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レベル5.女騎士と女奴隷と告白

4.女騎士とセカンドキス(後編)

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「せやっ!」
「おっと」

 決闘などと銘打ったものの、結局はいつもと変わらないただのチャンバラだった。
 強いて変わってるところを挙げるなら、リファの戦闘スタイルだろうか。
 こちらとの距離をつねに詰め、ひたすらに攻撃の手を休めようとしない。

 良く言えば手数で圧倒する戦法、悪く言えばただのゴリ押し。
 剣筋も荒くなってるし、攻撃も単調で読みやすい。

 今までの彼女の戦型は言わばダイナミックに薙ぎ払う力技と、トリッキーなフットワークのコンボ。
 武器の大振りはパワーは強いがその攻撃直後に隙ができる。しかしリファはそれを女性特有の軽やかな身のこなしとステップで最小限に抑え、すぐ次の攻撃に繋げるという極めて効率的な戦い方を得意としてきた。
 だが今は……。

「舐めるなっ! 私は……貴様みたいな平和ボケした人間なんかより、何度も何度も戦場を経験してきたんだ! 私が負けるはずないんだッ!!」

 どうやら俺を倒すという目的だけが彼女の頭の中で渦巻いているらしい。
 相手の動きや位置、自分の体力等を見て、次にどういう手を打つかということを考えるプロセスがまったくもって欠落している。
 上段斬り、腹部を狙っての突き、斬り上げ。大体この三種を掛け声とともにランダムに繰り出すだけだ。
 おまけにいちいち攻撃が終わったら一呼吸入れてくる。浴衣なんて動きにくいものを着ているという点を差し引いても非常にテンポの悪い、もっさりとした戦い方だ。

 だから、俺みたいな奴とは相性が悪い。
 攻撃直後の隙を狙って反撃する、カウンタースタイルの敵にはな。

 これまでの手合わせで俺は彼女に負けたことはないとさっき偉そうに言ったが、誤解のないようにはっきり言っておく。
 こいつに対して苦戦してこなかったわけでは断じてない。危うかった場面は正直何度もあった。
 というのも前述の通り、リファの攻撃はモーションは読みやすく回避は容易だが、すぐ次の一撃が来るためにこっちが反撃するチャンスが少ないからである。そのまま長丁場になって体力が落ち、よけるのすら難しくなってピンチに、なんてことはザラにあった。

 でも……今はそんな「負けるかも」なんて懸念はサラッサラない。
 こんな、どうぞ反撃してくださいと言わんばかりの隙だらけの攻撃に、負けるはずがない。

「だぁっ!」
「小手っ!」

 突きを横に回避して、伸ばされた腕にこつんと一発。

「くそっ! このっ!」
「胴っと!」

 続けざまに来た回転斬りをバックステップでかわし、剣を振り終わった瞬間に腰へ軽く一発。

「うぅーっ! ふざけるなぁっ!」
「面!」

 リファが号哭と共に剣を振り上げたタイミングで素早く彼女の背後に回り込み、攻撃を開始するより前に脳天にやや強めの一撃。

「痛っ!!」
「おっと、悪い。大丈夫?」

 俺はすぐ謝ると、彼女の頭に手を置こうとした。
 が。リファの鋭い眼光と、予備動作なしで放たれた斬り上げでそれは中止せざるを得なくなった。

「何を敵の心配などしている! 今は真剣勝負の最中だということを忘れたのか!」

 肩で息をしながら、リファは俺を睨んで枯れた声で怒鳴った。

「それなのに貴様は、さっきから腑抜けたような攻撃ばかり……挙げ句に気遣うような真似まで……からかっているのか!」
「いやだって……あんまり強くやりすぎて傷口開いたりとかしないかなー、って思ってさ」
「この期に及んでっ!!」

 牙を剥いたリファは踏み込んで再び襲いかかってくる。
 肩を狙った斜斬りだったが、俺は木の棒で軽く受け流す。自分の力を逆手に取られたリファは、勢い余ってその場に尻餅をついてしまった。

「くそっ……なぜ。なぜ勝てないんだ!」

 地面に拳を打ち付けながら女騎士は悔しがる。そんな彼女を見下ろして俺は淡々と述べた。

「攻撃が単調すぎるし、動きも大きすぎるからだ。そんなんじゃ普通に誰だって避けられる。そこを立ち回りでカバーするのがお前のやり方だったはずだろ」
「うるさい、貴様なんぞの助言などいらんっ! 眼の前の敵を叩き潰す……それ以外に考えることなどないッ!」

 跳ね起きて叫ぶと、彼女は力任せにまためちゃくちゃに剣を振り回す。
 やれやれ……パニクって今までのことを色々忘れたとか言ってたけど、まさか自分の戦い方までもとはね。しょうがないなもう。

「じゃあわかったよ。眼の前の敵をとにかく倒すってことしか頭にないんならそれでいいさ」

 俺は投げやりに言いながら、リファの攻撃を一通り避け続ける。

「でもだったら……せめて出す技を変えてみたらどうだ?」
「何?」

 鍔迫り合いになったところで、擦れ合う剣越しに提案するとリファは眉をひそめる。

「こんな攻撃を繰り返してても、結果は変わらない。俺に全部かわされてカウンター決められるからな。だったらどうすればいいか」

 俺はすばやく後退して彼女から離れると、人差し指を一本立てた。

「答えは単純。連撃じゃなく必殺技で一気にカタをつければいい。回避不能で一撃必殺だから、反撃の心配も全くなし。繰り出した時点で勝ち確定だ」
「ひっさつ、わざだと?」
「おうよ。例えば……」

