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拾肆ノ章

世民、幽鬼の正体に恐懼す(貞観二十一(六四七)年、八月)

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(これは夢だ!?)
 はっきりと、そう意識できている。けれど、だからといって押し潰されそうな恐怖心が薄れるわけではない。
 背後に揺らめく黒い翳に煽られるように、数多の幽鬼が蠢き、獣のような唸り声をあげながらこちらに迫ってくる。血に塗れた幽鬼らのなかには、見覚えのある顔も幾つかあるが、最近見る夢のなかに現れる者たちは見知らぬ顔ばかりで、それどころか、首を失っている者や、足や腕がもげかけている者たちまでいる。
(高句麗の役で逝った者たちだろうか?)
 直接眼にすることはなくても、自分の命一つで、多くの兵士らが戦場で散っていったのだ。その報いが、いまこんな形となって我が身に降り懸かかっているのだとしたら、それも仕方のないことかと、世民は覚悟する。しかし、あの戦役では、『唐』の侵攻を受けて、高句麗の無辜の民こそ多くの命が失われている。そこに思いを馳せることができなくなっていることが、世界皇帝たる「天可汗」としての資格を失っていることだということに、このとき、世民はまったく気がついていなかった。
 幽鬼らを前にして、暗い地面に一人蹲ったままの世民は、立ち上がろうと試みるが、全身は冷たく固まり、微塵も動けそうな感覚がない。
(こうした夢を見るようになったのは、いつ頃からだったろう?)
 全身の慄えと闘いながら、世民はそのことをずっと考えていた。
 子どもの頃、既に前兆のようなものがあったような気もするが、はっきりとは思い出せない。明確な記憶として残るのは、父、李淵からの譲位を受け、即位して間もなくの頃だ。その時はまだ、蒼白な顔をした建成兄と元吉の周りを幼い子どもたちが取り巻き、怨みのこもった眼差しでこちらをただ黙って見つめているだけだった。
(だから何だと云うのだ!?)
 一分の悔恨とは別に、世民には、「やらなければ、こちらがやられていた」、そう自分を正当化する意識の方が、より強かった。建成、元吉といった直接の敵だけでなく、その子どもたちまで皆殺しにし、族滅させた非情さに眉を顰めた者も少なくはなかっただろう。
(だが、生かしておけばどうなる)
 彼らが成長した後、もし復讐を企てるようなことがあれば、『唐』という王朝内の惨劇はより大きなものとなっていたはずだ。
(儂はなすべきことをしただけだ)
 だから、彼らが幽鬼となって夢に現れてきても、そのことで恐れを感じるようなことはまったくなかった。
(だが、いつの頃からだろうか、……)
 夢の中の幽鬼に、父、李淵が加わるようになったのだ。やはり何も語らず、ただ虚ろな眼で自分を凝視しながら。
(けれど、あのとき、父はまだ生きていた!?)
 力ずくで帝位を奪った私を疎ましく思ったのか、それとも私の方から仕向けたのだったか、ともかく父は、大安宮へと居所を遷し、大きな儀式でもない限り自分と顔をあわすこともなくなってはいたが、確かにまだ父は生きていた。
(父はあの頃、儂のことをどう思っていたのだろう?)
 少なくとも自分と皇太子だった兄が決定的な破局を迎えるまで、父は兄と同等に、自分のことを愛してくれていたと思う。群雄との中原争奪戦で戦功を重ねる自分に対し、皇太子である兄との均衡を保つために、「天策上将」なる新たな称号まで用意してくれたほどなのだから。
(だが、それが逆に状況を悪化させたとも云えるのではないか?)
