『晋書』編纂異聞 ~英主の妄執と陰謀~

織田正弥

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壱ノ章

李義府、酒宴の果てに困惑す(貞観二十(六四六)年、六月)

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「武昭王(=李暠、※一)の事蹟を記すのであれば、『列伝』ではなく、絶対に『載記』でなければなりません」
 李延寿は顎髭にからまった蒸し魚の小骨を気にするふうもなく、酒盃を片手に許敬宗にまくしたてている。このやり取りが繰り返されるのも、既に三度目だ。酩酊が云わせる繰り言とはいえ、史家の業とはこれほど根深いものなのかと、李義府はただ呆れていた。もしも背後に流れる二胡(※二)の軽快な旋律がなければ、ただの親父同志の罵りあいである。
 李延寿の云う「載記」とは、今回、『晋書』を編纂するに際して、皇帝の事蹟を記す「本紀」や臣下ら個人の伝記である「列伝」、百科事典的な「志」と並んで、史書のなかに設けられる区分の一つだ。江南に遷った『晋』朝に対抗し、華北・中原に各種の民族が打ち建てた王朝や政権の歴史を記述するために用意されるもので、正史(※三)においてこうした範疇が設けられるのは初めての試みだが、古くは『東観漢記』(※四)という官撰の史書に前例があり、そこでは、『新』末から『(東)漢』初期にかけての群雄、公孫術(※五)や隗囂(※五)の事蹟が記載されている。
 武昭王が涼州(※六)に打ち建てた政権、『(西)涼』(四〇〇年~四二一年)の事蹟は「載記」にと、なぜ李延寿はこれほど頑なに主張するのか。それは、
「臣下であれば、必ず奉じなければならない『晋』の正朔(元号)を、『(西)涼』では用いていなかったから」
 なのだそうだ。
 武昭王は『(東)晋』から冊封(※七)されることを望み、幾度も使節を送って臣従の姿勢を明らかにしていたにも関わらず、なぜか元号に関しては『(東)晋』のもの(隆安:三九七年~四〇一年、大亨:四〇二年、元興:四〇二年~四〇四年、義熙:四〇五年~四一八年)を用いず、独自の元号(「庚子」:四〇〇年~四〇四年、「建初」:四〇五年~四一七年)を使い続けていたことは、厳然とした事実である。
 今回の『晋書』では、江南に遷って『晋』の皇統を継いだ元帝(司馬睿、在位:三一七年~三二三年)以降の政権にも、その正統性を認めることが方針として既に決している。この点だけに着目するなら、李延寿の見解は確かに筋が通っている。
 だが、それなら、「五胡十六国」と総称される政権のうちで、今回、『(西)涼』以外にももう一つ、「載記」ではなく「列伝」に組み込まれることが予定されているものに、これも漢族である張氏が、同じく涼州で樹立した政権、『(前)涼』(三〇一年~三七六年)の事蹟がある。こちらの方は問題ないのか。
「『(西)涼』とは事情が異なる」
 そう李延寿は断じる。
「状況に応じて『(前)趙』や『(前)秦』、さらには『(東)晋』へと、複雑に臣従・服属関係を繰り返し、自立した体制を維持していた時期がほとんどなかったこともあるが、なにより重要なことは、その末期に、『(東)晋』の元号を奉じた実績があるから」
 だと云う。
 どうやら李延寿の基準では、臣下の一員と認めて「列伝」に記載するか、独立した国家・政権として扱って「載記」に移すかは、ひとえに『(東)晋』の「元号」を奉じるかどうかにかかっているようだ。
「ですから、『(西)涼』の歴史を臣下の伝記である「列伝」に含めてしまいますと、史書としての基本が崩れます」
 李延寿は、そう主張して譲らない。
 しかし、そんな李延寿に対し、ずっと相手をしている許敬宗は、
「まあ、そのように目くじらを立てるな」
 まるで赤子をあやすかのように、声音も優しく、彼の盃にそっと酒を注ぎ続けている。肥えた巨躯に小さな丸顔を乗せた許敬宗の風貌は、鬚が全体的に薄いせいもあって、
(まるで釣り合いの悪い雪だるまだな)
 内心、李義府はその滑稽さに吹き出しかけているが、その一方で、彼の対応の巧みさには舌を巻いてもいる。
「その方の言い分は、至極尤もじゃ」
 許敬宗はまず、李延寿に寄り添う姿勢から入る。このあたりの呼吸が絶妙だ。
 今上帝がまだ秦王だった頃、その王府の十八学士の一人して側近くに仕えてから以降、長年の宮廷生活で培ってきた人誑しの術は、まだまだ健在と云ったところだろうか。李延寿の愚痴をまともに聞いているようにみせかけながら、その実、柳に風と受け流し、まるで相手にしていない。
 そして、李延寿の勢いが少しでも弱まったとみるや、返す刀で許敬宗は逆に切り込んでいく。
「じゃがのう、武昭王の事蹟を「載記」に含めるとどうなる。『(前)燕』や『(前)趙』といった蛮族の国々と、同列に扱ってしまうことになるではないか」
 それでは皇室の祖たる御方に対して、あまりに畏れ多いこととは思わぬかと、許敬宗は理屈ではなく、情に訴えて相手を丸め込もうとする。
(そうだ、この事実は重い)
 と、李義府も思う。
 皇室では、その祖先を老子(李耳)に比定し、そこから繋がる朧西の李氏を本貫として、七代前の遠祖に西涼王となった李暠を標榜している。『唐』の朝廷に仕える身としては、これを賤しめるようなことは確かにやりにくい。
(それにしてもだ、……)
 そこを攻めてくるとは、なんとも喰えない親父だが、人の御し方を心得ていると、李義府は舌を巻いていた。廟堂内であまり評判は芳しくなく、政治的にも目立った存在ではないが、
(妙に気位ばかり高く、物の役に立たない貴族の子弟や、何事にも融通の利かない堅物ぞろいの科挙出身者などよりは、よほど非常の際には役に立つ人物なのではないか)
 そんなことを李義府は思った。
 本日、『晋書』の編纂に際して遵守すべき基本方針が主上に報告されたのだが、李延寿がここまでこだわるこの件に関しては、実は主上のお耳には届いていない。
 李延寿は、そのことに関しても我慢ならないようで、
「史書の何たるかが、お偉方にはまったく判っておられぬ。よくもまあ、そんなことで、これまで正史の編纂などなされてこられたものよ」
 と、酔いに任せて云いたい放題である。
 だが、李延寿の不満も判らないではない。それほどこの件に関しては、李延寿は史家としての矜持を賭けて、反対論者と対峙してきたのだから。
 武昭王の事蹟に関して、「列伝」に掲載するという案を最初に示したのは、體例(全体の基本的な構成等)の素案を作成した門下省給事中(※八)兼修国史の敬播である。この男、朝廷の重鎮、房玄齢から「歴史に才あり」と評されるなかなかの俊才で、陛下の実録を撰述する立場にもある役人なのだが、なぜかこの件に関しては、真っ向から異を唱える李延寿に与してくれることはなかった。しかし、正面から反論することもなかったので、李延寿の舌鋒の激しさに、その当初、一旦は「載記」に移動させる方向で決着がつきかけていたのだ。
 けれど、そんな流れを再び元のところまで引き戻したのが、前の雅州刺史(※九)で、過去に主上の命を受けて、『周書』の編纂に携わった経験を有する令狐徳棻という老官僚だった。古くからの主上の側近で、主に文化事業で実績を残してきた人物であり、代々史学を家業として名のある李延寿に対抗する名望は十分にある。
 この二人に関しては、当初から、執筆者というよりも、むしろ編集・校正の役割を担うものと、みな関係者は意識していたので、こうも見事に意見が対立してしまうと、容易にはどちらにも軍配が挙げられない。そこで、この状況に困り果てた敬播は、許敬宗とも相談のうえで、総責任者である黄門侍郎(※一〇)の褚遂良に最終的な判断を仰いだのである。
 しかし、こうなってしまうと、
(おそらく李延寿には、気の毒な結果になるだろうな)
 と、李義府にもある程度、結末は見えていた。
 揉め事の一方の当時者、李延寿の官品は従七品下、官職は御史台の主簿(※一〇)にすぎない。対する令狐徳棻はといえば、現時点で官職にこそ就いてはいないが、朝廷内に人脈は多く、房玄齢や褚遂良とも面識の深い古株だ。案の定、褚遂良は、即座に令狐徳棻の意見を支持し、李延寿に地団駄を踏ませる結果となった。
 しかし、事はそれだけでは終わらなかったのである。
 褚遂良の底意地の悪いところは、そうした議論そのものがなかったかのように幕引きを図り、本日の主上への報告においても、この件については、話題にすら上せなかったことだ。せめて一言、主上からこの件への言及でもあれば、李延寿の感情も少しは違っていたのだろうが、こんな終わり方では、この頑固一徹の老人も、己の怒りのやり場を完全に見失ってしまっている。
「じゃがのう、遐齢(李延寿の字)。気を落ち着けて、とくと考えてみよ。『晋書』を完成させ、主上にそなたの名を覚えていただきさえすれば、父の代からの念願でもある『南史』と『北史』、これを正史としてお認めいただくことも、夢ではなくなるのじゃぞ」
 そのために、多少の忖度ぐらい働かさなくてどうすると、許敬宗の囁きかけは続いている。
 さらに追い打ちをかけるように、
「なにしろ今回は、陛下自ら論讚を執筆される、特別な史書となるのじゃからのう」
 許敬宗は満面の笑みを浮かべて、そう呟く。
 そう止めを刺されてしまうと、李延寿としては低い唸り声をあげ、なんともいえない不機嫌な表情で、黙り込むしかなかった。
 そうなのだ。今回の『晋書』では、主上が自ら筆を執られ、一部の巻に論讚を加えられることが本日、正式に決まったのである。
「どうでしょう、前例のないことではありますが、今回、陛下に史論をお書きいただくことはできないものでしょうか?」
 最初にこの話を鄭賀という者が持ち出したとき、誰もがまず面食らった。が、同時に、
「意外と面白いのではないか」
 そう感じた者も多くいたはずだ。
 認められなくても元々だし、学問に思い入れの深い主上のことだ、その気になっていただける可能性は決して低くない。万一主上に受け入れていただければ、『晋書』はこれまで編纂された史書とは一線を画したものとなり、朝臣としてこれに関わることができるのは、この上ない名誉であると同時に、将来の立身へとつながる道も見えてこようというものだ。
