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第三章 新しい家族
3 ヒトヅマ、繋がれて
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綾は初めて出会った時のように、白衣を着ていた。
講演にもしや綾がきてはいないかと、講堂の最上部に立ち構内をチェックしていたら、そこにタイミングよく綾は現れた。恐喝まがいの言動は予想外だったが、あれは本心からじゃない。なぜなら言葉の端々から昔と変わらぬ母さんへの想いが感じられたからだ。今はただ、こじらせているだけ。ただし、扱いは慎重に。突発的な行動に出ないとも限らないから。
「どう? このドクターコート。ラギサヤが着てる今時の短いのじゃなくて、昔ながらの長いやつ。やっぱり白衣はこれでなくちゃ」
前をいく綾が何度も僕を振り返り、長い着丈の白衣の裾をなびかせて笑う。昔と変わらないさらさらワンレンロングの黒髪が揺れる。
綾、きれいになったな。セルフレーム眼鏡は金縁に変わり、ワイシャツはピンストライプのフェミニンなブラウスに、ハード目なヒールブーツはアンクルストラップのついた華奢なパンプスに、全身淡色にコーディネートされ、タイトスカートから伸びたすらりと長い脚は均整のとれた美脚になった。初対面なら誰もが目を見張るに違いない。だがそれでもすぐに気がつくだろう、この女が壊れてしまっていることに。
今しがたすれ違った大学職員らしき年配の女性が、あからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「綾さ、鞄は? 手ぶらできたわけ?」
「この白衣、ポケットいっぱいなんだ。タブレットが入る内ポケットだってあるし。オーダーメイドなんだよ。どう? 物入れててもシルエットに全然ひびいてないでしょ」と、くるりと回る。
最近母さんと会って綾の話が出ないことはない。綾が、綾が、とそればかり。親父の研究室に助手として籍を置く綾が、母さんとの些細な口論をきっかけに職場放棄してから二ヶ月になること。綾自身、今は離婚協議中だが協議の席を設けても綾が同席せず協議が滞ってしまっているらしいこと。近頃は仕事もせずただ、白衣を着て校内を徘徊しているということ。
――なんとかしてあげて。先生もわたしももう庇いきれない。解雇はやむなしとしても、あの子がまた前を向いて歩けるように。光くんならできる。
そんなことを言いながら、あのアオハルのメモ。ここからどうやって、楽しめというのだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
暗い渡り廊下を抜け、綾に連れてこられたのは、旧棟一階にある親父の研究室だった。エアコンがつきっぱなしだったのか、ひんやりとした空気が漂っていた。
幾何学模様のレリーフが施された高い天井にアーチを描いた梁。壁に這う剥き出しの配管。ここも来年には取り壊される。
ひとを脅して連行してきたというのに、綾は慣れた手つきでふたり分のコーヒーを淹れた。そして応接セットに向かい合った。
綾は時間が止まってしまったように、コーヒーを飲む僕の様子を、金縁眼鏡の奥の瞳を輝かせてじっと観察していた。
「さ、休憩は終わり。今日、桜木教授は学会で出張だし、ここからは楽しいゲームの時間よ。こっちきて」
部屋に隣接した書庫に、僕を案内する。
図書室のように本棚が並び、一角に閲覧テーブルが置かれた十畳くらいの部屋。
ブラインドの降りた窓。
僕が中に入るとすぐ綾が内鍵をかけた。
「とりあえず服全部脱いで裸になるのよ。さもないと……わかるわよね」
スマホ片手にパイプ椅子を引き寄せながら、綾が言う。
「さっきお茶しながらいいこと思いついちゃったんだ。やっぱり休息は大切よね。そう、まずはこの写真を拡大してっと、よし! それからコメント。ラギサヤの写真見てて、こんなの見つけちゃいましたっ。瞳の中にご注目。あとはハッシュタグも忘れずに。#、ラ、ギ、サ、ヤ。よし! これをあたしの裏アカに上げるの。これ見てネットが騒ぎ出したのを見計らって、このキス写真を売り込む、って流れね。きっと高値で売れるわ」
椅子に腰かけ、すらりとしたきれいな脚を組んで、前屈みになってけだるそうにスマホを操作する綾を見ながら、僕はしかたなく服を脱いだ。
長い黒髪をさっと肩のうしろに払うと、部屋じゅうにシャンプーだか香水だかのいい匂いが広がる。ヒトヅマか。すでに他人のものになってしまった女の、いい匂い。危機的状況にもかかわらず、心の中はなぜか冷静だ。
「なあに? パンツも脱ぐのよ。もしかして恥ずかしい? この部屋で昔、ラギサヤと教授がいいことしてたんだよ。あたし、知ってるんだから。そんないわくのある場所で、光栄でしょ」
僕はパンツを脱いだ。すでに漲ったペニスが脱いだ拍子に弾けて、鞭を打つような乾いた音を立てた。
「やだ! 勃ってる。なんで?」
明らかに動揺している綾に僕は聞いた。
「なあ、なんでオレが裸になんないとダメなんだ?」
「あ、やっとしゃべった。ずっとだんまり決め込んでたくせに。……それはね、ラギサヤが言ったからだよ。最近光くんいい男になってんのよ、って。自分の手柄みたいに。ムカつく女! だから実際どうなのかこの目で確かめたかった。それだけよ」
もしかして、そんなつまらない理由で職場放棄しちゃったのか? まるで子供だ。
「で、実際どうなの? オレはいい男か?」
「なにさっきから、オレオレって虚勢張っちゃって。残念でした! あんたは大したことない。ラギサヤに遊ばれて鼻が高くなってるだけ。でさ、なんで勃ってんの?」
「そりゃ、綾がきれいだから、かな」
「いいかげんなこと言うな! これアップするぞ!」と、震える指をスマホに置く。
「待てよ! ほんとだって! 初めて会った時からきれいだったけど、今はもっときれい。だから反応しちゃってるんだろ」
「残念でした。今はヒトヅマって言ったよね。これでも大事にされてるんだから」
嘘ばっかり。僕がなにも知らないとでも思ってるのか。
「でも、武士の情けって言うし。ちょっとだけ、いい思いさせてやろうか?」
椅子からするりと落ちて、這いながらゆっくりと近づいてくる綾。引きずる白衣が汚れるのも構わず、長い脚の先で華奢なパンプスのつま先がぐにゃりと折れ曲がる。
「なんか先から出ちゃってるんですけど」
ペニスの間近まできて、憐憫というよりも困った僕ちゃん、って顔でこっちを見る。
「あたしのどこを見て、こんなになっちゃったの?」
そう言いながらも手は触れず、両耳からぶら下がったチェーンピアスを交互にぶらぶらと、じらすように亀頭に触れさせる。
「ああっ。……髪をうしろに払った時の首筋と、襟元にちらりと見える鎖骨の出っ張り、それからきれいな脚とか」
「ふっ、部分フェチなやつ」
「ほかは見えないんだから、しかたないじゃん」
鼻で笑いながらもうれしそうな綾。ぷっくりとした僕好みの唇が今日初めて、きれいなカーブを描いてすこやかな笑みを浮かべた。
「じゃあ、もう少し見せてあげる」
ブラウスのボタンをふたつ外して、襟を持って胸元を広げる。黄色いブラと儚げな谷間がちらりと見える。
「ラギサヤみたいな巨乳じゃなくて、がっかりしてる?」
「そんなこと言ってないよ。きれいな首とデコルテに見とれてるんだろ」
「デコルテか。ものは言いようね。夫はそんなとこに一切興味を示さないから、ちょっと新鮮。あと、鎖骨だっけ。この固いとこが、好きなの? 自分でオチン×ン持ってすりつけていいよ。特別に許可してあげる」
綾が襟をさらに開いて鎖骨の出っ張りをこちらに向ける。僕はペニスを握って、亀頭を硬骨にすり当てた。
「ああっ、すべすべしてて気持ちいいよ」
鈴口から染み出たカウパーが、鎖骨のくぼみを濡らす。
綾が少し口を開いて、密やかに息を呑む。
「……気持ちいい、なんて、ありきたりね。もっとあたしの心に響くような、気の利いたこと言えない? ヒトヅマのあたしが、今できる最大限のサービスをしてやってるのに」
「……すてき。夢みたい。でも、このままじゃやだな。抱き合ってキスしたり、そんなのは無理?」
「もう、甘え声出しちゃって。どんな女にもそんな風に言って口説いてるんだよね。……そうなんだ。ああっ、やっぱり上げちゃお!」
と、かぶりを振ってまたスマホに指を置く。
「待ってよ! 違うって! ちゃんと本気だから! せっかくふたりきりになれたのに。ラギサヤとか、もう、どうでもいいじゃん。綾とふたりきりの時間、……ちゃんと過ごしたいよ、僕」
脅迫という口実なくして僕と関われない、綾がそう思ってることが悲しかった。
綾と初めて出会った日からずっと、ふと気がつけばいつも綾のことを考えていた。ほかの女と寝たあとも、綾のことを思い出して自慰をした。一度クラブで逆ナンされたビッチの女にそれを見咎められ、罵声を浴びせられたこともあったな。
綾はスマホを床にほうり出した。
それから、けだるそうに首を回して長い溜息をついた。
「ラギサヤなんて、どうでもいい、か」
綾が独り言のようにつぶやく。
ばかげたゲームはもう終わりにしようよ。
ここから、ふたりの時間を始めよう。
……そこに。
隣の部屋から物音がした。
突然の喧噪。それと同時にドアの磨りガラスにいくつもの黒い影が写る。
「れれ、親衛隊きちゃった。講演終わって、ラギサヤがここに招いたんだよ。もう、ナイスタイミング! ははっ」
泣き笑いみたいな顔をして、綾が囁く。
「いい感じだったのに、ねっ。ずいぶんと邪魔してくれるじゃない。空気読めよ、みたいな。ね。……ああ、あたしもうダメ、あとは光、お願い」
あっけなくキャパオーバーを宣言する綾。突然振られても、なあ。だいたい僕は真っ裸だし。
「ここが一階でよかったー。あの窓から逃げてうちにいこう。僕、おまえも住んでた母さんの実家に今ひとりで住んでんだよ」
脱ぎ散らした服や鞄を引き寄せつつ、さっきほうり投げた綾のスマホをこっそり、サマージャケットの内ポケットに仕舞う。
「もう、おまえって言うな。年上なんだから。ヒトヅマなんだからね。それから、あたし逃げないから、ぜーったい。逃げるのはラギサヤの方だもの」
「じゃあ、ここでするわけ? 母さんだって隣にいるのに」
「ああああ、それいいね。むしろいい! ヒトヅマの余裕で、憎らしい母親のすぐそばで、息子を寝取るいいオンナ、みたいな」
ひそひそ声でかけ合ってるあいだも、ドアのむこうではまだ、数名のセーラー服らしき影がゆらゆらと動いている。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
と、綾がペニスに向かっていただきますと手を合わせた。
僕はここでするのか、と聞いただけだ。しようとは言ってない。ああっ!
