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第55話 これが始まり

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 調子が狂う。人間たちが見せる嫌悪に、いつものような悪態が出ないハルトは、大人しく帰ることにした。
 別に逃げるというわけではない。ただ、今日は無理だと判断した。
 居心地の悪いこの空間を早く出ようと、ハルトたちは足早にそこから立ち去ろうとした。
 すると、その時だった。

「ダセェことしてんじゃないよ! ガキ相手に何やってやがる!」

 柳銀街を歩くハルトたちは聞き覚えのある声が耳に入った。
 振り返るとそこには、教室でハルトに対して向けた以上の眼光で叫ぶカイが居た。
 制服姿のまま、カバンを投げ捨てて構える彼女の後ろには同じ学校の制服の女子が二名。
 ただし、カイのようなヤンキーとは関わりのなさそうな普通の生徒であった。

「ほう、随分とはしゃいでるじゃねえか。お嬢ちゃんよ」
「だがな、その娘たちは前も見ないで歩いていたから俺にぶつかって、その所為で俺の腕は多分骨折してるんだよ」
「前方不注意はその子たちなんだし、治療費ぐらい請求してもバチは当たらんだろ?」

 そして注目すべきはカイが構える相手。そこには二十人近くのガラの悪い大人たちが居た。そして中には黒いスーツを着た、角の生えた大人も一人だけ居た。

「ざけんな。今どき古クセェことしてんじゃねえよ。大体魔族まで引きつれて、いつからこの街のチンピラはエラそうになったんだよ」
「おー、怖い。だが、別にいいじゃねえか。魔族と仲良くするのは勇者が決めたことだ。俺たちはちゃんと利害関係を一致させて仲良くやってんだよ」
「へっ、用心棒ってか? ケンカしか脳のねえチンピラのくせに情けねえ。そんなチンピラに金で雇われる魔族もくだらねえな」

 魔族を引きつれて街に蠢く強面の男たち。どうやら堅気では無さそうだ。
 しかしそんな見れば分かる一目瞭然な相手に、ビビるどころか啖呵を切るあたりはカイも性格的には問題があるが、度胸はあるじゃないかとハルトは少し感心した。

「ガキが。さっ――」

 さっさとどうにかしろとでもチンピラは言おうとしたのだろうが、その前に数人のチンピラたちが宙を舞った。

「嵐蹴道・木枯し!」

 片足挙げたままの姿勢で鋭く睨むカイ。

「ああ、私ももういいよ。街が汚れる。私の視界に入ったテメエらはすべからく死にな」

 ハルトたちは呆れた表情で固まった。

「おい、ハルトよ。あの娘は……」
「馬鹿だな」
「うむ」

 あのバカ女は一体何をやっている。
 案の定、チンピラたちは怒りを浮かべている。そして後は容易に想像できる。乱闘騒ぎだ。

「馬鹿だが……うむ、やるの」
「ああ。ってか……うわあ……あの女マジでツエー……って、いて! カララ、何で噛む!」
「……お前……また、あの女のパンツ見たな……」

 本来ならここで格好よく登場するのが男の見せ場なのだろうが、正直その必要が無いほどにカイは強かった。
 カイは確かに勇者の一味の候補者に数えられていてもおかしくないほどの力と勇猛さだ。
 カイは人間も魔族も関係なしに、次々と相手を蹴り飛ばしていく。

「このガキがァ!」
「つつ、何やってんだよ魔族! こういう時のためのテメエらだろうが!」
「うるせえ。このガキ、マジで強いんだよ! こんなの聞いてねえ!」
「ざけんな! ガキにも勝てねえ魔族なんかに払う金はねえ! 政府に突き出すぞコラァ!」

 気づけばチンピラたちは仲間割れを始めた。まあ、大して絆もクソも無さそうな連中だ。
 金と暴力で繋がっている彼らの関係などすぐに崩れる。

「情けねえな。結局こうなんだよ。魔族と人間は水と油だ」

 仲間割れをしているチンピラたちを見下すカイ。
 その強靭な足で、全ての脅威を蹴り払ったのだった。

「き、桐生さん、あの、あの」
「ありが、ありがとう。その、私たち怖くて……」

 自分たちは助かった。それを理解した瞬間、トラブルに巻き込まれていた女子生徒たちは涙ながらにカイにしがみついた。恐怖と安堵がごっちゃになっているのだろう。
 カイは表情こそそっけないが、彼女たちの肩を優しく叩く。

「気をつけて帰んな」

 それは、彼女の見せるもう一つの顔に見えた。

「ふーん……そこそこボーイじゃねえか」

 思わず口から漏れるハルトだった。
 すると、ハルトの視線に気づいたのか、カイは不愉快そうな顔で振り返った。

「よう。レディーが襲われてんのに体を張って助けねえなんて、随分と腰抜けなヤンキーが居たもんだよな」
「むっ?」
「それともビビっちまったか?」
「意外とセンチな女だな。俺の周りにはツエー女ばかりなもんで、男が女を守って当然なんて感覚は分からねーもんなんだよ」
「けっ、そのツエー女ってのはその二人かい? 仲良くデートか。不抜けてんな」