 そこで、執筆陣の総意として、この提案を主上に奏上してもらえるよう、上に相談をかけてみたのだが、
「さて、それはどうしたものかな?」
 と、当初、褚侍郎はかなり難色を示していたらしい。主上の意向を測りかねたのだろう。
 このところ体調のあまり思わしくない主上は、気難しいことこの上なく、ちょっとした事でも癇癪を起こされると専らの評判だ。そんな主上を刺激したくないという本音が透けてみえ、言を左右にしてはぐらかす褚遂良の首に、誰も鈴を付けられなかったのだが、この状況を見かねて、我々の意向に沿った助け舟を出してくれたのは、意外にも許敬宗だった。
「まあ良いではないか。別に無法なことをお願いするわけでもなし、何かあったらその場で儂が引き取るから」
 そう云って、強引に本日の説明項目のなかに盛り込んでくれたのだそうだ。いかにも官僚的な事なかれ主義の褚侍郎と、何事にも融通無碍な許敬宗らしいやり取りではある。
 だが、結果だけをみるなら、褚遂良の懸念はまったくの杞憂にすぎなかった。
 主上は我々の提案を即座にお認めいただいたのみならず、ご自分が論讚を執筆する箇所として、「本紀」の「宣帝紀」と「武帝紀」、さらに「列伝」では、「陸機伝」(「陸雲伝」)と「王義之伝」(「王献之伝」)をその場で指定されるほど、この企画に乗り気になられたという。
 そういう意味では、今回、編纂事業に携わる者として、絶好の滑り出しになったことを素直に喜ぶべきなのだろうが、
(どうも気に入らない)
 李義府のひねくれ癖が微妙に疼く。
 執筆陣のやる気は、たしかに増したかもしれない。けれど、それに比例して、『晋書』に対する主上の関心も俄然高まってしまったわけで、その分、編纂に関与する者として負うべき責任もまた重くなったということだ。
 李義府はこれまで史書の編纂に関わった経験などなく、まず勝手そのものが、いまの時点でよく判っていない。それなのに、いつの間にか「兼修国史・弘文館学士」という肩書まで背負わされたうえに、許敬宗からはこれとは別に、
「執筆者の補助をする、手伝い役の者たちの面倒をみてやってくれないか」
 と、打診という名の命令まで受けていた。
(いくら直の上司とはいえ、この爺さん、俺をどこまでこき使う気だ⁉)
 李義府の許敬宗を見る眼が厳しくなるのも、この点に関しては、無理からぬところである。
 手伝い役の者たちに対して、実務的な指示は李延寿がしてくれることになっているが、全体の作業が円滑に進むよう、各執筆者と彼らとの間の潤滑油役になってほしいと、許敬宗からは云われている。はっきりとは口にしないが、卑官の李延寿が他の執筆者から軽んじられることを懸念しているのではないかと、李義府は内心睨んでいた。
 手伝い役の五人とは、既に一月前、同じこの店で顔合わせを済ませて以降、個別に何度か打ち合わせもしているが、一番若い孟拓を除くと、いずれも一癖ありそうな者たちばかりで、その点も李義府の気分を重くさせている。隣の卓子に陣取って、各々勝手に振舞っている彼らの様子を、李義府はそっと横目で窺ってみた。
 まず、李義府に一番近い場所で、低い背もたれのついた椅子に腰かけながら、酒は控えめに、だが料理を旨そうに堪能して寛いでいるのが鄭賀(字は集堅)だ。自己紹介によると、普安郡陰平県(※一二)を本貫とする礼部尚書(※一三)の員外郎(※一四)で、歳は李義府よりも二つ下の三十だという。
 家柄にさほど誇れるものはない寒族のようだが、科挙の明経科の合格者と聞いているので、それなりに学識は深いのだろう。その容貌も一見すると、美髯豊かで物静かな学者といった風情で、大人然とした物腰がまるで自分よりも年長者であるかのような、貫禄ある雰囲気を醸し出している。
しかし、そんな男が『晋書』の編纂に主上を巻き込もうなどと、突拍子もない考えを捻り出すのだから、存外なかなかの曲者なのかもしれない。
 そして、鄭賀の右向こう、酒や料理には目もくれず、ひたすら口角泡を飛ばして議論している二人は、劉陽(字は白雅)と崔雄(字は徳裕)だ。ともに名門の出自で、二十八という年齢も同じ。だが体格は対照的で、細身で華奢な劉陽に対して、崔雄は少々肥満気味。齢に似合わない、妙に親爺臭い見た目をしている。
 劉陽の家系は、『(東)漢』で三公の一つ、太尉(※一五)を務めた劉愷の末裔にあたると称しており、歴史ある家柄であることは確かだが、ここ何代か三品官以上の地位に昇る者を出していないため、新たな家運興隆に向けて、この劉陽には大いなる期待がかけられているらしい。それというのも、いま御史台(※一六)で侍御史(※一七)を務めている弟とともに、滅多に合格者の出ない科挙の最難関、秀才科を通過して官界入りしているからだ。
 現在の官職はまだ刑部司門司(※一八)の員外郎にすぎないが、次は間違いなく中書省か門下省あたりからお呼びがかかるはずと、親族は勿論、当人もその気になっている。ただ、惜しいことに性格がやや真面目過ぎるきらいがあり、個別に話をしてみても、
「家門の名誉のためにも、全力で頑張らせていただきます」
 と、妙に力み返ってしまうところなどは、李義府の苦手な官僚気質を十二分に抱え込んでいそうで、嫌な予感が正直しないでもない。
 一方、崔雄は山東の名族、博陵の崔氏出身で、科挙にはよらず、恩蔭(※一九)により官界入りしており、文散官(※二〇)として奉議郎(※二一)を有してはいるが、現在、実際の官職には就いていない。
 二人とも気位は高そうだが、劉陽には今回の仕事で実績を上げ、出世の糸口にしたいという明確な意志が見えるのに対して、崔雄はと云うと、
「正式な官職に就く良い機会だからと、父から云われ、やむなく」
 そう素直に告白するほど、あまりやる気はなさそうだ。まあ、よくいる名門の御曹司といったところだろうか。
 だが、同じ御曹司ということであれば、さらにその奥で妓女の相手をしている少し神経質そうな若者、長孫烈(字は子顕)の方が格的には上だ。
 長孫氏といえば、いま朝廷の最高位に君臨する長孫無忌や、その妹で、いまは亡き主上の愛妻、文徳皇后を輩出している北朝系きっての名門で、烈はその長孫氏のなかでも族叔にあたる長孫順徳の嫡孫という、最高の毛並みの持ち主である。だが、それほどの門閥出身でありながら、祖父、順徳が中央で政治的な基盤を築くことのないまま、最終的には沢州刺史(※二二)を免官されて終わったことが災いしているのか、任子により官界入りして以降、つい最近まで地方の州司馬(※二三)として燻っていたらしい。
 州司馬には本来、刺史を補佐して地方を治めるという重要な役割があるが、この当時、実際には中央で問題のある役人の左遷先として使われることも多く、
(たしか、延族の爺さんにも過去にそんな経験があったような、……)
 と、李義府は余計なことを思い出す。
 だから、権門の子弟の振り出しの役職として、そんな官職が割り当てられるというのは、そう滅多にあることではないのだ。官吏の任免を行うのは尚書省の吏部だが、こんな人事が行われたということ自体、そこになにか特別な政治的力学が働いていると考えておいた方が良さそうだ。
 こうした現状に子顕は相当不満を溜め込んでいたようで、今回の『晋書』編纂の件を耳にするやいなや、中央での足場を築く絶好の機会とばかりに、あらん限りの人脈を駆使して、許敬宗に渡りをつけてきたらしい。
 なので、許敬宗からは、
「扱いにはくれぐれも気をつけて」
 そう念を押されている。
 この言葉も意味深長で、
「旧知の者からなんとかしてやってくれと頼まれているので、うまく使って手柄を立てさせてやってくれないか」
 そんなふうにも取れるが、その逆に、
「これまでの経歴から見て、長孫一族の持て余し者のようだから、下手に目立つようなことはさせるな」
 という意味にも取れないではない、なんとも微妙な言い回しだ。
(いずれにせよ、あまり深く関わるべきではないな)
 そんなふうに李義府は割り切っていた。
(なら、この四人に比べると、庸明(孟拓の字)は自分の立場を弁えている分だけ、まだましと思うべきかな)
 とはいえ、この生真面目な若者にも、問題がないわけではない。いや、むしろ、一番厄介な代物かもしれないと、李義府は矛盾したことを思う。
 隣の卓子の一番奥、雛妓と嬉しそうに話し込んでいる孟拓に、李義府はゆっくりと視線を移していった。
 副都・洛陽(※二四)生まれの二十六歳。幼くして県丞(※二五)を務めていた父を亡くし、家計を支えるためにいろいろな仕事をこなしながら、勉学に励んできたという苦労人だ。
 そして四年前、史家として名を成したいと一念発起し、父の知人でもあった李延寿の門を叩き、いまは彼の書生のような仕事を務めているのだと云う。そのため、いまの孟拓は当然のことながら官位など持ち合わせておらず、この仕事を手伝わせるために宮城へ出入りさせるには、それなりに形式を整えてやる必要がある。
 そこで許敬宗は、彼を名目上、李義府が臨時に任命した中書省の胥吏(※二六)という形にするつもりのようで、そのための支度も頼まれている。
(となると、万一、孟拓がなにか問題を起こせば、俺の責任ということになるわけで、……)
 正直、割が合わないという気がしないでもない。
 しかし、その分、孟拓からは大いに感謝されてもいて、
「今回のことを母に報せましたら、名誉なことと大喜びで。李大人にはくれぐれも宜しくと申しておりました」
 本当に満面の邪気のない笑顔で、この前、そんなことを云っていたのを思い出す。
 両親ともに既になく、そもそも肉親への情愛が薄い李義府には、彼のそういった感情がもう一つ理解できない。けれど、すぐに内心が表情に出てくるその気質が面白く、彼はこの孟拓という若者を、珍しい動物でもみるような感覚で楽しんでいた。
(さて、これからどうなることやら)
 鬱陶しいことは確かだが、その一方で、なにか途轍もないほど面白いことが起こりそうな予感もあり、李義府には自分の感情がよく判らなくなっている。
(だが、それにしても、そもそもどうして、延族の爺さんは俺を巻き込んだ?)