 ニヤリと笑って、俺は腰を低くすると彼女めがけて突進した。
 リファも急いで応戦しようとするが半ば不意打ちに近い形だったために間に合わず、結果的に俺の懐への侵入を許してしまう。
 棒の先端に左手をあてがい、そのまま曲げた足を一気に伸ばして跳躍。その勢いで彼女の顎を狙いアッパーのモーションで斬り上げる。
 右手の剣を振るう力と、左手で刀身を打ち上げる力、そしてジャンプによって加わる力の三種が合わさって強烈な一撃を産んだ。

「牙突ッ!!!」

 その必殺技の名が叫ばれ、見事にクリーンヒット。
 リファは後方に大きくのけぞる。その身体がまた地に沈みそうになるが、ギリギリのところで耐えた。

「な、なんだと……?」

 ヒリヒリと痛む顎をさすりながら、女騎士はたった今自分が何を食らったのかわからずに目をパチクリさせている。
 俺は自慢げに笑いながら木の棒を掲げて言った。

「牙突だよ牙突。知ってるだろ? 『るろうに剣心』に出てくる志々雄真の剣技だ。よく読んでたじゃねぇかお前」
「……はぁ?」
「騎士っていう職業柄、ああいう内容には結構惹かれるものもあるんだろうって思ったよ。んでもってよく真似してたなぁ。読んだらすぐに練習に付き合わせんだもん。いい迷惑だったぜホントに。そのせいで俺までやり方覚えちまったよ」
「……」
「そのバッテン傷……それももしかして真似か? 確かに主人公のトレードマークだもんなぁ。細かいとこまでよーやるねぇ」
「これは……」
「そら、次はこいつだ!」

 間髪入れずに、俺は呆気にとられているリファへのさらなる追撃の準備に入った。
 腰を落とし、棒を立てて中心部分を右手で持つ。その後左手を首の後ろから回して、先端部分を逆手に握る。
 傍から見れば異様すぎるポーズ。ヨガでもやってるようなその姿にリファは一瞬不可解な表情をしたが、すぐに俺が何をしようとしているのかを理解した。
 それに気づいてハッと目を見開くのと、俺の口角が釣り上がったのはほぼ同時だった。

「おらよ!!」

 勢いよく俺は走り、間合いを詰めたのと同時に腰を時計回りにひねる。
 そして縦に持っていた棒を水平にし、左手で抜刀して彼女の横腹に瞬足の斬撃を繰り出す。

「ぐっ!」

 今度はかろうじて防御だけは間に合った。
 もっとも、ダメージを軽減するという意味ではほぼ効果はゼロに等しかった。要はそれくらいの威力があったということだ。

「うわっ!」

 自らの代わりに攻撃を受けた彼女の剣はいともたやすく弾き飛ばされ、空虚な音を立てて転がっていった。
 居合。
 日本に古く伝わる、馴染みの深い剣術の一種。
 だが今繰り出したのはただの居合ではない。

「三・千・世・界」
「……っ?」

 ゆっくりと納刀しながらその必殺技の名前を教えてやると、リファは怪訝そうに顔をしかめた。

「知ってんだろ? 言わずとしれた『BLEACH』の主人公、黒崎一護の必殺技だ。お前これが一番真似できそうとか言ってはしゃいでたの覚えてるか? ま、今までやった中じゃ確かにやりやすいっちゃやりやすいけどな」
「……」

 剣でガードしたせいで腕にも相当の衝撃がいったのか、手首を抑えてリファは苦い顔をしている。
 俺は彼女の剣を拾ってやると、もう一度放り投げて彼女に返してやる。

「さて、んじゃそろそろトドメといきますか。目ぇ開けてよーく見とけよ」

 軽く棒で素振りをしながら俺は彼女へ引導を渡すべく一歩近づく。

「『犬夜叉』は知ってるよな。そん中で殺生丸や、天生牙の力を吸収した犬夜叉の使う必殺技。空間を切り裂いて冥道を開き、敵を冥界へ直接送り込む作中最強とも言える究極奥義。……リファ、お前が過去で一番興奮したって言ってたやつだ。覚えてるか?」
「……」

 ごくりと唾を飲み下して、女騎士は警戒度を高める。
 だが、それもいずれ全て徒労に終わるだろう。これを受けてただで済む奴はこの世に一人たりとていねぇ!
 俺は棒を両手でしっかりと握りしめ、切っ先を敵に向けたまま全速力で走り出す。
 これで決めてやる!

「いくぞぉ!!」
「――っ!」

 リファも覚悟を決めたのか浴衣の裾を翻し、太腿が大きく露出するのも厭わずに立ち向かってくる。
 一瞬でお互いの距離が縮まり、ゼロになる寸前で俺は大声でその技の名を叫んだ。

「必殺! 邪聖剣烈舞踏常闇じゃせいけんれっつだんしんぐおーるないとぅえ、だっ――あ?」

 しまった。早まって噛んでしまったらしい。いかんいかんやり直し……えーっと。
 ……あれ、なんだっけ? やべぇ続きが思い出せねぇ。焦ったせいで頭から抜け落ちちゃった!?
 いかん、かっこよく決まるはずが出鼻くじいてしまうとは……もう一度落ち着いてリトライ……。

「えっと……ちょとまってタンマやり直し――」

 ガッッ!!!
 と、喉元にプラスチック製の剣が押し付けられる。
 忘れたか、今は真剣勝負の真っ最中。お芝居の稽古じゃあるまいし、そんな都合のいい要求が通るわけがない。
 つまりこっちが勝手にしくってせっかくの攻撃のチャンスを文字通り、棒に振ったということだ。だからこうしてリファにフィニッシュ技を叩き込めず、それどころか向こうの反撃を食らうという結果に。

