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第8話 兄が妹を護るは当然

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 ディーノの縄張りの周辺では、アウローラが連れて来た騎士たちが急ピッチで野営の準備を始めていた。
 テントを張り、食事の準備を進めていく姿を、ディーノは苦虫を潰したような表情で眺める。
 こんな事態にした元凶であるアウローラは、腕に抱き着いたまま離れることはない。

「…………それで、いつ帰るんだ?」
「もう、お兄様ったら。先程も申しましたが、帰りませんよ?」

 ニコニコと、妹は帰らないの一点張り。
 埒が明かないと無理矢理アウローラを引き剥がす。頬を膨らませて不満そうなお姫様を放置し、まだ話が通じそうなミラーナへと声を掛けた。

「いいのか? いつまでもここに居て」
「よくはありません。この地は、本来人が立ち入れられない危険な環境です。そのような場所にいつまでも主であるアウローラ様を滞在させるわけにはまいりません」
「なら」
「ですが」

 モストロ領域に滞在する危険性を理解しながらも、ミラーナは苦笑して首を左右に振る。

「幸か不幸か、この一帯はディーノ様の威光のお陰なのでしょうか、魔物が踏み込まないご様子。アウローラ様のお気持ちも変わらないのであれば、我々は主の命に従うのみでございます。なにより――ディーノ様はアウローラ様をお見捨てにはならないでしょう?」

 的確に内心を当てられ、ディーノはむっと唇を結ぶ。
 モストロ領域内でありながら、ディーノが縄張りとしている湖のほとりには凶悪な魔物がほとんどいない。それは、ディーノに勝てる魔物が皆無であり、近付いてこないからだ。そして、万が一危険な魔物が現れたとしても、ディーノが妹であるアウローラを見捨てることはない。
 アウローラの我儘を許容する理由のほとんどが自身にあるため、口を閉ざすしかなかったのだ。とはいえ、言い負かされたようで気分は良くない。せめてもの意趣返しと言い返す。

「……五年ぶりなんだ。俺がどう変わっているかなんぞ分からんだろう。もう少し警戒心を持つべきだ」
「あら? それは異なことを。我が主が全幅の信頼を寄せるお兄様を、メイドたる私が疑うわけにはまりません」

 さも当然、むしろ問われたことが不思議であるかのように、ミラーナは惚けた表情を見せる。そして、次に見せるのは、柔らかな微笑みであった。

「それに、ディーノ様は既にアウローラ様だけでなく、我々をお救い頂いております。信頼する理由としては、十分でございませんか?」

 それを言われては、皮肉も口にできない。
 ディーノは諦めて嘆息する。

「はぁ……分かった。好きにしろ」
「ご理解頂き感謝致します」

 そんな二人のやり取りを傍から見ていたアウローラが、不満そうな表情を浮かべてディーノへと抱き着いた。

「む~。なにか仲が良さげではありませんか?」

 大好きと言ってはばからないお兄様に、本当の姉のように慕う従者。そんな二人が仲睦まじい光景は、アウローラを落ち着かない気持ちにさせた。
 子供ように拗ねたアウローラを見て、ディーノとミラーナは顔を合わせると、ミラーナはくすりと笑みを零し、ディーノは肩をすくめた。

「ま、こんな美人と話す機会もなかったからな。仲良くしたいと思うのは雄の性《さが》だろう」
「ふふ、お上手なのですね。ディーノ様のような逞しく、魅力的な殿方にお褒め頂きますと、私も女の部分が反応してしまいそうです」

 互いにやりたいことを察したのか、息ピッタリで褒め合う二人。アウローラをからかう気満々である。
 そうとは気付かず、まんまと二人に乗せられたアウローラは、口に手を当てわなわなと震えると、お兄様を取られまいと必死になってディーノを強く抱きしめる。

「駄目ですからね!? いくらミラーナであってもお兄様を譲るわけにはまいりません! お兄様もお兄様です! 男性なのですから、そういったことに興味を持つのは仕方のないことですが、そ、そのお相手はミラーナではなく――」
「――冗談だ。お前の我儘なんだ、馬鹿なことを言っていないで働け」
「痛いっ!?」

