上 下
99 / 105
第三章 緑と黒――そして集まる五人

第99話 闇の底へと引きずり込まれる意識

しおりを挟む
 秋斗とノアによって運ばれてきた香介が、仰向けになってぐったりと床に横たわっている。

かおりさん、大丈夫ですか!?」

 律は急いで香介の横にしゃがみ込むと、顔を覗き込みながら声を掛けた。しかし香介からの返事はない。どうやら返事をする気力も体力もないようだ。

 苦しそうにきつく目を閉じたその顔は蒼白で、呼吸も荒い。肩からの出血も酷く、床には血だまりができていた。軽傷ではないことは誰が見ても明らかである。

「りっちゃん、頼む」

 秋斗の促す声に、律は無言で大きく頷くと、両手を香介の右肩にかざした。

「――我が身に宿るは静穏せいおん導く白き光、今こそ傷つきし者に柔らかなる癒しを与える時――ヒール!」


  ※※※


(香は何とか無事に律のところまで運ばれたみたいだな)

 千紘はギウスデスの攻撃を両手で持った長剣で受け止めながら、香介の治療が始まったのを視界の端に捉える。

 秋斗とノアが香介を回収するまでの時間稼ぎにギウスデスを引きつけていた千紘だが、ここからはさらに真剣に戦わなくてはならない。

 香介の回復にはそれなりの時間がかかるだろう。
 秋斗とノアは律と香介の二人を守らなければならないから、その間、千紘はほぼ一人でギウスデスと戦うことになる。

「まずは一人脱落だね」
「うるせーよ! 勝手に決めんな!」

 ギウスデスの愉快そうな声音とは対照的に、千紘は声を荒げると、一歩下がりざまに長剣を一息で横に振り抜いた。

「甘い」

 だが、ギウスデスはそれを軽く受け流し、千紘のバランスを崩させる。

「くそっ!」

 千紘は懸命に体勢を立て直しながら、悔しそうに歯嚙はがみした。

 ギウスデスにとって、千紘の攻撃をいなすのは赤子の手をひねるよりも簡単なことらしい。
 そのことに、千紘が苛立ち始めた時だった。

「そろそろ君にも退場してもらおうか」

 そう呟いて口角を上げたギウスデスが、一瞬で千紘の視界から消える。

「……え?」

 気づいた時にはもう遅かった。

 目にも留まらぬ速さで腰を落としたギウスデスは、その速さのまま、千紘が気づくよりも早く足払いをかけていた。

 訳もわからぬままに、千紘の足元がふわりと浮く。

 次の瞬間だ。
 息つく間もなく、横からギウスデスの大剣が迫ってきていることにかろうじて気づく。

「ちっ!」

 金属同士がぶつかり合う、大きな音が響き渡った。

 反射的にどうにか長剣で受け止めることに成功した千紘だったが、宙に浮いていてはそれ以上どうすることもできない。
 身体への直撃こそ免れたが、ほぼ無防備な状態ではその攻撃の重さにあらがえるはずもなく、あっという間に遠くまで飛ばされた。

「――っ!」

 身体がまたも強く壁に叩きつけられる。先ほど以上の衝撃に襲われた千紘は、そのまま崩れ落ちるようにして床に倒れた。

「千紘!」

 遠くから誰かに名前を呼ばれたような気がしたが、それもすぐに聞こえなくなる。
 全身が真っ暗な闇の底へと引きずり込まれていくのを感じながら、千紘は意識を手放したのだった。


  ※※※


 少しして、

「う……っ」

 千紘の意識が静かに浮上してくる。

 まだぼんやりしたまま、自分がうつ伏せで床に倒れていることを知る。そのままの状態でゆっくり視線だけを巡らせると、そばにはいつの間にか手から離れていた長剣が落ちていた。

 そこで、ようやくギウスデスの攻撃を受けたことを思い出す。先ほどの攻撃の早さと重さに、思わず千紘の背筋が凍り、身体をきつく抱きしめたくなった。

 全身で感じる床の冷たさと身体の痛みに顔を歪めながら、

(……このまま死んだ方が楽かもしれないな……)

 ふと、そんなことを考える。

(……そういや、ラオムと戦った時にも死を覚悟したな……)

