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弐拾壱ノ章(壱)
玄奘、大慈恩寺に移転す(貞観二十二(六四八)年、十二月)
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「もういいのよ、ビビ。私のことは気にしないで、……」
少し寂し気にそう呟くと、静かに背を向けた少女の見事な黒髪は、結っていた簪が外れた拍子にほどけて腰まで垂れ、ゆたかに波打ちながら揺らめき始める。その髪に美眉は手を伸ばそうとするが、どうしてもその指は届かず、少女の背はどんどん遠のいていく。
「待って、……レイラ、待って!?」
どうしてそんな意地悪をするの、私一人だけ置いていかないで。
必死にそう叫んでも、少女が再び振り返ることはなかった。その全身が闇に呑み込まれていったとき、美眉もまた足元の大地が割れ、地の底まで真っ逆さまに転げ落ちていくような感覚を覚え、そして、……目が覚めた。
(夢、……?)
窓からかすかに差し込む薄明かりが、見慣れたいつもの自分の部屋を浮かび上がらせている。夜が明けたとはいえ、室内の空気は凍えるように冷たく、なのに、美眉の全身は汗にまみれていた。このままでは風邪をひいてしまう。急いで美眉は汗を拭い、肌着を変えた。
(これで何度目だろう?)
レイラが亡くなってからずっと、一定の間隔で彼女の夢は見てきたが、最初の頃、いつも彼女は微笑みをこちらに向けたまま、ただ静かに佇んでいるだけだった。そして、その姿は、記憶のなかの彼女そのままでもあった。
だが、ここ二年ぐらいだろうか、夢のなかのレイラは、表情が少しずつ沈んでゆき、最近では、必ず自分に別れを告げ、静かに遠ざかってゆくのだ。あの頃とまったくその面影は変わらないのに、その身に纏った雰囲気はまるで別人のように酷薄で、美眉は懐かしさよりも先に、不気味さを感じている。そして、そんな心境の変化の最も大きな要因が、あまりにも近くなりすぎた李義府との関係性にあることに、美眉は内心、気付き始めていた。
(私にはいま、レイラよりも李大人の方を大切に思っている!?)
彼女のことを決して忘れたわけではない。けれど、いつの間にか、心のなかに占めている比重が小さくなっていることは事実だ。そのことに対する罪悪感で、美眉はいま、自分で自分のことが疎ましくてたまらなかった。そんな己に絶望した美眉にとって、その心を癒してくれるのは、やはり玄奘が彫ってくれた仏像しかない。いつものようにそれを取り出し、強く握りしめていると、知らぬ間に美眉の両頬には涙の痕が伝っている。それを意識した瞬間、
「和上に会いたい!?」
美眉ははっきりと、そう声に出していた。
「和尚、そろそろよろしいでしょうか?」
坊の戸口から馬玄智の声がかかる。どうやら出立の準備が整いつつあるようだ。
「判った、すぐに参る」
口ではそう云ってみたものの、玄奘の足は重い。本当なら一緒に供をし、慈恩寺でも自分を助けてくれるはずだった辯機が、もうこの世にはいないからだ。
「心お静かに、旅立たれましてございます」
処刑の場を実際に見に行ってくれた玄智は、ただそれだけを報告するにとどめた。それ以上は何を語っても、玄奘の心を掻き乱すだけだと知っていたからだろう。
「そうか、静かに逝ったか……」
玄智の報告に対して、玄奘もまた、その一言だけで答え、ゆっくりと眼を閉じた。
二月前、理由も告げず御史台の役人が辯機を引き立てていこうとしたあの際の、覚悟を決めているらしい様子であれば、万が一にも処刑の直前に取り乱すようなことはあるまいと思っていたが、仏法に帰依した者として、その最期だけは見事に意思を貫いてくれたようだ。せめてそう思うことで、玄奘は自分なりに気持ちのけじめをつけようとしていた。
だが、世間というしがらみが、それを簡単には許してくれなかった。日頃あまり顔も見せない世話係の役人が、昂奮した様子を隠そうともせず、
「処刑場には、まるで長安中の民衆が集まったかのような賑わいで、……」
と、わざわざ報告しにくる。また、譯経に自身も携わっているある碩学などは、
「たしかに僧として、姦通の罪は誠に重いものではありますが、『腰斬』の刑に処されるとは、あまりに惨たらしいことで、……」
と、こちらが頼んでもいないのに、勝手に憤慨してみせる。
だが、こうした者たちに共通しているのは、口では玄奘に慰めの言葉を並べて見せながら、その一方で、瞳には好奇の色が爛々と浮かんでいることだ。
「どうです、ご自慢の愛弟子が皇女様と密通していた科で処刑された御気分は?」
そう心のなかでせせら嗤っているのが、あからさまに見えている。
(心しなければならぬ)