 どうにもそれが、李義府には引っかかっていた。
 今回、『晋書』の編纂にあたる顔触れを見てみると、侍中(※二七)の房玄齢が総監とされているが、これはあくまでも名目上のもので、このところ病に伏していることもあり、実際のところはお飾りである。また、事実上の総責任者と目されている褚遂良も、門下省での本務が多忙で、現場を管理するような暇などない。となると、必然的に編纂作業を秘書省と協力しながら取り仕切るのは、許敬宗ということになる。
 彼にも中書侍郎(※二八)としての本務があるが、どうやらこちらの作業の方に重点を置くらしく、本務は新しく中書侍郎に任命された皇太子の側近、楊弘禮に任せるという話を聞いている。
 その下で全体の校正・監修にあたるのが、史書編纂の実績がある令狐徳棻と、史家である李延寿の二人。令狐徳棻は房玄齢が主上に推薦して決まり、李延寿の方は許敬宗のお声がかりだと云う。
 まあ、ここまでは無難な人選として、
(問題は、なぜ執筆者の一人に俺が選ばれたのか、ということだ)
 実際の執筆陣をみてみると、先に名前の出た給事中の敬播や秘書郎(※二九)を務める上官儀、太子中舎人(※三〇)の薛元超、著作郎(※三一)の陸元仕や弘文館学士の劉子翼といった錚々たる中堅官僚十六名が名を連ねており、この人選もほぼ許敬宗が行ったらしい。そこに李義府も強引に加えられたわけだが、執筆者の大半は貴顕・名門の子弟で、これといった背景を持たない寒族出身者は李義府ともう一人、太史丞(※三二)の李淳風ぐらいのものだ。
 だが、それよりもっと腑に落ちないのは、執筆者のなかにもう一人、李義府と同じ中書舎人の来済も選ばれていることだった。省内で中核的な役割を担う人材を一度に二人も引き抜いてしまっては、中書省の業務が停滞することは明らかで、いくら自分の所属する部署だから無理がきくとは云っても、少々やりすぎである。
 この疑問をこの間、許敬宗に直接ぶつけてみたのだが、この狸親父、実に涼しい顔をして、
「なあに、中書省の仕事など、一人や二人抜けたって、代わりになる人間はいくらでもおる。しかし、今回の仕事には、臨機応変に動ける優秀な人材が是非とも必要なんじゃ」
 そう嘯いていた。これでは、後事を託された楊弘禮も、たまったものではないだろう。
 史書編纂という特殊な任務で、自分がそれほど役に立つとは到底思えなかったが、なにか別の狙いでもあるのか、さらに許敬宗は、お追従のような激励まで付け加えてくる。
「勢族出身でもなく、科挙合格者でもないのに、その若さで中書舎人とは大したものだ。儂は前々からお主に目を付けておったのさ。その手腕をこの仕事でも、存分に発揮してくれ」
(あんたにだけは云われたくない)
 肚のなかで舌を出しながら、このとき李義府は、ただ黙って頭だけは下げておいた。
 こうして正式な執筆者の人選をとりあえず終えた許敬宗は、それとは別に、作業を行う際の史料収集や配布、さらには秘書省(※三三)との事務的な折衝にあたる者も必要になるだろうと、相当に無理をしてかき集めてきたのが先の五人である。
 主上のお声がかりの事業とはいえ、正式な執筆者を出すだけでも、人員を割かれる側の官衙としてはかなりの抵抗があったはずだ。押しの強い許敬宗でも、さすがに補助役の人員にまで各所に無理はきかなかっただろうから、多少訳ありの人間しか集められなかったとしても、それを彼の責任というのは酷だろう。
(爺さんの努力には頭が下がるが、その分、現場が混乱しやしないか?)
 短期間で作業を終えるためと上は云うが、如何せん人員が多すぎる。まだ具体的な作業が始まってもいないのに、李義府はなぜかそんな近い未来が予測できていた。
 ともかく、この面々で全百三十巻(本紀:十巻、列伝:七十巻、志:二十巻、載記:三十巻)から成る『晋書』の執筆に取り掛かるわけだが、その分担を決めるのも、実は一苦労だった。
「担当部分は、お好きなところをご申告ください。もし重なるようであれば、こちらの方で調整しますので」
 全体の構成担当、敬播はまずこう宣言したのだが、
(おいおい、それはないだろう⁉)
 李義府は最初に耳にしたとき、正直困惑してしまったことを覚えている。
 たしかに分担を勝手に決められてしまうのも癪だが、みな本務を抱えるなか、こちらの業務にはなるべく手を取られたくないというのが偽らざる本音だ。そんな思いを抱える者同士で、どうぞ担当部分を自由に取り合ってくださいと云われても、そんな簡単に決められるはずなどない。すると案の定、誰もが様子見になって、半月ほどの間、ぴたりと動きが止まってしまったのである。この間、さぞかし敬播はやきもきしたことだろう。
 しかし、こういうときこそ、専門性を有している人間は強い。まったく動きのない執筆者たちを尻目に、唯一人、自分の希望を申し出て、早々に担当する巻を固めてしまった人間がいる。もちろん、李淳風だ。
 彼が選択したのは、「志」部のうち、天文・律暦・五行志の部分だったが、
(どうして、この部分だけでも、最初から担当を決めておかなかったんだ?)
 李義府は小首を傾げざるを得なかった。
 李淳風は、岐州雍県(陝西省鳳翔)を本貫とする天文学及び数学の達者として知られ、主上からのお覚えも悪くはないが、不思議なことに、後宮にも意外な人脈を持っている稀有な人物である。以前、編纂された『隋書』においても天文志と律暦志を著しており、誰が考えても、この部分を執筆できるのは、彼をおいて他にはない。
(秘書省にしては、なんとも段取りが悪すぎるような気もするが、……)
 そんな違和感を覚えはしたが、それはともかくとして、これが呼び水となり、敬播や上官儀ら秘書省の関係者が率先して分量の多い主要部分の担当を申し出ることで、ようやく事は動きだした。
「それでは、儂も一部執筆させてもらうこととしようか」
 そこにいきなり令狐徳棻が口を挟んできて、論争を白熱させた責任を取るという意味なのか、李延寿と最後まで揉めた武昭王(「李玄盛」伝)の事蹟を執筆しようと申し出てきた際には、皆一様に吃驚させられたが、先達にそう気を使われてしまっては、若手としてもいつまでも我儘は云っていられない。次々と分担が決まっていくなか、最後まで出遅れた李義府は、結局、一番人気薄だった「載記」のうち、『(前)燕』・『(前)秦』などを分担することで落ち着いたのは、つい先日のことである。
 さらに、これは余談だが、執筆部分の分担を決めるのと並行して、作業の基本方針に関わるものとして、別の問題が実はもう一つ起こっていた。
 それは、早期に事業を終えるという大命題のもと、「幅広く『晋』代の事蹟を蒐集する」観点から、『語林』や『世説新語』、『幽明録』に『捜神記』といった書物が個々の執筆者の裁量によって、史料の一つとして参照・引用することが正式に認められたのである。
 今回の作業では、過去に書かれたいわゆる十八家『晋書』のうち、臧栄緒がものした『晋書』を基本として、『晋』に関する数十種類の書や、崔鴻の『十六国春秋』など、五胡十六国の歴史について述べられた史書を基本史料とすることは、事前に執筆者の間で共通の認識として刷り込まれていた。しかし、そこに『語林』や『世説新語』などの類まで、史料として解禁されることが明らかになったのは、ついこの間のことだ。
 これらの書は、人物の逸話集や志怪小説に分類されるもので、名教(儒学)を学ぶ者たちからは雑書とみなされ、蔑視されることも多い。そのため、これまでの正史では、こうした種類の書物が史料の一部として扱われた事例はないことぐらい、初心者である李義府でも心得ている。
 この方針が示された途端、
「そんな邪道な」
 と、騒ぎ出したのはやはり李延寿で、それに対して、
「面白いではないか」
 と、賛意を示したのは、今度もまた令狐徳棻だった。徳棻の言を借りるならば、
「こうした書物が編まれた背景には、その時代特有の哲学があり、その真髄を拾っていってこそ、その時代を真に映し出す鑑となる史書が編める」
 そういう理屈になるらしい。
 どうやらこの二人、基本的に史家としての立ち位置が異なるようで、どこまでも意見が一致しないところが面白い。
 だが、実際のところ、この問題まで大論争に発展してしまっては、基本方針を固める作業がますます遅れてしまう。そこで、結局、この問題に関しては許敬宗が間に入り、原案どおりに個々の執筆者の裁量に任せるということで、早々に落着させたのである。
 このように、基本方針に関して主上の裁可を仰ぐまでの三ヶ月間、いろいろな議論や駆け引きが存在したわけだが、その過程において、一番鬱憤が溜まる立場に置かれていたのが李延寿であることは、誰の目から見ても明らかだった。
(このままでは、実際の作業に入って、遐齢が暴発してしまいかねない⁉)
 許敬宗はそう危惧したのだろう。
 そこで、李延寿とその麾下に置く補助役の五人、それに李義府を誘って一席設け、親睦を深めながら少しでも不満を和らげようと目論んだのが、今宵、この場の次第なのである。
 どうやら繰り返されていた愚痴も尽きたのか、李延寿は許敬宗に絡むこともなくなり、黙々と料理に箸を運んでいる。そして、許敬宗はといえば、傍らの妓女と談笑しながら、それを眼で追う李義府に対して、
(どうだ、俺の腕前は?)
 そう云わんばかりに、会心の笑みを返してくる。やはりなんとも惚けた親爺である。
(だが、これでようやく俺も酒が楽しめそうだな)
 李義府がそう一息つきかけた瞬間、
「どうですか、お一つ」
 傍らから涼やかな声がかかった。
 ずっと考えに耽っていたせいか、隣の椅子に百華苑の妓女の一人、蛾美眉がいつの間にか腰かけていることに、李義府はまるで気がついていなかった。
 蛾美眉ならつい先ほどまで、いつもどおり滑らかな調べで、得意の二胡を奏でてくれており、普段であれば、李義府もそちらに耳を傾けていたはずだ。しかし、如何せん今宵の酒宴は、通常以上に荒れている。演奏が終わったことすら李義府が気付くことのないまま、いま美眉は眼前で艶めかしい笑みを浮かべながら、瓶子を手にして腰かけていた。
「なんだ、美眉か」
 そう口にすると、李義府の顔にも反射的に笑みが浮かぶ。気疲れしていた心が、一瞬で溶かされてしまったかのようだ。
「折角のお勧めだ。喜んでいただこう」
 ぐいと自分の盃を李義府が差し出すと、美眉は軽く姿を作り、静かに酒を満たした。
「光栄ですわ、李大人から初めて名前を呼んでいただけて」
 はしゃぐような声音で、しなやかにもう一度会釈を返す。
 歳はおそらく、二十を幾つか過ぎたあたりだろう。高い鼻梁に淡く色の入った瞳、そして、その名のとおり美しく引かれた眉が印象的な、美しい傾城である。この当時、女性はきれいに眉を剃り、代わりに墨を使って手で描くのが習慣で、美眉のそれは微かに先が細くなっており、そのことで切れ長の眼に微妙な翳が差し、蠱惑的な魅力を生んでいた。
 さらに、その容貌に加えて、本朝ではあまり見かけない肌の白さからすると、西方のどこか異国出身のようにも思えるが、
(一概には、そうとばかりも云えないか)
 と、李義府は考えてしまう。
 なにしろここ数百年、混乱を極めた華北・中原は、いわば民族の坩堝だった。いろいろな民族が混じりあい、西域からも多くの人間が渡来するなかで、本朝で生まれ育った者であっても、その何代か前の祖先にどのような人物がいたのか、判然としないことも多い。表面的な容貌だけで、出身がどこかを問うこと自体、あまり意味がないことなのかもしれない。
 そんなことを考えながら見惚れていると、鞏義窯(※三四)の灯火器に映える美眉の肌は、いつにも増して白く感じられた。
「おや、そうだったかな?」
 美眉からの意外な指摘に、李義府は首を捻ってみせる。
「これまでもずっと、話をしてきたような気がしていたんだが、……」
 そう云いかけるのを遮るようにして、
「ええ、他愛もないお話ならいくらでも。ですが、その度に、名前を呼んでいただいたことは、一度もございませんでした」
 他の妓女となら、気安く名前を呼んで談笑されているところを、いつも拝見していましたけれどと、美眉は皮肉交じりで言葉を付け足す。商売柄か、少し拗ねたような表情も愛らしく、美眉はこちらを責めたててくる。
「てっきり私の名前なんか、憶えていらっしゃらないのかと思っていましたわ」
 そう迫ってくる美眉に対して、李義府は苦笑いし、鼻の頭を掻くしかなかった。
 役人としてこうした店を利用することは、あまり誉められたことではないが、公的な接遇や省内関係者との宴席等々、それ以外にも利用する機会は意外に多い。特にこの百華苑は、六年ほど前だったろうか、大規模な改装がなされ、妓女の質も高まったことで、どこの役所も競って利用するようになり、そのお蔭で李義府も、相当な頻度でこの店には顔を出している。そして、そのいずれの席でも、必ず美眉が楽を奏でてくれていた記憶が確かにあった。
 その腕前は、宮廷の楽人にも引けを取らないと評判で、秘かに美眉の贔屓を自称する者は各役所にも少なからずいるらしい。実は、李義府もその一人で、美眉の奏でる音色に魅せられ、酒席ではいつも熱心に耳を傾けていたのだ。
(なのに、いざ顔を合わせると、その名さえ口にできていなかったとは、……)
 志学を迎えたばかりの小僧でもあるまいにと、なんだか無性に気恥ずかしくなって、李義府はすぐに話を逸らした。
「さっき奏でていた曲の音調、近頃、宮廷でも耳にするが、西域のものかな?」
「はい、教えてくれたのは、亀茲(クチャ)(※三五)の楽人でした」
 本朝古来の宮廷音楽である雅楽は、南北朝にかけての混乱期に、西域からの楽の流入などもあって著しく衰退し、『隋』朝においても西域の楽が宮廷で重視されるに至って、西域、朝鮮系の諸楽に中国の俗楽を加えた七部伎が整理されることとなった。さらに、それが九部伎に増え、『唐』初に「高昌伎」が加えられて十部伎となってからは、公式の宴饗楽として頻繁に用いられるようになっている。
 宮廷で奏でられる楽には、さほど興趣をそそられることはない李義府なのに、同じものでも美眉に演奏されるとまったく違うものに感じられるから不思議である。つい調子に乗って、李義府はさらに余計なことまで尋ねてしまった。
「すると、そなたの生まれも、西域のどこかの国かな?」
 しかし、その問いに美眉は答えない。微笑んだまま、唇に左手の人差し指を軽く添えることで、拒否する意思を李義府に示した。
 人には大なり小なり、触れられたくない過去があるものだ。そんなことぐらい心得ていたはずなのに、
(二人の距離を詰めたくて、少し急ぎすぎたかな)
 己の迂闊さを李義府は反省する。
 少し重たくなった場の空気を変えようと、李義府はわざと鷹揚なふりをしてみせた。
「いつ来ても思うが、立派な店構えだ。宴席用の房だけでも幾つあるのかな?」
 長安城内でも有名な妓楼は、東市の西隣にあるこの平康坊の北里と呼ばれる地域に集中しているが、これほどの規模と調度を備えている店はまずない。
 李義府もそれほど妓楼に精通しているわけではないが、一般的な店であれば、個室形式の房はあっても、客は床に敷かれた毛氈の席か、脚部のない座椅子に胡坐座りし、その前に個々の配膳がなされるというのが普通で、この百華苑のように、高さのある大きな卓子(テーブル)を備え、それに床几ではなく、背もたれと脚部のついた椅子を配するといった様式を採っている店は、おそらく京師でもここだけなのではないか。
(そう云えば、美眉は平気で椅子に腰かけているな?)
