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第五章

第140話 コスモス

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 少しは、親父とおふくろの魂も安心できたかな?
 もしここが、本当に天国に一番違い場所なら、届いたかな? 見ていてくれたかな?
 二人が思った通りに育ったかどうかは今の俺には分からねえが、俺はまだ、生きているぞ。

「ぐっ、が、……うえ、キモチワル……」
「ん? 気づいたか」

 雲の上に横たわりながらも、目を覚ましたチロタン。
 だが、意識を取り戻したといっても、もう戦う力はないだろう。
 全身真っ赤に染まっていた表皮も、元の黒い表皮に戻っている。

「と、とどめを……刺さなくていいのか?」
「あっ?」
「俺を……甘く見るんじゃねえぞ……今、ここで殺さなければ……俺は何度だって、天空世界をぶっ壊す」
「くはははは、懲りない魔王様だぜ」

 トドメか。まあ、確かにここで刺したほうがいいんだろうな。
 たとえ、俺がこれまで一度も殺しをしたことがなかったとしてもな。

「魔王様が、随分とベタなセリフを言うじゃねえかよ。まあ、確かに俺が見逃した所為で問題起こったなんて言われると、それはそれで困るからな」

 こいつを倒して、新たな命を守ったのは、親父とおふくろへの手向けだ。
 だから、ここから先は俺の判断だ。
 例え、俺が変わってしまったと言われても……なんてな……


「危ないじゃねえか。こんなところに、子供を連れてくるなんてな」


 俺が、動こうとしたとき、晴れた空の向こうから、小さな命を抱いた天使が舞い降りてきた。
 エルジェラとその子供だ。

「ヴェルト様……ありがとうございました。本当に、なんとお礼を言って良いか」
「体は無事か?」
「はい。何とか飛行できる程度には」
「そうか」

 少しやつれているな。無理もねえか。死にかけるほどの消耗をしながらも、子供を生んだんだ。
 無事で居られるはずがない。

「んで、どうしたんだよ。もし、まだ戦ってたら……つか、魔王の怪我が浅ければ、万が一ってこともありえただろ? こんなところに、ガキを連れてきやがって」
「いいえ。私は信じていましたから。今日……初めて出会ったあなたを……この子を救ってくれたあなたを。ですから、もう十分なのです。これ以上、誰も血を流すことはありません」

 一体何を根拠に言っているんだか。
 もし俺が、兵士なら現実がどうとか、リスクがどうとか説教してやるところだが、兵士じゃない分、言えることも少ない。
 結局、チロタンを見逃すことでどうなるかなんて、誰にも分からないからだ。

「魔王チロタン様。また、会いましたね」
「……チッ……クソブスが……」

 危ねえな~……。
 横たわるチロタンの傍らに腰を屈めて座る、エルジェラ。
 おい、赤ちゃんはグッスリお休みモードで、余裕だな。
 だが、そんな俺の心配をよそに、エルジェラは優しく語りかけた。

「もう、お互い…………これで仲直りということはできないのでしょうか?」

 ……このお姫様は、この後に及んで、まだそんなお優しいことを。
 
「できるか、ボケがァ! 天空世界は頭の中もすっからかんか? 血で血を洗う、血肉沸き立つ戦国の時代で、決着のつけ方が他にあるってのか? ヤレ! 俺を殺せ! 生き恥を晒させるぐらいなら、今すぐブチ殺せえええええええ!」

 チロタンだって、呆れてイラついてやがる。
 だが、エルジェラは怯まなかった。

「国を守るため、我々は剣を取りました。二度とこの世界に危害を加えぬよう、あなた方に陵辱の限りを尽くしました。そして、私は見てしまいました。美しき天空の乙女たちが、性欲に駆られて行う暴行時に見せる歪んだ笑みが忘れられません……戦というものが……これほどまでに敵も味方も狂わせてしまうのだと」

 男を知らずに育った女たちが、異種族とはいえ、男を知った。
 自分が女であることを知った。
 そして、戦争で得られる高揚感のようなものを知ってしまった。
 それが、女たちを変えてしまったことを、エルジェラは知った。


「それがつらく、苦しく、一刻も早くこの戦いを終わらせねば……たとえ、この身が鬼になろうとも……そう思っていました。ですが……私も母親になり、気づいてしまいました」

「……あっ?」

「大切なものを守るため。そんな愛の総和が、悲しき世界を作り出しているのだと」

「………はあ?」

「私も、この子のためなら何でもします。物事を決して平等に考えず、常にこの子を最優先に考え、もしこの子を傷つけるものが居たならば、世界を敵に回すことすら厭いません。そう思ったとき……あなた方も同じではないかと思うと……どうしてももう、これ以上戦えないのです」