 アウローラの額を軽く小突き引き剥がすと、必要以上に痛がる素振りを見せる。
 雑な扱いに少々アウローラは不満気である。

「久々の兄妹の再会なのですから、もう少し優しくしてくれてもいいとアウローラは思います!」
「俺は思わん」
「思って下さい!」

 先を歩く兄に構ってほしくてあの手この手で注意を引こうとする妹。
 皇族でもなんでもない、どこにでもあるような兄妹のじゃれつく光景だ。その姿を見守っていたミラーナの表情は、自然と笑顔になっていた。

「……こんなにも楽しそうなアウローラ様が見られただけでも、危険を冒した甲斐がありましたね」

 笑うこともなく、毎日辛そうな表情で机に向かっているより、ずっといい。

 ――

 日が暮れ、怪物の領域に夜が訪れる。
 鬱蒼と生い茂った木々の奥は暗闇が広がり先を見通すことは叶わない。どこからともなく獣の唸り声が響き、不気味さはより一層増していく。
 しかし、空を仰げば夜空を彩る星々が煌めき、怪物の領域であることを忘れさせるほど美しい光景が広がっていた。

 そんな星空を、湖のほとりに腰掛けたディーノは見上げていた。
 本来であれば、恐竜形態になってディーノも眠りたいところだ。しかし、自身だけでなく、アウローラやミラーナといった保護対象がいる中で、騎士たちだけに夜の番を任せるわけにはいかなかった。
 焚火を囲む騎士たちから離れてぼーっと夜空を眺めていると、遠慮のある声が掛けられた。

「お兄様、隣、宜しいでしょうか?」

 昼間とは打って変わって、楚々としたアウローラ。所構わずディーノに抱き着いていたのが嘘のようである。
 伺うようなアウローラに視線を向けることはなく、ディーノは素っ気なく返す。

「好きにすればいいだろう」
「はい。好きに致します」

 ディーノの隣に腰を下ろしたアウローラは、彼と同じように満天の星空を見上げた。

「……夢のようです」

 ぽつりと、アウローラは小さな声で呟いた。

「こうして、再びお兄様と一緒にいられることが、嬉しくてたまりません」

 そっと、ディーノの肩に頭を預ける。

「これからもずっと、離れたくはありません」

 その声には、切実な想いが込められていた。
 ディーノはなにも口にすることはできない。幼い彼女を王宮へと置き去りにしてしまったのはディーノだ。不覚を取ったなど言い訳にもならない。
 だからこそ、安易にずっと一緒にいるという言葉を返せなかった。

「……ごめんなさい」

 不意にアウローラが謝ってくる。
 謝罪の理由は思いつかない。

「……? 妹に甘えられたからといって、怒るほど狭量じゃないぞ」
「違います。なにも、できませんでしたから」

 アウローラは瞼を閉じる。
 ディーノが騎士たちによって連れていかれたあの日を、彼女は昨日のように瞼の裏に思い描ける。 

「ずっと、謝りたいと思っていたんです。お兄様が追放される時、弱い私はなにもすることができませんでした。ただ、泣いていただけで、なにも……ずっと、ずっと護ってくれていたのに、私はお兄様になにもしてあげることができませんでした」

 悔恨であり、懺悔。
 護られているのを当然と思い、なにもしてこなかった。ディーノを護ろうなどと、考えもしなかった。兄は強いから誰にも負けはしないと勝手な思い違いをして、ずっとディーノの背に隠れているだけだったアウローラ。
 一緒にいる努力をしてこなかった自分自身を、アウローラはずっと責めていた。
 ディーノからすれば、そう思ってくれるのは嬉しいが、お門違いであった。

