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第1話

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 実家の自室に戻り、先に全てを終わらせておこうと思ったユリアスはいつでも出て行けるように荷物をまとめる。
 繰り返される貴族としての行事や責務に、不必要な仕事、それをこなすユリアスに感謝の意を述べるどころか婚約者の妹と逢瀬を重ねる恩知らずな婚約者。長年溜まるだけ溜まった不満から一人でゆっくりしたい、貴族の役割を忘れたい、と無責任にも思ってしまう事は仕方がない事だった。
 伯爵家を継ぐのは、四つ上の兄で彼は今隣国へ留学中の為、この騒動は知らない。そうして準備をしていると、ドアが無作法に開けられ、入ってきたのは高貴な装飾品で身を包んだ義母だった。

「あら、何をしているの?」
「この度カイアス様との婚約を破棄せざるを得なくなりましたので、荷を纏めている所です」
「ああ、マリアが輝けるというのね」

 その言葉を聞いて、カイアス・リッヒドとマリア・ディオニスの逢瀬の場を設け、婚約破棄まで持っていき自分の娘を“公爵夫人“にしたかったのは彼女なのか、とユリアスは落胆した。
 元々、父の爵位を狙って父との婚約を無理やりこじ付けたのは義母だった。酒屋で飲んでいた父に痺れ薬と媚薬を使って父の身動きを固め、その半年後に「あなたの子供を身籠りました」とやって来たのが義母だった。

 父の愛してやまない母は、ユリアスの実母フィリアス・ディオニス。
綺麗な黒髪に、宝石を詰めたような青色の瞳を持つ彼女はユリアスが生まれて二年後に亡くなった。原因は、王都へ移動中の馬車に押しかけた盗賊からユリアスを守ったことだった。
 けれど、ユリアスの父ケードルと兄ユフィアスは憎たらしいはずの弟ユリアスを心から愛した。それはユリアス本人にしっかりと伝わっていたが、子供に向ける事の出来ない悔しさや寂しさを父は仕事で埋めることで満たしていた。

「それで、あなたはこの荷物を持って一体どこへ行くというの?」
「………さあ、それは分かりません」

 ユリアスは婚約を解消した時のことを考えていなかった訳ではない。
ただ、家に居ても心地のいい居場所を作る事は出来ず、夫人教育と称して行われた事はユリアスの中で着実に蓄積しつつあり、精神的にも身体的にも休息が必要だったのは確かだった。
 だから、ユリアスはこの婚約がどんな理由で駄目になったとしても、一度家を出たいと思っていた。

 生まれた時から自由を奪われ、自分の為ではなく別の誰かの為に働かされてきた。公爵家でも伯爵家でも義母や、婚約者達に散々仕事を押し付けられ、ユリアスは常に目の下にクマが出来ており、熟睡できた日など一日もなかった。

「失礼します」

 扇を口の前で開き、忌々しい目つきでユリアスを睨む義母を横目に、父の書斎へ向かう。
 ノックをしても返事が返ってくる事はなく、内側にいる誰かによってドアが開かれ何年振りかに入る書斎は懐かしい香りがした。

「セバスか。父上は……」

 少し前にお眠りにつかれました、と当主らしからぬ格好で三人がけのソファに横たわっているのは、銀髪がよく似合う不恰好な父の姿。
 その目の下にはクマがあり、どこかやつれ痩せたようにも感じる。

「ユリアス様、旦那様はいつだってユリアス様とユフィアス様の事を第一に考えておられました」
「あぁ、知ってる」

 疲れ果てて倒れ込むように眠るユリアスの元に、夜中に訪ねてくるのは父ケードル。起こさないようそっと、ベットに座るとユリアスの目にかかる髪を退けて、撫でると優しい声でおやすみと呟く。
 幼い頃から続くその行動は、いつしかユリアスにとって安眠の素材となっており、父から愛を受けている事は幼いながらにして分かっていた。

「……懐かしい」

 父の仕事机から少し視線を上げた目の前の壁にあるのは、四人の家族の肖像画。ユリアスが生まれて一年が経った時に描かれたその絵は、もう古く所々色褪せている。
 
「セバス、父上と兄様にこの手紙を渡しといてくれる?」
「かしこまりました」
「俺は少し、休憩してくるよ。また、絶対戻ってくるから、い……い、———かな、」

 どうしてこのタイミングで涙が流れたのか分からない。ユリアスは確かにカイアスに好意を持ってはいなかったが、悔しさはあった。
 報われない努力も誰にも埋める事の出来ない寂しさも、言葉にして仕舞えばもう終わりだと思っていた。家族のために、願ってもいない義母を娶る事になった父は自身の油断を後悔し、普段酒を飲まない父が酒屋に行くのを見て、ストレスを溜めさせ過ぎてしまったと後悔し、それでも何も出来ない自分の不自由さに一番後悔した。

 恐らく、こうなる事を父と兄、そして伯爵家の使用人は知っていた。だが、格上の公爵家に伯爵家が口を出せるはずもなく、誰もがその悔しさを胸の内に秘めた。
 ただ一方で、と願う者もいた。それは、義母を含む新たな婚約に喜ぶ者と、カイアスとの婚約破棄をユリアスの幸せのために喜ぶ者。

「ユリアス様、この老耄はいつだって貴方様の味方でございます。もちろん、旦那様もユフィアス様も……奥様もです。今までよく頑張りましたね。セバスはユリアス様を誇らしく思います」
「そうかな……」

 自分の事で精一杯になり、やつれていく父の顔を見ることは式典や公の場以外ではほとんどなかった。
 いつだって哀愁の目を向け、こちらの様子を心配そうに伺う父の様子を目の当たりにしながら、その気持ちを受け取ろうとせず避け続けた。

「行き先は決まっておられますか?」
「……ううん、まだ」
「そうですか。それなら、この手紙を」

 そう言ってセバスが手渡したのは、父のサインが入った手紙。

「これは?」
「旦那様は前々から、ご連絡を取っていらっしゃいました。もし何かあれば、この方のお力添えを、と。きっとユリアス様にとっても悪くない話だと思います」
「……ありがとう」

 ユリアスは大事そうにそれを持つと、眠っている父の手をそっと握った。その手は頭に触れる事はあっても、自分から伸ばした事はなかった。元軍人の父の手はごつごつしていてとても優しい。
 
「じゃあ、行ってきます」

 飾り気がなく、あるのは家族の肖像画と写真だけの父の書斎から出ると、ユリアスは手紙の持ち主の所は向かった。
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