『晋書』編纂異聞 ~英主の妄執と陰謀~

織田正弥

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拾ノ章

房玄齢、家運を諦観す(貞観二十一(六四七)年、三月)

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 牀台に身を横たえる父の耳元まで近づき、遺直はもう一度大きな声で繰り返した。
「父上、俊(房遺愛の諱)になんとか云ってもらえませんか」
 しかし、玄齢はゆっくりと首を横に振る。
「無駄だ。何を言っても通じまい。あやつは公主にただ引きずられているだけよ」
  狎れた犬が飼い主の指示に逆らうことなどできるものかと、まるで他人事のように語る。
(なぜこうまで達観できる?)
 それに呆れて、無念の表情を崩さず、遺直はまだ何か云いかけたが、もうそれ以上は言葉を呑み込み、父の半身を起こすと、薬湯の入った椀をゆっくりと差し出した。
 その薬湯を何度かに分けて飲み干すと、少し咽ながら、玄齢は大きく肩で息をする。昨年の末までは、なんとかその日の状況によっては参内することもできていた。だが、今年に入って、それもままならなくなっており、なにより食の減退と体力の消耗が尋常ではない。命の灯を消さないためには、いま薬湯だけが頼りの綱だ。
(これが主上の片腕と呼ばれ、稀代の賢相と称えられた父の姿か⁉)
 若かりし日の颯爽とした姿を知っているだけに、寝間着の間から見えている肋の浮き出た胸が、遺直には無性に悲しかった。
「皇太子殿下の一件、これからどうなりましょう?」
「そうだな、……」
 玄齢は視線を一瞬空に逸らし、考えを巡らせる。体力の衰えほど、その智嚢は磨り減っていないようだ。父の眼光は、まだまだ鋭かった。
「いまの皇太子殿下が後を継がれることで、九分九厘間違いはなかろうが……」
「そうならない場合もあり得ると?」
 言葉尻を濁す玄齢に、遺直は再度問う。
「主上が迷っておられるのは確かだ」
 その迷いが消えない限り、ほんのわずかな可能性ではあっても、呉王殿下という賽の目も皆無ではないだろう。
「趙国公の朝廷内のお立場も、決して盤石ではない。その足元を掬おうとする輩と主上の思いが結び付くことがあれば、万が一ということもある」
 そう玄齢は呟く。
「主上は一体、なにを迷っておられるのでしょうか?」
 遺直には不思議でならない。皇太子殿下にはこれといった大きな欠点もなく、皇位を襲うのになんの過不足もないような気がするのだが、
「それはな、皇太子殿下があまりに慈愛に満ちたお方だからだ」
 そう玄齢は教える。人の思いに気を使いすぎるのだ。
 人として、それは決して悪いことではないが、万民と皇帝とはちがう。自分の意志すら貫けぬようでは、とても民の上に君臨する皇帝になどなれまい。皇太子殿下がこのまま次代の皇帝になられれば、実の叔父であり、自分を推戴してくれた長孫無忌の意向に寄り添い、その傀儡になりさがってしまう懸念は、玄齢から見ても相当に高い。
(ひょっとすると、陛下はその先まで見越して、恐れておられるのかもしれない)
 長孫氏による皇統の簒奪だ。だが、さすがにそこまでは口にできない。
「どこの家でも、子どもには苦労させられるものだ」
 ふと、そんな言葉が口を突いて飛び出す。
「父上、いま、なんと?」
「いや、子どものことで親が頭を悩ますというのは、どこの家でもあることなのだと思ってな」
 そう云って玄齢は、何かを思い起こすかのように、遠くを見つめるような眼になっている。自分と遺愛のことをあてこすられているように感じて、遺直は口を噤むしかなかった。
 ともかく自分と遺愛との兄弟仲は、昔からどうしようもなく悪かった。実直なだけが取り柄で、お世辞にも文雅と云い難い自分は、父にとって不肖の息子だったろうが、遺愛はそれに輪をかけた問題児だった。幼い頃から短慮なうえに粗暴で、長じるに及んでは、そこに好色という悪癖までが加わり、どうしようもない人間になっていた。
 次男だからと甘やかしてしまう母に、初めのうちは眉を顰めていただけで、口を挟まなかった父だったが、いつの頃からだろうか、とうとう堪忍袋の緒が切れて、遺愛を厳しく叱責するようになっていた。しかし、そんなことで心を改めるような遺愛ではなく、父を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべ、一向に行いを改めようとしない愚息を前にして、茫然としていた父の顔を遺直はよく覚えている。
 朝廷では天下を動かしているはずの自分が、家庭においては息子一人御すことができないという厳しい現実を、父は認めたくなかったのかもしれない。そのうち、とうとう遺愛に見切りをつけるところにまで精神的に追い込まれ、武官として辺境の守備にでも就かせるか、さもなくば房家の籍から抜くか、というところまで考えていたようだ。己亡き後、家督を継ぐ立場にある自分の迷惑にならぬよう、配慮してくれたのだろう。