 いまになってみると、そう思う。兄は次代の皇帝として十分に耐えうる器量だったし、そんな兄と儂との仲も、決して悪くはなかった。しかし、各々が独自の地位を占め、それに応じた取り巻きが生まれてくるようになると、環境は変化する。兄の家臣らは、
「天策上将は虎視眈々、皇太子の地位を狙っておりますぞ」
 そう囁き、一方、房玄齢や杜如晦、さらには長孫無忌といった自分の側近らもまた、
「皇太子殿下は、殿下のお命を狙っております。機先を制するに如かずです」
 と、献策してくる。
(結局あの悲劇は、父の優柔不断な態度が招いたものではないか)
 言い訳ではなく、世民は真剣にそう云いたかった。父がもう少し毅然とした態度で後継者を明らかにしてくれていたなら、いずれかに不満は残ったにせよ、流血という最悪の事態だけはなんとか避けられたはずだ。なのに、兄を玄武門で葬り去ったあの日、血も乾かぬままの姿で宮中に参内し、事の一部始終を告げた自分に対して、父はただ一言、「そうか」と呟いただけだった。
 そして、まったくなんの感情も表さず、すぐさま周りの者たちに、己が退位と自分への譲位を宣言し、その準備を進めるよう命じたのだ。そこには、自分のせいで息子同士がいがみ合ってしまったことへの反省や、二人の子を同時に失ったことへの悲しみよりも、我が身の安全をいかに確保するか、そんな保身だけが露わになっていたような気がしてならない。
 そして、その日から、自分にとって父は、距離的にはすぐ近くにありながら、意識的には最も遠い存在へとなり果てていた。
(そのことを自分は、後ろめたく思っていたのだろうか?)
 間違いなくそうだと、夢の中の世民が首肯する。そんな思いがあったからこそ、当時、監察御史に抜擢したばかりの馬周が、
「大安宮は規模が卑小で、四方の景観もよくありません。上皇様がお住まいになるのに適した新たな宮殿を建設し、陛下の孝心を広く天下にお示しになされますよう」
 そう奏上してくれた際、喜んでそれに従ったのだ。
(あの頃から馬周は、本当に儂の気持ちがよく判ってくれる漢だった)
 いまさらだが、いま彼が朝廷内で重きをなしてくれていることで、世民はわずかながらも心が安らぐような感覚を持てていた。
 しかし、折角馬周が勧めてくれたその造営工事が軌道に乗る前に父は死去してしまい、大明宮の建設はそれ以降、長く中断されたままになっている。
(そして、それからだ、……)
 夢のなかで、幽鬼となっていた父は動き出し、そして、吼えるようになったのは。
 やがて、眠れぬ夜が続くようになった。その憔悴ぶりがあまりに激しかったので、尉遅敬徳(※一)と秦叔宝(※一)が宮門の警護を買って出てくれたことを思い出す。勿論、そんなことをされても、なんの気休めにもなりはしないのだが、
(臣下にそのような気遣いまでさせるなど、君主として情けない!?)
 そう逆に発奮することで、なんとか悪夢の連鎖から抜け出し、普通に眠ることができるように世民はなっていた。そんな気力が、あの頃の自分にはまだ残っていたのだろう。
 だが、それもしばらくの間のことだった。再び己の気力を萎えさせる悲劇に見舞われてしまったからだ。それは、最愛の皇后の死という形で、自分の身に突き付けられていた。
(まだ三十六という若さだったのに、……)
 皇后を冥界に連れ去ることが、悪夢のなかの幽鬼にとって、自分に報いる最大の罰だったのだろうか。
 皇后が儂の元に嫁いできたのは、まだ十四になったかならぬかの頃だった。友人でもある長孫無忌の妹で、幼名の「観音婢」と呼ばれていた頃からよく知っていたために、初めは伴侶というよりも、新しくできた妹のような感覚だったことを覚えている。
 だが、彼女は実に良くできた女だった。利発で、漢学の教養も深く、そして、性格的にも温和で慈悲深いところなどは、まさに理想的な皇后だったと、世民の胸はいまも熱くなる。常に後宮にあって礼法を尊び、古の善悪を鑑として、己を律する聡明さが皇后には備わっていた。
 ある日、政治向きのことを問おうとすると、「雌鶏が夜明けを告げると、家は乱れます」と、なにも答えない。また、ある側室が儂の皇女を産み落として間もなく亡くなった際には、残された皇女を手元に引き取り、我が子のように慈しんで育ててくれた。そんな慈愛に満ちた女だったのだ。
(兄の輔機を重用することについても、皇后は反対だった)
 死に臨んで、『(西)漢』の呂氏や霍氏の例(※二)を持ち出して、これだけは必ず守ってほしいと、哀訴していたことが思い出されてならない。
(その頼みを最後まで聞き通していれば、いまのこのような心配事もなかっただろうに)
 いまさらの繰り言だが、世民はただ臍を噛むしかない。本当に皇后は、自分にとって一生の宝物だったと、世民の胸は痛む。
 だが、そんな一方的な自分の思い込みとは裏腹に、
(逆に皇后にとって、自分は本当に相応しい伴侶だったか?)