さっそく握りしめられた。
懐かしいふるさとに帰ってきたみたいな、そんな感動にひとりでに脈打つ僕の息子の鈴口に、ぷっくり唇がキスをする。
ああ、やっぱ夢みたいだ。
ドアの内鍵はかかっている。それを鍵を使って開けるのは当然母さんだろうし、それに、応接セットに飲みさしのコーヒーカップが二個そのままのはず。察しのいい母さんならすぐにピンとくるはずだ。そうなれば、母さんには悪いが綾のもくろみも達成されるわけで。とりあえずこのまま楽しむのも悪くはない。
「ひひひひひ……」
舌を突き出し鈴口を舐めながら、器用に笑い声を発する綾。そこだけ別の生き物のような淫靡な舌が、少しずつ鈴口から尿道に侵入してくる。母さんもそんなことをよくするが、気持ちよさのレベルが違う気がする。
「うわああっ」と、思わず声が漏れる。
僕の声に気がついたのか、隣室の人影がひとつ、中の様子を窺うように、磨りガラスに顔をぺたりと近づけた。
「こっち見てるって。やばいよ」と小声で言ってみるが、綾がやめる様子はない。
尖った舌はさらに侵入してくる。舌が尿道の太さに合わせて形を自在に変えて流れ込むみたいに、圧迫感のともなったえも言われぬ快感が襲ってくる。だが、ここで動くわけにはいかない。動けばばれる。
そんな僕を試すように、綾の舌はチュクチュクと音を立てて蠢く。
金縁眼鏡の奥で、妖しく、そして燃えるような光を宿した瞳に、じっと見つめられている。妖艶な鼻息が亀頭を震わせる。
こいつ、やっぱりただの女じゃない!
妖女。あやしめ。
こんな手管で亭主をたらし込んだのか?
毎晩、こうやって亭主を楽しませてきたのか?
「さあさ、みんなこっちきてね……」
隣の部屋で母さんの声が聞こえるのと同時に、ドアに写った人影がすっと消え、喧噪も隣室の奥へ遠のいた。
ああ、危なかった。でも、もうダメ、我慢できない!
僕は綾の眼鏡を払いのけた。眼鏡が部屋の隅に、音を立てて転がった。
「つ! ちょっとなによ!」
素顔の綾はやっぱりきれいだ。七年前、桜を背景に眺めた時よりも数倍美しく思える。結婚して亭主との秘め事の中で、その美しさが増したのだとすると、ちょっと許しがたい。
ちくしょう!
綾の頭を抱え、差し入れられた舌ごと、ペニスを口内に思い切り突っ込んだ。
「うぐぅ……」
さらさらの髪を纏ったうりざねの頭を回してやると、尿道の舌が抜けて代わりにとろけそうな口の粘膜がペニスにぴったりと貼りついてきた。
ヒトヅマの口の中、あったかい……。
過ぎ去った時を、僕は恨んだ。
「……ぶはぁっ、もう、なにすんのよ」
「おまえ、なんで結婚しちゃったんだよ?」
「あんたには関係ないでしょ。ひとが幸せを求めて、なにが悪いの?」
「嘘つけ! おまえ強欲そうだから、金に目が眩んだだけだろ。……あんな男っ」
このまま時が巻き戻ればいいのに。
母さんに未練たらたら、白衣なんか着やがって。いけ好かない女医を犯すみたいに、このままおまえを蹂躙してやるよ!
頭を力一杯つかんで、再びペニスを唇に突き当てる。このかわいい口で、溶けるようなキスを、毎日のように亭主と交わしてやがったんだな。
隣室にBGMが流れ始めた。母さん気づいたか?
綾はもがきながら手を伸ばしてあたりを探っている。
「うぐぅ、スマホが、あたしのスマホがない。盗ったねあんた、いつの間に。こんどオチン×ン突っ込んだら、噛み切ってやるんだから!」
「好きにしろよ。ほら、口開けろ。ほら、ほら、ほら」
頭をつかんだまま、柔らかい両耳たぶをつまんで、じっくりと揉みしだいてやる。
指先の脂を吸い取られそうな、きめ細かでシルキーな感触。
白衣の裾から伸びた脚が、じれるようにもがき始める。
「はああっ」と一瞬口が開き、
すかさず、嫉みでどうしようもなく硬直したペニスを突き刺した。
とろけそうな粘膜の感触ふたたび。このまま溶かしてくれよな。
それも束の間、綾が充血したカリに歯を立てた。
くそっ、きれいな歯並びしやがって。
「うぐぅ、かみきっれらる!」
突き立てられた歯がぎしぎしと動き、死と隣り合わせの快感が湧き上がる。
「……ああ、いいよ。噛み切れよ。おまえなしで、男でいるのはもういいよ。そんな気になってきた」
僕はやけになって笑った。きっとそれは、醜く歪んだ顔に違いない。
それを綾がじっと見ている。
瞳の中の妖しい光はいつの間にか消え、綾の鼻息が少しずつ震え始める。
一瞬瞳が、泉の水面のように揺らいだかと思うと、大粒の涙がまなじりから溢れ出し、頬を伝って床に、ぽたぽたと音を立ててこぼれ落ちる。
綾が僕のペニスを咥えたまま、声を上げて泣き始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
綾の手を取り、僕は駈ける。
結局、綾が大声で泣くものだからどうしようもなくなり、服を着て窓から脱出した。
綾は腑抜けのようになりながらも、僕の指示に素直に従った。
なにしろ、男に手を引かれ泣きながらふらふらとついてくる白衣姿の女という図であるから、大学の中でもそして外に出てからも、ずっと奇異の目に晒され続けた。
でも、もう離すもんか。そう思った。
もしや綾の亭主や義母の雇った探偵が尾行しているかもしれない。そんな懸念をいだきながらも、少しもやましいとは思えなかった。
そして、母さんの実家に到着した。
重い扉を閉めると、綾はひときわ大きな声で泣き、僕の肩にしがみついた。
僕は言葉を発する代わりに震える綾の体を強く抱きしめ、ふたりして大理石の床に崩れるように倒れ込んだ。
大学からこの家まで、バス停七つ分をずっと駈けてきた。ふたりとも体力の限界にきているはずだ。しかも僕は昨日から一睡もしていない。
僕の汗だくの頬にべったりと張りついた、埃臭い綾の髪。
とりあえず顔だけでも拭いてやりたい。
思ったほど暑くないのが幸いだ。狂気を孕んだ蝉の声だけがかすかに聞こえる。
しばらく経って、鼻をまだ啜る綾の手をほどき、這いながら洗面所へ向かい、濡らしたタオルを持って戻りかけた時、鎖のようなものがすれる音がした。
「……綾、どうした?」
そして派手な金属音が玄関ホールに響いた。
綾! 綾が、いない?
