借景 -profiles of a life -

黒井羊太

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親友B

親友B④

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 今、全部思い出した。
 僕にとっては、酷い裏切りをされた訳で、奴を殴るだけの道理がある。しかし奴に殴られる道理など存在しないはずだ。
 先輩の仲裁で殴り合いは収まったものの、口汚い罵り合いは続いていた。その内、奴は僕を挑発し始める。
「楽器を捨てたくせに? もう吹けないんだろ? 舐めるなよ! ここに俺の楽器があるなら、吹いてやろうじゃないか!」
 勢いに任せて啖呵を切ってやると、奴はにやりと笑う。隣の音楽準備室から、楽器ケースを取り出してくる。それは……紛れもなく僕のサックスだった。何故ここに!?
 さぁ吹けよと言わんばかりに、あの頃と同じように金色に輝く僕のサックス。それを差し出すニヤニヤ顔の奴。僕は、啖呵を切った手前引くに引けず、追いつめられ、悩み苦しんだ挙げ句、観念した。
 僕は遂に、何年か振りで楽器を弾く羽目になる。

 リードを付け、息を吹き込む。
 ~~~♪
 感覚は忘れてない。指慣らしを兼ねて、散々吹いていた練習曲を一曲。それを聞いていた奴は、勝手に演奏に乗っかってきやがる。えぇい、邪魔だな。
 曲の途中で曲を変える。一小節遅れで奴もそれに合わせる。僕の走る所も、苦手な所も、完全にカバーするように、一緒に吹いてくる。
 僕はムキになって、曲を変え続けた。知っている曲を出し尽くすように、奴がついてこれないように。しかし奴はどこまでも追いかけてきた。僕の吹く曲に、少しもずれずに。
 当たり前といえば当たり前だった。僕の知っている曲は、全て奴と一緒に練習した曲だ。何年経っても、いくら忘れようとしても、その事実は決して変わらない。
 遂には僕の知っている曲は全て使い尽くしてしまった。
 この他に、僕の知っている曲は……残っているのは……
 ~~~♪
 僕らの曲。僕らの旋律。僕が吹き始めた瞬間、奴は少し目を見開き、そしてすかさず追いかけてくる。
 ~~~♪
 途端、僕の体を衝撃が突き抜ける。
――あぁ、この旋律だ。
 重なり合う旋律。タイミング、和音。少しのズレもない。
 ~~~♪
 どんなにスピードを変えても、どんなに変調しても、奴はついてきた。僕はその内、自分がどれだけ怒っていたかなどすっかり忘れて、昔の気分で吹き続ける。僕がリードし、奴が合わせる。かと思えば奴が主導権を持っていき、僕が合わせる。まるで喧嘩のように主導権を取り合いながら、音楽は続いていく。
 段々と僕の中で、奴への恨みよりも大きな『懐かしさ』がこみ上げてくる。奴の顔を見る。なんて嬉しそうな顔をしやがる。昔よりもずっといい顔だ。
 そして、僕がちらっと目配せをしてやると、奴は小さく頷き、
 ~~~!
 音楽はそこで終わった。そしてワッと拍手が鳴り響く。僕はびびる。
 気付けば音楽室には、学校にいた人間、学校の外にいて、音楽が聞こえたから来た人間で、埋まって……はいないが、相当集まっていた。僕ら二人に向けられる拍手。あの日、迎えるはずだったステージが、思いがけずここで迎えられた。
 心にあるのは充足感。息を切らし、汗を垂らし、涙を流し、僕は奴を見た。奴は、息を切らし、汗を垂らし、涙を流していた。目が合うと、自然にやりと笑い、右手を出してきた。僕は、右手を出してやり、衆人観衆の前で握手してやった。

 それから、集まった奴らと打ち上げにいった。大人になって初めて気付いたが、この町は意外に飲み屋が多い。そういうものなのかもしれない。
 僕は奴と語り合い、下らない話をし、また会う約束をして、別れた。
 帰り道。一人歩く夜道の風は心地よく、満たされた心からは、鼻歌が溢れてくる。端から見たら完全に怪しい人物だ。でもそんな事は関係ない。今僕は、ずっとそうしていたいと思うくらいに気分がいい。
 また何かを始めよう。なんなら、奴と演奏する為にこの町に戻ってきてもいいな。そしたらまた今日みたいに飲んで、楽しく過ごせるのかな。
 夜の町は、深い青に包まれ、やがて朝日が上がると共に、輝きを見せ始めた。
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