「いい加減にしろ……」

 静かに、しかしこれまでで一番強い怒りがこもった声でリファは言った。

「必殺技だと言うから何かと思って見てみれば……なんだその間違いだらけのデタラメな技はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 怒鳴り声とともにリファの中段蹴りが俺の土手っ腹に炸裂。
 胃が圧迫され、危うく祭りで食べたものを全て吐き出しそうになる。エビのように身体をくの字に曲げて呻いてよろめく俺にリファの容赦ない攻撃が飛んでくる。
 よりによって一番力のこもる柄の方でこめかみを殴打。とっさにローリングでダメージを軽減したものの、めちゃくちゃ痛い。

「何が牙突だ! 貴様が最初にやった技は『龍翔閃』だろうが!! しかも使い手は志々雄真じゃなくて緋村剣心だし、牙突の使い手は斎藤一だッ! 何もかも違うではないか愚か者ッ!」

 凄まじい形相で言いながら、リファは剣を右手から左手へと持ち帰る。
 そして肩の位置まで剣を上げ、まっすぐ俺へと伸ばした右腕と水平になるように構え、そっと切っ先に指をあてがう。

「そして本物の牙突とは……こういう技だッッ!!」

 言い終わるか終わらないかのうちに、リファの差し迫る姿が目の前に。
 構えた剣を……目にも留まらぬ速さで突き出した。

「牙突ッ!!!」

 回避成功率0%。食らう前でもわかる、正面から受けたら死は免れない程の威力。
 漫画で見た興奮と衝撃が、今恐怖と絶望になって襲いかかってくる。
 かくなるうえは……。

「っらぁ!」」

 木の棒を思い切り横薙ぎに振るう。
 こちらへ向かってくる力を正反対の方向から対処できないなら。真横に弾いて威力を打ち消す。
 所謂パリィである。
 なんとか直撃せずに済み、とりとめた命に安堵の息を吐こうと思ったが……それは一秒も続かなかった。

 リファはパリィによって崩された体勢を既に持ち直しており、踏みとどまった足に力を込めて再び攻撃を繰り出す。

「そして次の技ぁ!!」

 今度は避けられず、首元に大打撃を食らってしまった。受け身を取る暇もなく、俺の身体は軽く吹っ飛んだ。のたうち回る俺にリファは息継ぎもせずに怒鳴り続ける。

「三・千・世・界だと……? 片腹痛い、貴様のはまごうことなき『獅子歌歌ししソンソン』ではないか! 挙句に使用者が黒崎一護……? たわけが! この技を編み出したのは『ワンピース』のロロノア・ゾロだ! 出てくる作品すら間違えるとは何たる侮辱ッ!」

 そしてこちらにつかつかと歩み寄ると、無理矢理俺の手から木の棒をもぎ取った。

「第一、三・千・世・界は獅子歌歌ししソンソンのような一刀流の奥義ではない! あの技の前提は……」

 大口を開けて棒の端に牙を立てると、そのまま一気に腕に力を入れて……。
 バッキリ!! と、真っ二つにへし折った。
 両手に持った剣と棒、口で咥えた棒の切れ端。
 それぞれ三つの部位に武器を携えたリファ。

「三刀流! それがゾロの基本戦術だ! よくその身に刻んでおけ!」

 両手の剣と棒の柄の部分を少し重ね合わせ、一本の大きな槍のように構えると、それをぐるぐると回転させ始めた。
 その様はまるで風車か扇風機……もしくはヘリコプターのプロペラ。それに刻まれたらひとたまりもない。それを表すように静かだが激しい突風をこちらに吹かせてきていた。

「九山八海……斬れぬものなし!」

 フゴフゴと聞き取りにくい声で言うと、その槍の回転をさらに加速させ、こちらに突っ走ってくる。
 やばい! 攻撃範囲が広すぎる……避けきれな――。

「三・千・世・界!!!」

 抵抗する間もなく、俺はその高速螺旋斬りの餌食となった。
 地面をバウンドして倒れ伏す俺に、リファが折れた棒を二つ投げつける。

「三つ目……貴様の仕掛けてきた最後の技。『犬夜叉』の究極奥義を記憶しているかって? その言葉、そっくりそのまま返そう。本当に貴様はあれを読み込んでいたのかッ!?」
「……」
「先程の説明が指していたのは『冥道残月破』。だがっ! 貴様が実行に移そうとしてたのは紛れもなく『銀魂』の技! 聞いてほとほと呆れ果てたわ! 作品どころか掲載誌まで違う……それだけにとどまらず、技名もまともに言えないとは……両作品に対する愚行中の愚行! その罪、万死に値する!」

 冷ややか目で見下しながら、リファレンス・ルマナ・ビューアは一歩ずつ近寄ってくる。
 まずい、次食らったら確実に死ぬ! なんという一転攻勢劇。とどめを刺したと思ったらいつの間にかこっちがトドメを刺されそうになって絶体絶命のピンチに!

「よくも今までコケにしてくれたな……。だが、終わるのは貴様の方だ。覚悟しろ……」
「うぅ……」

 ラスト一撃が……くる!
 だがただでやられてたまるか! 最後の最後まで諦めない、それが俺のプライドだ!
 折れた棒きれを二本拾い、それぞれ逆手で構えると向かってくる彼女へ向けて斬りかかる。
 技のぶつかり合い……果たしてどっちが勝つか!

