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第一章

第20話 器の小ささ

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 ファルガが帰ってきて、魔王が来るかもしれないという噂が国中に流れたが、今のところ目立った変化は無かった。
 もし魔王が来ているなら、大軍構えて警備している国境近辺から報告があるはずだが、未だにそんな情報はない。
 魔王がいつ来るか分からないまま怯えて暮らすより、その時が来るまでは極力いつもどおりの生活をした方がいい。
 だから、俺は今日も変わらず、油と火にまみれていた。

「なにい、出前?」
「そうだ。お前が前まで住んでいた家の近くの、モタロさんの家だ」
「おいおい、王都の外じゃねーかよ。麺が伸びるぞ?」
「ああ。そう言ったら、チャーハンと餃子とスープでいいってよ」
「たく、このクソ忙しいのに出前なんてシステムを取り入れやがって」
「まあ、安い労働力が手に入ったからな。ちょっくら頼むよ」
「わーったよ。これも特訓だ」
 
 先生の店は今ではすっかり王都でも人気になり、飯時は常に混雑するようになった。
 バイトの手も増やしたり、調理経験のある弟子もとったりと、順風満帆だ。
 ある意味、先生は前世の記憶を有効活用して、異世界で十分な成功を収めていた。
 俺はと言うと、まだまだ戦力外のために皿洗い等の雑用ばかりだったが、今日はようやく仕事が一つ増えた。
 それが、先生の取り入れた出前システムだ。

「浮遊≪レビテーション≫」

 見よう見まねで作らせた岡持ち。朝倉リューマの時にも持ったことがないので、新鮮だったが、手で持つとかなり重い。
 ただ、こういう重い物を運ぶのに便利なのが浮遊≪レビテーション≫であり、これを何度も繰り返せば練度も上がる。
 俺の訓練にはピッタリなものだった。

「って、まさか先生、俺のプランを聞いて、俺のために出前システムを導入したんじゃ……んなわけねーか」

 俺は約束通り、先生にだけは話した。学校をやめるとき、俺が今後どうするかのプランだ。
 神乃を探す。三度も後悔しない。そのために必要なのは力。戦う技術と生き残る術だ。
 まず、直近で必要なのは戦う力。それを手にするためのプロセスを先生には話したんだが、先生の方でも考えてくれたのか?
 いや、どうせ聞いてもはぐらかされるだけだからやめよう。
 俺はただ、やるべきことをやるだけだ。

「おっ、坊主」
「おお、武器屋のじーさん!」
「お使いか?」
「まーな」

 偶然すれ違った、武器屋のじーさん。シャウトとの決闘以来、たまに会う。
 学校と魔法を覚えることをやめた俺の戦闘手段は、もはや武器。
その武器の相談でたまに会うようになった。

「どうじゃ、あれから改造した武器の方は」
「ああ。まあ、何とかな。使う機会もねーから、効果はワカンネーが」
「ふん。また何かあったら遊びに来い」
「おお。じーさんも店に来いよ。いっぱい世話になってるし、今度一杯奢るからよ」
「坊主が、おっさんのようなことを言うでない」

 初対面の頃は、俺には武器を持つ資質も覚悟もないと言っていた武器屋のじーさん。
 だが、俺が学校をやめて、武器について相談しに行った際に素直に頭を下げたら、何もなかったように対応してくれた。
 じーさん曰く……

――前よりずっと……マシな目になったではないか

 とのことだが、どの程度変わったかは自分でも分からない。
 ただ、じーさんだったり、先生やカミさんだったり、フォルナやファルガといい、俺は随分と恵まれた環境にいると、つくづく思った。

「おう、ヴェルト。聞いたぞ、宅配を始めたんだってな」
「今度、俺たちも注文するからよ、頼んだぞ!」
「いや、そんなに頼まれても対応できねーよ! 食いに来てくれよな!」

