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食べさせてよ、お願いだから

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ふぅ……。俺は一息つくと、公園を見渡した。
うん、今日も綺麗にできた!

鈴ちゃんは、最近リハビリにも新しいお店についても前向きで、デイルームでパソコンを開いて、谷口くんや佐々木さんと通話していることが多い。

スミさんのところでは、庭仕事を再開したけれど、かなり綺麗になっているので、植物の成長を楽しんでいる。
それに、相変わらず色んなものを作ってくれていた。

大地くんも、少しずつ少しずつお母さんとお互いに歩み寄っている。ギクシャクはしながらも、二人がお互いを想い頑張っている姿は、応援したくなる。

社長も相変わらずで、俺は日に日に社長への憧れが強くなっていた。


公園掃除を終えて、自分で作ってみたお弁当を食べようかと思った時に、スマホの着信音が鳴った。

……大地くん?どうしたんだろう?

そう思って電話をとった瞬間、大地くんが悲痛に叫ぶ声が聞こえた。

俺は、【それ】を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になって、スマホを落としかけた。

自分でもどうすれば良いか分からなかったけれど、とにかくすぐに社長に電話をして折り返すからと落ち着かせて、電話を切った。



……スミさんが、死んだ……??



嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!
だって、昨日も家に行ったんだ。元気だったじゃないか。庭を一緒に手入れして、おやつを食べて……ちゃんと話していたし、また明日とも言ったんだ。
何かの間違いに決まってる。だって、どうして大地くんが……。きっとこれは、ドッキリだ、そうに違いない。そのはずなんだ。

そう自分に言い聞かせて、俺は社長に電話をした。
嘘だと言って欲しかった。
だけれど社長から言われたのは……。

スミさんが死んだのは間違いない。お孫さんから連絡があった。先野くんはすぐに大地くんのところへ向かってあげて欲しい。だった。

なんで、なんで否定してくれないんだ。なんで、なんで……!!

俺は、必死で自分を落ち着かせながら、大地くんの元へと急いだ。


「おじさん!!」
玄関に入った瞬間、大地くんが飛びついてきて、俺にしがみついた。
俺は大地くんを受け止めて、抱きしめることしかできなかった。
大地くんのお母さんが震えながら涙を流しているのを見て、これが嘘ではないと突きつけられた気がした。

そのまま、大地くんの部屋に二人で行って、泣き続ける大地くんの背中をさすりながら、ゆっくりと話を聞いた。
どうして大地くんは俺より先にスミさんのことが分かったのだろう……。

「あのね、おじさん、俺ね、スミさんのお孫さんと、連絡を取り合っていたんだ」
ひっくひっくと泣きながら大地くんが言った。
「えっ……」
「覚えてる?おじさんがいた時にさ、スミさんの家で、俺が電話とった時があったでしょ……?あれ、スミさんのお孫さんからだったんだ。お孫さんね、スミさんが毎日お茶を入れるの分かってたから、お茶のポットを一定時間使わなかったら連絡がいくタイプのものをプレゼントしていたんだ……。スミさん、お孫さんとは、手紙や郵便でやりとりをしていて……」
「……」
「あの電話の時、お孫さんと連絡交換をして……。それで、今日の朝……いつも早く起きてお茶を入れるスミさんがポットを使わないで……お孫さんが連絡しても繋がらなくて……駆けつけたら、お布団の中で、眠ったままって……」
そのまま大地くんはまた声をあげて泣き始めた。
俺は必死で大地くんを抱きしめて、自分も落ち着こうとした。
でも俺の心臓は、バクバクしていて……。
気の利いたことも言えず、俺はそのまま社長から電話があるまで、ただただ大地くんを抱きしめて、背中をさすっていた。


社長に呼ばれて事務所に戻ると、俺にお客様が来ていると、あの面接をした部屋に行かされた。
そこには一人の女の人が座っていて、俺を見た瞬間に立ち上がって頭を下げたので、俺も慌てて頭を下げた。

「初めまして。祖母がお世話になっていました。私、玉ノ スミの孫の、愛理と申します」
「あ……先野 優人です……」
俺たちは向かい合って座った。
「祖母の手紙から、先野さんのことは聞いていました。実は、祖母は自分に何かあった時の為に……色々準備をしていて。これ……一番に渡して欲しいと頼まれていた場所に置かれていた手紙です」
愛理さんが、俺に手紙を渡してくれた。
「それで……こんな話を今するのは不謹慎かもしれないのですが、祖母は、公正証書を残していて。うちの父や叔父も承諾しているのですが……あの家は、先野さんに遺産として残されます」
「えっ……!?」
俺は理解が追いつかず、固まっていた。
「先野さんの婚約者さんが、車椅子だと聞いています。それで祖母は、バリアフリーのあの家を残したいと……荷物は私たちで整理します。もし必要なかったら売ってください。相続の手続きは、また落ち着いてからよろしくお願いします」
「そんなっ!!そんなの、貰えません!!」
「……祖母の意思なんです」
そう言うと、愛理さんが笑った。その目には涙が浮かんでいた。
「うちの父と叔父が何故勘当されたか、お聞きになりましたか?」
「いえ……」
「あれは、祖父のお葬式の時です。祖父は多くの遺産を残していました。半分は祖母に、もう半分を息子である父と叔父でさらに半分に分けるのが一般的な法律に基づいた分け方です。ですが……父と叔父はお金に目がくらみ、遺産のことで揉めたんです。それも、祖父の前で」
「……」
「祖母は大激怒して……その場で父と叔父を追い出しました。そして私たち孫にはしっかりと説明してくれたんです。祖父の素敵なところや、お金は人を変えてしまうことを。だから、父と叔父がお金で悪い方向に向かわないように、勘当すると。……孫の中で、私だけが祖母と連絡をとり続けていて……残りの遺産は私が相続人になっています」
「そう……なんですか……」
「先野さん、本当にありがとうございます。葬儀は身内のみで行います。またご連絡させて頂きます。あの……大地くんのことも、よろしくお願いします」
「……はい」