 と思ったが、考えるだけ無駄なようだった。
 リファは持っていた剣を素早く納刀して腰を低くする。居合の構え……さっきの俺と同じ。
 つまり……カウンター。

 ……しまった。
 気づいたときにはもう遅い。こちらの攻撃は彼女が半歩横にずれるだけでかわされ、俺は『どうぞ攻撃してください』の図を作り上げてしまう。
 それを狙っていたリファはそれだけで相手を殺せそうな眼光を放つ。

「喰らえッ! 天堂無心流秘奥義ッ!!!」

 号哭と共に、抜刀。
 プラスチック製の玩具が、ここまで恐ろしく見えるのは生まれて初めてだった。
 そしてトドメが……きた。

邪聖剣烈舞踏常闇じゃせいけんれっつだんしんぐおーるないと雷神如駆特別極上奇跡的らいじんぐすぺしゃるうるとらみらくるすーぱーまりお超配管工兄弟弐號役立不弟逆襲監督斬ぶらざーずせかんどえでぃしょんるいーじのぎゃくしゅうでぃれくたーずかっとぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「ぐわああああああああああああああああ!!!」

 情けない断末魔と共に、俺は文字通りトドメを刺された。
 満身創痍になって立とうにも立てない状態の敵を見据えたリファはふぅ、と一息。

「勝負あったな」

 剣をX字に素振り、勝利ポーズを決める女騎士。凛としていて、これまでの彼女の中で一番騎士らしい姿だった。
 大見得きっといてこれとは……無様にも程がある。
 前職が戦闘専門のエキスパートとは言え、女相手にここまでぶちのめされるとは思ってなかったよ。はぁーあ、みっともないったらありゃしない。
 でも、俺がとったリアクションはそんな考えとは真逆のものだった。

「くくく……あはははははははは! ぎゃはははははははははは!!」

 大笑いであった。
 痛いはずの腹を別な意味で抱えて。枯れてるはずの声をやかましいほどに出して。
 そりゃもうリファさんがドン引きするくらいに。

「な、何がおかしい!」
「はっははははははは……はぁーあ」

 ひとしきり笑い転げた後。俺はその場で跳ね起きた。
 そして胡座をかいて、こちらを睨んでいる彼女を見上げると短く言った。

「覚えてんじゃん」
「え?」

 拍子抜けしたように女騎士は目をパチクリ。

「お、覚えてる……? 何を?」
「だからこの世界で経験したこと。なーにが思い出せない、だよ。きちんと記憶してるだろ」
「……!」

 リファの目が大きく見開かれた。やっぱり自覚なかったのか。激昂してたせいもあるんだろうけど。
 彼女は少し後ずさって目を泳がせながら動揺している。さっきまで自分は何もかも忘れているものとばかり思ってたから、身に覚えがないことをなんで知っているんだろうと不思議でならないようだ。

「……そうだ。私は……」

 だがその不安定なものも、輪郭が見えて形がはっきりしてきたらしい。しばらくして、ようやく彼女は自分の頭の中にあるそれらを、自分が実際に経験したものであることを悟る。


 そして、俺の思惑も。


「貴様……まさかこれが目的で!」

 俺は言葉では答えず、無言で肩を竦めてみせた。
 リファはそれを肯定と受け取ると、顔を真っ赤に染めた。策にまんまと嵌められたと気づいたのだ。

 そう、これが俺の狙い。全て計画通りだ。
 挑発して決闘を持ちかけたところからずっと、彼女は俺の掌の上で転がされていた。

 キャラの必殺技がでたらめだったのも、全部わざと。故意である。まぁ最後の技名噛んだのは違うけど。
 でも、こうすることで彼女の思い出せない記憶を引き出すことには成功した。
 彼女は漫画をこよなく愛し、俺の本棚にあるのは片っ端から読み漁っていた。この世界に来て多分一番熱中した文化なんだろうと確信した。
 だからそんなことまで忘れてるなんて信じがたかった。もしかして何か変な自己暗示にとらわれて、本当はちゃんと記憶は頭に残ってるんじゃないかって思った。

 結果、やっぱりリファは全部覚えてた。
 タイトルも、キャラの名前も、そして技名も一言一句間違えずに。

 正直悪手だとは思ったよ。彼女にしてみれば手玉に取るような真似だったし、好きな漫画をバカにされたようなやり方だったしな。不快に思うのは無理もない。
 でも。

「おかげで思い出せただろ」
「……っ」

 それは否定できない事実であるため、向こうは黙るしかない。
 下唇をかんで心底悔しそうではあったが。

「漫画の力ってすげぇよな。ストーリーの素晴らしさや高度な画力のインパクトはそうそう忘れられるもんじゃないって」
「……ぅ」
「お前本当に好きだもんね、漫画。すごかったぜ、さっきの必殺技。ちゃんと訓練の成果出てるじゃんか。それだけ作品に対する愛がすごいってことなんだろうよ」

 恥ずかしさと怒りが拮抗状態にあるリファは、どっちに感情を爆発していいのかわからずオーバーヒート気味。
 そんな彼女に、俺は一連の行動を以て言いたかったことを伝えた。

「忘れたら、俺がいつでも思い出させてやるよ」
「え?」
「そりゃここに来てお前はかなりのことを学んできた。だから頭に入り切らなくなって、パンクしちゃったのかもしれないけどさ。でも、だったらまた学び直せばいいんだよ」
「まなび……なおす?」

 ああ、と俺は笑顔で頷いて夜空を仰ぐ。
 淡く光る星が、俺達を遠くから見つめ返していた。

「一回で覚えきれるほど人って頭良くないし、いつまでも覚えてられるほど記憶力があるわけでもない。だから何度も、何度も経験して学んでいくんだ。そうやって確立されていくもんなんだよ、知識ってのは」
「……」
「だからお前が学んだことを思い出せなくなったから、俺に失礼だとか思ってんなら全然気にすることないよ。俺だってきちんとした教え方できてるかっていうと、そうでもないし」