 エルジェラは、大切に抱きしめていた己の分身でもある娘を見せた。
 何にも染まっていない、純粋無垢な命が、安らかな表情で眠っている。
 その子のためなら、何でもできる。
 俺もその気持ちだけは、よく分かった。

「ですから……魔王チロタン様、どうか……どうか、この戦を、王であるあなたの手により、ここで終幕として戴けないでしょうか?」
「終幕……だと?」
「はい。和睦協定を結ばせて戴きたいのです。天空王国ホライエンド、皇女エルジェラの名において、捕虜となった方々も速やかに解放します」

 おい……甘すぎねえか? これは。

「私はこの子を……血に汚れた手で抱きしめたくはありません」

 気持ちはわからんでもねえが、相手は魔王だ。
 しかも、言っちゃ悪いが、知的な魔王ってわけでもねえ。
 後のことを考えると、やっぱり、今この場で殺したほうが……

「……名前……」
「はい?」
「そのガキ……名前はなんて言うんだ?」

 あまりにも意外なチロタンの問いかけに一瞬呆けたが、エルジェラはすぐに微笑んで答えた。


「コスモス……今日この日が、ただの終戦の日ではなく……新たなる調和の取れた世界が生まれた日と願いを込めて」


 コスモス……それが、俺に目覚めさせてくれた子供の名前。
 そして、ある意味で……この世界を変えた子供の名前なのかもしれない。

「クソが……のんきに寝やがって……メチャクチャ可愛いじゃねえかよ、クソが! どこの天使だ!」

 チロタンは、すやすやと眠るコスモスの表情に、溜め込んだ何もかもが全て消え失せたのか、そのまま大の字になって空を見上げた。
 そして、ほんの少しだけ笑ったような気がした。

「帰りましょう、ヴェルト様。そこで、魔王チロタン様の手当も行います」
「………どうなっても、知らねえからな」

 いや、マジで。ほんと、これ以上は俺の責任じゃねえからな。
 そう言って、俺はチロタンをレビテーションで浮かせて、エルジェラト共に飛んだ。

「なあ、クソガキ」
「あんだよ、魔王様」
「派手な戦いの割には、ショボイ結末だな……」
「ああ、母の愛と子供の可愛さは最強ってことだろう?」
「ケッ……」

 飛行中、言葉に力のないチロタンが、愚痴をこぼすように俺に向けた。
 俺も何だか、それに普通に答えていた。
 やるかやられるかを繰り広げた異種族の王を相手に。
 まあ、そういうVIPには慣れてるんだけどな。

「なあ、クソガキ…………」
「だから、なんだよ?」
「俺たちだけじゃねえぞ」
「はっ?」
「俺たちだけじゃねえって言ってんだ。今回俺たちは偶然見つけたが、この天空世界の存在は、いずれ世界も気づくぜ?」
「ああ、そうかもな。まあ、今はどいつもこいつも天空の世界なんてロマンより、神族大陸での争いの方に興味津々らしいけどな」
「クソガキ……この時代は……化物が潜んでいるんだぜ?」
「化物?」
「魔族も亜人も人類も、その化物に取り付かれてやがる。何十万、何百万の命を生贄に捧げても足りねえ。世界をどす黒い闇で覆い、真っ赤な血で大地を染める。その化物は、遥か昔から存在し続ける。何だか分かるか?」
「…………いや……」
「その化物は、『敵意』と『憎しみ』と『正義』っていう、クソみてえな化物だ」
「ほ~、細胞まで筋肉まで出来ている魔王様が、随分とうまいことを言うじゃねえか」

 ああ、そうかもしれない……
 敵意と憎しみと正義が、世界を壊している。
 それは、この世界だけじゃねえ。
 朝倉リューマの世界もそうだったかもしれねえ。

「俺はよ、破壊するだけしか知らねえ。敵意と憎しみだけで、ムカつく奴らをいつだってぶっ飛ばしてきた。欲しいものは全部ぶんとって来たぜ」
「それは、敵意と憎しみに因われてるってことか?」
「ああ、そうだ。……テメエはどうなんだ?」

 俺はどうか? 半端に戦争に参加したが、結局、守りたい者を守り、ぶっ飛ばしたい野郎をぶっ飛ばしただけ。
 結局、形だけの勲章は貰ったものの、それ以上何かを手に入れようとは思わなかった。