慌ててまわりを見渡すと、両手を上げてホール中央の螺旋階段にもたれかかる綾の姿があった。
よく見ると、銀色の手錠で螺旋階段の金属手摺りに繋がれている。
「誰だ! なにしやがる!」
「光、違うってば。自分で……、自分でやったんだもん。もぉう、光が目を離すからだよぅ。逃げ出しそうになっちゃって、……だから、だから自分で」
「ああ、びっくりした。自分が逃げ出しそうになったから、自分でそうした? なに、二重人格なのかおまえは。逃げたい自分と犯されたい自分、みたいな?」
「好きに言えよ。ああ、疲れたぁ」
正座するかしないかの中途半端な姿勢でぶら下がっている綾。思えばこいつ、初めて会った時からおかしな女だった。
「どんだけ手間かけさせんだ。おまえ、なんで手錠なんか持ってんの?」
「昔から持ってる。光を拉致ってやろうと思って持ってきたんだ。なのに逆に拉致られた……」
「はいはい、もうわかったから、さっさと鍵よこせよ」
「……それが、ないんだ、鍵。家に忘れてきたみたい」
「マジか! ああ、勘弁してくれよー」
僕は途方に暮れうなだれた。拉致監禁された白衣の女医と、これからそれをどう料理するか舌なめずりしながら思案している変質者、みたいな流れになってしまった。
「ちょっと顔、洗ってくるわ」
洗面所で、母さんに非常事態のメッセージを送信した。
スマホは一分もしないうちに返信の着信音を発した。
なあに、SMプレイ?
せいぜいゆっくり楽しんで!
綾の眼鏡が書庫に落ちてたから、
あとでそれと一緒に、切断用の工具を玄関扉の前に置いとくね♡
それから綾のスマホの電源は切っておくこと。
あちらのお宅には、わたしがうまく理由つけてごまかしとくから、まかせて!
残りのお盆休みふたりでゆっくり楽しみなさい。
あと、綾の弱点、特別に教えてあげる。
腋の下。ははっ。
それじゃ、アディオス!
おかしな女は綾だけじゃないな。ちょっと癒やされた。しかも、万全のサポート体制ときた。光、どうする? むこうにはイカすヒトヅマが手錠に繋がれぶら下がってんだぞ。夢のような話じゃないか。もう離さないんじゃなかったのか? さあ、いけよ!
女々しい僕に、アディオス、か。
玄関ホールに戻ると、ぶら下がったままの綾が、寝息を立てていた。
「おい、寝てんの? 手、痛くないか?」
「寝れるわけないじゃん」
寝てると思った綾が目を開けた。
「このまま放置かと思った。でも、気味悪いか、やっぱり」
「そんなことないよ。てか、おまえ、こんなことしながらもそんな常識は持ち合わせてんだな。……さあて、どうしようか、これから」
「煮るなり焼くなり、好きにすれば」
「バナナみたいに剥いて欲しいか? 美味しそうだもんな、おまえ。イカす女医って感じ。いや、美人過ぎる研究員かな」
「イカすって、昔の言い方ね」
「ばあちゃんがよく言ってたな。子供ん時は意味わかんなくてな」
「イカすヒトヅマ、好きにすれば」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
背中に隠し持っていたハサミを取り出すと、綾がさすがに息をのんだ。
洗面所の戸棚を物色してみたら、いい感じの大きな裁ちバサミが出てきた。テーラーなんかが使ってるようなやつ。
少し錆びてはいるがシャキンといい音がする。
シャキン、シャキン。
「はああ、なにやだ、マジやめて……」
体をばたつかせてみるが、逃れられるはずがない。自分で蒔いた種だからしかたがない。
「今頃泣きごと言っても遅いって。体を切り刻むとは言ってないだろ。まずはスカートから」
裾から切り始める。厚手の生地だが思いのほかよく切れる。
「コンサバっぽい服。旦那に買ってもらったんか?」
「やあだ、高かったのに」
「そのままブラウスもいっちゃうよ」
ボタンなんていちいち外さない。滑らせるだけで心地よく裂けてくれるもの。
肌にハサミが触れて、綾が体をひくつかせる。きれいな首筋が脂汗でテカり出す。
震える綾はかわいい。
切断したブラウスを解剖実験みたいに、左右に開いて白衣の内側に収め、スカートを取り払う。
黄色い下着上下に同色のガーターベルト。
「あ、ガーターベルト。昔とおんなじ。そんなに欲しいのか? じゃあ、淫乱ヒトヅマのご期待に応えて、まずは胸からいただくとするかな……」
「はああああっ、ダメぇ」
黄色いブラを着けた綾の胸。大きさ控えめな乳房は、それでも充分の丸みを感じさせ、ブラで寄せられた膨らみに指を当てると、完熟トマトみたいなはりのある弾力が帰ってくる。
僕はしとやかな谷間に顔をうずめ、その魅惑の肌にくちづける。
そのまま、舌を胸元に這わせた。しょっぱい汗の味。
胸元に浮いた肋骨の固さを確かめたあと、震え声とともに現れる喉笛の下のくぼみに、舌を回し入れる。
「はあぁああっ、あっ、あっ……」
声が舌に響く。舌先で聞く綾の声。いとおしい。
感極まった僕の舌は、しばらく綾の首筋を巡ったあと、顎に駆け上った。
ようやく唇を前にして、綾が顔を背けた。
「ダメよ! キスはダメ」
「なんでだよ。唇は旦那だけのものってか?」
無理矢理キスしようとしても、力いっぱいにかぶりを振る綾。
「……ダメ! とにかくダメ。あたしの唇、けがれてるもの」
ふうん、そんなに亭主といろんなことしてるわけ?
「じゃあ、オレがもっとけがしてやるよ。つうか、清めてやるよ。オレのチ×ポで」
僕は服を脱いで、綾の目の前に悲しいくらいに漲ったペニスを突き出した。
「さっきも舐めてくれたよな。もう噛み切るなんて言わないで、受け入れてくれよ」
意外なことに、綾の唇がふわりと開いた。
ペニスをその肉厚の唇にあてがうと、するりとそれは吸い込まれた。
貼りつく粘膜の感触にかすかに欲情の匂いを感じる。
「ああ、気持ちいい」と言いつつすぐに抜くと、綾がじっと僕の顔を見る。
「…………突いて。今言ったとおりいっぱい、……あたしを清めて」
あきらめたという風でもなく、綾が静かに言った。
わかった。わかったって。
ふたたび、口内に埋めた竿全体で魅惑の粘膜を味わいながら、さらに先に進む。
「あうっ……」
ペニスは喉の手前でいき当たった。
綾が瞳を開いて、僕にサインを送る。
大丈夫、もっと!