愛理さんを見送った後、俺はどうして良いか分からず立ち尽くしていた。
すると社長が、大地くんの家に行く時間まで、鈴ちゃんの元に行くことを提案してくれた。
社長が、本当に俺のことを考えてくれているのが伝わってきたけれど、今の俺は十分に応えられずに、ただ頷くと、鈴ちゃんの元へと向かった。
スミさんからの手紙を持って。


「ゆうさん!?どうしたんですか!?」
デイルームでパソコンをいじっていた鈴ちゃんが、俺を見て驚いた様子で声をあげた。
俺は、鈴ちゃんの隣に行き、今日のこの短期間であったことを、1つ1つ説明した。
鈴ちゃんの目から涙がこぼれた。
「それで、お手紙は……」
鈴ちゃんが、遠慮がちに言った。
正直、読むのが怖かった。だけれど、読まないといけないのも分かっていた。
「鈴ちゃん……一緒に読んでくれる……?」
「はい、もちろんです」
俺は鈴ちゃんにくっついて、手紙を開いた。


【優人くんへ】
これを読んでいるということは、私は夫の元へと旅立ったんですね。
あなたのことです。きっと、今立ち止まってしまっているのではないでしょうか。
私はとても幸せでした。きっと、夫の元へ行く最後の最後まで。
それは、優人くん。あなたのお陰です。
周りの人たちがどんどん夫の元へ行ってしまい、自分で遠くにも行けず、子供も勘当して、私は寂しくて、なんでも屋さんに依頼をしていました。
でも誰もが、仕事のやりがいがない、プライベートは明かしたくないと、私の依頼は断られていたようです。
そんな時、優人くん。あなたと出会いました。最初は仕事がないと思っていたみたいだけれど、いつのまにか、本当の家族より家族になっていました。
夫との想い出を沢山思い出させてくれて、私を一人の人間として信頼してくれて、本当に、あなたと過ごした時間は幸せそのものでした。
優人くん、あなたはお金に惑わされず、本当に大事なものを見ていた。そんなあなただから、私は、この家をあなたと鈴子さんに遺します。

あなたは私に、生きる喜びをくれた。間違いなくヒーローです。

最後に、ばあのお節介とお願いをさせてください。できれば、大地くんが家を出る前に叶えて欲しいです。
それは……



良いですか。優人くん。お願いしますね。
どうかあなたが、これからも変わらず真っ直ぐ真っ当でいてくれるよう、見守っています。
あなたは間違いなく私のヒーロー。
だから、立ち止まっている暇はありませんよ。
本当にありがとう。また会いましょう。

【玉ノ スミ】



手紙を持つ手が震えていた。
鈴ちゃんが、俺を抱き寄せてくれる。

最初、何故スミさんが毎日依頼をしているのか分からなかった。
仕事をしている実感がなくて、悩んだ。
スミさんの笑顔を見て、嬉しかった。
気がついたら、仕事のことを考えず、スミさんに会いたくて、スミさんの為に何かしたいと思った。
鈴ちゃんのことも、大地くんのことも、スミさんがいたから乗り越えられた。
それなのに俺は、なにもできなかった。

俺は、ヒーローなんかじゃない……!!
こんな俺が、ヒーローなわけがない……!!


「ゆうさん、ゆうさんは私にとってもヒーローなんですよ」
「えっ……?」
鈴ちゃんの言葉に、思わず顔を上げた。
「私が会社で孤立して、一人で食欲もなくして、友人もいなくて……そんな時、私の心を救ってくれたのがゆうさんです」
「……」
「ゆうさんは、いつも人と真っ直ぐに付き合います。一生懸命手を差し伸べています。それは、間違いなくヒーローですよ」
「……」
「私、スミさんの残してくれた家に住みたいです。ゆうさんと一緒に。そして……この、スミさんのお願いも……私は、嬉しい……」
鈴ちゃんの目から涙が溢れ出した。

俺は、そんな鈴ちゃんに頷くことしかできなかった。

立ち止まっている暇はない。
だけれど、どうやって歩き出せば良いんだ。
こんな時、いつもそばにいてくれたスミさんはもういない。

分かっていたはずなのに。
スミさんの年齢も、人はいつか必ず死ぬということも。
分かっていたはずなのに。



スミさん……俺、歩けないよ。
立ち止まってしまうよ。


だから、いつものように喝を入れてよ。
抱きしめてよ。
笑ってよ。
お腹空いたよ。スミさんの作るものが食べたいよ。

鈴ちゃんの肩に頭をもたれかけて、俺はぼうっとしていた。




……俺はヒーローじゃない。


だから……ヒーローになりたい。
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