 不意に李義府は、そのことを意識した。これまでの記憶を手繰ってみても、たしかに美眉は、他の妓女とは違い、椅子に腰かけることになんの衒いもないようだ。
 宮中を知る役人の李義府だからこそ、椅子に腰を下ろすことにさほどの違和感はないが、この時代、庶民の男性にはまったくそんな生活習慣はなく、ましてや女性が椅子に座るなど論外である。
それなのに、まったくの自然体でそれができるということは、
(やはり美眉は、こうした風習に慣れている西域の出身か?)
 しかし、李義府がぼんやりとそんなことを考えている合間にも、美眉の澱みのない説明はもう始まっている。
「はい、こうした個室の房は、二階と三階にそれぞれ大小合わせて八つずつ。しめて十六房ございます」
 それとは別に、客が宿泊することを望んだ際に使用する小部屋も十室ほどと、美眉は補足する。
おそらくその小部屋では、妓女が伽の相手をしてくれるのだろう。だが、勿論そんなことを口にするほど、李義府も野暮ではない。
「これだけの店ともなれば、雇い人の数も多いんだろうな?」
 と、李義府は話の穂を接ぐ。
「はい、妓女は雛妓も含めて二十人。料理人や配膳係、それに下働きの者などまで含めますと、総勢八十名ほどでしょうか」
 自宅から通っている者も少しはいるが、雇い人のほとんどは、この百華苑に隣接する建屋に部屋を与えられ、そこに住み込んでいるという。妓女は当然としても、なるほど、それだけ多くの人間を抱えて商いをしているのなら、ここの払いがそれなりの額になるのも、納得のできるところではある。
「それじゃあ、あんたもそこに?」
 急に李義府の口調が砕ける。それが妙に壺にはまったのか、
「はい、ここにいる者はみな」
 苦しそうに笑いをこらえながら、美眉は房内を見回し、自分以外の四人を順番に視線で追っていった。
 李延寿の傍らに控える妓女は、たしか風柳といっただろうか。少し目尻の下がり気味なところに愛嬌があり、場を和ませる独特の雰囲気を持っている。いまもまだ仏頂面の李延寿をなんとか笑わせようと話しかけているところなどをみると、妓女としてそれなりに年季を積んでいそうだ。
 その対面で、許敬宗の世話を焼いているのは竜胆という名前らしい。李義府には初めての顔で、美眉によると、二か月ほど前にこの店に移ってきたばかりだという。それまでは揚州(※三六)の妓楼にいたらしいのだが、なぜ長安に移ってきたのか、詳しい事情は美眉も知らないという。
 長江下流域と関中とでは、気候風土や生活習慣、それに話し言葉一つとってみても大きな差がある。慣れるまでは異国で暮らしているような感覚すらあるはずで、そんな地に足を踏み入れるにはそれなりの訳があるのだろうが、見たところ、その姿に特別な翳は感じられない。少し眼差しがきつく、狐顔のところは風柳と対照的だが、表情が非常に豊かで、こちらもなかなかに魅力的な傾城である。
 そして、二人とは反対の側、李義府の隣の卓で長孫烈と談笑している妓女は春蘭だ。李義府が初めてこの店に上がった頃には、既にこの妓楼一番の人気の妓女で、美眉とは異なる、まさに妖艶という言葉が相応しい美しさを備えている。
 しかし、単純にそう評してしまうと、色香だけが売り物の妓女であるかのように誤解されてしまうかもしれないが、実は春蘭の妓女としての最大の売りは、実は「酒令」の仕切りである。
 「酒令」とは、食事が終わってから始まる一種のお座敷遊びのようなもので、まずその場を取り仕切る「酒糾」という役割を決め、そのもとで様々な遊戯を行い、負けた者には罰盃が課される仕組みになっている。仮に、妓女が酒糾を務める場合、いかに機知に富んだ仕切りを行い、その場を盛り上げることができるかで、事実上、妓女の格が決まるのである。
 なかでも、春蘭の得意とするのは「雅飲」で、これは、骰子などを使った簡単な遊戯から始まって、一座で独自の決まりを設けて遊ぶ「律令」、最後は詩歌を即興で生み出す「著辞令」へと移行する高度なもので、この遊びをこなすには相当な教養と機転を必要とする。
 それを十八番にしているということは、元々そうした方面に最低限の素養を持っていたということで、きっと春蘭にもそれなりの過去があるのだろう。
(人の数だけ、人生があるということか)
 柄にもない感慨を李義府は抱く。
 そして最後の一人、いまは卓を離れて床に座り込み、孟拓と話し込んでいる雛妓は、前回、手伝い役の五人とともにこの店を訪れた際にも、美眉と一緒に相手を務めてくれた娘で、翔娘という名であることを李義府ははっきりと覚えていた。
 なぜ、それほど彼の印象に残ったのかと云うと、決して良い意味ではない。むしろ、その逆で、
(これでよく妓女が務まっているものだ⁉)
 そう呆れていたからだ。そして、その思いは、いま、一段と強まっている。
 前回訪れた時点で、この店に来てまだ一月ということだったから、妓女として客の相手を務める経験も、まだ二ヶ月足らずと云ったところだろうか。化粧や衣装の着こなしの稚拙さなどは、経験の乏しさからくるものとして大目に見るとしても、やはり一番の問題点は、
(仕事に対するそもそもの姿勢だ)
 春蘭が相手をしている長孫烈はいいとしても、議論に熱中している崔雄と劉陽、それに一人泰然としている鄭賀の三人は一切眼中になく、孟拓とだけ顔を寄せ合い、嬉しそうに二人きりの世界に浸っているその様は、妓女としてどうみても失格だろう。
 妓女となって苦界に身を沈めるには、個々の事情が異なるので一概には云えないが、貧しい家の子女が十歳前後で妓楼を経営する者の養女になるという名目で売られ、そこから妓女として必要とされる技芸や素養を厳しく躾けられるのが普通で、いかに客を退屈させないかという接客姿勢などは、その初歩中の初歩である。それがこの歳なのに理解できていないようでは、
(これから妓女として、本当にやっていけるのか⁉)
 そんな懸念がつい、どうしても湧いてきてしまう。
 しかし、なぜ李義府がそんなことを心配しているのか、それには、理由があった。そして、これが同時に、孟拓の厄介事にも繋がっている。
 実は、先日、孟拓と打ち合わせの合間に雑談する機会があった折、この雛妓が彼の洛陽時代の友人の妹だということを、こっそり打ち明けられていたからである。
「洛陽を離れて久しく、こちらはすぐには判りませんでしたが、翔娘の兄、趙青とは同じ師に学ぶ同門の友として親しく、しばしば家にも遊びに行っておりました。その頃、翔娘はまだほんの幼女で、私と顔を会わせても、いつも兄の背中に隠れて、恥ずかしそうにしていたものです」
「それがどうして、この長安で妓女に?」
「はい、それは……」
 途端に眉根を曇らせて、孟拓は口籠る。それでも、仕方なく聞かせてくれた翔娘の身上話は、当人にとっては悲惨なものであったとしても、部外者である李義府にしてみれば、どこにでも転がっているような、ありふれた話だった。
 二年ほど前、絹織物商を営んでいた生家が火事にあい、両親はその火事で焼け死に、火に巻かれた屋敷に取り残された翔娘を助けようとした兄、趙青も、大きな火傷を負ってしまったのが不幸の始まりだと云う。なんとか翔娘だけは無事だったものの、わずかに残された家産は、兄の治療費や奉公人への餞別であっという間に消えてしまい、趙青が療養を続けるための費用や当面の生活費が必要となったが、こうなると親類縁者などは薄情なもので、誰も二人に手を差し伸べてくれる者などいなかったらしい。
 そこで仕方なく、市中の高利貸しから五十貫の銭を借り受けることとしたのだが、利息は月に五分、年利に直すと六割にものぼる法外なものだった。しかも、そのうえに、
「担保として、お嬢ちゃんの身体を預からせてもらおうか」
 と、証文を巻かれてしまったらしい。
 それでも、兄さえ元気になればと、必死に気を張って頑張ってきた翔娘だったが、四ヶ月前、その頼みの綱だった趙青もちょっとした風邪が元で肺炎を起こし、他界してしまったのだと云う。翔娘は一人途方にくれながらも、慎ましく兄の葬儀を済ませたのだが、その喪が明けるのも待たずに高利貸しは姿を現わし、
「利子が嵩んで、借財はもう八十貫にもなっている。返してもらうには、もうお嬢ちゃんに身売りしてもらうしかないな」
 そう強引に迫ってきたのだそうだ。
 官に訴え出てみたところで、無駄なことは判り切っている。もうどこにも金を工面するあてのなかった翔娘は、やむなく妓女となることを決意したのだが、さすがに顔見知りの多い地元、洛陽で妓女になるには抵抗があった。
 そこで、どこの妓楼に身売りするかという話になった際に、翔娘自ら、
「できれば長安で」
 と、そう申し出たのだそうだ。もしかするとその選択の裏には、
(長安なら、あの孟拓さんにもう一度会えるかもしれない)
 そんな僥倖に賭けてみたいという、かすかな希望があったのかもしれない。
「しかし、この前の宴席で、よくそんな話をする暇があったな?」
 李義府が訝しんで尋ねると、最初の出会いでは、帰り際に趙青の妹だと告げられ、ただ驚いただけで終わったのだが、その後二度、なけなしの金をはたき、詳しい話を聞くために、百華苑を訪れたのだと、孟拓は語った。しかし、二度目はどうしても金の工面がつかず、翔娘の教育係でもある蛾美眉に立て替えてもらったと白状する。
 気持ちは判らないでもないが、士たる者が妓女に金の迷惑をかけてまで妓楼に上がるとは、とことん呆れるばかりで、李義府は開いた口がふさがらなかった。
 だが、当人には、恥ずかしいという思いは少しもないようで、
「なんとか翔娘の力になってやりたいのですが、……」
 と、そう真剣に語る。その姿をみて、
(これは拙いな)
 と、李義府は瞬間的に危険を察知した。
(あまりにも世間を知らなすぎる⁉)
 翔娘はいま、百華苑のお抱えとして、『唐』律のうえでは身分上、賤民にあたる妓女なのだ。いやしくも今後、官途を目指そうとしている孟拓の立場では、絶対に正妻に迎えることなどできない相手ということになる。
 さらに、そうした法律的な建前を抜きにしても、現実の問題として、翔娘を自由の身にしてやるには相当な金がかかる。いまの孟拓に、そんな甲斐性などそもそもあるはずがない。
(遅かれ早かれ、翔娘には別の男に身を委ねなければならない日がやってくる)
 李義府には冷酷な現実が見えていた。