 不器用なのはどっちもだったってこと。
 完璧なんかとは程遠い。

「これからもお前は多分色んなことを忘れていくと思う。でも、だったらそれ以上に学んでいけばいい。忘れることよりも、もっと沢山のことを記憶していけばいい」

 よっこらせ、と立ち上がり。星に向けていた視線をリファに移して俺は言った。

「それを手伝うのが、俺の役目だ」
「!」
「力不足かもしんねーけどさ、でも何回でも教えるから。お前が知らないことも、忘れちまったことも、全部」

 だからさ。

「他人だなんて……そんな寂しいこと言うなよ」
「……」
「お前がここに来た時……そりゃすげぇ驚いたし抵抗もあったよ。でも、俺なりに覚悟決めてお前を受け入れようって決めたんだ。今もそれは変わってない」

 それなのに……何も言わず、何も答えず。一方的に消えてしまうなんて。
 そうしたら、もうこれ以上何も教えてやれない。まだこの世界には知っておくべきことが、知ってもらいたいことが山程あるのに。
 だがリファはバツが悪そうに顔を伏せると、押し殺したような声で言った。

「でも、私は……」
「『キズモノ』だから、か?」

 女騎士は俺の言葉に無言で頷いた。
 急に増えた不可解な傷の数々。そして露骨にリファはそれを気にしている。

「俺の元を去ろうって思ったのも、それが理由なんだよな?」
「……」

 問いかけにリファは再び首肯する。

「これ以上私を傍に置いたら、貴公にとって負担にしかならない。ここは争いのない平和な世界……戦火でついた傷が名誉になるようなところじゃない。ただ人間を醜くするだけだ。そんな奴を傍に置いておいたら……貴公だって周りからどんな目で見られるか……」
「……」

 はぁ。
 と俺は長い息を吐くと、腰に手を当ててきっぱりと言い放った。

「ば~~~~っかじゃねぇの?」
「なっ!?」

 リファは度肝を抜かれたような、はたまた鳩が豆鉄砲を食ったような表情になる。
 唖然としていた彼女はすぐに険しい顔付きで言い返そうとしてくるが、俺が一足早かった。

「俺の負担になる? 何を今更言ってんだよっつー話だよ。オメーどんだけこれまで俺に大負担かけたか忘れてんじゃねーだろーな?」
「……ぁ? ぇ?」
「服屋で試着し終えた服を片っ端から丸めて積み上げたり。他人の飼い犬を家で飼うとか強奪宣言したり。美容院で店員に向かってハゲとか言ったり。夜中に料理して片付けもせずにそのまま酔っ払って寝たり。洗濯機壊して部屋ン中泡だらけにしたり。風呂場燃やして丸焦げにしたり。インスタに俺の盗撮写真アップしまくったり! 数えだしたらキリがねーよ! それを俺はずっと耐えてきたんだよ!」
「ぅ……」
「だから!」

 長いセリフを息継ぎせずに言い終え、ゼーゼーと肩で息をしながら呼吸を落ち着けると、俺はらしくもない笑みを浮かべて結論づけた。



「傷ごときで、俺は何も気にしないよ」




 ぶち。



 と、途端にどこかでそんな音が聞こえた気がした。
 一体なんだろう。何かが切れたというか、何かを踏み抜いたというか……。
 うーん、でも周囲にそんな音を発するようなものもないし、気のせいかな。 


元素付与エンチャント


 と思ったら、いた。
 もうめっちゃ近くにいた。目と鼻の先にいた。めちゃくちゃすげぇ存在感を放っていた。The 灯台下暗し。
 リファは浴衣の袖袋からペットボトル大のガラス瓶のようなものを取り出していた。

 元素封入器エレメント
 しかも格納してある元素は……火。

 その中から溢れ出た紅蓮の波は、リファの持つ剣に蛇のように巻き付いていく。
 赤く燃え盛るエネルギーで、余すところなくコーディングを施されたその剣。絶えずパチパチと音を発し、表面はプロミネンスのように火の粉が吹き出している。まるで今すぐにその力を解放したいと持ち主にせがんでいるように。

「傷『ごとき』だと……?」

 そしてその炎の剣を携えている御本人はそれよりも激しく爆ぜていた。
 一触即発、という表現は残念ながら当てはまらない。あとちょっとで爆発しそうなのではなく、今まさに大爆発を何回も繰り返し続けているような状態なのだから。

「知ったような口を聞くなッ!!」

 悲痛な声でリファは叫んだ。
 キーン、と耳鳴りがするほどでかかった。

「どうして、どうして貴様はッ………。貴様がそんなんだから……」
「お、落ち着けよ! お前の気持ちはわかるけど、俺は別に構いやしないってだけで――」
「わかってないッ!!」

 俺の反論は彼女にあえなくかき消されてしまう。

「貴様がよくたって、私は全然よくなんかない! 私がこの傷を嫌だという気持ちは無視か!」
「リファ……」 
「そういう自分本意な善意が、私を苦しめていることになぜ気づかない! 納得できるものか……そんな同情されて、慈悲をかけられて受け入れてもらったって……そんなの、醜い自分を無理やり押し付けてるのと同じだ……」
「……」
「私がどんな思いで、貴様の元を去ろうとしたと思ってるんだ……。辛くて、苦しくて、悩みに悩みぬいて、その末に苦渋の決断をしたというのに……。そのうちの何を貴様はわかったというんだ!」

 キッと俺に敵意しかないガンを飛ばし、リファは剣を両手で構える。
 ちょっとおい、まさか………。

「本当に私のことがわかるというのなら……」
「あの、待って、俺は――」

 問答無用。
 灼熱の剣を携え、リファは高く、高く跳んだ。
 星空をバックに、小さな太陽を掲げて空中を舞うその姿。俺は図らずも一瞬、焦りも恐怖も忘れて魅入ってしまっていた。
 そんな場違いなことを考えてるバカに……リファレンス・ルマナ・ビューアは摂氏ウン千度の鉄槌を振り下ろした。