改めて玄奘は、他宗教からだけではなく、同じ仏教界に身を置く者の間でも、己の立場が微妙なものになっていることを自覚する。まさに、「出る杭は打たれる」の譬えどおりである。
こうした憫笑が投げかけられる度に、玄奘は白眼をもって応え、余計な情報は遮断する姿勢を取り続けてきた。その所為もあって、処刑から一月、ようやくこの話を彼の前で口にする者は少なくなっていたが、皆の実際の肚のなかまでは判らない。
幸い、辯機の一件があって以降も、主上の好意が変化する兆しはなく、いまや玄奘は国師同然に扱われている。本日、大慈恩寺へ譯経場を移転することを祝す、この盛大な催しこそがそれを証明しており、玄奘、さらには仏教そのものの行く末を思うとき、彼の心も少しは晴れていく。
(辯機の一件も、御仏が儂に与えたもうた試練の一つだ)
本朝に帰国してから後、あまりにも事がすべてうまく進みすぎたと、玄奘は臍を嚙んでいた。初心を忘れてはいけない。そう心に誓って、昔を思い返してみた時、ふとなぜか、若き日に高昌国で仏縁を結んだ二人の幼女の面影が浮かぶ。
(生きていれば、もういい娘になっているだろう)
嫁にいって、子どもも何人か生まれているはずだ。贅沢なことは望まない。辯機には成し遂げることができなかった、御仏の教えを守って心静かに暮らす。そんな平凡だが幸福な人生を送ってくれていればと、玄奘は心からそう願った。
「和上、どうかなされましたか?」
あまりにも玄奘が出てくるのが遅いことを心配して、玄智がもう一度顔を出す。慌てて玄奘は、
「いや、何か忘れ物はないかと、確かめていただけよ」
そう云って、わざとらしく坊内をざっと見回してみる。しかし、残されている物などあるはずはなかった。天竺から持ち帰った経典・仏像・舎利などの類は一番に運び出していたし、この日のために準備しておいた刺繍畫などの仏畫二百余軆や金銀製の仏像二軆、金縷綾羅の幢幡五百口も、既に荷車に積み込んで引き出されている。それを幡蓋や錦、作り物などで派手に飾り立てた御大層な山車千五百台で取り囲み、大慈恩寺に向けて行進していく予定なのだから、表の喧しさは尋常ではない。
(なんとも御大層なことになったものよ、……)
玄奘としては、ありがたさ半分、困惑半分といったところだろうか。
大慈恩寺では、譯経のための人員も大幅に拡充されることが約束されており、作業が一段と捗ることは間違いないだろう。だが、その反面、京師内の人士の往来が増えることも予想され、腰を落ち着けて作業に専念できるかについては、いささか懸念されるところでもある。
(とはいえ、これもすべて陛下の御恩情だ)
去る九月には、仏教の功徳を願い、主上の勅によって天下の諸寺に各五人、総計一萬八千五百人餘の僧尼の得度が許されており、仏法興隆の流れは、いまや確固たるものとなりつつあった。そして、なによりも心強いのは、その主上の宗教政策を、皇太子も引き継がれることが明らかにされていることである。皇太子の発願で建立された大慈恩寺が新たな譯経所に定められたこと自体、その象徴であると云ってもよい。
やがて、馬玄智に案内された玄奘は、一臺の寶車へと乗せられた。その後に、仏教界の碩学、大徳を乗せた五十臺もの同じような寶車が続き、一旦、宮城へと向かうことが予定されている。宮城では、主上みずからが皇太子や後宮の人々を従え、安福門の楼閣から手に香爐を持って行列を見送ってくれるという。さらにそこから、長安中の僧侶が香華を持って唄讃しながら陪従し、次いで文武百官が各々侍衛を連れて付き従うのだそうだ。
これだけでも十分すぎる手向けなのに、しかし、実際の行列は、この程度の華やかさでは終わらなかった。後で知ったことだが、皇太子の発案により、この行列の両側を挟むようにして太常九部の楽が奏でられ、長安・萬年二県の楽隊がその後に続き、さらには西域から来訪した軽業師たちまでがそこに参画して、行列に彩を添えることが決まっていたからである。
そんなことなど露知らぬ玄奘は、寶車のなかで揺られながら、宮城までもう間もなくのところにまで来ていた。
少し寂し気にそう呟くと、静かに背を向けた少女の見事な黒髪は、結っていた簪が外れた拍子にほどけて腰まで垂れ、ゆたかに波打ちながら揺らめき始める。その髪に美眉は手を伸ばそうとするが、どうしてもその指は届かず、少女の背はどんどん遠のいていく。
「待って、……レイラ、待って!?」
どうしてそんな意地悪をするの、私一人だけ置いていかないで。
必死にそう叫んでも、少女が再び振り返ることはなかった。その全身が闇に呑み込まれていったとき、美眉もまた足元の大地が割れ、地の底まで真っ逆さまに転げ落ちていくような感覚を覚え、そして、……目が覚めた。
(夢、……?)
