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第一章

第13話 親

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 いい買い物をしたもんだ。実質タダだけど。
 教鞭、もとい警棒を専用のホルダーで左右の腰に携える。
 子供の体には随分重いため、使い慣れるには時間がかかりそうだが、二刀流の侍にでもなった気分だ。
 人間相手に試し打ちするわけにもいかないから、家に帰って木でも殴ってみるか。

「しっかし、随分と遅くなっちまったな。過保護なおふくろと親父が心配するかもしれねーから、さっさと帰るか……最近、先生の所にばっか寄ってたから、おふくろも拗ねるし……むずかしーぜ」

 タイラーたちと別れて帰宅する。
 そして帰宅後に待ってる両親のことを思い、何だか最近は色々と考えるようになった。
 それは、朝倉リューマの記憶がよみがえり、さらに先生と再会してからは、自分がヴェルトであるという認識より、朝倉リューマとしての認識が強くなったからかもしれない。
 親父とおふくろが俺を愛してくれてるのは分かってるし、ヴェルト・ジーハにとって二人が本当の親なのは分かっている。
 この間も心を開いて話すことができて、壁なんて考えるのはアホらしいということだと分かった。
 だけど、それで素直に子供らしく甘えるとか、俺はそういう感じでもないからな。
 特に二人ともスキンシップが多く、俺に抱き着いたり、抱っこしたりしてくるわけだが、俺は見てくれは十歳でも中身はな……

「親父とおふくろか。ちょっとウゼーとこもあるけど、まあ、嫌いじゃないからな」

 最近、魔法や将来のことを考え出すようになってから、ふとした瞬間にそんな考えをするようになった。
 ただでさえ、前世の俺はあんまり親に子供らしく甘えるってのが分からないまま高校生になって死んだから、今も色々と悩ましい。
 だが、俺のそんな考えはすぐに消え失せた。

「えっ?」

 夕焼けの色? 違う。俺の視界には炎に包まれる、俺の家が映っていた。
 一瞬呆けてしまった。事態をまるで飲み込めなかった。
 ただ、気づいたら俺の足は全速力で駆けていた。

「おやじい! おふくろお!」

 何があった? 火事か? 俺が無我夢中で叫んだその時だった。

「ヴェルト、来ちゃダメえ!」

 俺は、おふくろがそんな大声を上げるのを初めて聞いた。
 だからこそ、来るなと言われれば、余計に行くしかなかった。
 そして、俺は見た。片膝ついて血を流している親父と、涙を流しながら寄り添っているおふくろを。

「来るんじゃない、ヴェルト! 今すぐ、逃げなさい!」

 親父の言葉が耳に入った瞬間、俺の目にはニタニタと邪悪な笑みを浮かべる異形の存在が映っていた。

「ナンダ? ガキ?」

 全身を真っ白い体毛に覆われた、猿のような顔とウサギのような長い耳。手足が異常に長く、つま先から頭のてっぺんまで三メートル近くあるというのに、両腕は地面すれすれまで伸びている。

 亜人だ。

 瞬時に理解した。
 何故、亜人がこんなところに? 何故、俺の家を襲っている? いや、そんなことは大した問題じゃ無かった。

「全員殺ス」

 亜人がそう呟いた時、親父が鬼のような形相で斧を持って、亜人に飛びかかった。

「うおおおおおお! アルナ! ヴェルトを連れて逃げろ!」
「あなた!」

 ダメだ。勝てるわけがない。親父は戦の経験も無いし、魔法だってからっきしだ。
 亜人は親父の気迫をものともせず、その長い手で親父の頭を掴み、そのまま無造作に地面に叩きつけた。

「死ネ」

 俺は怖かった。全身が震えた。だが、親父が殺されると思った瞬間、両脇のホルスターから警棒を取り出して、おふくろの制止を振り切って亜人に向かった。

「このケダモノ野郎ッ!」

 俺は渾身の力を込めた。亜人の頭を強打する。手に伝わった衝撃が、痺れとなって全身を駆け巡る。
 だが、

「ン? 痒イ」

 生身の人間なら、それなりのダメージはあっただろう。しかし、相手は亜人。
 子供の細腕で殴っても、ダメージがあるはずなかった。
 なら、これはどうだ!