ゆっくり押すと、亀頭がずぼっと、あからさまな音を立てその先に侵入した。
そうして固い喉の底に突き当たった。
「ぐぅ、ぐ……」
あらかじめディルドで開発された母さんの喉奥と違う、前人未踏の静謐な空間。たぶん綾の亭主もここのことは知らない。
綾が鼻から大きく息を吐き出した。そして僕の漲りをいとおしむように、粘膜がふたたび吸着し始める。
「きゅき、ききききききっ」
綾の喉が軋む。僕にはそれが、高笑いのように聞こえた。
それからは脳漿を潰す勢いで、喉奥を突いた。綾がそれをしっかり受け止めるべく、首に力を込めているのがわかる。はだけた白衣、上下に動く綾の胸。音を立てる鼻息。
抱きつきたいのにそれができない、そんな風に、手錠で繋がれた綾の指先がいっせいにこっちを向く。
「底、当たってるよ。食道まで入ってるのかも。亀頭の先が当たって、すげえ気持ちいい。もう止まんない!」
「うぐぅ、いい、ぐぅ、いっば、ぐぅ」
茎にあてがわれた綾の舌が、口内で激しく動く。
「じゃあ、このまま出すよ! いっぱい、ああああっ……」
「ううん、うううっ、うううん。……うぐう、うぐっ……」
僕の射精に合わせるように、綾の喉が鳴る。
目を剥いて、すべてを受け止めようと首を反らすが、どうにも追いつけない射精量だ。なにしろ七年分の想いが詰まってるんだから。
「うっ、げっ、げぼっ、ずるっ……」
ペニスを抜くと、鼻腔を逆流した精液が鼻から垂れ下がっている。
「げほっ、ああああ、…………あたし今、ひどい顔じゃない? ずるっ。ははっ」
「……い、いや、そんなことないよ。綾、きれいだよ」
実際、すげえ悲惨な顔、と思ったが、嘘をついた。
「はははっ、やだもう。はははっ」
照れたように笑う綾の顔を、濡れタオルで拭って、キスをする。
こんどは拒まなかった。繋がれた指先がまた、いっせいに前を向いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そこからは吹っ切れた。綾も頑なな心が少しほぐれたのか、軽口が出始めた。
「なんか疲れた。膝、痛くなってきたし」
「ダメだよ。残り剥いてからだよ」と言ってまたハサミを差し出す。
「この白衣、切っちゃうぞ」
「ええっ、オーダーメイドなのに。あたしのトレードマークなのに」
「ばか言ってんな。ラギサヤの真似だろ。おまえこそ見苦しいよ」
そう言って胸からアームホールにかけて、ブラウスごとハサミを入れ始める。
白衣は病んだ綾の象徴だ。さっさと脱がせたい。女医を弄ぶのはもういい。綾のスレンダーな体を早く楽しみたい。
ハサミをわざと綾の腋の下に当ててみる。
「やだ、当たってる、やん、ああっ」
「えっ、ここ感じんの?」と、わざとらしく聞く。知ってるけど。
「あとでゆっくり舐めてやるよ。ヒトヅマの腋の下だもんな」
「そんなのダメっ。や! や!」と言いながらも、とろんとした瞳を向ける。
左右とも袖にハサミを入れて、衣服を取り払うと、手錠に繋がれたガーターベルトの女。美しい脚に見合う、スレンダーながらハイウエストの均整のとれたボディ。
「下着はダメっ! 高いんだから」
「僕といいことしようと、おめかししてきてくれたのはうれしいけど、綾は裸の方がぜったいいいよ」
一気にブラとパンティーにハサミを入れて取り払う。
「ああん、やだ! 信じらんない。それに、ああっ」
裸にされたことに今さら思い至って、体をねじらせる綾。
そして、綾の乳房に僕は目を奪われた。
そこにあるはずのふたつの突起が、つつましく埋まったようになっている。
軽めの陥没乳首。
「乳首が……」
「乳首がなに?」
「いや、なんでもない」
そう言って、すかさずその埋まった突起にしゃぶりつく。
「やん、あ、あっ、あっ、あっ……」
綾が密やかに鳴いている。昔みたいに。
少しだけ顔を出した突起の先を舌で転がし、そして吸う、それを何度も繰り返すうちに、舌先に感じる乳首の存在感が、少しずつ、確実なものになってきた。
「綾、すてき。だんだん勃ってきた」
一泊置いて、綾が言った。
「……光のために、取って置いたんだもの。夫にもまだ触らせたこと、ないんだよ」
「まさか。じゃあ、さっき清めたのはなに?」
「あの男はね、まな板の上の魚みたいなやつ。自分じゃなんにもしないの。あたし、奉仕するばっかりで、つまんなくって、ある晩に求めてみたの。そしたら、急にあおむけに寝て、ここに乗れば、って半勃ちのオチン×ン指さして言ったのよ。……もう、ぜったいムリって思った」
「まさかのマグロ男! そんなやつはさっさと解体して別れろ」
綾の腰に手を回し、頬をふんわりしたおなかに押し当てて僕は言った。
「失敗したなあ。大学のパーティーで知り合ったんだ。あたしの研究にも理解を示してくれたし、協力するとも言ってくれた。光は東京いっちゃったし、だからあたし、もうあとはないって、思っちゃったんだよね。光のことにしても、あたし確証がなかった。沙夜ねえから、あのあとも光の話いっぱい聞いて、もしかしたらあたしが好きなのは、沙夜ねえの話の中の光であって、実際の光じゃないんじゃないのか、とか。それで結局、苛立って沙夜ねえと喧嘩しちゃったし。初めてのあの車の中で、あっ、このひと、って思った直感を、もっと信じるべきだったのかもしんない」
しみじみとした話だな。僕も感動している。でも、今の状況、わかってる? 手錠に繋がれてんだぜ。乳首がやっと勃ってきたのに、さあ、続きしようよ。
「おたがい、回り道したみたいだな」と、とりあえずまとめてみる。
「愛してるよ。綾。ずっと一緒に生きたい」
遅いのかもしれないけど、さりげなく、プロポーズも。
「あたしも愛してる。初めて会った時から、愛してる。……ああっ、舌やらしいっ」
僕は行為を再開した。綾がもっと欲しい、そう思ったから。
ほどよく尖り始めた乳首をつまみながら、綾にキスをした。
「ああん、や、や、指動くぅ」
舌を絡め合いながら、僕を見つめて綾の目が笑う。
「じゃあ、お楽しみ、いっちゃおかなあ」
「なに、やだ、ダメっ、ああっ……」
僕は綾の腋の下に、舌を這わせた。
「こんなことしちゃう僕に、幻滅感じない?」とひと舐め。
「ひゃあっ、はああっ、ダメえ!」
そしてまた、ひと舐め。こんどはねっとりと。
「あ、ああっ、溶けちゃう、溶けちゃうっ!」
母さんみたいなこと言ってる、と思っていたら、
「わああっ、ああっ、あ、あ、うおおおおおっ、おおっ」
と、地の底から響くような低い地声で、綾が呻き始めた。女の業みたいなものを感じさせる動物的な声だ。
呻きを伴奏するように、カチャカチャと手錠の鎖が派手に鳴る。
横目で綾の顔を窺うと、震える唇の真ん中からよだれが溢れ、垂れ下がっている。
それを繰ってやろうと口を近づけると、肉厚の唇が吸いついてきた。
寄った目を見開いて、綾が叫ぶ。
「光、挿れて。いっぱい突いて! こんなダメなあたしを、さあ、めちゃくちゃに壊してっ!」
ヒトヅマはやっぱり、欲求不満だったみたいだ。
僕は綾の体を持ち上げて、その下に身を潜らせた。
大理石の床が綾から流れ出た蜜でべったりと濡れていた。螺旋階段の下に空間があったことで、容易に身を滑り込ませることができた。
「ごめん。僕が下になるけど、いい?」
「ごちゃごちゃ言わないで、早く挿れてっ!」
さっきプロポーズしたばっかなのに、もう尻に敷かれるのか、オレ。
「じゃあ、挿れるよ」と復活したてのペニスを沈ませる。
綾の中は、何匹もの蛇が蠢く如くだった。
そうだった。綾は蛇女! 忘れてた。ああっ。
「あたし動けないから、光、動いて!」
少しでも気を抜くとカリの裏にまで筋肉の束のようなものが纏わりついてきて絶頂に誘われる。よし動くぞ! そんな隙を与えないくらいめちゃくちゃに突き上げてやる。
僕は力の限り、腰を突き上げた。
「はあっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、……」
さっきの強気な言葉とは裏腹に、綾が小鳥のように密やかに鳴く。かわいい綾。
息切れして動きが弱まるとまた、締めつけられる。陰嚢の精液が吸い上げられるような錯覚。
ああ、やっぱダメっ!
射精とともに意識がふうっと遠のいた。
…………。
股間に貼りついた、こそばゆい感覚ですぐに目が覚める。
「光、起きて。ちゃんとイカせてくれないと、あたしやだ。沙夜ねえがいつも自慢してる、突かれる絶頂ってやつ、あたしも経験してみたいもん。……早く硬くしてまた突いてよ。もしかして、気の利いたセリフ言った方がいい?」
「うん、頼む」
こそばゆさが少しずつ魅惑の感触に戻り始めてきた。
「光、大好き。愛してる。大学では大したことないって言ったけど、ほんとはとっても素敵! 今すぐしゃぶりつきたいくらい逞しくっていい男だよ。どう? ダメ?」
「もっと、ツンツンした感じで言ってみて」
「じゃあ、そうね。……光、女々しいやつ。このままだと夫の元に帰っちゃうから。だからもっと突いて! だからいっぱい流し込んであたしを孕ませてっ! 不埒でヘンタイのあたしをもっと、泣かせて。だあいきらい、光っ、だあいきらい……ああっ、あっ、あっ、……深いっ!」
気づけば腰が動いていた。
『だあいきらい』。ずっと耳にこびりついたままだった綾の声。
「ああ、光、すごい! あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、……ダメ! ダメえ」
「じゃあ、やめる?」
「ばかばかばかっ! やめちゃやあっ、やめないでっ!」
ありきたりな僕の戯れ言に、素直に乗っちゃう綾。
かわいい! ああ、ダメ。イキそう!
「光っ! 一緒にっ、一緒にいこ」
「うん!」
「あっ、あっ、あっ、きた、きたわっ!」
「僕もっ! 僕も! ああっ…………」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
綾の尻に敷かれた体をそっと抜いて、玄関まで這って扉を開ける。
どでかいニッパーと紙にくるまれた綾の眼鏡がそこにはあった。ナイス母さん!
あれ、紙に走り書きがある。
僕ちゃんすごい! 一緒にイケたね!