 自分の、心からの訴えと共に。



「惚れた男に綺麗な自分を見て欲しい女の気持ちもわかれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」



 鉄槌。我に下る。

 痛みも熱さも、実際に感じ始めた時には既に俺の身体はゴミクズのように吹っ飛んでおり、公園の端に植わっていた大きな木に叩きつけられていた。

「がっ! ……あっ」

 幹が揺れ、枝がしなり、葉がざわめく。
 背中と、そして攻撃を食らった左腕の両方から耐え難い激痛がじわじわと伝わってくる。
 腕の方からは煙まで出ており、どうなってるか想像に難くないのであまり見たくなかったけど……やはり黒焦げになっていた。
 手の甲から肘までそりゃもうくっきりこんがり。
 幅はそこまで広くなかったけど、皮膚からする嫌な臭いがツンと鼻を突く。 

「はぁ……はぁ……」

 リファは、全パワーを使い果たしたというように荒い息を吐いていた。そりゃあんだけ大技出しまくった後にこれじゃあ、体力が底を尽きるのも当然か。
 でもそれ以上に俺のHPは限りなくゼロに近づいてるわけで。当然ここはのたうち回って大絶叫するところだろう。もしかしたらそのまま気絶までいくかもしれない。
 が。

 口から出たのは叫び声でも泣き声でもなかった。

「今わかったよ」

 そんな言葉だった。
 ぽかんとしている女騎士へ、俺は無理に作った笑顔を作って向けると、しゃがれ声でこう付け足した。

「お前がやっと本音を言ってくれた。だから理解できた……お前の本当の気持ちをさ」
「ぁ……」
「聞けてよかった……本当に」
「……っ!?」

 その瞬間に、リファはハッと我に返った。
 瞳は揺れ、口が半開きになる。今まで我を失っていたとでもいうように、その目から炎が消えた。全身から溢れていたオーラが鎮まった。
 ポロリ、とリファの手から剣が落ち、元素付与
エンチャント
 も効力を失って、魔法武器からただの玩具に戻った。

「マスター……」

 微かにリファの口から出たその言葉は、さっきから長い間聞かなかった俺の呼び名だった。たった数分間なのに……妙に懐かしい響きを感じる。

「マスター? マスター、マスターっ!」

 彼女は連呼しながら俺のもとまで駆け寄ってくると、その場に膝をついた。

「私……なんてことを……こんなことするつもりじゃ……」

 そして今にも泣きそうな声で、焦げた腕を握ってくる。

「ごめんなさい……ごめんなさい! 私……本当に……でも違うの! 私はただ……」
「……大丈夫。心配すんな……腕だけだから」
「早く治療しないと、死んじゃう……マスターが死んじゃうよぉ!」
「死なねーよこんくらいで。いいからちっと落ち着け」

 だがリファは冷静になるどころか、ますます慌てふためく。
 燃えてるわけでもないのに手ではたいて消火しようとしたり、息をふーふーと吹きかけたり。意味もない治療を必死に本気でやってくれる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……死んじゃやだ……やだよぉ! マスター! お願いだから……置いてかないで! 私を一人にしないで!」

 リファはそう涙を浮かべながら懇願するように言い続けている。
 俺はそんな彼女の頭にそっと手を伸ばし、絹のようにサラサラで綺麗な金髪を撫でた。
 そこでやっと女騎士は俺の方を向いてくれた。

「ありがとうリファ。心配してくれるんだね、俺のこと」
「だって……だって……」
「でもこれでいいんだ。リファの感じてた痛み……やっとわかった気がする」

 そう言って俺は手を下ろし、彼女の首元にあてがった。彼女の火傷の痕と、焦げた部分をそっと重ね合わせる。

「これで、俺もキズモノだな」
「マスター……」

 俺の腕を両手で抱くようにして、リファはさっきとは違う澄んだ瞳で俺を見つめてくる。
 やがてその瞳がうるみ、ボロボロと涙をこぼし始めた。 

「う、うぅぅ……うあぁぁ……マスター……」

 子供みたいに顔をクシャクシャにして、リファは泣いていた。
 肩を震わせながら、嗚咽混じりに思いを吐露する。

「いやだ……離れたくなんかない……ホントはずっと一緒にいたい……」
「リファ……」
「ちゃんということきくから……奴隷にでもなってもいいから……見捨てないで……傍に置かせて……手を離さないで……。お願い……お願い……」

 もはや騎士らしさのかけらもない。
 そこにいたのは、どこまでも純粋でどこまでも無垢な、ただの女の子だった。
 俺は焦げてない方の手を伸ばして、指でそっと彼女の涙を拭った。

「……? マスター?」
「どこにも行かないよ。ちゃんと、お前の傍にいる」

 優しく語りかけながら、俺は微笑んだ。

「だって最初にその心配してたの俺だぞ? なのにこっちの方が自分から離れていくわけないじゃん」
「……」
「さっき傷ごときで気にしないって言ったのは、まぁ言い方もアレだったけど……仕方ないからとかそういう意味じゃないんだ」
「え?」

 呆けた表情の女騎士を見据えて俺ははっきりと言う。

「俺は……お前を受け入れたいんだ。その傷も、そこからくる痛みも悲しみも、全部」
「……」

 同情でも慈悲でもない。
 これはれっきとした、俺自身の意志だ。

「正直さ、お前が今日警備隊辞めるって言い出すよりも前から気にはなってた。海でリファが自分のことキズモノって言った時……覚えてる?」
「……あぁ」

 リファはぎこちなく首を縦に振る。

「あの時のお前、すごく悲しそうな顔してた。まるで自分をどこかに押し込めてるみたいだった。本当は違うのに、それを無理して偽って……納得したようなフリをしてる。そんな感じ……」