 世の中には、初物の雛妓の水揚げを喜ぶ好き者は多いのだ。そんな時、孟拓に残されるものといえば、翔娘を守ってやれなかった絶望と後悔しかないだろう。
(叶わぬ夢を見るほど、人にとって不幸なことはない)
 ここは一旦冷静になって、これ以上深く関わり合いになることは避け、距離を置くべきだと、あの時、孟拓には滾々と忠告してやったつもりだった。それは、李義府という人間にしては珍しい気配りだったのだが、いま眼前の二人をみていると、その効果がまったくなかったことは、火を見るよりも明らかだった。
(「病膏肓に入る」とは、まさにこういうことを云うのだろうな)
 そんな困惑と失望が入り混じった複雑な感情を抱えながら、いま李義府は二人を見つめている。
その彼の視線をどのように解したのかは知れないが、突然、美眉が李義府に語りかけてきた。
「ねえ、李大人。あなたの仰るとおり、私、西域のある国の生まれなの」
 驚いて美眉の方を振り向くと、その瞳がなにかを訴えかけているようなのだが、すぐにはその意味が理解できない。
「いい思い出よりも、嫌な記憶の方がずっと多いけれど、それでもやっぱり故郷は大事な場所だと思うの。李大人は違うのかしら?」
 ここまで聞いて、ようやく李義府は、美眉の云わんとしていることが腑に落ちた。
(同郷の誼で結ばれている二人を、もう少しだけ、温かい目で見守ってやってほしい。そういうことか⁉)
 さきほど触れてほしくないと意思表示したばかりの過去を曝してまで、二人の仲を守ろうとするのだから、美眉にとって翔娘は、よほど大事な存在なのだろう。少なくとも、単なる妓女の妹分ということではなさそうだ。
(面白い女だな)
 そんな想いが浮かんでくる。
 どうやら李義府は、楽への関心とは別に、本気で美眉に興味を持ってしまったようだ。こんな気持ちの昂ぶりは、彼にとっては珍しいことだった。すると、その瞬間、不意に李義府は、美眉を揶揄ってみたい衝動に襲われ、どうしても抑えきれなくなっていた。
「美眉、残念だが、俺には故郷に恨みしかないんだ」
 そう吐き捨てて、李義府は自らの昔話を訥々と語り始める。
「瀛州の饒陽県(※三五)が俺の故郷だが、そこは思い出の場所なんかじゃない。ただの牢獄でしかなかった」
 門地のない寒族ではあったが、経済的には富裕だった李義府の両親は、幼少の頃から利発だった彼に期待し、科挙に応じるべく学問の師をつけるなど、惜しみなく金を投じてくれたのだ。けれども、そのために学ばねばならない儒学が、李義府にはどうしても性に合わなかった。
(こんな辛気臭い屁理屈、豚の餌にもなりはしない)
 そんな学問を身につけなければ出世できないのなら、役人の世界など、こちらの方から願い下げだと、いくら両親に訴えても、父は怒り、母は自分の育て方が悪かったと悲嘆にくれるばかりで、まったく話にならない。そんな不毛なやり取りを繰り返すなかで、李義府と両親との関係は最悪のところにまで行きつきかけていた。もしも、そんな状況がもう少し長く続いていたなら、なんらかの悲劇が起こるのも時間の問題だったかもしれない。
 だが、幸か不幸か、彼が十八になった歳の秋、流行した疫病によって、両親は呆気なく世を去ってしまったのである。そのとき、李義府の胸のなかに去来した感情には哀しみなど微塵もなく、ただ安堵感だけが占めていたことを鮮明に覚えている。 
「結局、故郷に対する想いなんか、人それぞれということさ」
 李義府の言葉は、どこまでも冷たかった。
「御免なさい、私ったら、なにも知らずに勝手なことを……」
 意外な告白に顔色を失い、慌てて美眉は言葉を添えて謝ろうとする。しかし、それをあえて手で制すと、
「だが、俺がそうだとしても、故郷を大事にしている者のことは、決して嫌いじゃない。二人のことは、俺も応援するよ」
 強張った表情を瞬時に崩して笑顔に変え、李義府はそう朗らかに告げた。
 美眉は一瞬、心底安堵したような表情を浮かべて頬を朱に染めかけたが、すぐに険しい表情へと変貌し、今度は思い切り李義府を睨みつけてくる。
「李大人、あなたって本当にどうしようもないほど意地悪な人ね」
 そう云って美眉は、思い切り溜息をつく。
「それなら結論だけで充分でしょう。どうして人を不安にさせるような、そんな話を差し込んでくるの⁉」
 悔しそうな表情で、美眉は続けた。安堵と怒りが綯交ぜになってしまい、美眉は感情を抑えきれなくなっているようだ。それが証拠に、いつの間にか立場を忘れ、李義府に対する言葉遣いまで荒くなっている。
 これは少し薬が効きすぎたかと、李義府は大いに慌てた。
「済まない、悪かった。そんなに怒るなよ」
 と、すぐさま宥めにかかる。
 お詫びに、これからは休沐ごとに必ず顔を出すからさと、そう言葉を添えた。
 朝廷に仕える官吏にはこの当時、湯浴みをするという名目で、一定期間のうちに一日休暇が与えられることになっている。その昔、『(東)漢』代には四日の勤務に一日休みという形態だったらしいが、いまは月の上旬、中旬、下旬ごとに一日休みが与えられるのが一般的で、この月に三日の休みを「旬休」と呼んでいた。
 次の旬休はいつになるのか、李義府が美眉に伝えようとすると、そんな二人の間に割って入る声があった。
「あら、そうしてくだされば、美眉姐さん、とっても喜ぶわ」
 横合いからいきなり割りこんできたのは、つい先ほどまで孟拓と熱心に話し込んでいたはずの翔娘だった。両手で酒の入った瓶子を持ち、はい、どうぞと李義府に酌をしてくれる。
 間近で見てみると、その幼さは一層隠せない。どうみても、まだ十三、四というところだろう。この時代、この齢で嫁入りすることも稀ではないが、翔娘の場合、仕事柄、無理に大人ぶっているようなところがあり、それが妙に痛々しく感じられてしまうのが大きな欠点だ。しかし、
「李大人はいつも演奏に熱心に耳を傾けてくださる素敵な方だって、お姐さん、昨夜も云ってらしたもの」
 そんな嬉しい秘密を教えてくれるものだから、つい李義府も調子に乗って、
「おや、それは本当かな?」
 と、思わず李義府は相好を崩してしまう。
「ええ、本当よ。李大人はお役人らしくなくて、本当にいい方だから、今日のお座敷もとっても楽しみだって、……」
「まあ、翔娘ったら、いきなりなにを云い出すの⁉お客様に失礼ですよ」
 耳朶まで真っ赤にした美眉は、大慌てで顰め面を作ると、大声で翔娘を叱りつけた。
「ご免なさい、本当に礼儀がなってなくて」
 でも、いつもは決して、こんな駄目な娘じゃないんですよと、言い訳も付け加える。
 李義府の顔を正面から見ないのは、赤くなった顔を見られたくないのだろう。しかし、その九割の恥ずかしさとは別に、李義府が再び気分を害し、翔娘と孟拓に冷たい目を向けはしないかと、案じる気持ちも残っていることは声音からもうかがえる。
(よほど翔娘が可愛いんだな)
 李義府は美眉の胸の内を、そんなふうに推察していた。あえて喩えるなら、年の離れた妹を見守る姉のような心境と云ったところだろうか。
「翔娘、お客様のお相手はどうしたの?」
「だって、……」
 翔娘は不満げに頬を膨らませる。その仕種がいかにも子どもで、李義府は思わず笑い出しそうになってしまった。
 翔娘の釈明によると、折角の蜜月だったのに、崔雄がそこに割り込んできて、孟拓まで劉陽との議論の相手に巻き込んでしまったのだという。その結果、自分は弾き出されてしまったのであり、客の相手ができていないのは不可抗力だと、妙な屁理屈をこねる。
 たしかにあちらの様子を窺ってみると、孟拓は崔雄に肩を抱えこまれ、劉陽との論戦の応援団に仕立て上げられている。これでは当分、崔雄は孟拓を放してはくれないだろう。
(さてと、……)
 その様子を暫く見守っていた李義府だったが、頃合いを見計らうと、おもむろに席を立とうとする。
「あら、どちらへ?」
「少し酔ったようだ。表で風にでもあたってくるよ」
 ついでに厠に寄りたいのだが、誰か場所を教えてくれないか。そう李義府が云うと、
「私が案内してあげる」
 勢いよく翔娘が手を挙げた。
「いえ、私が……」
 美眉も立とうとするが、その肩に軽く手を置き、翔娘が制する。
「姐さんはいいってば。さあ、李大人、行きましょう」
 美眉に立ち上がる隙を与えず、そう云って翔娘は、李義府の手を曳いた。
 導かれるまま部屋を出て、右手の階段を一階まで下りると、幾度か廊下を曲がって厠までたどり着く。そこで李義府が用を足して出ていくと、翔娘は手水と手巾を用意して、表で行儀よく待っていた。
(ほう、さすがに最低限の心得ぐらいはあるようだな)
 李義府は妙な感心をしてしまう。
「ありがとう、翔娘。……で、私になんの話かな?」
 その瞬間、びくっと身を縮ませ、恐る恐るという感じで、
「判ってた?」
 と、翔娘はこちらの顔を覗き込んできた。既に半分泣き出しそうになっている。
「ああ、庸明を横取りさせてからこっち、私の方をずっと盗み見ていたからな」
 李義府はわざと、邪険に云い添える。
「さあ、なにか用があるのなら早く云ってくれ。折角そのために席を外したんだから」
 それでもなかなか口を開かない翔娘に焦れるが、李義府はただ黙ってじっと待つ。すると、ようやく心を決めたのか、
「李大人、美眉姐さんには絶対内緒で、お願いしたいことがあるの‼」
 今度ははっきりとした口調で、そう翔娘は云った。
「お願い?」
「うん、……」
 いきなり李義府の右手を翔娘は両手で強く握ってくる。
「できるだけ、本当にできるだけでいいの。李大人がこのお店に来る機会があるときに、庸明さんも一緒に連れてきてくれない⁉」
 そして、その席には必ず自分を呼んで欲しいのと、翔娘は必死の形相で訴えてくる。
(やっぱりか⁉)
 読みは外れていなかったが、まるで喜べない。むしろ、さらに厄介なことになったと、李義府は蟀谷のあたりが痛くなってきた。孟拓だけが一方的に熱を上げているのかと思っていたが、どうやら翔娘の方も、同じ病に罹ってしまっているらしい。
 孟拓とは会いたい。だが、いまの彼の立場では、次にいつ百華苑にあがれるのか、まったく目算が立たない。ならば、誰か孟拓を連れてきてくれそうな人はいないか。そう考えるのは、いたって現実的な判断だ。その分、孟拓より翔娘の方が大人といえるかもしれない。
「だが、どうしてそんなことを俺に頼む?庸明にそう云われたのか?」
「いいえ」
 翔娘は激しく首を横に振る。
