなある日、いくつかの困窮する漁村に対して声がかかる。

「──船を出せって、そこは海竜の棲み家だっていくらアンタでも知らねえ訳じゃねえだろ!?」
「問題ない、お前達がサメ漁で広範囲に船を走らせて上がってきた目撃情報から推測するに、この時期は海竜は西部域に移動している、今ここは危険は少ない」
「けどよぅ……」
「無理にとは言わんさ、他の村にも声はかけている、お前達の中でどこか1つでもあそこに行って竜のお宝を手に入れてきてくれるなら報酬を出すと言ってるだけだからな」
「……本当に大丈夫なんだろうな?」
「確実とは言わないがね。ともあれ、現在の村の状況を考えれば一発逆転に懸けるのも方法のひとつだとは思うよ?」
「分かった……ところで、竜の棲み家ってことなら金銀財宝もあるはずだよな?」
「ああ、だろうな……ソッチはお前達で勝手にすればいい、私が欲しいのは竜の巣にある「竜の卵」それだけだ」

 残りの財宝はそちらで好きにしていい──その言葉に背中を押されたようにその男、貧困に喘ぐ漁師はニヤリと笑う。
 一攫千金に魅せられた男は、サメ漁よりも遥かに実入りの多い博打に打って出る事に決めると仲間に声をかける。
 そして複数の船がある海域に船を走らせ2週間後──見事海竜の住処から「竜の卵」と金銀財宝を盗み出してくる事に成功したという。
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