 俺の知ってる彼女は、どこまでも正直な奴だった。
 他人に流されてはならず、確固たる自分の意志を持て。祖国の教えを胸に刻んで、いつもその姿勢を貫いていた。
 だからすごく不安だった。リファが……自分を偽るなんて。

「前々からリファは傷なんてどうでもいいみたいなふうに言ってたけどさ。もしかしたら、この世界に来て段々と自分のそれが嫌になってきてるんじゃないかって、あの時ふと思ったんだ」
「!」

 リファが少し驚いたような反応を示した。どうやら見当違いだったわけではないようだ。

「普通の女の子みたいに、美容やおしゃれとか気を使ったり。軍も戦いもないから、そういう事を気にする余裕が出てきたんじゃないかなって」 
「……」
「だからちょっと後悔してる。あん時ちゃんと話を聞いてやればよかったってさ」

 そう言って、俺は彼女の浴衣の袖に手を入れてまさぐり、あるものを引っ張り出した。
 それは今の日本人なら誰でも持ってる携帯端末機。スマホだった。
 俺にとっては、今日彼女を見つける唯一の手がかりになった奇跡の道具。

「リファ……ホントはGPSのこと、薄々気づいてたろ?」
「え?」
「まぁGPSのことじゃなくても、電話の音とか……ずっとなってればいずれ俺が迎えに来る。そう思ったんじゃないか?」

 何故なら。本当に俺達から離れたいのであれば、こんなものはさっさと電源を切るかどっかに捨ててしまうのが自然だからだ。
 でもご丁寧に彼女はピロピロとけたたましくなるそれを拒否することもなく、ただじっとそのままにしておいた。
 それはきっと心の何処かで、一人ぼっちでいる自分を見つけてほしいと救いの手を求めていたってことなのではないか。
 俺と自分とを繋ぐもの。だけど自分から電話に出て助けてとは言えず、逆にそれを捨てきることもできなかった。完全に板挟みになっていたのである。
 それほどまでに、リファは傷ついていたんだ。今日、こうやって古傷が現出するよりも昔から。

「お前は誰にもそのことを打ち明けられずに、ただ抑え込むしかなかったんだよな。そして……自分を偽った。それでもいいと自身に言い聞かせて」

 俺の元を離れるという、彼女のその言葉が耳に届いた時。心臓が止まりそうになった。
 本心を押し殺し続けたリファレンスという人間。それがまったくの別人になって、この世界から消えてしまうのだと。誰も知らないどこかに行ってしまうのだと。


「それが本当に怖かった」
「マスター……」
「でも、お前の本音が聞けた時。本当に安心した」

 彼女の手を取り、それに自分の手をそっと重ねる。
 そこには確かにぬくもりがあった。生きてる者にしかない温かさが。

「俺の知ってるリファレンス・ルマナ・ビューアは……ちゃんと、ここにいた」
「……っ!!」

 感極まったというふうに、リファの身体が震える。
 そして次の瞬間。とんでもないことが起きた。

 どん。
 と、体の前面に軽い衝撃が走って眼の前が真っ暗に。

 そして。
 唇に、何かとても熱く湿ったものが押し付けられた。


 一瞬何が起きたのかわからなかったが、いつの間にかゼロ距離に迫っている女騎士の顔に気づいて、すぐに察した。


 リファからキスされているということを。


 しかもほっぺたではなく、正真正銘マウストゥマウスの。



「んぐ!? んんんっっ!? んーーーーっ!?」

 状況は理解できてもどうしてそうなるのかが全く理解できず。ただただ驚くのみの俺であった。
 だがそんなのお構いなしというように、リファは俺へますます強く情熱的な接吻を続ける。
 唇だけじゃない。腕も、胸も、脚も。何から何まで俺に密着させてくる。

「ぐ? むっ! んむーっ!!」

 気持ちよさだとかロマンチックさだとか、そんなもんを感じている余裕など当然無かった。
 ていうか第一息がうまくできない。正直苦しい。
 俺は半ば無理に彼女を引き剥がそうとするが、それどころか首に手を回して離すまいと抱きついてくる。

「んんっ……んっ……」

 もう限界が近く、意識が遠のきそうな感覚に陥ったところで、リファはやっと唇を解放してくれた。  
 荒い息。朱色に染まる頬。当たっている胸から伝わる心臓の早まる鼓動。
 それらを目の当たりにして、やっと俺も状況に気持ちが追いついた。

「好き……」

 リファが小さく、たしかにそう言った。
 囁くような、壁の隙間から風が漏れるような声だった。
 しかしその壁は、いともたやすく破壊された。

「好きっ! 好きっ! 好きっ!!」

 とめどなく溢れる水のように、押し寄せてくる波のように、また激しいキスを受けた。
 今度は息を封じてくるような長いものではなく、断続的に離しては口吻け、再び離したと思ったらすぐに湿った唇を俺に捧げてくる。

「大好き。大好きっ!! あなたのことが好きなのぉっ!!」

 唇が離れている間はそうやってひたすらに告白してくる。
 好きとキスの繰り返し。それが何サイクルと繰り返された。
 互いの唾液で口の周りがいっぱいになっても、リファはまだ足りないというふうに接吻を続けた。

「マスター……好き……本当に、好き……」

 沸き起こる感情をひとしきり出し終えた後、落ち着きを取り戻した女騎士はそっと俺に身を預けてきた。

「本当は私も怖かった……このままじゃ、マスターが私から離れていってしまうって」

 俺の胸に顔を埋めながらリファは語りだす。

「でも、こうも思った……もしかしたらマスターの傍に私のいる場所などないのではないかと」
「お前……」
「マスターの傍に本当にいるべきなのは、あいつなんだろうな……って」