なっ! と僕は入り口から顔を突き出して、車止めや、家のまわりを何度も見渡したが、母さんの姿はすでになかった。
講演にもしや綾がきてはいないかと、講堂の最上部に立ち構内をチェックしていたら、そこにタイミングよく綾は現れた。恐喝まがいの言動は予想外だったが、あれは本心からじゃない。なぜなら言葉の端々から昔と変わらぬ母さんへの想いが感じられたからだ。今はただ、こじらせているだけ。ただし、扱いは慎重に。突発的な行動に出ないとも限らないから。
「どう? このドクターコート。ラギサヤが着てる今時の短いのじゃなくて、昔ながらの長いやつ。やっぱり白衣はこれでなくちゃ」
前をいく綾が何度も僕を振り返り、長い着丈の白衣の裾をなびかせて笑う。昔と変わらないさらさらワンレンロングの黒髪が揺れる。
綾、きれいになったな。セルフレーム眼鏡は金縁に変わり、ワイシャツはピンストライプのフェミニンなブラウスに、ハード目なヒールブーツはアンクルストラップのついた華奢なパンプスに、全身淡色にコーディネートされ、タイトスカートから伸びたすらりと長い脚は均整のとれた美脚になった。初対面なら誰もが目を見張るに違いない。だがそれでもすぐに気がつくだろう、この女が壊れてしまっていることに。
今しがたすれ違った大学職員らしき年配の女性が、あからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「綾さ、鞄は? 手ぶらできたわけ?」
「この白衣、ポケットいっぱいなんだ。タブレットが入る内ポケットだってあるし。オーダーメイドなんだよ。どう? 物入れててもシルエットに全然ひびいてないでしょ」と、くるりと回る。
最近母さんと会って綾の話が出ないことはない。綾が、綾が、とそればかり。親父の研究室に助手として籍を置く綾が、母さんとの些細な口論をきっかけに職場放棄してから二ヶ月になること。綾自身、今は離婚協議中だが協議の席を設けても綾が同席せず協議が滞ってしまっているらしいこと。近頃は仕事もせずただ、白衣を着て校内を徘徊しているということ。
――なんとかしてあげて。先生もわたしももう庇いきれない。解雇はやむなしとしても、あの子がまた前を向いて歩けるように。光くんならできる。
そんなことを言いながら、あのアオハルのメモ。ここからどうやって、楽しめというのだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
暗い渡り廊下を抜け、綾に連れてこられたのは、旧棟一階にある親父の研究室だった。エアコンがつきっぱなしだったのか、ひんやりとした空気が漂っていた。
幾何学模様のレリーフが施された高い天井にアーチを描いた梁。壁に這う剥き出しの配管。ここも来年には取り壊される。
ひとを脅して連行してきたというのに、綾は慣れた手つきでふたり分のコーヒーを淹れた。そして応接セットに向かい合った。
綾は時間が止まってしまったように、コーヒーを飲む僕の様子を、金縁眼鏡の奥の瞳を輝かせてじっと観察していた。
「さ、休憩は終わり。今日、桜木教授は学会で出張だし、ここからは楽しいゲームの時間よ。こっちきて」
部屋に隣接した書庫に、僕を案内する。
図書室のように本棚が並び、一角に閲覧テーブルが置かれた十畳くらいの部屋。
ブラインドの降りた窓。
僕が中に入るとすぐ綾が内鍵をかけた。
「とりあえず服全部脱いで裸になるのよ。さもないと……わかるわよね」
スマホ片手にパイプ椅子を引き寄せながら、綾が言う。
「さっきお茶しながらいいこと思いついちゃったんだ。やっぱり休息は大切よね。そう、まずはこの写真を拡大してっと、よし! それからコメント。ラギサヤの写真見てて、こんなの見つけちゃいましたっ。瞳の中にご注目。あとはハッシュタグも忘れずに。#、ラ、ギ、サ、ヤ。よし! これをあたしの裏アカに上げるの。これ見てネットが騒ぎ出したのを見計らって、このキス写真を売り込む、って流れね。きっと高値で売れるわ」
椅子に腰かけ、すらりとしたきれいな脚を組んで、前屈みになってけだるそうにスマホを操作する綾を見ながら、僕はしかたなく服を脱いだ。
長い黒髪をさっと肩のうしろに払うと、部屋じゅうにシャンプーだか香水だかのいい匂いが広がる。ヒトヅマか。すでに他人のものになってしまった女の、いい匂い。危機的状況にもかかわらず、心の中はなぜか冷静だ。
「なあに? パンツも脱ぐのよ。もしかして恥ずかしい? この部屋で昔、ラギサヤと教授がいいことしてたんだよ。あたし、知ってるんだから。そんないわくのある場所で、光栄でしょ」
僕はパンツを脱いだ。すでに漲ったペニスが脱いだ拍子に弾けて、鞭を打つような乾いた音を立てた。
「やだ! 勃ってる。なんで?」
明らかに動揺している綾に僕は聞いた。
「なあ、なんでオレが裸になんないとダメなんだ?」
「あ、やっとしゃべった。ずっとだんまり決め込んでたくせに。……それはね、ラギサヤが言ったからだよ。最近光くんいい男になってんのよ、って。自分の手柄みたいに。ムカつく女! だから実際どうなのかこの目で確かめたかった。それだけよ」
もしかして、そんなつまらない理由で職場放棄しちゃったのか? まるで子供だ。
「で、実際どうなの? オレはいい男か?」
「なにさっきから、オレオレって虚勢張っちゃって。残念でした! あんたは大したことない。ラギサヤに遊ばれて鼻が高くなってるだけ。でさ、なんで勃ってんの?」
「そりゃ、綾がきれいだから、かな」
「いいかげんなこと言うな! これアップするぞ!」と、震える指をスマホに置く。
「待てよ! ほんとだって! 初めて会った時からきれいだったけど、今はもっときれい。だから反応しちゃってるんだろ」
「残念でした。今はヒトヅマって言ったよね。これでも大事にされてるんだから」
嘘ばっかり。僕がなにも知らないとでも思ってるのか。
「でも、武士の情けって言うし。ちょっとだけ、いい思いさせてやろうか?」
椅子からするりと落ちて、這いながらゆっくりと近づいてくる綾。引きずる白衣が汚れるのも構わず、長い脚の先で華奢なパンプスのつま先がぐにゃりと折れ曲がる。
「なんか先から出ちゃってるんですけど」
ペニスの間近まできて、憐憫というよりも困った僕ちゃん、って顔でこっちを見る。
「あたしのどこを見て、こんなになっちゃったの?」
そう言いながらも手は触れず、両耳からぶら下がったチェーンピアスを交互にぶらぶらと、じらすように亀頭に触れさせる。
「ああっ。……髪をうしろに払った時の首筋と、襟元にちらりと見える鎖骨の出っ張り、それからきれいな脚とか」
「ふっ、部分フェチなやつ」
「ほかは見えないんだから、しかたないじゃん」
鼻で笑いながらもうれしそうな綾。ぷっくりとした僕好みの唇が今日初めて、きれいなカーブを描いてすこやかな笑みを浮かべた。
「じゃあ、もう少し見せてあげる」
ブラウスのボタンをふたつ外して、襟を持って胸元を広げる。黄色いブラと儚げな谷間がちらりと見える。
「ラギサヤみたいな巨乳じゃなくて、がっかりしてる?」
「そんなこと言ってないよ。きれいな首とデコルテに見とれてるんだろ」
「デコルテか。ものは言いようね。夫はそんなとこに一切興味を示さないから、ちょっと新鮮。あと、鎖骨だっけ。この固いとこが、好きなの? 自分でオチン×ン持ってすりつけていいよ。特別に許可してあげる」
綾が襟をさらに開いて鎖骨の出っ張りをこちらに向ける。僕はペニスを握って、亀頭を硬骨にすり当てた。
「ああっ、すべすべしてて気持ちいいよ」
鈴口から染み出たカウパーが、鎖骨のくぼみを濡らす。
綾が少し口を開いて、密やかに息を呑む。
「……気持ちいい、なんて、ありきたりね。もっとあたしの心に響くような、気の利いたこと言えない? ヒトヅマのあたしが、今できる最大限のサービスをしてやってるのに」
「……すてき。夢みたい。でも、このままじゃやだな。抱き合ってキスしたり、そんなのは無理?」
「もう、甘え声出しちゃって。どんな女にもそんな風に言って口説いてるんだよね。……そうなんだ。ああっ、やっぱり上げちゃお!」
と、かぶりを振ってまたスマホに指を置く。
「待ってよ! 違うって! ちゃんと本気だから! せっかくふたりきりになれたのに。ラギサヤとか、もう、どうでもいいじゃん。綾とふたりきりの時間、……ちゃんと過ごしたいよ、僕」
脅迫という口実なくして僕と関われない、綾がそう思ってることが悲しかった。
綾と初めて出会った日からずっと、ふと気がつけばいつも綾のことを考えていた。ほかの女と寝たあとも、綾のことを思い出して自慰をした。一度クラブで逆ナンされたビッチの女にそれを見咎められ、罵声を浴びせられたこともあったな。
綾はスマホを床にほうり出した。
それから、けだるそうに首を回して長い溜息をついた。
「ラギサヤなんて、どうでもいい、か」
綾が独り言のようにつぶやく。
ばかげたゲームはもう終わりにしようよ。
ここから、ふたりの時間を始めよう。
……そこに。
隣の部屋から物音がした。
突然の喧噪。それと同時にドアの磨りガラスにいくつもの黒い影が写る。
「れれ、親衛隊きちゃった。講演終わって、ラギサヤがここに招いたんだよ。もう、ナイスタイミング! ははっ」
泣き笑いみたいな顔をして、綾が囁く。
「いい感じだったのに、ねっ。ずいぶんと邪魔してくれるじゃない。空気読めよ、みたいな。ね。……ああ、あたしもうダメ、あとは光、お願い」
あっけなくキャパオーバーを宣言する綾。突然振られても、なあ。だいたい僕は真っ裸だし。
「ここが一階でよかったー。あの窓から逃げてうちにいこう。僕、おまえも住んでた母さんの実家に今ひとりで住んでんだよ」
脱ぎ散らした服や鞄を引き寄せつつ、さっきほうり投げた綾のスマホをこっそり、サマージャケットの内ポケットに仕舞う。
「もう、おまえって言うな。年上なんだから。ヒトヅマなんだからね。それから、あたし逃げないから、ぜーったい。逃げるのはラギサヤの方だもの」
「じゃあ、ここでするわけ? 母さんだって隣にいるのに」
「ああああ、それいいね。むしろいい! ヒトヅマの余裕で、憎らしい母親のすぐそばで、息子を寝取るいいオンナ、みたいな」
ひそひそ声でかけ合ってるあいだも、ドアのむこうではまだ、数名のセーラー服らしき影がゆらゆらと動いている。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
と、綾がペニスに向かっていただきますと手を合わせた。
僕はここでするのか、と聞いただけだ。しようとは言ってない。ああっ!