「あの人は不器用なくらい真面目だから、そんな厚かましいことを考えられる人じゃないわ」
 そうだろうなと、李義府も思う。そもそも妙に純情で一途だからこそ、こんな厄介な状況に陥ってしまうのだ。
「庸明さん、これから李大人と一緒にお仕事をすることになるって云ってたし、それに、……」
「それに、なんだい?」
「それに、美眉姐さんが李大人はいい人だって云ってたから、……」
 語尾が段々と細くなり、顔も俯いていく。
 つい思いつきで口にしてはみたものの、いかに自分の云っていることが荒唐無稽なものであるかということに、遅まきながら翔娘もようやく思い至ったようだ。
 しかし、それでも一縷の望みを託すつもりなのか、翔娘は顔を上げ、改めて李義府の顔を食い入るように見つめてくる。
「身勝手なお願いだってことは判ってる。でも、……でも、私は真剣なの。本当に馬鹿な娘からのお願い、そう思って聴いてくれない⁉」
 翔娘の声は、震えていた。だが、その瞳には、覚悟を決めた人間に特有の強い光が湛えられている。
(困ったことになった)
 他人には関わらないに限る。それが李義府の処世術であり、また、主義でもあった。だから、(相手にしないに越したことはない)
 そう理性は囁いているのに、なぜか今夜に限っては、この状況をどこか楽しんでいるもう一人の自分がいる。いま李義府の脳裏に宿っているのは、
(翔娘を喜ばせてやれば、美眉の気が惹けるんじゃないか)
 そんな邪まな想いだけだった。
 これは噂だが、美眉は妓女ながら、金次第で誰にでも靡くというような女ではなく、よほど気に入られた殿方でもない限り、肌を許すようなことはないのだと云う。
(そんな美眉の泣き所が、翔娘なら、……)
 この機会を利用しない手はない。
 そんなことを真剣に考え始めているいまの自分に、李義府は信じられない気持ちで一杯になっていた。
(『晋書』の編纂に駆り出されたせいで、俺もとうとうおかしくなってしまったか?)
 そんな不安さえ湧き上がってくる。
 しかし、そんな内心はともかくとして、いままさに眼前には、期待と不安が入り混じった表情の翔娘が自分を凝視し、立ち尽くしている。
(仕方ないか……)
 その視線に身を竦めながら、李義府は翔娘にこう云ってやった。
「いいか、まずは孟拓の気持ちも確認して、あちらも望んでいれば。これが条件だ」
「もちろん」
 翔娘は思い切り首を縦に振る。それには絶対の自信があるのだろう。
「そして、仮に孟拓も同じ思いだったとしてもだ、あんまり期待するなよ。自前でこの店にくるのは、自分一人でも結構敷居は高いんだ。それを孟拓も一緒ということになると、いろいろと……」
「それでもいいの」
 翔娘の言葉は悲鳴に近かった。
「いつかまた、必ず来てくれる。そんな思いさえ持てたら、ここでもきっと生きていけるから」
(この娘、……)
 李義府は意外な思いに打たれていた。
 妓女の本質などなにも判っていないだろうと思っていたのに、これから必ず訪れるであろう辛酸を、正面から受け止めるだけの覚悟を、翔娘は既に固めていたようだ。
 自分とは一尺(三十センチ)近い身長差があるせいか、翔娘が李義府と無理に視線を合わせようとすれば、どうしても爪先立ちになってしまう。
 その必死な姿がどうにも胸に刺さり、
「判ったよ。『できる限り』、だぞ」
 李義府は翔娘の目を見て、はっきりとそう約束してやった。
「ありがとう、李大人‼」
 満面の笑みなのに、なぜかその目尻には涙が滲んでいる
「さあ、早く戻れ。……あっ、その前に顔を洗っていけよ。そのまま戻ったら、まるで俺が悪さでも仕掛けたみたいで、美眉から叱られるからな」
「うん‼」
 翔娘は大きく頷くと、
「李大人、きっと約束だよ」
 もう一度繰り返してから踵を返し、そして思い切り駆け出していく。その姿を見送りながら、李義府はゆっくりと中庭に足を踏み入れていった。
 そこには多くの灯篭が置かれ、珍石を配した池の周りに整然と植えられた牡丹の花を、闇のなかに鮮やかに浮かび上がらせている。そんな風景のなかに溶け込み、ぼんやりと朧にかすむ月を見上げながら、
(さて、どうする?)
 李義府の頭脳は、めまぐるしく回転し始めていた。
 馬鹿な約束をしたという悔いは、不思議となかった。ともかく約束したからには、美眉を喜ばせるためにも、最善を尽くしたいとは思う。
 実は、李義府には、最初からある程度の成算はあったのだ。
(孟拓を定期的にこの店に連れてきてやることぐらい、爺さんからうまく金を引き出せば、どうにでもなる)
 つまり、許敬宗の財布を当てにするということだ。とはいっても、許敬宗の個人的な金という意味ではない。
(今宵の払いにしたって、どうせ爺さんの自腹じゃあるまい。九分九厘、公廨本錢だな)
 そう李義府は踏んでいた。
 「公廨本錢」とは、各官衙において必要となる種々の行政経費、例えば官吏の俸給や宴席のために必要となる経費、あるいは官庁の修繕費などにあてるために設けられた基金のようなもので、これを捉銭令史と呼ばれる役人に預けて運用させ、そこから上がった利益の相当額を役所に納めさせるというものである。
 官吏の俸給など、基本的な行政経費をこうした資金から支出するというのは、現代の我々の感覚からすると、非常に奇異に感じられるかもしれない。しかし、『唐』では、その建国当初から基本的な財源不足に悩まされており、本来であれば、民間から徴収した租税をもって賄うべき行政経費ですらままならないという、お寒い現実があったのだ。
(ともかく、国力は疲弊している)
 平和な御代だと、廷臣らは主上の善政を称えるが、その実態は、王朝が積極的になにかの政策を実施しすべく、民間を締め付けて無理な税を搾り取れるほどの余力がないということの裏返しでもある。
(それは、戸口一つとってみても明らかだ)
 本朝のこれまでの歴史において、人口が最大だったと考えられているのは、『(西)漢』代の元始二(紀元二)年の約六千万人だが、『唐』の人口はと云えば、国内の混乱が収まり、回復傾向にはあるものの、貞観十三(六三九)年の時点で、およそ一千二百七十万人を数えるにすぎない。単純に人口だけで真の国力は測れないとしても、『(西)漢』代と『唐』では、その実力比は、およそ五:一である。
 この人口で、『(西)漢』代とほぼ同じ広さの領土(そこには西域諸国も含まれる)を維持しているのだ。国家財政に余裕など生じるはずがなかった。そこで、いまの主上が即位された直後から制度化されたのが、この公廨本錢だ。京師にある諸官衙の必要経費はみな、捉銭令史から上納される運用益によって賄われるのが実態となっており、その運用益は時にもよるが、一月当たり本体の八分にも上っているという噂だ。
 だが、捉銭令史がそうした運用益を官衙に納め続けるためには、それ以上の利益を継続して確保しなければ、制度として持続できるはずがない。実際、捉銭令史の多くは、公金を運用しているという事実を盾に、阿漕な商売や金融に手を出し、民を悩ませることも多いようで、とにかく民間での評判は散々なものだった。
 さすがにこれでは外聞が悪いと、貞観十五(六四一)年、当時、諫議大夫(※三八)だった褚遂良らを筆頭に、貴族官僚らの反対にあって、公廨本錢は表向きには廃止されたことになっている。
しかし、そうすると今度は、各官衙において必要経費が不足するという事例が頻発したために、公廨本錢は完全にその姿を消すことなく、黙認に近い形で存続している。
 許敬宗がいま握っているのは、おそらく宮中における経籍の管理を担う秘書省の公廨本錢だろう。今後、『晋書』の編纂には主上が関わられることも決まっている。これから公廨本錢の用途は、質・量ともにその自由度が増していくはずだ。孟拓のこの店での上げ代ぐらい、物の数ではない。
(だが、それでは、この件の根本的な解決にはならない)
 どうせ力になってやるのなら、最終的に二人が添い遂げられるところにまで持って行けた方が、断然面白いに決まっている。
(そのためには、どんな手を打つか……)
 すっかり考え込んでいたせいか、いつのまにか中庭はとうに横切り、店の南東隅、雇い人の居住用の建屋すぐ近くにまで李義府は来てしまっていた。少し身体も冷えている。
(そろそろ戻るとするか)
 李義府が踵を返しかけたその瞬間、彼の背後でなにかが軋むような鈍い音がした。
 反射的に振り返ると、建物の陰に隠れていた小さな扉が開き、中から二人の男が姿を現わしてくる。内部から漏れる灯りが、二人の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
「それではまた」
 先に出てきた男が振り返り、もう一人の男に声をかける。しかし、その瞬間、すぐそこにいた李義府の存在に気付くと、
「誰だ⁉」
 冷たい声でそう誰何した。
 少々慌てはしたが、すぐに気を落ち着けると、何事もなかったかのように李義府は、静かに言葉を返す。
「すまない、怪しい者じゃない。二階の宴席の客だが、酔い覚ましで庭をうろついているうちに、ついこんなところまで来てしまったんだ。勘弁してくれ」
 男はまだ疑わし気な表情を崩してはいなかったが、月明かりに浮かぶ姿が馴染みのお役人らしいと気付くと、瞬時に厳しい表情を緩め、いつもの商売人らしい姿に戻っていた。
「なんだ、李大人じゃありませんか。驚かしちゃいけません。さあ、お部屋までご案内いたしましょう」
(この男には見覚えがある)
 たしか、店の者から「蒙旦那」と呼ばれている、百華苑の責任者だ。妓楼の場合、妓女の仮母となる年配の女が表向き主人を名乗ることが多く、壮年の男が責任者を務めているというのは、かなり珍しい。きっとこの店なりの特殊な事情があるのだろう。
 だが、今宵の蒙某は、いつもとは少しばかり雰囲気が違っている。一見、愛想の良さは普段どおりだが、その身に纏っている気配がなんとも剣呑なのだ。
(まるで、人でも殺しかねない佇まいだ)
 そんな冷たい戦慄を李義府は感じていた。
 案内するために、先に立って歩き出した蒙某は、後ろの男にそっと目配せし、建物の中に戻らせる。素知らぬ顔で、李義府も蒙某の後を追うが、同時に、さりげなくもう一人の男の姿を視界のなかに収めておくことは忘れなかった。
 暗くて顔は判らないが、自分よりも若い、二十代半ばぐらいだろうか。割とがっしりとした身体を袍に包み、妓楼だというのに冠を付けている。
(あの冠は、学生か?)
