第二王女の依頼書

ななよ廻る

文字の大きさ
上 下
21 / 26

第21話 形を成した災害

しおりを挟む
 赤と黒が歪に彩る大広間に描かれた魔法陣の上で、ゼーレは黒い書物を手に持ち立ち尽くしていた。
 彼は虚ろな瞳で虚空を見つめるばかりで、大広間に足を踏み入れたヴィーダとファインに気が付かない。それどころか、意識があるのかすら怪しく、顔色は死体のようなに土気色だ。
 ヴィーダは魔法陣の縁の傍まで進み、儀式の進み具合を確認する。
 術者の意識はほとんどなく、空間には視覚化できるほどの魔力が充満している。想定していた通り、儀式は最終段階まで進行しており、下手に止められない状況に歯噛みする。
 苛立ちを隠すことなくゼーレへと向けていると、男の口がゆっくりと動く。
 ヴィーダに気が付いたわけではない。
 誰に向けたのか分からぬ掠れた声が、僅かにヴィーダの耳へと届く。

「……ああ……わた…………し………………は……いつ…から……………………」

 意味を解せないうわ言を男は繰り返す。
 声量は小さいというのに、彼の声は大広間全体に良く響いた。
 そして、糸が切れた人形のように、ぷつりと声が途切れると、男は瞳を開いたままその場で倒れ伏した。
 一瞬の静寂の後、魔法陣が光を帯びる。すると、それに呼応するように空気中の黒い霧が、ゼーレを中心に集まり出す。
 雷雲のように黒い塊となった魔力は、しばらく魔法陣の上で蠢いていると、前触れもなく霧散した。
 残されたモノはなにもなく、何事もなかったかのように。
 胸糞悪い儀式だ。
 気分を悪くしているヴィーダとは対照的に、隣のファインは淡々とした声音で呟く。

「なるほど。術者も生贄なのね」
「当然の末路だな。悪魔召喚なんて、禁忌に触れた罰。そもそも、いつまで自我が残っていたかなんて、わかったものじゃない」

 悪魔を召喚しようとしていたのか、それとも、召喚させられていたのか。
 ゼーレには、その区別すらつかなくなっていただろう。
 あらゆる自我のある生物にとって、危険でしかない悪魔召喚。恐らくは、最後まで彼が手にしていた黒い書物が、全ての元凶たる悪魔の書なのであろうが、彼は一体どこでそれを手に入れたのか。
 市場に出回る代物ではなく、そもそも、人の手によって作れるものでもない。
 悪魔の書。
 誰であれ、悪魔を召喚することのできる禁忌の書物を作ることができるのは――。
 考えに耽っていると、どこか退屈そうなファインの嘆息に思考が途切れる。
 じろり、と横眼で睨みつけるも、怯む様子はなし。
 ファインは憂いの帯びた表情で、頬に手を添える。

「まさか、術者が死ぬと儀式が失敗なんてことはないわよね? そんなつまらない結末は、ご遠慮願いたいのだけれど」
「ほんっと、狂ってるな、お前は」

 心底、侮蔑を込めて口にするが、黒き狂人は微笑みで返してくる。

「狂ってないわ。少し、自分に素直なだけよ」
「人に害なす素直さなんて朽ち果てろ。……はん。だが、癪なことに、お前の望みは叶うだろうがな」

 促すように魔法陣へ目を向けると、その中央ではゼーレの手にしていた本が煙も立てずに燃えていた。しかし、燃えるというには奇妙で、燃え滓が残ることもなく、火の中で消えていくように見える。
 そうして、本も火も消失すると、魔法陣が強く輝き出す。輝き出した魔法陣の上に、光で描かれた魔法陣が空中に幾つも形作られた。
 幾重もの魔法陣は明滅を繰り返し、周囲の黒い霧状の魔力を集まり出す。
 積み重なる魔法陣の中心で、集まる黒い魔力が徐々に何かの形を成していく。
 悪夢が実態として織りなされていく様子を、ファインは子供のように瞳を輝かせ、恍惚とした表情で見つめている。
 期待に胸を膨らませる彼女は、あまりにも無防備に艶やかな色気を溢れさせた。その瞳は狂気に揺れ、彼女が常人ならざる何かであることを如実に理解させる。

「あぁ……。これこそが世界をも揺るがす悪の名を冠する魔物…………。先程相手にした有象無象とは違う、伝説に名高き形を成した災害っ!」

 頬を朱に染め興奮するファインとは対照的に、ヴィーダの表情は暗く、歪む。
 生まれいずる災害を止めることはできず、待つしかない状況に苛立つ。
 しかし、この後の戦闘を考慮すれば、精神の揺らぎは死の要因にしかなりえない。
 これから倒さねばならない怪物を前に、波打つ心を鎮め、心を凍らせていく。例え、このまま進めば死ぬだろうと。

 相反する感情を露わにする二対の刀を持つ剣士と、黒き妖精を前に、遂に悪魔は生誕する。
 地上に降り立つは、血を纏うかのように赤い肌を持つ人型の化物。
 姿形こそヴィーダ達が相手にした悪魔に似ているが、似て非なるはその巨体だ。見上げねば頭上を確認できぬ程の背丈に、人型でありながら異常なまでに発達した筋肉。
 蝙蝠に似た翼を大きく広げてはいるが、それを使って飛べるか怪しい程の大きさにして、肉体の密度を感じる。
 なによりも、身体から漏れ出る魔力の量は、小型の悪魔とは格が違う。
 爛々と輝かせたエメラルドの如き緑の瞳を見開き、怪物は雄叫びを上げる。

『――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!』

 形を成した災害。国堕としの悪魔が、世界を揺るがす。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】おじいちゃんは元勇者

三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話… 親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。 エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…

ピンクの髪のオバサン異世界に行く

拓海のり
ファンタジー
私こと小柳江麻は美容院で間違えて染まったピンクの髪のまま死んで異世界に行ってしまった。異世界ではオバサンは要らないようで放流される。だが何と神様のロンダリングにより美少女に変身してしまったのだ。 このお話は若返って美少女になったオバサンが沢山のイケメンに囲まれる逆ハーレム物語……、でもなくて、冒険したり、学校で悪役令嬢を相手にお約束のヒロインになったりな、お話です。多分ハッピーエンドになる筈。すみません、十万字位になりそうなので長編にしました。カテゴリ変更しました。

ヒト堕ちの天使 アレッタ

yolu
ファンタジー
天使であるアレッタが、大罪である【天使の羽斬り】を行ったとして、ヒトの地へと堕とされた─── アレッタにとってそれは、冤罪のなにものでもない。だが7日間生き抜けば罪が晴れ、冤罪であったことを証明できる。しかし、転生した体は、あまりにか弱い『幼女』 果たしてヒトであり、幼女である彼女は7日間無事に生き抜くことができるのだろうか…… 幼女となったアレッタは、食べて、食べて、走って、戦います! ぜひアレッタと一緒に、ヒトの世界を楽しんでください!

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

大切”だった”仲間に裏切られたので、皆殺しにしようと思います

騙道みりあ
ファンタジー
 魔王を討伐し、世界に平和をもたらした”勇者パーティー”。  その一員であり、”人類最強”と呼ばれる少年ユウキは、何故か仲間たちに裏切られてしまう。  仲間への信頼、恋人への愛。それら全てが作られたものだと知り、ユウキは怒りを覚えた。  なので、全員殺すことにした。  1話完結ですが、続編も考えています。

処理中です...