 そんな思いが脳裏に浮かんでもいた。
 儂が皇后以外に、側室として後宮に入れた女は数多い。そのなかには、自分が自ら手を下して殺害した弟、元吉の妻までいる。普通の女であれば、そんな状況に嫉妬の炎で身を焦がしていてもおかしくないはずだ。
 しかし、皇后は、そんな気配を微塵も感じさせなかった。それが皇后の真の姿であったと思いたいが、皇帝となった儂に嫁したことで、無理に自分を律し続けていたのではないか。嫉妬や悋気を覆い隠し、皇后らしい鷹揚な態度を常に取り繕っていたのではないかと思うと、あまりにも不憫すぎる。
 そして、この頃からだ。夢のなかで、幽鬼らの背後に黒い翳のように揺らめく存在を、世民は感じるようになっていた。けれど、その正体が何なのかが判らない。そんな漠然とした不安が己の心のなかに巣食い始めたせいだろう、失った皇后の代わりとなる心の支えとして、儂は新たな伴侶を求めようとしていた。巣王妃だ。
 そう、所詮は身代わりで、空いてしまった心の隙間を完全に埋めることなどできないことは、自分でも判っていた。なのに、そんなささやかな願いすら諦めざるを得なかったのは、魏徴を筆頭として、廷臣一同の猛反対にあったからだ。
(あれからだ。玄成(魏徴の字)の諌言に素直に頷けなくなったのは、……)
 最終的に受け入れたとしても、心の底に何か澱のようなものが溜まっていく、そんな感覚が捨てきれなくなっていた。魏徴にもそれは伝わっていたのだろう、言辞はより辛辣となり、舌鋒の鋭さが一層増すにつれて、二人の間の距離は徐々に大きくなっていた。そんな魏徴が鬼籍に入った時、世民は嘆き悲しんで見せはしたが、その内心では、なんとも例えようのない安堵感を覚えていたことを思い出す。
(これで無理にあの者と顔を合わせる必要もなくなった!?)
 だから魏徴の死後、儂に諫言していた内容をすべて記録に残し、それを起居郎(※三)に対して余さず閲覧させていたことを知ったとき、怒りのあまり、御製の墓碑を除くだけでは飽き足らず、死の直前に約束していた彼の子息への皇女の降嫁まで反故にしてしまうという、なんとも子ども染みた真似をしてしまったのだ。そして魏徴もまた、悪夢の中で、幽鬼の一人となっていた。
 それ以降は、まさに悪循環である。
 高明(李承乾の字)とは最後まで心が通じ合わないまま廃嫡の仕儀に至り、京師から遠く離れた黔州(※四)の地で死なせた果てに、幽鬼の一人に仕立てあげてしまった。そして、順陽王に降格して京師を去らせた恵褒(李泰の字)とは、自分の生がある間に、二度と相まみえることはないだろう。
(そして、その結果、為善には望んでもいない皇太子という重荷を背負わせてしまった)
 皇后との間に儲けた男子すべてに、これほどの苦難を与えてしまった自分を、冥界の彼女は一体どう思っているのだろう。
 高句麗遠征から帰還して以降、悪夢は断続的に続いているが、それを見るたびに、幽鬼らの背後で揺らめく翳は、一層その漆黒の闇を濃くしている。
(あの翳は、一体何者なのだ?)
 そればかりが気にかかる。悪夢のなかの幽鬼は、それぞれが人の姿をして存在し、名は判らなくとも、なぜ自分の前に幽鬼となって現れるのかという理由を漠然となりに認識できていた。それは自身の意識のなかで、なんらかの悔悟や負の感情と結びつく対象でもあったからだ。しかし、その背後に蠢く黒い翳だけはちがう。人の形をしてはいない。けれど、確実に何者かであるということだけは判る。
 今宵もまた、その黒い翳は幽鬼らの背後で陽炎のように揺らめいている。間近に迫ってくる幽鬼らは、世民に掴みかかり、その喉笛を噛みちぎり、心の臓を抉り出そうとするが、そんな恐怖や痛みよりも、彼の意識は、正体の分からない黒い翳に惹きつけられて離れない。
(誰だ、何者なのだ!?)
