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怒りはショートケーキの敵

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一度事務所に戻った俺は、何があったのかを社長に細かく話した。
「ふむ……いや、見つけたのが君で良かったよ。実は、大地くんのお母様から、君に大地くんを探して連れ戻すようにと最初は依頼が来ていてね……」
「えっ……」
「でも、信頼ある場所で勉強をすると言ったら納得してくださったんだ。……しかし、衝突は避けては通れないだろうね」
「そう……ですよね……。そもそも航空専門学校を教えたのは僕ですし……」
「私は、君がいたから大地くんは救われたと思っているよ」
「……」
社長はそう言ってくれるけれど、本当にこれで良かったのかわからない。
「大地くんは……君から航空専門学校のことを教えてもらったと言っていないみたいだ。ネットで資料を取り寄せたとでも言ったのだろう。私は大地くんに今必要な大人は君だと思うんだ」
「社長……どうしてそこまで……」
俺が小さな声で言うと、社長は優しく笑った。
「君も、ヒーローになるんだろう?」
「えっ……?」
「君の思うようにやってみなさい。大地くんのお母様とは、なるべく私が話をするよ。でも、どうしても衝突する時はくる。その時が、君が本当のヒーローになれるかどうかの見せ所だよ」
「……」
「今は、スミさんの力を借りて、大地くんを安心させてあげることを考えようじゃないか」
「はい」
「大丈夫、何かあったら私が出向くさ」
いつものように社長はそう言って笑った。
ああ、俺は、いつも、社長のこの言葉と笑顔に助けられる。
前の会社と真逆だ。
社長の言っているヒーローの意味はよく分からなかったけれど、大地くんのお母さんと近々衝突しないといけないことはわかった。
もちろん、衝突なんかしたくない。
今までの俺だったら……前の会社の俺だったら、衝突が嫌で、事なかれで、逃げ道を探していただろう。
でも、今なら違う。
自分の想いを衝突させることは、時には必要なんだと思うんだ。


俺は、大地くんの家に行っていた時間になると、スミさんの家に行った。
そこには驚くべき光景が広がっていた。
今日買ってきたものが、もうプランターに植えられていて、庭が綺麗になっていたのだ。
「大地くんが手伝ってくれたのよ。嬉しくて年甲斐もなくはしゃいじゃったわ」
居間に通してくれたスミさんがふふふと笑った。
「大地くんを呼んでくるわね」
スミさんがパタパタと部屋の一つに向かった。
部屋から出てきた大地くんの顔は、とても明るかった。
「おじさん!スミさんが、こんなに広い部屋を貸してくれたんだよ!机もあるし、何より沢山の本があるんだ!!」
こんなに嬉しそうで興奮している大地くんを見たのは、初めてじゃないだろうか。
学校の資料を見せた時よりも、まるで憑き物が落ちたように顔が明るかった。
「ふふふ、夫と息子の古い本だけれど、喜んでくれて嬉しいわ。後は服ね」
スミさんが俺を見る。
俺は思わず笑顔になっていた。
「じゃあ、三人で服を買いに行きましょうか!!」
「うん!」
「ええ」
俺の言葉に、二人の明るい返事が返ってきた。
その時、俺は不思議な気持ちになった。
この二人のこの笑顔を、守りたいと思ったのだ。


車で、ショッピングセンターにやってきた。
大地くんは、ネットでもうお店を決めていたのだろう。俺たちを案内してくれる。
「本当に若い人は凄いわねえ!こんなに小さな画面で、色々分かるんだから!」
スミさんは楽しそうに、大地くんの隣を歩いている。
大地くんも嬉しそうだ。
……考えてみれば、当たり前かもしれない。
いじめられて引きこもりになったのに、お母さんとの関係はあの状態で、お父さんも海外だ。
大地くんにとっては、スミさんの力が今必要なのかもしれない。

「ねえ、こっちの色も良いと思うの」
「え、派手じゃないかなあ」
「そんなことないわ!似合ってるわよ」
安いと有名な、量販店の服屋で、スミさんと大地くんがはしゃいでいた。
不思議だ。あれだけ大人びて一人でいた大地くんが、ものの数時間でスミさんに心を開き、本来の姿を見せている。
「おじさん、どっちの色が良いかなあ」
大地くんの笑顔が嬉しかった。
「うーん、おじさんはこの二つより、こっちのピンクの方が良いと思うんだけれど……」
「え?」
「いや、おじさんのつなぎの色と似ているから」
「確かに……うん、じゃあ、このピンクのTシャツを、俺の勝負服にするよ!」
大地くんが明るく言った。
まるで別人のような大地くんだけれど、本当はこうやって笑いたかったのだろう。
「しょ、勝負服!?大地くん!?喧嘩する気かい!?」
俺はハッとして慌てて言った。
すると、大地くんとスミさんは顔を見合わせて、笑い出した。
「おじさん、勝負服ってそういう意味じゃないよ」
「えっ!?」
「大事な時に着る服ってこと」
「あ、な、なるほど……」
こうして俺は完全に二人のペースに飲み込まれていた。
でも……それがすごく嬉しかった。