さっそく握りしめられた。
懐かしいふるさとに帰ってきたみたいな、そんな感動にひとりでに脈打つ僕の息子の鈴口に、ぷっくり唇がキスをする。
ああ、やっぱ夢みたいだ。
ドアの内鍵はかかっている。それを鍵を使って開けるのは当然母さんだろうし、それに、応接セットに飲みさしのコーヒーカップが二個そのままのはず。察しのいい母さんならすぐにピンとくるはずだ。そうなれば、母さんには悪いが綾のもくろみも達成されるわけで。とりあえずこのまま楽しむのも悪くはない。
「ひひひひひ……」
舌を突き出し鈴口を舐めながら、器用に笑い声を発する綾。そこだけ別の生き物のような淫靡な舌が、少しずつ鈴口から尿道に侵入してくる。母さんもそんなことをよくするが、気持ちよさのレベルが違う気がする。
「うわああっ」と、思わず声が漏れる。
僕の声に気がついたのか、隣室の人影がひとつ、中の様子を窺うように、磨りガラスに顔をぺたりと近づけた。
「こっち見てるって。やばいよ」と小声で言ってみるが、綾がやめる様子はない。
尖った舌はさらに侵入してくる。舌が尿道の太さに合わせて形を自在に変えて流れ込むみたいに、圧迫感のともなったえも言われぬ快感が襲ってくる。だが、ここで動くわけにはいかない。動けばばれる。
そんな僕を試すように、綾の舌はチュクチュクと音を立てて蠢く。
金縁眼鏡の奥で、妖しく、そして燃えるような光を宿した瞳に、じっと見つめられている。妖艶な鼻息が亀頭を震わせる。
こいつ、やっぱりただの女じゃない!
妖女。あやしめ。
こんな手管で亭主をたらし込んだのか?
毎晩、こうやって亭主を楽しませてきたのか?
「さあさ、みんなこっちきてね……」
隣の部屋で母さんの声が聞こえるのと同時に、ドアに写った人影がすっと消え、喧噪も隣室の奥へ遠のいた。
ああ、危なかった。でも、もうダメ、我慢できない!
僕は綾の眼鏡を払いのけた。眼鏡が部屋の隅に、音を立てて転がった。
「つ! ちょっとなによ!」
素顔の綾はやっぱりきれいだ。七年前、桜を背景に眺めた時よりも数倍美しく思える。結婚して亭主との秘め事の中で、その美しさが増したのだとすると、ちょっと許しがたい。
ちくしょう!
綾の頭を抱え、差し入れられた舌ごと、ペニスを口内に思い切り突っ込んだ。
「うぐぅ……」
さらさらの髪を纏ったうりざねの頭を回してやると、尿道の舌が抜けて代わりにとろけそうな口の粘膜がペニスにぴったりと貼りついてきた。
ヒトヅマの口の中、あったかい……。
過ぎ去った時を、僕は恨んだ。
「……ぶはぁっ、もう、なにすんのよ」
「おまえ、なんで結婚しちゃったんだよ?」
「あんたには関係ないでしょ。ひとが幸せを求めて、なにが悪いの?」
「嘘つけ! おまえ強欲そうだから、金に目が眩んだだけだろ。……あんな男っ」
このまま時が巻き戻ればいいのに。
母さんに未練たらたら、白衣なんか着やがって。いけ好かない女医を犯すみたいに、このままおまえを蹂躙してやるよ!
頭を力一杯つかんで、再びペニスを唇に突き当てる。このかわいい口で、溶けるようなキスを、毎日のように亭主と交わしてやがったんだな。
隣室にBGMが流れ始めた。母さん気づいたか?
綾はもがきながら手を伸ばしてあたりを探っている。
「うぐぅ、スマホが、あたしのスマホがない。盗ったねあんた、いつの間に。こんどオチン×ン突っ込んだら、噛み切ってやるんだから!」
「好きにしろよ。ほら、口開けろ。ほら、ほら、ほら」
頭をつかんだまま、柔らかい両耳たぶをつまんで、じっくりと揉みしだいてやる。
指先の脂を吸い取られそうな、きめ細かでシルキーな感触。
白衣の裾から伸びた脚が、じれるようにもがき始める。
「はああっ」と一瞬口が開き、
すかさず、嫉みでどうしようもなく硬直したペニスを突き刺した。
とろけそうな粘膜の感触ふたたび。このまま溶かしてくれよな。
それも束の間、綾が充血したカリに歯を立てた。
くそっ、きれいな歯並びしやがって。
「うぐぅ、かみきっれらる!」
突き立てられた歯がぎしぎしと動き、死と隣り合わせの快感が湧き上がる。
「……ああ、いいよ。噛み切れよ。おまえなしで、男でいるのはもういいよ。そんな気になってきた」
僕はやけになって笑った。きっとそれは、醜く歪んだ顔に違いない。
それを綾がじっと見ている。
瞳の中の妖しい光はいつの間にか消え、綾の鼻息が少しずつ震え始める。
一瞬瞳が、泉の水面のように揺らいだかと思うと、大粒の涙がまなじりから溢れ出し、頬を伝って床に、ぽたぽたと音を立ててこぼれ落ちる。
綾が僕のペニスを咥えたまま、声を上げて泣き始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
綾の手を取り、僕は駈ける。
結局、綾が大声で泣くものだからどうしようもなくなり、服を着て窓から脱出した。
綾は腑抜けのようになりながらも、僕の指示に素直に従った。
なにしろ、男に手を引かれ泣きながらふらふらとついてくる白衣姿の女という図であるから、大学の中でもそして外に出てからも、ずっと奇異の目に晒され続けた。
でも、もう離すもんか。そう思った。
もしや綾の亭主や義母の雇った探偵が尾行しているかもしれない。そんな懸念をいだきながらも、少しもやましいとは思えなかった。
そして、母さんの実家に到着した。
重い扉を閉めると、綾はひときわ大きな声で泣き、僕の肩にしがみついた。
僕は言葉を発する代わりに震える綾の体を強く抱きしめ、ふたりして大理石の床に崩れるように倒れ込んだ。
大学からこの家まで、バス停七つ分をずっと駈けてきた。ふたりとも体力の限界にきているはずだ。しかも僕は昨日から一睡もしていない。
僕の汗だくの頬にべったりと張りついた、埃臭い綾の髪。
とりあえず顔だけでも拭いてやりたい。
思ったほど暑くないのが幸いだ。狂気を孕んだ蝉の声だけがかすかに聞こえる。
しばらく経って、鼻をまだ啜る綾の手をほどき、這いながら洗面所へ向かい、濡らしたタオルを持って戻りかけた時、鎖のようなものがすれる音がした。
「……綾、どうした?」
そして派手な金属音が玄関ホールに響いた。
綾! 綾が、いない?