 気楽な門番たちの横を通り過ぎて、俺は久々に王都の外へと出た。
 そう、久々だった。

「そーいやー、親父とおふくろの墓は王都の中にあるし、家のものは全部燃えちまったから……外に出るのはあれ以来だな」

 あれ以来。親父とおふくろを失った日だ。
 別に怖いわけではない。ただ、少しだけ緊張した。
 今、俺はまだまだ弱い。亜人や魔族に襲われたら一瞬で殺される。

「って、バカか俺は。今は魔王対策で、国境も何倍も警備されてるから、バケモンどもが一匹でも入ることはねえってのに」

 だから、大丈夫だ。なのに、何でチラつくんだよ。燃え盛る俺の家が。血まみれの親父とおふくろが。
 いや、そうじゃない。俺はまだビビってるんだ。
 フォルナや先生には大丈夫って言ったけど、俺は大丈夫じゃなかったんだ。 
 そう思うと、足が自然と速くなった。
 早くここから帰りたい。心臓の鼓動が早まるばかりだ。

「はあ、はあ、はあ、ここだ。久しぶりだな、ここに来るのも」

 近所の老夫婦。親父と一緒に何度か会ったことはある。いつもニコニコした仲の良い二人だった。
 親父とおふくろの葬儀以来だから、ひょっとしたら驚くかもしれねーな。
 そんな軽い気持ちで俺は家の扉を開けた。

「おーい、出前持ってきたぞー」

 だが、声は返ってこなかった。
 代わりに、バタバタと慌てる音だけが部屋の奥から聞こえた。

「ッ、じーさん! ばーさん!」

 嫌な予感がした。
 全身の鳥肌がたった。
 気づけば俺は部屋の奥へと走り、そして見た。
 
 じーさんと、ばーさんが床に倒れている光景を。

 その傍らに、長身の、全身真っ黒の鎧に身を包んだ、青髪の赤目で、尖った耳をした謎の人物が居た。
 いや、人ではない。見かけは人だが、違う。


―――魔族だ。

「こ、この、てめ、ら」


 もう、何も考えられなかった。
 何故ここに居る? どうやって、国境を通り過ぎてここまで来れた? 他に仲間は? 目的は?
 全部どうでもよかった。
 あの日の光景がフラッシュバックし、俺は警棒構えて飛びかかっていた。


「ぶっ殺してやらー!」


 だが、


「危害は加えておらぬ! 後生だ、見逃してくれ!」


 端正な顔立ちをしたその若い魔族は、俺が襲いかかる直前に、ありえないことをした。
 土下座だ。
 正直、俺は言った何が起こっているのか分からなかった。
 だが、すぐに気を取り直した。

「何が見逃せだ、ふざけんじゃねえ! じーさんとばーさんを殺しておいて、何を見逃せってんだ!」
「殺してない! 魔法で眠らせただけだ! 約束する、私はどうなろうと構わない。見逃して欲しい。助けてくれ!」

 何を言ってるんだ、この魔族は?
 この格好。そして腰に差した仰々しい剣。どう見ても魔族の軍人。しかも、重厚な鎧は多分特注品で、それなりに地位の高い魔族のはずだ。
 身長も二メートル近い。
 どう考えても強い。そして、俺を一瞬で殺せる戦闘力を持っている。
 なのに、何で俺に命乞いしてんだ?