「こんの、コラァ!」

 手応えあり。眉間にカカト落としだ。

「どうだ――――ッ!?」
「ウルサイ」

 これなら……そう思った瞬間、世界が暗転していた。

「や、やめろお! 子供に手を出すなあ!」
「ヴェルト! いやあああああ!」

 俺もまた親父と同じように頭を掴まれ背中から地面に叩きつけられた。

「あっ……ガッ……あ……」

 全身の力が抜けた。呼吸ができず、視界も歪む。何よりも全身を痺れさせる痛みが一気に湧き上がり、苦痛の声すら上げられなかった。

「邪魔。早ク殺シテ金ト食料持ッテ帰ル。カイザー様死ンダ……負ケタ……デモ、オレハ生キテ国ヘ帰ル」

 亜人は貫手の構えで俺の真上で構えている。
 鋭い爪が光っている。振り下ろされたら間違いなく、子供の体なんか引き裂かれる。
 俺は死ぬのか? 二回目の死を迎えるのか? 
 神乃を見つけると決めた直後に死ぬのか?


「くっ、そ……」


 震えが止まらない。声もうまく出ない。これが、本物の死への恐怖か?   喧嘩の修羅場なんかとは比べものにならねえ。

 何が異世界ファンタジーなんか楽勝だ。

 これが本物の……

 嫌だ。死にたくない。怖い。それ以外何も考えられない。


「ヤダ」


 俺はここで殺される。そう思ったとき、亜人が腕を振り下ろし、俺の顔面に鮮血が飛び散った。


「……えっ?」


 生温かい血が激しく飛び散って俺に注がれる。だが、それは俺の血ではない。

「ヴェルト……逃げ……て……」
「おふく……」
「マ、マが……まも……」

 何が起こっている? 状況は?
 笑顔のおふくろが、俺に覆いかぶさっていた。
 その体を、亜人の手が貫き、俺はおふくろの血を浴びる。
 おふくろが……なんで……


――俺は一人で寝るよ。んで、ウザイ

――パパとママにウザイなんて、お仕置きパンチ! えい! えい! えい!


 何で、こんなことを今になって思い出すんだよ!


「う、ウソだから! 恥ずかしかっただけだ!」


 俺は何を口にしてる?


「ウザイなんてウソだ! ただ、恥ずかしかっただけだ! 戸惑って、甘え方わかんなくて、でも、ほんとは、ほんとは、俺は!」


 こんなタイミングで、俺は何を言っている? 

「……うん……ヴェル……ト……だい……す、だよ」
「おふくろおおおおおおおおおおおおおおお!」

 何で、俺は泣いているんだ?

「五月蝿イ」

 亜人がもう一本の手を振り下ろそうとする。おふくろごと俺をこのまま殺す気だ。
 だが、

「させるかああ!」

 親父が亜人の脇腹をタックルして引き倒した。

「はあ、はあ、ヴェルト、怪我はないか?」

 怪我? 痛みはある。少しは動ける。だが、俺の怪我より、おふくろだ。
 気づけば俺の周りは血だまりができていて、おふくろはピクリとも動かない。
 このままだと、おふくろが死ぬ。だが、親父は何も言わなかった。ただ、唇を強く噛み締めながら、肩を震わせていた。

「ヴェルト。パパがこいつを倒す。その間に、王都へ……城へ逃げなさい」
「や、でも、おふく、このままじゃ、だって、あぶな、俺」

 口がうまく回らない。言いたいことが何も言えない。何が言いたいかも分からない。

「全員シヌ」

 立ち上がった亜人を見れば簡単に分かる。勝てるわけがない。殺されるに決まってる。

「やだ……逃げねえよ……」

 唯一、俺はそれだけを絞り出せた。だが、その時だった。
 俺は親父に生まれて初めて胸ぐらを掴まれた。


「とっとと逃げろって言ってんのが聞こえねえのか! たまには親の言うことぐらい聞けってんだよ、このバカ息子が!」

「ッ!」

「いけええええええええ! 走れえええええ!」


 逃げないと決めた俺の意思を簡単に壊してしまうほどの親父の言葉。
 俺は傷ついた体で、ただ無我夢中で逃げ出していた。


「やだ、誰か、助け、殺される。親父が、親父、おふくろが、おやじが」


 誰が助けてくれ。殺される。誰か助けてくれ。


「ヴェルト……絶対に……パパとママは、いつだってお前を見守っているから……」


 微かにその声が聞こえた。

「誰かー、誰か来てくれー! 誰か、誰か助けてくれ!」

 とにかく俺は彼方に向かって叫んだ。誰でもいいから聞こえてくれと、ただそれだけを願った。
 すると、遠く離れたところから何かが見えた。それは、何頭もの馬。


「ヴェルトくん!」


 ガルバ護衛隊長と騎士団だ。その姿が見えた瞬間、心の底から安堵して俺の意識はそこで切れた。


――ヴェルト、世界一愛している


 風に乗って、親父の声が聞こえた気がした。
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