慌ててまわりを見渡すと、両手を上げてホール中央の螺旋階段にもたれかかる綾の姿があった。
よく見ると、銀色の手錠で螺旋階段の金属手摺りに繋がれている。
「誰だ! なにしやがる!」
「光、違うってば。自分で……、自分でやったんだもん。もぉう、光が目を離すからだよぅ。逃げ出しそうになっちゃって、……だから、だから自分で」
「ああ、びっくりした。自分が逃げ出しそうになったから、自分でそうした? なに、二重人格なのかおまえは。逃げたい自分と犯されたい自分、みたいな?」
「好きに言えよ。ああ、疲れたぁ」
正座するかしないかの中途半端な姿勢でぶら下がっている綾。思えばこいつ、初めて会った時からおかしな女だった。
「どんだけ手間かけさせんだ。おまえ、なんで手錠なんか持ってんの?」
「昔から持ってる。光を拉致ってやろうと思って持ってきたんだ。なのに逆に拉致られた……」
「はいはい、もうわかったから、さっさと鍵よこせよ」
「……それが、ないんだ、鍵。家に忘れてきたみたい」
「マジか! ああ、勘弁してくれよー」
僕は途方に暮れうなだれた。拉致監禁された白衣の女医と、これからそれをどう料理するか舌なめずりしながら思案している変質者、みたいな流れになってしまった。
「ちょっと顔、洗ってくるわ」
洗面所で、母さんに非常事態のメッセージを送信した。
スマホは一分もしないうちに返信の着信音を発した。
なあに、SMプレイ?
せいぜいゆっくり楽しんで!
綾の眼鏡が書庫に落ちてたから、
あとでそれと一緒に、切断用の工具を玄関扉の前に置いとくね♡
それから綾のスマホの電源は切っておくこと。
あちらのお宅には、わたしがうまく理由つけてごまかしとくから、まかせて!
残りのお盆休みふたりでゆっくり楽しみなさい。
あと、綾の弱点、特別に教えてあげる。
腋の下。ははっ。
それじゃ、アディオス!
おかしな女は綾だけじゃないな。ちょっと癒やされた。しかも、万全のサポート体制ときた。光、どうする? むこうにはイカすヒトヅマが手錠に繋がれぶら下がってんだぞ。夢のような話じゃないか。もう離さないんじゃなかったのか? さあ、いけよ!
女々しい僕に、アディオス、か。
玄関ホールに戻ると、ぶら下がったままの綾が、寝息を立てていた。
「おい、寝てんの? 手、痛くないか?」
「寝れるわけないじゃん」
寝てると思った綾が目を開けた。
「このまま放置かと思った。でも、気味悪いか、やっぱり」
「そんなことないよ。てか、おまえ、こんなことしながらもそんな常識は持ち合わせてんだな。……さあて、どうしようか、これから」
「煮るなり焼くなり、好きにすれば」
「バナナみたいに剥いて欲しいか? 美味しそうだもんな、おまえ。イカす女医って感じ。いや、美人過ぎる研究員かな」
「イカすって、昔の言い方ね」
「ばあちゃんがよく言ってたな。子供ん時は意味わかんなくてな」
「イカすヒトヅマ、好きにすれば」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
背中に隠し持っていたハサミを取り出すと、綾がさすがに息をのんだ。
洗面所の戸棚を物色してみたら、いい感じの大きな裁ちバサミが出てきた。テーラーなんかが使ってるようなやつ。
少し錆びてはいるがシャキンといい音がする。
シャキン、シャキン。
「はああ、なにやだ、マジやめて……」
体をばたつかせてみるが、逃れられるはずがない。自分で蒔いた種だからしかたがない。
「今頃泣きごと言っても遅いって。体を切り刻むとは言ってないだろ。まずはスカートから」
裾から切り始める。厚手の生地だが思いのほかよく切れる。
「コンサバっぽい服。旦那に買ってもらったんか?」
「やあだ、高かったのに」
「そのままブラウスもいっちゃうよ」
ボタンなんていちいち外さない。滑らせるだけで心地よく裂けてくれるもの。
肌にハサミが触れて、綾が体をひくつかせる。きれいな首筋が脂汗でテカり出す。
震える綾はかわいい。
切断したブラウスを解剖実験みたいに、左右に開いて白衣の内側に収め、スカートを取り払う。
黄色い下着上下に同色のガーターベルト。
「あ、ガーターベルト。昔とおんなじ。そんなに欲しいのか? じゃあ、淫乱ヒトヅマのご期待に応えて、まずは胸からいただくとするかな……」
「はああああっ、ダメぇ」
黄色いブラを着けた綾の胸。大きさ控えめな乳房は、それでも充分の丸みを感じさせ、ブラで寄せられた膨らみに指を当てると、完熟トマトみたいなはりのある弾力が帰ってくる。
僕はしとやかな谷間に顔をうずめ、その魅惑の肌にくちづける。
そのまま、舌を胸元に這わせた。しょっぱい汗の味。
胸元に浮いた肋骨の固さを確かめたあと、震え声とともに現れる喉笛の下のくぼみに、舌を回し入れる。
「はあぁああっ、あっ、あっ……」
声が舌に響く。舌先で聞く綾の声。いとおしい。
感極まった僕の舌は、しばらく綾の首筋を巡ったあと、顎に駆け上った。
ようやく唇を前にして、綾が顔を背けた。
「ダメよ! キスはダメ」
「なんでだよ。唇は旦那だけのものってか?」
無理矢理キスしようとしても、力いっぱいにかぶりを振る綾。
「……ダメ! とにかくダメ。あたしの唇、けがれてるもの」
ふうん、そんなに亭主といろんなことしてるわけ?
「じゃあ、オレがもっとけがしてやるよ。つうか、清めてやるよ。オレのチ×ポで」
僕は服を脱いで、綾の目の前に悲しいくらいに漲ったペニスを突き出した。
「さっきも舐めてくれたよな。もう噛み切るなんて言わないで、受け入れてくれよ」
意外なことに、綾の唇がふわりと開いた。
ペニスをその肉厚の唇にあてがうと、するりとそれは吸い込まれた。
貼りつく粘膜の感触にかすかに欲情の匂いを感じる。
「ああ、気持ちいい」と言いつつすぐに抜くと、綾がじっと僕の顔を見る。
「…………突いて。今言ったとおりいっぱい、……あたしを清めて」
あきらめたという風でもなく、綾が静かに言った。
わかった。わかったって。
ふたたび、口内に埋めた竿全体で魅惑の粘膜を味わいながら、さらに先に進む。
「あうっ……」
ペニスは喉の手前でいき当たった。
綾が瞳を開いて、僕にサインを送る。
大丈夫、もっと!