 挑発的な言動。今すぐにでも教室での続きを始めそうな感覚で、二人の間に火花が飛び散る。
 助けられた女生徒たちも反応に困って口を出せない。
 だが、その時だった。

「テメェら……魔族なのか?」

 カイに叩きのめされたチンピラ魔族が、鼻血だらけの顔でハルトを見上げた。

「魔族? いいや、不良だ」

 だが、ハルトはチンピラ魔族に興味を示さなかった。今は、カイとこのまま喧嘩を始めるのか、探り合いに夢中だった。
 次のチンピラ魔族の発する言葉を聞くまでは。

「不良……けっ、徴兵拒否して戦争からも逃げ回ってた腰抜け魔族かよ」
「あっ?」
「こっちが死に物狂いで人間どもと戦争してたって時に、好き放題していたクズ共め」

 その時、ハルトはようやくチンピラ魔族に振り返った。ボロボロの体と腐った瞳でありながら、ハルトを侮蔑している態度が前面に出ていた。

「ほう、あんたは元軍人か。負けて職を失ってチンピラに身を落としたか。よくある話だな。しかし、魔界に働き口がないからって、人間どもの用心棒やって、挙げ句の果てに人間の女子高生に蹴り飛ばされるとは笑えるけどな。そりゃー、戦争も負けるわ」
「だ、黙れ……黙れ、社会のクズが! お前らみたいな無価値な魔族が俺を侮辱するな! 俺だって、俺だって好んでこんなことしてんじゃねえ! 仕方なかったんだ! ちっ、教えてやるよ、どうして俺がこんな……」
「知らん!」
「ぶほっ! な、なん……」
「お門違いだ。不良に泣き言を言ったって、テメェの人生は変わらねえよ」

 ハルトは蹴り飛ばした。己の人生を語ろうとしたチンピラ魔族を。

「あんた……鬼だな。動けねえ魔族相手に。やっぱ、クズだ」
「ああ。だから勇者はバカなんだよ。こんな俺に頭を下げやがるからな」

 怯える女子生徒たちは、ハルトが悪魔に見えた。カイも呆れている。
 だが、そんな邪悪な笑みを見せたかと思えば、ハルトはチンピラ魔族を見下ろしながら、少しだけ寂しそうな表情を見せた。

「哀れなもんだぜ。世界のために、魔族のために、命懸けで戦った奴らの末路がこれかよ。だが、俺だって一歩間違えたらこうなってたかもしれねえ」

 もし、自分も戦争に参加していたら? いくら自分が参戦したからといって、戦争の勝敗が逆転していたなどと言う気はない。自分も社会の流れに身を任せて戦争に参加していたら、死んでいたか、生きていたとしてもこうして惨めな姿を晒していたかもしれない。

「それでも、命ある限り戦い続けていれば、誇りを持って死ぬこともできたかもしれねえ。それが、偉い奴らの身勝手な決定で戦争は終わって、昨日まで殺し合ってた奴らと仲良くメシ食えって言われても、そりゃー、荒れるわな」
「だろ? だから、虚仮の世界なんだよ」
「確かにな。俺たちも今日、カラオケ入店拒否されて実感したよ。これが今の世界の真実だってな」
「そうか……なに、カラオケ? あんたら、んなとこに行ったのかい?」

 同情はしない。だが、僅かだけ哀れんだ。
 そして、その哀れんだ瞳とは、カイへと向けられた。

「だが、テメェも哀れな女だな」
「なに?」
「こいつらは、誇り高く死ぬ場所を奪われた。だが、お前は戦う機会すら奪われた。今できることといえば、勇者に反発して、チンピラ蹴り飛ばすだけなんだからな」
「ッ、やめな、それ以上は……喧嘩売ってんのかい?」
「ああ、構わないぜ。俺もお前にムカついてたのには変わりねえ。さっさとぶちのめして泣かしてやるよ」

 ハルトの哀れみ、そして挑発は確実にカイの琴線に触れた。カイは地面を踏みつける。それだけで、アスファルトが砕けた。

「くだらねえくだらねえくだらねえ。口を聞くのもうっとおしい。最初は使ってやろうとも考えたが、気が変わった。あんた、やっぱ死にな」

 ここは天下の往来だ。先ほどのチンピラとの喧嘩で人も集まっている。騒ぎが街中に広まっている。最初は、下校中の学生。買い物帰りの主婦や街の店員。
 だが、制服姿で睨み合うカイとハルトは気にも止めなかった。

「おい、ハルトくん、マジいって。人が結構集まってるぜ?」
「大丈夫であろう。喧嘩は場所も状況も弁えないものだからの」
「いや、オルガ姉さん止めないの? つーか、何でこんなことに?」

 この状況に、鈴木たちだけでなく、カイに助けられた二人のクラスメートは、もはや何をどうしていいのか分からない

「どど、どうしよう、どうしよう! なんか、私たちの所為だよね! 私たちが、怖い人に絡まれたからだよね!」

ただ、怯えたように涙目のメガネと三つ編みと頬のそばかすが印象的な女生徒。
彼女の名前は「山田多菜子(やまだたなこ)」

「ちが、でも、あれ? ちょっ、桐生さんも、その、魔族の……レ、レオン……くん」

 なんとか止めようとするが、二人に割っては入れない、ショートへヤーのボーイッシュでメガネの少女は「田山花子(たやまはなこ)」。
 クラスでも大人しい二人組代表な生徒たち。いずれは、『山田山コンビ』と呼ばれる二人はいつの日か語ることになる。
 
 これが始まりだったと。
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