「ルウガ……なに……している……」


 それは、酷く衰弱した声をした幼い声だった。

「ッ、な、なんなんだ?」

 気づかなかった。
 部屋の隅の壁に寄りかかるようにして、今にも事切れそうな魔族の少女がいた。
 長い銀髪に、赤い瞳。そして、額から伸びた角と尖った耳。
 小さな鎧を纏い、下は藍いスカート。
 俺やフォルナと同じ歳ぐらいに見える。

「ウラ様、喋ってはなりません。ここは私にお任せ下さい!」

 ルウガと呼ばれた軍人の表情、そしてこのウラという子供の様子を見れば、いくら俺でも察しがつく。

「人間の少年よ、我らは魔族。人間たちの力に敗れてこの辺境まで逃げてきた。魔国へ帰ることもできず、既に兵糧もつき、この方は深刻な状態だ。頼む、食料を分けて欲しい。この通りだ!」

 嘘を言っているようには見えなかった。
 だが、

「勝手なこと言いやがって。拒否したから、じーさんとばーさんを眠らせて、力づくで奪おうとしたのか?」
「そ、それはっ」
「ふざけんな。どうして、俺がそいつを助けなくちゃいけないんだ!」

 俺は魔族に恨みはない。親父とおふくろを殺したのは亜人だ。そんなことは分かっている。
 でも、俺はあれ以来、異形の奴らを簡単に割り切れない。


「確かに私は戦争で人間を殺した。だから、敗れた以上、死も受け入れよう。だが、この御方は別。絶対に死なせてはならないお方だ。頼む。食料を分けて欲しい。そうすれば、黙って帰る」

「ざけんじゃねえ! テメーらの約束なんか信用できるか!」


 俺は土下座したまま顔を上げたルウガの頭に、カカト落としをした。
 子供の力とはいえ、頭部への一撃だ。僅かにルウガの表情が歪んだ。

「どうせ生き延びたらまた人間殺すんだろ! そのお嬢様が何者か知らねーが、今この場で……」

 その時だった。
 ルウガが腰元の剣に手をかけた。
 抜いて殺す気だ。
 俺はやっぱバカだ。
 大人しくメシをやれば助かったかもしれないのに。
 でも、あの時みたいに、怯えて逃げ出したくなかった。
 そう思ったとき、俺は自分の目を疑った。

「お、おいおい、何を……」

 鮮血が飛び散った。だが、それは俺の血液ではない。
 魔族の証明でもある、青い血。
 ルウガが自分の左腕を斬り落としていた。
 砕けたガンレットごと、左腕が床に転がった。

「望むのなら、この右腕も斬り落とそう。こんな形でしか私の気持ちを証明できないのが……頼む、どうかご慈悲を」

 殺して奪えばいいじゃないか。だって、俺は一瞬で殺せるザコだろ?
 騎士道精神のつもりか? 魔族が? 泥棒だと思われたことでプライドを傷つけられたか?
 いや、違う。こいつはそういうことを考えてやったわけじゃない。
 ただ必死に、この死にかけの魔族の娘を助けたいだけなんだ。


「は~……俺も小さいね~、……器が」


 こいつは本物だ。見ればすぐ分かる。
 なのに、亜人に対する恐怖から、人間と違うという理由だけで俺はビビッてしまった。
 こいつに恨みなんてねーし、見捨てる理由もねーのに。

「今日、俺がやったことは、死ぬまで人類には内緒にしてろよな」

 岡持の蓋をあけて、チャーハンと餃子とスープをルウガの前に置いた。

「恩に切る!」

 ルウガは安堵の表情で、額を床に再び擦りつけ、即座に倒れている少女の下へ駆け寄った。

「ウラ様、口を開けて、ゆっくりです、ゆっくり噛んで飲み込んでください」
「うっ、うう…………」
「慌ててはダメです。ゆっくりです」

 最初はゆっくりだったが、ウラという娘も徐々に口が動くようになる。
よほど腹が減ってたんだろう。顔も少しずつではあるが、生気が戻ってきた。
 その様子を見ながら、ルウガは今にも泣きそうな表情だ。
 何度も「よかった」と呟いている。

「あーあ、これで人間が滅んだら俺の責任になんのかな?」

 少し憂鬱にもなった。だが……

「あっ…………」
「ん?」
「……あり……がとう」

 か細いが、ウラが確かに言った「ありがとう」という言葉。
 まあ、悪い気はしなかった。
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