 遠くからまた自分を呼ぶ声が聞こえた気もしたが、それすらもうどうでもいいような気持ちになっていた。

 ギウスデスの圧倒的な力によって、千紘は身体だけでなく心も徐々に折れてきていたのである。


  ※※※


「……律ちゃん、あたしは大丈夫だから千紘ちゃんのところに行ってあげて」

 律の治癒魔法を受けていた香介が、ゆっくりまぶたを開いて律を見上げる。
 その声はまだ弱々しい。

「でも、香さんもまだ……」
「律ちゃんが頑張ってくれたから、話せる程度には回復してるのよ。ね、だから今は千紘ちゃんをお願い」

 懸命に千紘の回復に向かわせようとする香介に、

「……わかりました。千紘さん、今行きます!」 

 律はようやく納得したように首を縦に振り、すぐさま立ち上がった。

 千紘は香介と律のやり取りをぼんやりと耳にしながら、律がこちらを見ている姿を薄く開いた瞳で捉える。

(……そうだ。せめて律だけでも無事に地球に帰さないと……)

 自分にはまだやることがある。そう気づいた千紘は、傷だらけの両腕を支えにしてどうにか上半身を起こそうとした。
 だが、なかなか上手くいかず、何度も同じような動作を繰り返しては、その場に崩れ落ちる。

「千紘さん、動かないで!」

 その様子に気づいた律が焦った声を上げ、千紘の方へと駆け出そうとした。

 まだ床に伏している千紘はそんな律に向け、片手をわずかに上げて制止する。それから低く唸るような声で言った。

「……危険だからこっちには来るな。それにまだ香の回復終わってないんだろ」
「そうですけど、でも香さんは千紘さんの方に行けって……!」

 どうしたらいいのか、とでも言いたげに、律が逡巡するように千紘と香介を交互に見やる。

 その時だった。
 香介が勢いよく起き上がり、怒声を上げる。

「だからオレは大丈夫だって言ってんだろーが!」

 しかし必死に声を張り上げた直後、香介は怪我の痛みに顔をしかめながら、ふらりと後ろに倒れそうになった。

 香介の怪我は律の魔法で出血も止まり、かなり良くなってはいたが、まだ治りきってはいないのだ。それに失われた血液が戻ったわけでもない。

「香!」

 そんな香介をすぐさまノアが支える。
 次に静かに口を開いたのは、これまで黙って成り行きを見守っていた秋斗だった。

「千紘のとこにはおれが行ってくるから、りっちゃんは引き続き香ちゃんの回復を頼む」

 そう言って秋斗は律と香介をなだめると、まっすぐに千紘の方へと向かったのである。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

『特別』を願った僕の転生先は放置された第7皇子!?

mio
ファンタジー
 特別になることを望む『平凡』な大学生・弥登陽斗はある日突然亡くなる。  神様に『特別』になりたい願いを叶えてやると言われ、生まれ変わった先は異世界の第7皇子!? しかも母親はなんだかさびれた離宮に追いやられているし、騎士団に入っている兄はなかなか会うことができない。それでも穏やかな日々。 そんな生活も母の死を境に変わっていく。なぜか絡んでくる異母兄弟をあしらいつつ、兄の元で剣に魔法に、いろいろと学んでいくことに。兄と兄の部下との新たな日常に、以前とはまた違った幸せを感じていた。 日常を壊し、強制的に終わらせたとある不幸が起こるまでは。    神様、一つ言わせてください。僕が言っていた特別はこういうことではないと思うんですけど!?  他サイトでも投稿しております。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

スキルスティール〜悪い奴から根こそぎ奪って何が悪い!能無しと追放されるも実はチート持ちだった!

KeyBow
ファンタジー
 日常のありふれた生活が一変!古本屋で何気に手に取り開けた本のタイトルは【猿でも分かるスキルスティール取得法】  変な本だと感じつい見てしまう。そこにはこう有った。  【アホが見ーる馬のけーつ♪  スキルスティールをやるから魔王を倒してこい!まお頑張れや 】  はっ!?と思うとお城の中に。城の誰かに召喚されたが、無能者として暗殺者をけしかけられたりする。  出会った猫耳ツインズがぺったんこだけど可愛すぎるんですが!エルフの美女が恋人に?何故かヒューマンの恋人ができません!  行き当たりばったりで異世界ライフを満喫していく。自重って何?という物語。  悪人からは遠慮なくスキルをいただきまーーーす!ざまぁっす!  一癖も二癖もある仲間と歩む珍道中!

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

処理中です...