窓からかすかに差し込む薄明かりが、見慣れたいつもの自分の部屋を浮かび上がらせている。夜が明けたとはいえ、室内の空気は凍えるように冷たく、なのに、美眉の全身は汗にまみれていた。このままでは風邪をひいてしまう。急いで美眉は汗を拭い、肌着を変えた。
(これで何度目だろう?)
レイラが亡くなってからずっと、一定の間隔で彼女の夢は見てきたが、最初の頃、いつも彼女は微笑みをこちらに向けたまま、ただ静かに佇んでいるだけだった。そして、その姿は、記憶のなかの彼女そのままでもあった。
だが、ここ二年ぐらいだろうか、夢のなかのレイラは、表情が少しずつ沈んでゆき、最近では、必ず自分に別れを告げ、静かに遠ざかってゆくのだ。あの頃とまったくその面影は変わらないのに、その身に纏った雰囲気はまるで別人のように酷薄で、美眉は懐かしさよりも先に、不気味さを感じている。そして、そんな心境の変化の最も大きな要因が、あまりにも近くなりすぎた李義府との関係性にあることに、美眉は内心、気付き始めていた。
(私にはいま、レイラよりも李大人の方を大切に思っている!?)
彼女のことを決して忘れたわけではない。けれど、いつの間にか、心のなかに占めている比重が小さくなっていることは事実だ。そのことに対する罪悪感で、美眉はいま、自分で自分のことが疎ましくてたまらなかった。そんな己に絶望した美眉にとって、その心を癒してくれるのは、やはり玄奘が彫ってくれた仏像しかない。いつものようにそれを取り出し、強く握りしめていると、知らぬ間に美眉の両頬には涙の痕が伝っている。それを意識した瞬間、
「和上に会いたい!?」
美眉ははっきりと、そう声に出していた。
「和尚、そろそろよろしいでしょうか?」
坊の戸口から馬玄智の声がかかる。どうやら出立の準備が整いつつあるようだ。
「判った、すぐに参る」
口ではそう云ってみたものの、玄奘の足は重い。本当なら一緒に供をし、慈恩寺でも自分を助けてくれるはずだった辯機が、もうこの世にはいないからだ。
「心お静かに、旅立たれましてございます」
処刑の場を実際に見に行ってくれた玄智は、ただそれだけを報告するにとどめた。それ以上は何を語っても、玄奘の心を掻き乱すだけだと知っていたからだろう。
「そうか、静かに逝ったか……」
玄智の報告に対して、玄奘もまた、その一言だけで答え、ゆっくりと眼を閉じた。
二月前、理由も告げず御史台の役人が辯機を引き立てていこうとしたあの際の、覚悟を決めているらしい様子であれば、万が一にも処刑の直前に取り乱すようなことはあるまいと思っていたが、仏法に帰依した者として、その最期だけは見事に意思を貫いてくれたようだ。せめてそう思うことで、玄奘は自分なりに気持ちのけじめをつけようとしていた。
だが、世間というしがらみが、それを簡単には許してくれなかった。日頃あまり顔も見せない世話係の役人が、昂奮した様子を隠そうともせず、
「処刑場には、まるで長安中の民衆が集まったかのような賑わいで、……」
と、わざわざ報告しにくる。また、譯経に自身も携わっているある碩学などは、
「たしかに僧として、姦通の罪は誠に重いものではありますが、『腰斬』の刑に処されるとは、あまりに惨たらしいことで、……」
と、こちらが頼んでもいないのに、勝手に憤慨してみせる。
だが、こうした者たちに共通しているのは、口では玄奘に慰めの言葉を並べて見せながら、その一方で、瞳には好奇の色が爛々と浮かんでいることだ。
「どうです、ご自慢の愛弟子が皇女様と密通していた科で処刑された御気分は?」
そう心のなかでせせら嗤っているのが、あからさまに見えている。
(心しなければならぬ)
改めて玄奘は、他宗教からだけではなく、同じ仏教界に身を置く者の間でも、己の立場が微妙なものになっていることを自覚する。まさに、「出る杭は打たれる」の譬えどおりである。