 だが、父のそんな決断は、ついに果たされることはなかった。六年前、父の長年の功績が認められ、まだ伴侶を迎えていなかった遺愛に対して、陛下の第十七皇女で、十四歳になったばかりの高陽公主の降嫁が決まったからである。
 房家としては、この上ない名誉であることは間違いない。父にも喜ぶ気持ちはあっただろう。しかし、むしろ戸惑う思いの方が強かったのではないか。あの遺愛に皇室の末端に連なる者の振る舞いができるとは、到底思えなかったからだ。
 そして、事態は父や自分が考えていたよりも、はるかに奇妙な展開を見せた。まず、一番の問題は、公主自身、この降嫁について、まったく納得していなかったらしいことだ。公主の母は、それほど陛下の寵愛が深い側室ではなかったが、若くして亡くなったために、それを不憫に思った主上から公主は深く愛されていた。これは単なる噂かもしれないが、その寵愛には、公主にはどこか、いまは亡き文徳皇后の幼い頃に似た面影があったからではないか、という話もある。
 それだけに、この降嫁に際して、自分の意向を聞かれることもなく、いくら長年の功臣の子弟とはいえ、家督も継げない次男を宛がわれたことに、公主は大いに不満だったようだ。しかも、遺愛という人間にも我慢ができなかったらしく、伴侶として一緒に暮らすことすら拒否したのである。それ以降、耳の汚れそうな噂なので、真偽のほどを確かめたわけではないが、二人の間での夫婦の営みを拒むために、公主は自分の代わりとなる美しい侍女を二人、遺愛に側室として遣わす代わりに、自分は自分で、色々な男たちと情を交わして楽しんでいるという。
(私なら、いくら相手が公主様とはいえ、とても耐えきれない!?)
 なのに、遺愛はこの状況を甘んじて受け入れるばかりか、忠犬よろしく公主の逢瀬の秘密を守るべく、甲斐甲斐しく立ち働いているという。
(どちらもまともじゃない)
 遺直には二人の生活があまりにも異常過ぎて、己の想像できる範囲を超えていた。
 だが、百歩譲って、公主が黙って遺愛とのそんな生活を続けているぶんには、遺直としても口を挟むつもりはない。なにより本当の意味で公主が房家にとって疫病神だったのは、房家の嫡男である自分よりも伴侶である遺愛の立場が下であることに不満を抱き、なにかにつけて主上に訴え出ることだった。特にそれが露わとなったのは、遺直に対して銀青光禄大夫(散官・従三品)に任じる旨の思し召しがあった際だ。
 公主はその官位を違直にではなく、夫、遺愛にと申し立てたことには、自分としても開いた口が塞がらなかったが、朝廷でもその扱いには随分と困ったようだ。最終的に主上の裁断を仰ぐことになったのだから、いかに廟堂のお歴々が苦悩したか判ろうというものだが、この無茶な要求は、さすがに公主に甘い主上でも許されることはなかった。偏愛する公主の婿として、遺愛には他の駙馬都尉(※一)を凌ぐ優遇が既に与えられていたからで、さらにこんな我儘まで許してしまえば、朝廷内の秩序が揺らぎかねない。
 この際、主上に厳しく窘められたことで、高陽公主は大人しくなった。だが同時に、主上との間に隙間風が吹くことともなって、これ以降、公主は己の思いを実現するために直接主上に訴えることを止め、代わりに次代に期待するようになったのである。そのために、公主が新たに狙いを定めた対象こそが、当時、奇行・放埓に奔る皇太子の後釜として、周囲から大いに嘱望されていた魏王だった。
 皇族の誼を利用して、公主は巧みに魏王に取り入ったが、一方、魏王の方でもその利用価値を認めたようで、遺愛を己が王府に迎え入れている。この時、凌煙閣二十四功臣(※二)の一人、柴紹の次男、柴令武もまた、魏王は腹心として取り込んでおり、自らの陣営を皇族や功臣の関係者らで固めようという戦略が、既にできあがっていたのだろう。
 この双方の思惑が目論見どおりに進んでくれていれば、遺愛は次代の皇帝の側近として幅を利かせ、公主は大いに満足したにちがいない。しかし、四年前、その風向きが一気に変わってしまったのだ。皇太子はたしかに廃位され、庶人に落とされたが、同時に魏王も皇太子の選から滑り落ち、その王府にあった者たちは皆、職を解かれるか閑職に追いやられてしまったのである。魏王に気の毒な結果にはなったが、代わって趙国公の推す晋王が皇太子の座に収まり、ようやく政権も落ち着きかけている。それなのに、
(性懲りもなく、……)
 目算の狂った高陽公主は、今度は呉王を新たな皇太子にと画策し、なにやら蠢動しているようなのだ。当然、遺愛もその尻馬に乗って、穏やかならぬ動きをしているという話が遺直の耳に届いている。
(そんなことをして侍中の怒りを買ったら、房家は破滅だ!?)