「あんなもの、俺が対応を誤っただけだ。お前が謝ることじゃない。それに、妹を護るのは兄として当然だ」

 結局のところ、ディーノが下手を打っただけの話。
 誰かのせいではなく、全ての責はディーノへと帰結するのだ。妹のせいだというほど、落ちぶれてはいない。

「お兄様ならそう言って下さると思っていました」

 アウローラも兄がどのように考えているのはかは分かっていたのだろう。
 その上で、彼女は自身のせいだと口にしたのだ。

「けれど、お兄様とずっと一緒にいるためには、私も強くならなければならないと、あの時思い知りましたから」

 ディーノの手を取り、ぎゅっと握る。

「……もう絶対に離れません。離しません」

 そのために、アウローラは勇気を振り絞る。

「お兄様、力を貸しては頂けませんか?」
「それは断っただろうが」
に、力を貸して頂けませんか?」

 ずっと躊躇っていた言葉を口にする。

「民のためではなく、大陸の平和のためでもない。アウローラのために、お兄様のお力を貸して頂きたいのです」

 皇女としてではなく、ただのアウローラとしての願い。
 アウローラ個人のために力を貸してほしいと、ディーノに乞うのだ。
 彼女の言葉を受け、ディーノは肩の力を抜くように息を吐き出す。

「あの勧誘じゃあ断られるの分かってたろ? どうして最初からそう言わなかった」

 ディーノは生まれてこのかた、民のために行動したことなど一度たりともない。
 前世が恐竜であり、弱肉強食の世界を生きて来たが故に、強者だけが生き残るという考え方が根本にあるからだ。本当の意味で己を護れるのは自分しかいない。
 だからこそ、民のためだ平和のためだと大義を並べられても、ディーノの心には波紋一つ立ちはしない。

「……私の愚かな願いのためになどと、お兄様には言いたくありませんでしたから」

 アウローラが膝を抱える。

「酷く自分本位な願い。聖女や優しいお姫様などと呼ばれる私の本質は利己的です。目的のために、国を利用することすら厭わない。そんな汚れた内面をお兄様にはお見せしたくなかったのです。……嫌われたく、ありませんから」

 アウローラ・クローディアの本心。
 優しいと言われて傷付くのは、誰かのために行動したわけではないから。聖女と言われて罪の意識に苛まれるのは、偽善者だという自覚があるからだ。
 自分の心が黒く穢れてしまっていると、大好きなディーノにだけは知ってほしくなかったのだ。
 顔を伏せるアウローラ。今だけは、ディーノに見られたくはなかった。
 そんなアウローラの耳に届くのは、深いため息。そして、乱暴ながらも優しく頭を撫でる懐かしい感触だった。

「――たとえ、半分しか血が繋がっていなくても、お前は大事な俺の妹だ。護るのは当然だ」

 かつて、幼きアウローラを護った時のように、ディーノは言う。自身の気持ちは変わっていないと言うように。
 瞳を濡らしたアウローラが顔を上げると、立ち上がっていたディーノは優しい微笑みを浮かべていた。

「それに、だ。人だろうがなんだろうが、生き物ってのは利己的なものだ。この世に本当の意味で聖人君主は存在しねぇ。立場に縛られるな、好きに生きろアウローラ。俺はお前を嫌わねぇ」

 どんなアウローラだろうと受け入れるという言葉に、遂に彼女の涙腺が崩壊する。
 ぼろぼろと零れる涙は止まることなく、頬を伝い、地面を濡らす。
 ディーノの背が、いじめられていた自分を護ってくれた幼き日の背中と重なる。今も変わらず、アウローラが大好きだった兄のままだと実感し、変わってしまった己をそれでも護ると言ってくれたのが嬉しくて、涙が止まらない。

「だ、」
「だ?」

 ふらつきながら立ち上がったアウローラが口にした言葉を、そのまま返すディーノ。
 なんだと首を傾げていると、スイッチでも入ったかのように突然飛びついてくるではないか。涙でぐしゃぐしゃになった、民にはとても見せられない表情で、兄へと思いの丈をぶつける。

「大好きですお兄様――――――――っ!!」
「――は?」

 大きな水しぶきが上がり、焚火を囲っていた騎士たちが何事かと慌てて湖へと近付いていく。
 帝国の夜明け、黄昏の日が近付こうとしていた。
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