こうした憫笑が投げかけられる度に、玄奘は白眼をもって応え、余計な情報は遮断する姿勢を取り続けてきた。その所為もあって、処刑から一月、ようやくこの話を彼の前で口にする者は少なくなっていたが、皆の実際の肚のなかまでは判らない。
幸い、辯機の一件があって以降も、主上の好意が変化する兆しはなく、いまや玄奘は国師同然に扱われている。本日、大慈恩寺へ譯経場を移転することを祝す、この盛大な催しこそがそれを証明しており、玄奘、さらには仏教そのものの行く末を思うとき、彼の心も少しは晴れていく。
(辯機の一件も、御仏が儂に与えたもうた試練の一つだ)
本朝に帰国してから後、あまりにも事がすべてうまく進みすぎたと、玄奘は臍を嚙んでいた。初心を忘れてはいけない。そう心に誓って、昔を思い返してみた時、ふとなぜか、若き日に高昌国で仏縁を結んだ二人の幼女の面影が浮かぶ。
(生きていれば、もういい娘になっているだろう)
嫁にいって、子どもも何人か生まれているはずだ。贅沢なことは望まない。辯機には成し遂げることができなかった、御仏の教えを守って心静かに暮らす。そんな平凡だが幸福な人生を送ってくれていればと、玄奘は心からそう願った。
「和上、どうかなされましたか?」
あまりにも玄奘が出てくるのが遅いことを心配して、玄智がもう一度顔を出す。慌てて玄奘は、
「いや、何か忘れ物はないかと、確かめていただけよ」
そう云って、わざとらしく坊内をざっと見回してみる。しかし、残されている物などあるはずはなかった。天竺から持ち帰った経典・仏像・舎利などの類は一番に運び出していたし、この日のために準備しておいた刺繍畫などの仏畫二百余軆や金銀製の仏像二軆、金縷綾羅の幢幡五百口も、既に荷車に積み込んで引き出されている。それを幡蓋や錦、作り物などで派手に飾り立てた御大層な山車千五百台で取り囲み、大慈恩寺に向けて行進していく予定なのだから、表の喧しさは尋常ではない。
(なんとも御大層なことになったものよ、……)
玄奘としては、ありがたさ半分、困惑半分といったところだろうか。
大慈恩寺では、譯経のための人員も大幅に拡充されることが約束されており、作業が一段と捗ることは間違いないだろう。だが、その反面、京師内の人士の往来が増えることも予想され、腰を落ち着けて作業に専念できるかについては、いささか懸念されるところでもある。
(とはいえ、これもすべて陛下の御恩情だ)
去る九月には、仏教の功徳を願い、主上の勅によって天下の諸寺に各五人、総計一萬八千五百人餘の僧尼の得度が許されており、仏法興隆の流れは、いまや確固たるものとなりつつあった。そして、なによりも心強いのは、その主上の宗教政策を、皇太子も引き継がれることが明らかにされていることである。皇太子の発願で建立された大慈恩寺が新たな譯経所に定められたこと自体、その象徴であると云ってもよい。
やがて、馬玄智に案内された玄奘は、一臺の寶車へと乗せられた。その後に、仏教界の碩学、大徳を乗せた五十臺もの同じような寶車が続き、一旦、宮城へと向かうことが予定されている。宮城では、主上みずからが皇太子や後宮の人々を従え、安福門の楼閣から手に香爐を持って行列を見送ってくれるという。さらにそこから、長安中の僧侶が香華を持って唄讃しながら陪従し、次いで文武百官が各々侍衛を連れて付き従うのだそうだ。
これだけでも十分すぎる手向けなのに、しかし、実際の行列は、この程度の華やかさでは終わらなかった。後で知ったことだが、皇太子の発案により、この行列の両側を挟むようにして太常九部の楽が奏でられ、長安・萬年二県の楽隊がその後に続き、さらには西域から来訪した軽業師たちまでがそこに参画して、行列に彩を添えることが決まっていたからである。
そんなことなど露知らぬ玄奘は、寶車のなかで揺られながら、宮城までもう間もなくのところにまで来ていた。
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