 夢のなかで、世民は必死に叫ぶ。
 群がる幽鬼を払いのけ、黒い翳に少しでも近づこうともがく。何度も何度も邪魔されるが、もう少しで手が届きそうだ。伸ばした指先がかすかに翳に触れる。そして、ほんの一瞬ではあったが、世民は割れた翳のなかに、見馴れた懐かしい瞳を確かに見つけていた。
(観音婢!?)
 声にならない叫びをあげ、半身がばねのように跳ね起きる。その瞬間、世民の意識は完全に現実の世界に引き戻されていた。吐く息は荒く、容易に胸の動悸がおさまらない。全身に纏わりついた粘つく汗は、まるで蛞蝓に這いまわられているかのように不快で、世民は寒気すら覚えた。
「誰か、誰かある‼」
 その声に、控えていた当直の内謁者監(※五)が慌てて駆けつける。それに対して世民は、
「媚娘をこれへ呼べ。急げ!?」
 そう乾いた声で命じた。
 その一言に気圧されるように、小太りの宦官は足元も危ういまま、大急ぎで媚娘を呼びに走る。今宵なら掖庭宮に戻ることなく、近くの控えの間で休んでいることを彼は心得ていた。
 化粧を施す間もなく、夜着の上から薄絹の裳だけを纏った媚娘が、先ほどの宦官に連れられ、慌ただしく駆け込んでくる。
「媚娘だけに用がある。他の者は退がっておれ」
 まるで虫でも追い払うように、内謁者監を世民は去らせた。媚娘は少し怪訝な表情を浮かべてはいたが、寝所内に他に誰もいなくなったことを確認すると、
「陛下、このような夜分に、何用でございましょう?」
 少し腰を屈め、摺り足で牀台近くにまでにじり寄る。その媚娘の腕をいきなり掴み、思い切り抱き寄せると、世民はそのふくよかな胸に己の顔を埋めた。
「陛下、……!?」
 反射的に媚娘は身を離そうとするが、世民がそれを許さない。そして、まるで幼な子のように、自分の胸のなかで主上が嗚咽を漏らし続けていることを知ると、媚娘はその細い指で、世民の白くなった鬢を優しく撫でつける。
 自然と穏やかな微笑みが浮かび、幼い頃、母に聞かされていた子守歌を、媚娘はいつの間にか口遊んでいた。

【注】
 ※一 「尉遅敬徳」・「秦叔宝」
  ともに「凌煙閣二十四功臣」の一人。
  尉遅敬徳は、『隋』末・『唐』初に主に軍事面で活躍し、多くの功績を残した
 が、その功を誇る意識が強く、政治向きでは長孫無忌や房玄齢と対立することが
 多かったためにしばしば左遷され、不遇をかこった。高句麗遠征に従軍した後、
 引退している。
  また、秦叔宝も尉遅敬徳と同様、『隋』末・『唐』初に武将として活躍し、玄
 武門の変の後、左武衛大将軍に任ぜられ、実封七百戸を受けた。貞観一二(六三
 八)年に亡くなり、徐州都督を 追贈され、壮と諡されて、昭陵に陪葬された
 ※二 「『(西)漢』の呂氏や霍氏の例」
  『(西)漢』の高祖、劉邦の皇后だった呂氏は、高祖の死後、自分の一族を朝
 廷に登用し、政権を専らにしたが、その死後、高祖の功臣らによる反撃にあい、
 呂氏一族は族滅させられた。
  また、昭帝・宣帝を補佐して功績の大きかった霍光の一族はそれに驕り、宣帝
 の皇后を毒殺して、一族の娘を皇后にするなど専横を極めた。そのため、霍光亡
 きあとは宣帝に実権を奪われ、最後には謀反を計画したことで、宣帝の勅命によ
 り子の霍禹は腰斬に処され、その生母や姉妹など一族皆殺しに処された
 ※三 「起居郎」
  常に皇帝の傍らにあり、その言行を記録する官職。官品は「従六品上」
 ※四 「黔州」
  現在の重慶市彭水県および貴州省務川県・沿河県一帯
 ※五 「内謁者監」
  内侍省の属僚で、宦官が就く官職。官品は「正六品下」
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