ゆっくり押すと、亀頭がずぼっと、あからさまな音を立てその先に侵入した。
そうして固い喉の底に突き当たった。
「ぐぅ、ぐ……」
あらかじめディルドで開発された母さんの喉奥と違う、前人未踏の静謐な空間。たぶん綾の亭主もここのことは知らない。
綾が鼻から大きく息を吐き出した。そして僕の漲りをいとおしむように、粘膜がふたたび吸着し始める。
「きゅき、ききききききっ」
綾の喉が軋む。僕にはそれが、高笑いのように聞こえた。
それからは脳漿を潰す勢いで、喉奥を突いた。綾がそれをしっかり受け止めるべく、首に力を込めているのがわかる。はだけた白衣、上下に動く綾の胸。音を立てる鼻息。
抱きつきたいのにそれができない、そんな風に、手錠で繋がれた綾の指先がいっせいにこっちを向く。
「底、当たってるよ。食道まで入ってるのかも。亀頭の先が当たって、すげえ気持ちいい。もう止まんない!」
「うぐぅ、いい、ぐぅ、いっば、ぐぅ」
茎にあてがわれた綾の舌が、口内で激しく動く。
「じゃあ、このまま出すよ! いっぱい、ああああっ……」
「ううん、うううっ、うううん。……うぐう、うぐっ……」
僕の射精に合わせるように、綾の喉が鳴る。
目を剥いて、すべてを受け止めようと首を反らすが、どうにも追いつけない射精量だ。なにしろ七年分の想いが詰まってるんだから。
「うっ、げっ、げぼっ、ずるっ……」
ペニスを抜くと、鼻腔を逆流した精液が鼻から垂れ下がっている。
「げほっ、ああああ、…………あたし今、ひどい顔じゃない? ずるっ。ははっ」
「……い、いや、そんなことないよ。綾、きれいだよ」
実際、すげえ悲惨な顔、と思ったが、嘘をついた。
「はははっ、やだもう。はははっ」
照れたように笑う綾の顔を、濡れタオルで拭って、キスをする。
こんどは拒まなかった。繋がれた指先がまた、いっせいに前を向いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そこからは吹っ切れた。綾も頑なな心が少しほぐれたのか、軽口が出始めた。
「なんか疲れた。膝、痛くなってきたし」
「ダメだよ。残り剥いてからだよ」と言ってまたハサミを差し出す。
「この白衣、切っちゃうぞ」
「ええっ、オーダーメイドなのに。あたしのトレードマークなのに」
「ばか言ってんな。ラギサヤの真似だろ。おまえこそ見苦しいよ」
そう言って胸からアームホールにかけて、ブラウスごとハサミを入れ始める。
白衣は病んだ綾の象徴だ。さっさと脱がせたい。女医を弄ぶのはもういい。綾のスレンダーな体を早く楽しみたい。
ハサミをわざと綾の腋の下に当ててみる。
「やだ、当たってる、やん、ああっ」
「えっ、ここ感じんの?」と、わざとらしく聞く。知ってるけど。
「あとでゆっくり舐めてやるよ。ヒトヅマの腋の下だもんな」
「そんなのダメっ。や! や!」と言いながらも、とろんとした瞳を向ける。
左右とも袖にハサミを入れて、衣服を取り払うと、手錠に繋がれたガーターベルトの女。美しい脚に見合う、スレンダーながらハイウエストの均整のとれたボディ。
「下着はダメっ! 高いんだから」
「僕といいことしようと、おめかししてきてくれたのはうれしいけど、綾は裸の方がぜったいいいよ」
一気にブラとパンティーにハサミを入れて取り払う。
「ああん、やだ! 信じらんない。それに、ああっ」
裸にされたことに今さら思い至って、体をねじらせる綾。
そして、綾の乳房に僕は目を奪われた。
そこにあるはずのふたつの突起が、つつましく埋まったようになっている。
軽めの陥没乳首。
「乳首が……」
「乳首がなに?」
「いや、なんでもない」
そう言って、すかさずその埋まった突起にしゃぶりつく。
「やん、あ、あっ、あっ、あっ……」
綾が密やかに鳴いている。昔みたいに。
少しだけ顔を出した突起の先を舌で転がし、そして吸う、それを何度も繰り返すうちに、舌先に感じる乳首の存在感が、少しずつ、確実なものになってきた。
「綾、すてき。だんだん勃ってきた」
一泊置いて、綾が言った。
「……光のために、取って置いたんだもの。夫にもまだ触らせたこと、ないんだよ」
「まさか。じゃあ、さっき清めたのはなに?」
「あの男はね、まな板の上の魚みたいなやつ。自分じゃなんにもしないの。あたし、奉仕するばっかりで、つまんなくって、ある晩に求めてみたの。そしたら、急にあおむけに寝て、ここに乗れば、って半勃ちのオチン×ン指さして言ったのよ。……もう、ぜったいムリって思った」
「まさかのマグロ男! そんなやつはさっさと解体して別れろ」
綾の腰に手を回し、頬をふんわりしたおなかに押し当てて僕は言った。
「失敗したなあ。大学のパーティーで知り合ったんだ。あたしの研究にも理解を示してくれたし、協力するとも言ってくれた。光は東京いっちゃったし、だからあたし、もうあとはないって、思っちゃったんだよね。光のことにしても、あたし確証がなかった。沙夜ねえから、あのあとも光の話いっぱい聞いて、もしかしたらあたしが好きなのは、沙夜ねえの話の中の光であって、実際の光じゃないんじゃないのか、とか。それで結局、苛立って沙夜ねえと喧嘩しちゃったし。初めてのあの車の中で、あっ、このひと、って思った直感を、もっと信じるべきだったのかもしんない」
しみじみとした話だな。僕も感動している。でも、今の状況、わかってる? 手錠に繋がれてんだぜ。乳首がやっと勃ってきたのに、さあ、続きしようよ。
「おたがい、回り道したみたいだな」と、とりあえずまとめてみる。
「愛してるよ。綾。ずっと一緒に生きたい」
遅いのかもしれないけど、さりげなく、プロポーズも。
「あたしも愛してる。初めて会った時から、愛してる。……ああっ、舌やらしいっ」
僕は行為を再開した。綾がもっと欲しい、そう思ったから。
ほどよく尖り始めた乳首をつまみながら、綾にキスをした。
「ああん、や、や、指動くぅ」
舌を絡め合いながら、僕を見つめて綾の目が笑う。
「じゃあ、お楽しみ、いっちゃおかなあ」
「なに、やだ、ダメっ、ああっ……」
僕は綾の腋の下に、舌を這わせた。
「こんなことしちゃう僕に、幻滅感じない?」とひと舐め。
「ひゃあっ、はああっ、ダメえ!」
そしてまた、ひと舐め。こんどはねっとりと。
「あ、ああっ、溶けちゃう、溶けちゃうっ!」
母さんみたいなこと言ってる、と思っていたら、
「わああっ、ああっ、あ、あ、うおおおおおっ、おおっ」
と、地の底から響くような低い地声で、綾が呻き始めた。女の業みたいなものを感じさせる動物的な声だ。
呻きを伴奏するように、カチャカチャと手錠の鎖が派手に鳴る。
横目で綾の顔を窺うと、震える唇の真ん中からよだれが溢れ、垂れ下がっている。
それを繰ってやろうと口を近づけると、肉厚の唇が吸いついてきた。
寄った目を見開いて、綾が叫ぶ。
「光、挿れて。いっぱい突いて! こんなダメなあたしを、さあ、めちゃくちゃに壊してっ!」
ヒトヅマはやっぱり、欲求不満だったみたいだ。
僕は綾の体を持ち上げて、その下に身を潜らせた。
大理石の床が綾から流れ出た蜜でべったりと濡れていた。螺旋階段の下に空間があったことで、容易に身を滑り込ませることができた。
「ごめん。僕が下になるけど、いい?」
「ごちゃごちゃ言わないで、早く挿れてっ!」
さっきプロポーズしたばっかなのに、もう尻に敷かれるのか、オレ。
「じゃあ、挿れるよ」と復活したてのペニスを沈ませる。
綾の中は、何匹もの蛇が蠢く如くだった。
そうだった。綾は蛇女! 忘れてた。ああっ。
「あたし動けないから、光、動いて!」
少しでも気を抜くとカリの裏にまで筋肉の束のようなものが纏わりついてきて絶頂に誘われる。よし動くぞ! そんな隙を与えないくらいめちゃくちゃに突き上げてやる。
僕は力の限り、腰を突き上げた。
「はあっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、……」
さっきの強気な言葉とは裏腹に、綾が小鳥のように密やかに鳴く。かわいい綾。
息切れして動きが弱まるとまた、締めつけられる。陰嚢の精液が吸い上げられるような錯覚。
ああ、やっぱダメっ!
射精とともに意識がふうっと遠のいた。
…………。
股間に貼りついた、こそばゆい感覚ですぐに目が覚める。
「光、起きて。ちゃんとイカせてくれないと、あたしやだ。沙夜ねえがいつも自慢してる、突かれる絶頂ってやつ、あたしも経験してみたいもん。……早く硬くしてまた突いてよ。もしかして、気の利いたセリフ言った方がいい?」
「うん、頼む」
こそばゆさが少しずつ魅惑の感触に戻り始めてきた。
「光、大好き。愛してる。大学では大したことないって言ったけど、ほんとはとっても素敵! 今すぐしゃぶりつきたいくらい逞しくっていい男だよ。どう? ダメ?」
「もっと、ツンツンした感じで言ってみて」
「じゃあ、そうね。……光、女々しいやつ。このままだと夫の元に帰っちゃうから。だからもっと突いて! だからいっぱい流し込んであたしを孕ませてっ! 不埒でヘンタイのあたしをもっと、泣かせて。だあいきらい、光っ、だあいきらい……ああっ、あっ、あっ、……深いっ!」
気づけば腰が動いていた。
『だあいきらい』。ずっと耳にこびりついたままだった綾の声。
「ああ、光、すごい! あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、……ダメ! ダメえ」
「じゃあ、やめる?」
「ばかばかばかっ! やめちゃやあっ、やめないでっ!」
ありきたりな僕の戯れ言に、素直に乗っちゃう綾。
かわいい! ああ、ダメ。イキそう!
「光っ! 一緒にっ、一緒にいこ」
「うん!」
「あっ、あっ、あっ、きた、きたわっ!」
「僕もっ! 僕も! ああっ…………」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
綾の尻に敷かれた体をそっと抜いて、玄関まで這って扉を開ける。
どでかいニッパーと紙にくるまれた綾の眼鏡がそこにはあった。ナイス母さん!
あれ、紙に走り書きがある。
僕ちゃんすごい! 一緒にイケたね!
なっ! と僕は入り口から顔を突き出して、車止めや、家のまわりを何度も見渡したが、母さんの姿はすでになかった。
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