 あいつ? 
 一体誰のことだろう。
 尋ねようとすると、ゆっくりリファは身体を離して俺の目を見た。


「クローラと……キスしてるのを見た」
「!」

 ……。
 ……そうか。
 あの場所に、お前もいたんだ。

 傷があるから俺と一緒にいるべきじゃない。
 俺には傷のある自分を見せたくない。
 たしかにそれだけでは、俺の元を去る理由としては不十分だったかもと思ってた。でもこれで完全に納得がいった。
 彼女を傷つけてたのは、他ならぬ俺だったんだ。

「ごめん……」
「……謝らないでくれ」

 首を横に振りながらリファは俺のシャツの襟を弱々しく握った。

「マスターの気持ちはもっともだ。私よりも綺麗だし、傷もないし……。清純で、可憐で、忠実で……。だから、私なんかよりそっちを選ぶのは当然だ。だから最初はそれでもいいと思おうとした」
「……」
「だけれど、傷ついた私を見ても拒絶せずに真っ先に心配してくれたりとか、忘れていたことを思い出させるためにわざわざ芝居を打ってくれたりとか……そういうマスターの優しさに触れる度に、本当の自分を抑えられなくなって……」
「リファ……」
「やっぱり嫌だ……私のことも見て欲しい。あいつのところに行かないでほしい。ずっと私の隣りにいてほしい。だって、だって……」

 離したくない。離れたくない。
 そんな心情を表すかのように、リファはまた俺に抱きついてくる。

「こんなにも好きだから」
「……」
「だから謝らないで……謝ったら……全部終わってしまう」

 俺は全身に走る痛みに耐えながら、彼女を抱きしめ返した。
 リファの力強い抱擁に比べれば、ただ頭の後ろに手を回しただけのものだけど。今の俺ができる精一杯のことだった。 

「リファ。あのな…」
「嫌! 嫌! 聞きたくない!」
「聞いてくれリファ」

 振り乱すように会話を拒否する彼女の頭を撫でて諭すように俺は言った。

「確かに俺はあいつとキスしたよ。そのせいでお前をこんな気持ちにさせた。だけど……俺はそれを後悔してはいない」
「……」
「なぜならクローラも、今のお前と同じように本当の気持ちを打ち明けてくれたから」
「……?」 

 涙目の顔を上げるリファに俺は掠れ声で続ける。

「今まで奴隷として自分を偽ってきたけれど、ここで暮らすうちに、それが辛くなってきたって。そう聞かされた」

 俺の傍にいるだけじゃなく、対等になってもっと俺に近づきたい。
 でも、自分が奴隷としてあり続ける限りそれは叶わない。
 それが……幸せなこの世界で唯一耐え難い苦しみだったと。

「そこで俺も正直な気持ちを返した。俺はお前が信じる道を突き進んで欲しい。俺に近づきたいなら、俺と対等に接したいのなら、そうして欲しい。クローラが見るその夢を、現実にしてみせてよ、って。それが俺の願いだって言った」
「……」
「そしたらようやく、あいつは俺に本当の自分を見せてくれた。ずっと、ずっと閉じ込めてた自分を解放した。すごく勇気が必要なことだったと思う。だからあの場で彼女を拒絶するなんてこと、俺にはできなかった」

 するつもりもなかったけどね。と俺は付け加えて笑った。
 対照的に、リファの方はまた顔が歪んで泣き出しそうになる。

「でも勘違いしないでくれ。それはリファ、決してお前を拒絶するということじゃない」
「……え?」
「お前を蹴り出してクローラだけと一緒にいたいなんて俺は思ってないし、逆にあいつを拒絶することでお前と一緒にいようなんて考えも持ってない」

 誰かを弾いて手に入れるものなど、幸せではない。
 そんなことで幸福を感じることなど出来はしない。感じてはいけない。
 追い出された方も、残された方も、傷つくだけだから。

 この気持ちは絶対に譲るつもりはない。
 だって、俺の奥底にある一番大きな願いは……。

「私を……捨てないでいてくれるのか?」
「当たり前だろ」

 俺は呆れ気味に笑うと、ポンポンと彼女の頭頂部を軽く叩いて言った。
 何回と自分や彼女に言い聞かせている、あの言葉を。

「俺達……同居人パートナーじゃないか」
「……マスター」

 そう、俺達はパートナー。
 契約を交わした、生涯を共にする存在。
 それを自分から破棄するつもりもない。そして相手に破棄してほしくもない。

「だから……帰ってこいよ、リファ」
「!」
「正直俺にとっちゃ、警備隊なんてあってもなくても一緒だけど。でも、お前にはいてもらいたい。リファレンス・ルマナ・ビューアという存在は……俺には必要だから」
「……」

 リファはしばらく呆然としていたが、やがて自分の胸に手を置いて微笑んだ。
 凛々しくも、幼くもない。健気で年相応な、とても可愛らしい笑顔だった。 

「わかった」

 目尻の涙を拭い、彼女は了承してくれた。

「このリファレンス。そなたの自宅警備隊として……もう一度、忠誠を誓おう」
「ありがとう」

 そして。

「おかえり、リファ」
「……ただいま、マスター」

 俺の差し伸べた手を、彼女はしっかりと握った。


 ――私の手を、握ってくれますか?
 あの海岸で言われた彼女の願い。あの時は果たせなかった願いが……今、ようやく叶った。 


 どーん、どーん、と。
 遠くの空から、今まで止んでいた花火が打ち上がる音がした。

 見なくてもわかる、とても綺麗で美しい花が咲く音が。 
 まるで俺達の再会を、自分のことのように喜んでくれるみたいに。
 いつまでも、いつまでも。
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