 李義府はその記憶をしっかりと脳裏に焼き付けていた。

 陽光が瞼の裏にまで入り込み、その眩しさで朝の到来を知った李義府は、寝台の上で大きく伸びをし、眠い目をこすりながら半身を起こす。すると、
「李大人、どうぞ朝食よ」
 冷たくよく通る声が響くと同時に、どんと大きな籠が目の前に突き出された。
(何事だ?)
 驚いて声の方向に焦点をあわせると、そこには、牀台の傍らに仁王立ちする美眉の姿があった。
昨夜とは違い、質素な衣服に着替えているせいで、細身の美しい体形がはっきりと見て取れる。しかも、化粧もせず、髪も簡単に結って櫛で止めているだけなのに、朝の陽光を浴びた美眉は生気にあふれ、夜の姿とはまた一味違った魅力を身に纏っていた。
「やあ、おはよう美眉。添い寝をしに来てくれるには、少し明るすぎる時刻だが……」
 試しにお道化てみたのに、美眉はにこりともしない。かなりご機嫌は斜めのようだ。
「どうした、美眉。なにが気に入らないのか知らないが、俺はなにか怒らせるようなことをしたかな?」
「本当に覚えがない⁉」
 さらに美眉の柳眉が逆立ってくる。
(いかん、これは本気だ)
 低調だった全身の血流は一気にその速度を上げ、李義府は昨夜からの記憶を手繰り寄せてゆく。そして、次に言葉をつなごうと口を開きかけた瞬間、
「李大人、昨夜あなた、翔娘に約束をなさったそうね」
 美眉の口からは、そんな怒りの言葉が洩れていた。
(なんだ、そのことか、……)
 李義府は、全身から力が抜け落ちていくのを感じる。
「美眉姐さんには絶対内緒で、……」
 そう云ったのは翔娘の方なのに、李義府との間で交わした約束について、翔娘は昨夜のうちに、すんなり白状してしまったようだ。まあ、あの有頂天具合なら、ばれるのは時間の問題だろうと思ってはいたが、さすがに昨夜の今朝とは思わなかった。
「李大人、あなた、どれほど残酷な真似をしたのか判ってる?こんな場所で働く女は、みんな不安で仕方がないの。いつでもなにかに縋りたいと思ってる。それを可哀そうだと思うのは構わないわ。でも、生半可な優しさをみせて、結局、叶わない夢を抱かせるのは絶対に駄目なの。その後には、絶望しかないんだから」
 美眉の語気は激しかった。真剣に怒っていることを痛感させられる。こんなときの女にまともに逆らうほど莫迦なことはないと、李義府は経験則として知っていた。
「悪い、ご免、ともかくすまない」
 とりあえず顔の正面で手を合わせ、謝る仕種だけはしてみせる。
 しかし、それで美眉の鉾先が幾分なりと鈍ったことを確認すると、すぐさま李義府は表情を改めて寝床から抜け出し、美眉の真正面に立って見据える姿勢に変わった。
「だが、約束した限りには、出来るだけのことはしてやりたいと思っているんだ。だから美眉、まずはこの店を仕切っている者のところまで、俺を連れて行ってくれないか」
 李義府は唐突に、そう切り出した。
「えっ、どういうこと?」
 一瞬にして攻守所を変え、今度は美眉が慌てる番だった。けれど、李義府はそれには答えず、牀台の脇に置いてあった袍衣を手に取ると、素早く身支度を整える。
「さあ、行こう」
 急き立てられた美眉は、訳の判らぬまま、手にしていた篭を慌てて牀台の上に置き、
「ねえ、待って」
 と、房を出ようとする李義府を慌てて追いかけた。
 ようやく階段の前で追いつくと、今度は自分が前に出て、案内役に回る。それから何度も後ろを振り返り、李義府に訳を聴こうとするが、なんの反応もないことを知ると、諦めて足を速める。
 一階まで下り、厨房の脇を抜けて帳場のなかへ入っていくと、その奥には目立たないよう設えられた扉があった。そこを抜け、狭い廊下を何度も曲がりながら進んでいく。ようやく突き当りの部屋にたどり着くと、美眉は横開きの扉を叩き、
「蒙旦那、いらっしゃいますか?」
 そう声をかけた。
 すぐに反応があり、美眉の姿が一瞬中に消える。しかし、暫くして顔を出すと、
「どうぞ、お入りになって」
 李義府を招き入れ、それと入れ替わるように、今度は自分が扉の外に出ていった。
「李大人、昨夜はどうも。で、こんな朝早くから一体、なんの御用で?お勘定なら、すでに頂戴しておりますが……」
 口調も表情も柔らかだが、針鼠のように全身に警戒心を漲らせていることが判る。しかし、それでも、
「まあどうぞ」
 と、自分の前の床几を蒙岳は勧めた。
「いや、実はちょっと、頼みたいことがあってね」
「お役人様の方からお願い?これはまた、なんとも物騒なことで」
 そんな軽口を叩いてみせるが、蒙岳の表情はさらに硬くなる。
「翔娘のことなんだが、……」
 そう切り出してから、李義府は孟拓と翔娘の関係を簡単に説明する。ここを語っておかないと、蒙岳の不審はさらに募るだろう。
「それで、あの娘、前借りしているのは、たしか八十貫と聞いたんだが?」
「たしかにそうですが、それを確かめて、李大人はどうなさるおつもりで?まさか、これから部下になる人間のために、身請けでもなさってやるんですか?」
 胡乱な声と表情を隠そうともせず、蒙岳は聞き返してくる。
「いや、俺にそれほどの甲斐性はまだないさ」
 苦笑いしながら、きっぱりと李義府は否定した。
 借財は八十貫でも、身請けするには最低でもその倍が必要だというのは、こういった世界の常識だ。質の悪い抱え主なら、さらに上積みしてくることも珍しい話ではない。いまの段階でそれだけの金を準備しておく算段は、さすがの李義府にもついていなかった。
「だが、二年ほど待ってもらえれば、間違いなく用意できる当てがある。だからその間、翔娘に伽の客を取らすことだけは待ってもらいたいんだ」
 そう李義府は、いきなり本当の狙いを蒙岳に突き付けた。
「その代わり、借財の三割、二十四貫を保証料としてこの店に預ける。もし二年後に身請けの金が用意できなければ、もちろん召し上げてもらって結構だ。また、褥をともにすることさえないのなら、その間、翔娘に接客をさせることは構わない。どうだい、この条件で二年間、翔娘を預かってくれないか?」
 李義府が一方的にまくしたてている間、蒙岳はなんの口も差し挟まなかった。が、その実、頭のなかでは必死に考えを巡らせているのだろうと、李義府には判っていた。
(こいつ、どういうつもりでこんな話を持ち込んでくる?)