 遺直は不安でたまらなかった。官界に身を置いて既に十数年、なんとか役人生活を送ってはいるものの、所詮は親の七光りだということを彼は自覚していた。
(父が亡くなれば、後ろ盾のない自分に官界を生き抜く才覚などない)
 そのうえ、弟から足を引っ張られるようでは最悪だ。だから、父から遺愛に釘を差してもらおうと久しぶりに父の元を訪れたのだが、どうやら当ては完全に外れてしまったようである。
(『麒麟も老いれば駑馬にも劣る』か、……)
 遺直はそんな絶望感に囚われていた。しかし、そんな遺直の心の揺れをまったく気にも留めていないように、玄齢は昔の繰り言を口にする。
「先の皇太子が道を踏み外されたのは、陛下にその原因があったのかもしれぬ」
(主上に原因?)
 思いがけない父の言葉に、遺直は驚く。父は一体、何を云い出そうとしているのだろう。
「先の皇太子は幼い頃、それは聡明で、素晴らしい才能に満ちた方だった」
 長じるに及んで、たしかに学問よりも遊興を好む気配はあったが、そんなことは若者なら誰にでもあることだ。本当の意味で皇太子が奇矯に奔り、名教に悖る行為に耽溺するようになったのは、
「文徳皇后の死後、ほどなくして陛下が、後宮で妾としていた巣王妃を皇后にと、そう云い出された頃からではなかったか」
 玄齢は記憶を辿っていく。その以前に、文徳皇后の体調が思わしくないなか、巣王妃は主上の第十四男、いまの曹王(李明)を出産されている。亡き母に対するこの二重の裏切りが、皇太子の心の痛手になったことは間違いあるまい。
 まだ幼かったいまの皇太子には理解できなかったかもしれないが、当時の主上の行動に廃太子は激怒し、逆に魏王は素知らぬ顔で見過ごして、主上の歓心を買った。この想いの差が、廃太子の父帝と、そして魏王に対する憎悪につながっていたのではないか。
(だが、そうか?本当に陛下だけの責任なのか?)
 そんな思いが唐突に、玄齢の頭に擡げてくる。
(あの頃、自分はなにをしていた?)