「俺はただ、自分の敵だけをぶっ倒すか、自分の世界だけ守れりゃそれでいい。家族とか、ダチとか、女とかな。まあ、最近じゃ、そのダチと女が率先して戦争で活躍しまくってるから頭が痛いけどな」
「自分の世界だけ? 小せえ野郎だぜ」
「大きなお世話だ。いいじゃねえかよ、その小さなもんが今の俺には全てなのさ。まあ、その代わり、俺の世界を脅かすなら、世界丸ごと相手でも戦ってやるけどな。その覚悟が、今日できた」

 俺はそれでいいんだ。それでいいと思い続けてえな。

「グハハハハハハハハハ、反吐が出る!」
「血イ吐いてるぞ?」

 チロタンは、血を吹き出しながらも笑った。
 気にくわないと、俺を睨み付けながら。

「テメエは何も分かっちゃいねえ。そうやって、自分には関係ねえと思い続けている内に、全てを失うぜ? 全てをだ! そして後からテメエも後悔して、この世界を呪って、敵意と憎しみを剥き出し、そして狂った正義を掲げて暴れるのさ!」

 お前は甘い。まるで、魔王にそう説教されているような気がして、そして俺はそれに何も言い返せなかった。


「グハハハハハハ、もっと現実を知りやがれ! 底すらねえ、戦争の奥深さを知れ! 平和? 和睦? 心? そんなもん、アッサリぶっこわれると知れ! グハハハハハハハッハ!」


 それは、ほんの一瞬だった。


「なっ!」


 チロタンが、最後の力を振り絞って、俺の魔法の戒めをぶち破った。
 言われた言葉に俺の心に隙が出来た、その瞬間だった。


「こ、この野郎! 往生際がワリー奴が!」

「ッ、ヴェルト様!」


 俺はすかさず動いた。チロタンを捕らえるためではなく、まずはエルジェラと子供の安全を確保するために。
 だが、チロタンは俺たちの予想外の動きをした。


「今更、仲良く終戦なんて出来るか! 俺はテメェらの思い通りにはならねえ!」


 チロタンは俺たちに向かってではなく、最後の魔力を振り絞り、雲海の遙か下まで飛び出した。
 逃げた? いや、違う。
 こいつは、自分で自分のケジメを付ける気だ! 生き恥を晒す真似が耐えられず!


「グハハハハハハハハハハハハハハハハハ! クソっくらえだあああああああああああああああああああああ!」


 そして……
 雲と海上の中間地点で起こった大爆発。
 その爆発の光と振動が天空世界まで届く。
 だが、それでも天空世界は無事だ。
 当たり前だ。今、チロタンは相打ちするために爆発したのではない。
 
「バ、バカ野郎が………だから、何でそんな両極端なんだよ! 負けたら自殺するとか、後味ワリーことしやがって! 何で負けたくらいで死ぬ必要があるんだよ!」

 だが、俺の叫びにチロタンは何も返さない。 
 俺もエルジェラも、その煙を眺めながら、やるせない気持ちになった。

「えっ、えう、ほ、ほぎゃーーーー! ほぎゃー!」

 安らかに眠っていたコスモスも起きて泣き出すほど。
 俺たちもそれぐらい、悔しかった。

「どうして分かり合えないのですか」

 目に涙を溢れさせながら、エルジェラが嘆いた。

「そういう奴らも居るんだよ、この世にはな」
「でも、でも………コスモスを見たあの方の目は……とても穏やかでした」

 ああ、俺もそう思っている。でも、結果はこれだ。
 これが『戦争』だ。その一言ではどうしても片づけたくねえのに、今の俺にはそれしか言葉が思いつかなかった。

「愛情を持って接すれば、いつかきっと分かり合えると……私はそう信じて……」

 結果的には、俺もエルジェラも甘かったのかもしれねえ。
 だが、それでも、『甘かった』の一言では片づけたくねえ。


「エルジェラ。確かに優しさだなんだで救われるほど世界は甘くねえかもしれねえ。でもな………それに救われたクソ野郎も確かに居るんだぜ?」

「ヴェルト………様………」


 それだけは確かにそうだと思いたかった。
 すると、エルジェラは立ちこめる爆煙を眺めながら、何か遠くを見るような目で呟いた。

「私は何も知らないのですね。この世界を」

 そして、その目は何かを決めたような意志を感じた。


「私は、世界をもっと知りたい。もっと、この目で見たい。そしてその広い世界を……この子に教えてあげたい」


 泣きじゃくるコスモスをあやしながら、エルジェラがそう呟いた。
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