 蒙岳は迷っているはずだ。単純に額面どおりの話なのか、それとも、裏に何か隠された思惑があるのか、と。
 李義府からの提案は、商売上の問題だけなら、その損得勘定は難しいところだ。この店がまともな妓楼なら、翔娘を一人前の妓女に育てあげるには、まだまだ時間が必要なことは理解しているだろう。その期間の費用を負担しようという奇特な申し出だと考えるなら、決して悪い話ではない。
しかし、逆に質の悪い店なら、妓女として一人前に育てることなどお構いなしで、翔娘に少しでも早く客を取らせ、あくどく稼ぐ方を選ぶだろう。
(だが、百華苑は役所も利用する上質な店だ。まずは、そんな悪辣な真似はするまい)
 話しに乗ってくる可能性は高いと、李義府は睨んでいた。
(それに、昨夜の件がある)
 李義府には半ば確信があった。
 もし、蒙岳がこの申し出の裏に、昨夜自分が目撃したこととの関連性を嗅ぎ取ってくれるなら、こちらの言い分を呑んでくれる可能性は、一層高くなるはずだ。
(もし、そんな様子が見えるようなら、それはそのまま、昨夜の件には何か特別な裏があるという証拠にもなる)
 本当なら、もう少し確証を得てから試してみたかったのだが、蒙岳の出方次第で、改めて探索する方策を考えるしかない。
(そうなったら、申し訳ないが、後は両筆に頼むか)
 李義府は、顔馴染みの御史台の探索方に、この後を任せることまで想定に入れていた。
 時間も金もかかるだろうから、それ相応のものは用意しておく必要があると覚悟する。さすがにそこまでは、他人の懐を当てにはできない。
 ただ、その問題はとりあえず後回しにするとして、もし、蒙岳がこの話に乗ってくるとなると、当面、必要となるのは二十四貫の保証料だが、それについては、昨夜のうちに許敬宗との間で話はつけてあった。
 宴席から呼び出し、掻い摘んで孟拓と翔娘の事情を説明した当初こそ、さすがに驚いた顔を見せてはいたが、そこは海千山千の許敬宗だ、すぐに話を呑み込むと、
「お主が今度の仕事で役目を果たしてくれるというのなら、この程度のことなど、お安い御用だ」
 と、気軽に引き受けてくれた。さらに、二年後に必要となる身請け金についても、
「『晋書』の編纂さえ完了していれば、諸々の報奨や御下賜金が必ずある。その中からなんとかしてやろう」
 そこまで約束してくれたのである。
 あまりの物分かりのよさに、胡散臭さが芬々としていたが、ともかくいまは、ありがたくそのお言葉も頂戴しておくことにする。
 そして、蒙岳である。
 そんな李義府の思惑をどこまで感じ取っているのか、暫く黙って考え込んでいたが、やおら笑みを浮かべると、
「判りました」
 そう、いきなり首を縦に振ってみせた。
「ただし、保証料は二年後、身請け話が流れてしまうことが決まったら、その時にいただければ結構ですよ」
「おいおい、それじゃあ当面、そっちにはなんの得もないじゃないか⁉」
 蒙岳のあまりに気前の良い申し出に、今度は李義府が驚かされる。
 より相手の意表を突いた方が、話の主導権を握ることになるのが、こうした交渉事の常道だが、なかなか蒙岳も李義府に負けてはいない。
「なあに、構いやしません。それで李大人とご懇意になれるのなら」
 そこが商売人の器量というやつですよと、貼りつかせた笑みもそのままに、蒙岳は朗らかに云った。だが、その眼差しは極めて冷たく、これ以上もう一歩も踏み込ませない、そんな棘が全身から透けて見えている。
「それじゃあ、そういうことで」
 李義府の沈黙を承諾の意と受け取って、蒙岳は立ち上がる。そのまま扉を開け、そこでまだ中の様子をうかがっていたらしい美眉を招き入れると、二人の間で成立した約束事の内容を話して聞かせてやった。
「これで美眉が証人だ。李大人、これでよろしいですね」
 それじゃあ、私にはまだ用事がありますんでと、有無を言わさず蒙岳は二人を追いたてにかかった。部屋の外に二人で押し出され、その後ろで扉が音を立てて閉じられた瞬間、美眉は本当に吃驚したような顔をして、李義府のことを見つめてくる。
「李大人、あなたって本当に呆れた人ね」
 そう呟いた。しかし、その瞳には、強い賞賛の色が浮かんでいる。
「だから云っただろう、やれるだけのことはやるって。どうだい、いくらでも褒めてくれていいんだぜ?」
 そんな揶揄に返す言葉もなく、美眉はまだこちらを見つめたままだった。

 ようやく起きだし、朝食も済ませたらしい鄭賀ら四人は、蒙岳のところから戻ってきた李義府の姿を見つけると、各々挨拶を済ませ、順番に百華苑を後にしていく。そんなところに、すっかりしおらしくなった翔娘も姿を見せ、孟拓を見送った後もその場に居残っていたが、李義府の横には美眉が控えている。こちらに近寄ってくることもできず、遠くから気まずそうな視線を送ってくるさまは、見ていて気の毒なほど憔悴しきっていた。
(これは相当に絞られたな)
 李義府としても腹立たしくはあったが、さすがになんだか可哀そうにも思えてきて、
「もう許してやったらどうだい?」
 そう美眉に言葉をかけてやった。
「仕方ないわね」
 芝居がかった溜息をつきながら、それに応えて、美眉は翔娘に声をかける。
「昨夜云い聞かせたことは忘れてないわね?……なら、もういいわ。今日でまた状況は変わってしまったから」
 どういうことか判らず、翔娘は狐につままれたような顔をしていたが、少なくとも美眉がもう怒っていないことだけは悟ったようだ。そうすると現金なもので、すぐに元気を取り戻し、
「お姐さん、ありがとう。さあ、李大人もお腹が空いてるでしょう?厨房にお願いして、ご飯、温めなおしておいたから」
 と、翔娘は食堂の一角へと案内してくれる。
(やれやれ、これでようやく朝飯にありつけるか)
 李義府は腰を下ろすと、そこに用意されていた朝食に箸をつける。
「そう云えば、子顕だけまだ顔をみないな。どうかしたのか?」
「それが、……」
 美眉が難しい顔をみせると、その横から翔娘が口を挟んだ。
「春蘭姐さんが届けた朝食を食べたら、急に具合が悪くなったんですって」
「この食事で?」
 皿の上で湯気を立てているのは五色の野菜の炒め物に具入りの焼餅、それに青菜と細切りの豚肉をのせた刀削麺である。
「俺はなんともないが、……」
「ええ、他の方もなんともなかったわ。子顕さんだけ、なにか身体に合わないものでも入っていたのかもしれないわね」
 と、美眉が云う。
 すぐに気がついて吐き出したので、そんなに大袈裟なことはないらしいが、春蘭が非常に心配して付き添っている。念のため、後で薬師にも来てもらうのだという。
「あの人、意外と母親ぶるようなところがあるから」
 美眉は春蘭の意外な一面を明かし、可笑しそうに笑った。どうやら美眉と春蘭は、気の置けない間柄のようだ。
「まあ、子顕には無理をしないように云っておいてくれ。なんなら屋敷に使いを出して、迎えを寄越してもらった方がいいかもしれないな」
 美眉は素直に頷き、
「伝えておくわ」
 と、返す。そして、李義府が食事を終えるのを確認すると、その皿を丁寧に一つずつ片付けていった。
「さて、それじゃあ俺も一仕事あるので、これで帰るよ」
 食事を終えると、そう云って、李義府は席を立つ。まだ名残り惜しそうな美眉と翔娘に見送られながら、表口から出ると、
「じゃあ、また今度」
 軽く手を振り、李義府は背中を向けた。
「ねえ、次はいついらしてくださるの?」
 背中から追いかけてくる美眉の声に振り返ると、
「六日後の休沐には必ず」
 そう答える。
 その声音に、心なしか昨日より気合が入っているような気がして、李義府はどうにも照れ臭かった。それに対して、本当に嬉しそうな笑みをこぼした美眉だったが、
「そのときは、庸明さんも必ず一緒にね‼」
 そう付け加えることを忘れなかったのは、美眉にとって、李義府に対する精一杯の意趣返しだったかもしれない。
 
【注】
※一 「武昭王」
 五胡十六国時代の『(西)涼』の創始者、李 暠の諡号。『唐』の高祖、李淵が武昭王の八世孫を称していたため、『晋書』ではその諱を避けて、字で「李玄盛」と記される。
 本貫は隴西郡狄道県(現在の甘粛省定西市臨洮県)
※二 「二胡」
 伝統的な擦弦楽器の一種。二本の弦の間に挟んだ弓で弾いて演奏する。
 この時代ではまだ、演奏するときに楽器を立てず、横に寝かせた状態のままで棒を用いて弦を擦り、音を出していた
※三 「正史」
 東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂された自王朝以前の歴史書のことを云う
※四 「東観漢記」
 東『漢』(二五年~二二0年)代の歴史を紀伝体によって記した官選の史書。書名は、宮城の南宮、東観で編纂が行われたことにちなんでいる
※五 「公孫術」・「隗囂」
 いずれも『新』末・『(東)漢』初期の群雄の一人。
 隗囂は隴西に拠り、公孫術は蜀の地を支配した。隗囂の死後、隴西の平定に成功した光武帝(在位:二五年~五七年)が、続いて蜀にある公孫術の勢力まで討伐することを考えたが自重し、「隴を得て蜀を望む」の故事を残したことで知られる
※六 「涼州」
 現在の甘粛省・寧夏回族自治区一帯
※七 「冊封」
 君主が臣下に対して爵位・名号を与えることを云う。
 邪馬台国の女王、卑弥呼が三国時代、『魏』の皇帝、曹叡から「親魏倭王」に封じられた事例もこれにあたる
※八 「給事中」
 門下省に属し、皇帝の詔勅を審議する官職。官品は「正五品上」
※九 「雅州刺史」
 現在の四川省雅安市一帯を治める民政長官
※一〇 「黄門侍郎」
 皇帝の詔書を審議する門下省の次官。官品は「正四品上」
※一一 「主簿」
 帳簿を受け持ち、御史台内の庶務を統括する官職。官品は「従七品下」
※一二 「普安郡陰平県」
 現在の甘粛省隴南市付近
※一三 「礼部」
 尚書省の管下にあり、礼学儀仗・教育・国家祭祀などを所管する官署
※一四 「員外郎」
 官署ごとに定められた定員の枠外で役職に就いている人員のことを云う
※一五 「太尉」
 『秦』・『漢』代に設けられた官職で、三公(最高位に位置する三つの官職)の一つ。軍事を担当する
※一六 「御史台」
 百官の行政に対する監察機関。貞観年間に台獄(監獄)が設置されたことによって、中央司法機関の一つとしての機能も有するようになり、特殊な案件を処理した
※一七 「侍御史」
 御史台に属し、官僚の監察・弾劾を職務とする官職。官品は「従六品下」
※一八 「刑部司門司」
 尚書省の管下にある六部の一つで、司法を担当する官署。
   現代の日本風に云えば、法務省に相当
※一九 「恩蔭」
 貴族層の子弟に与えられた特権で、自動的に官品が与えられ、試験を受けずに官職に就ける制度。「任子」とも云う
※二〇 「文散官」
 『唐』代、中国の律令制下において、貴族・官人が保有する品階に対応して与えられた称号。 
 「従九位下」より上位の品階を持つ全ての官人に与えられ、文官と武官によって与えられる散官は異なった。
 散官に用いられた官名は、元々は内容のある官職だったが、『隋』代以後には実権を剥奪され、品階を与えられた者に対して授与される名誉のみの称号となり、数字表記の品階に代わる呼称として用いられた。
 なお、「奉議郎」に相当する官品は、「従六位下」である
※二一 「沢州刺史」
 現在の山西省晋城市一帯を治めた民政長官
※二二 「州司馬」
 『唐』代、各州に刺史(民政長官)の補佐として置かれたが、実際の職務権限がない場合が多く、主に中央からの左遷先として使われた
※二三 「洛陽」
 現在の河南省洛陽市
※二四 「県丞」
 県令の下、その補佐・監察にあたる役職。官品は「正九品上」
※二五 「胥吏」
 庶民でありながら、役人としての仕事を務める者の総称。正規の高等官僚である「官人」という名称と対応し、両者を併せて「官吏」と呼ぶことが多い
※二六 「侍中」
 門下省の長官。官品は「正三品」
※二七 「中書侍郎」
 中書省の次官。官品は「正四品上」
※二八 「秘書郎」
 宮中における経籍の管理を行う官。官品は「従六品上」
※二九 「太子中舎人」
 皇太子の側近くに仕え、その補佐を行う官職。官品は「正五品下」
※三〇 「著作郎」
 中書省に属し、国史の編修や制作などを司る官職。官品は「従五品上」
※三一 「太史丞」
 天文・暦法や祭祀などを司る役所の属僚。官品は「従七品下」
※三二 「中書舎人」
 中書省に属し、詔勅の作成などを司る官。官品は「正五品上」
※三三 「秘書省」
 宮廷内の書籍全般を司る役所
※三四 「鞏義窯」
 現在の河南省鞏義市で営まれた主要な窯業生産地の一つ。隋代から唐代を通じて最盛期を迎えた
※三五 「亀茲(クチャ)」
 現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ市付近、タリム盆地の北側(天山南路)に位置したオアシス都市国家。
 玄奘の『大唐西域記』では「屈支国」と記されている
※三六 「揚州」
 現在の江蘇省揚州市一帯
※三七 「瀛州饒陽県」
 現在の河北省衡水市
※三八 「諫議大夫」
 門下省の長官(侍中)の下に置かれ、政治の得失や皇帝の過ちを諫言する役職。
 官品は「正五品上」
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せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

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