 それを思い起こすと、玄齢は自責の念が湧き上がるのを止められなかった。
 皇太子が奇矯に足を踏み入れかけた時、太子大師でもあった自分が、もっと積極的にお諫めすべきではなかったか。だが、それができなかったのだ。皇太子と遺愛の姿がなぜか重なり、遺愛を抑えらない自分の言葉が、皇太子にもまた軽んじられるかもしれないことが、どうしても耐えられなかったのである。
 しかし、それならせめて、皇太子が謀反を企むほど追い込まれる前に、それに与する周囲の者たちを遠ざけるなど、政治的に打つべき手があったのではないか。
(あの時、侯君集だけでも一味から外しておけば、具体的な兵変が計画されることはなかったかもしれない)
 それほど軍事的な実績を有し、主上の功臣でもある彼の存在は大きかったのだ。そして彼は、当時、体調を崩し、朝廷内での影響力を失いつつあったとはいえ、名望の高い魏徴とも関係性が近かった。それが玄齢を筆頭とする廟堂の対応を、少なからず躊躇させる一面があったことは否定できない。そうした意味でも、あの悲劇が起こった要因の一つに、自分の消極的な姿勢があったことは間違いなかった。
 いや、むしろ自分には、遺愛を側近として用いてくれている魏王の皇太子就任を秘かに望む意識が、心のどこかに隠れていたのではないか。そんな気さえする。
「房玄齢以下、中書・門下の内臣はみな、朋党・比周を作り、心から上を奉じていない」
 あの頃、同じように太子太保・同中書門下三品の任にあり、皇太子の補佐にあたっていた蕭瑀から、このように批判されたことがある。その背景には、自分のそうした潜在意識が、彼には透けて見えていたのかもしれない。
(当時の儂には、自家の未来を次代に託そうとする邪心があった)
 そして、それが政治的な隙にもなった。だからこそ、第三の皇太子候補として、晋王を推した無忌の巧妙な立ち回りに、見事に足元を掬われてしまったのだ。無忌が陛下を見事に丸め込むのに成功した際、自分はただ事態の推移を呆然と見守っているしかなかったことを、玄齢は思い出す。
 それをいまさら屈辱だとは思わないが、少なくとも己の立場を明確にしておくべきだったと、反省はしている。いまの皇太子には、自分に対して感謝する気持ちもなければ、特段の負い目もありはしないだろう。
(次代の廟堂には、房家の拠って立つような場所など、もはや残されていない)
 そんな自分とは対照的に、無忌の行動は実に鮮やかだった。
「もし魏王が次の皇帝となられた場合、廃された先の皇太子は無論のこと、晋王の身にも危害が及ぶことは必定ですぞ」
 そう云って、無忌が陛下に最後の決断を促したことを玄齢は知っている。己の過去に鑑みて、この言葉が陛下の身を貫く刃となったであろうことは容易に想像がつく。陛下もその若き日に、兄である皇太子とそれに与する実弟を抹殺したのみならず、皇太子のまだ幼い子女らを族滅させた苦い経験があるのだから。
(だから、陛下は折れられた)
 次代の廟堂が無忌に牛耳られてしまうかもしれない懸念よりも、文徳皇后が愛した子どもたちの安穏を選択したのだ。あの時点において、主上の選択はやむを得なかったと、玄齢は思う。
 だが、それから以降、陛下の御心はずっと、皇太子と呉王との間で揺れ続けている。次代を託せる者として、その残された選択肢は、主上の資質の幾許かを受け継ぎ、自らの判断で政事を動かせる適齢の呉王しかいないからだ。
(しかし、本気でそれを望むのであれば、その意志をただ満天下に堂々と示せばよいだけのことではないか⁉)
 そこに玄齢は主上の翳りを感じている。若い頃から自分が知るままの主上であれば、なんびとが反対しようと、絶対に己の意志を貫いているはずだ。
(皇太子を変更することは、国家の大事であることは間違いない。けれど、その前段階として、高句麗征伐の成功をかませようとしている時点で、既に気持ちの上で後れを取っている)
「いまの陛下に、あとどれほどの気力とお覚悟が残っておられることか……」
 父の独白は、まだまだ続きそうだった。ぼんやりとそれに耳を傾けながら、もはや父が当てにできない以上、果たして自分に何ほどのことができるのか。そのことだけをいま、遺直は必死に考え続けている。

【注】
 ※一 「駙馬都尉」
  元々は、天子の乗輿に添える予備馬の管理を行う官職だったが、特に皇女の夫に
 必ず与えられる官職の一般名詞となった
 ※二 「凌煙閣二十四功臣」
  『唐』の中国統一に貢献した功臣、二十四名を云う。
  貞観十七(六四三)年の二月、李世民(太宗)が西京宮城東北の凌煙閣に画家の
 閻立本に命じ て二十四名の絵を描かせたのがその由来。
  肖像画が描かれた時点での存命者は長孫無忌、房玄齢、高士廉、尉遅恭、李靖、
 蕭瑀、劉弘 基、張亮、侯君集、程知節、唐倹、李勣の十二名だったが、同年中に
 侯君集が廃太子事件に関連して刑死し、この場面時点では、張亮も既に死に追いや
 られている

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