服を買って店を出ると、スミさんがオープンカフェを指差した。
「ねえ、私、一度ああいうお店に行ってみたいのだけれど……お婆さん一人じゃ行きにくいし、やり方が分からないの。もし良かったら……」
「うん!行こうよ!!俺も行ったことないんだ!!おじさんはある!?」
「あぁ!この前鈴ちゃんと……っとなんでもない!!」
おっとっと、スミさんがいたから油断してしまった。
大地くんは中学生だ。お付き合いのことはまだ早……
「ふふふ、優人くんの、彼女さんよ。婚約者と言った方が良いかしら」
と思った先から!!スミさん……!!
「へえー、おじさん、その話詳しく聞きたい!」
「ま、まだそんな話は大地くんには早いよ!!」
慌てて言ったけれど、スミさんが笑っている。
「あら、ちゃんとしたお付き合いをしているんだから、良いじゃない。それに、そういうことを子供としっかりと話すことが大事なのよ」
嬉しそうに言うスミさん。
「う……と、とにかく入りましょう!!」
「おじさん、顔真っ赤」
大地くんが、俺を覗き込んできてニヤリと笑った。
本当に、大地くんのこんな姿が見れるとは思わなかった。

……衝突……か。
俺はこの無邪気な大地くんの笑顔を、夢を応援したいし守りたい。
真っ直ぐ真っ当にずっと一人で頑張っていた大地くんに対してそう思うのは、悪いことだろうか。

「それで、彼女さんは何を頼んでいたの?今の若い人の流行りのものを食べてみたいの」
スミさんの声で、俺は我に返った。
「えっと、この前鈴ちゃんが食べてたのは、ふんわりクリームのショートケーキですね。飲み物は、季節限定のこれでした」
俺は、店の前に置いてあったメニュー表を見ながら言った。
「じゃあ、私はそれにするわ」
「おじさんは、その時何にしたの?」
「うん?ケーキは一緒だよ。飲み物をこっちの抹茶のやつにしたんだ」
「じゃあ、俺はそれにする!おじさんは?」
「おじさんもケーキは同じで良いなあ。美味しかったからね。そうだ、大地くん、もう一つ飲みたいものはあるかい?」
「え……このチョコレートのやつも気になったけど……」
「じゃあ、おじさんはこれにするよ!一口交換しよう!!」
俺の言葉に、大地くんが目を輝かせた。
「ふふふ、私も混ぜてくださいな」
スミさんの目も輝いている。

……ここで働いていて良かった。
突然そう思った。
なぜそう思ったか考える暇はなく、俺は注文をして、三人で席に座った。
「いただきます!」
三人でそう言うと、ショートケーキを頬張る。
あぁ……甘い……ふんわりクリームを売りにするだけのことはある。口の中でとろけるクリームが、スポンジに絡みついて……程よい酸っぱさのイチゴがアクセントになっていて……。
「まぁ!美味しいわ!」
「うん、美味しい!……けど、おじさんは凄く幸せそうに食べるね」
「ふふふ、そうでしょう?いつもこうなのよ。だからいろんなものを作りたくなっちゃうの。きっと彼女さんも同じ気持ちだと思うわ」
「おじさんが旦那さんだったら、彼女さんは退屈しないかもね!」
大地くんの言葉に、俺は危うく気管にショートケーキを入れてしまうところだった。
「だ、大地くん……な、何言って……!!」
「え?本当に思ったよ?……おじさんと家族だったら楽しいだろうなーって」
「そ、そうかな……」
「ええ、私もとっても楽しいわ」
スミさんが、とても嬉しそうに俺たちを見ていた。
……スミさんはこうやって、息子さん達を見守ってきたのかな……。


こうして俺たちはカフェを後にすると、スミさんの家へと戻って晩御飯を食べた。
俺の心の中から、これが仕事で良いのかという想いは消えていた。
その理由はまだ分からない。
俺たちは楽しい時間を過ごして、俺は仕事の終わりの時間がきた。

玄関まで見送りにきてくれたスミさんと大地くんに挨拶をすると、大地くんが、俺の服の袖を掴んだ。
「どうしたんだい?」
首をかしげる俺を、大地くんが真っ直ぐに見ていた。
「おじさん、俺、こんなに楽しかったの、記憶の中で初めてだよ」
「そうか!良かった!!」
「あの……これから母さんのことで迷惑をかけると思うけれど……ごめんなさい」
大地くんが下を向いた。
俺は何か言いたかったが、なんて言えば良いのか分からない。
その時スミさんが俺に目配せしてくれた。
「大地くん、こういう時はね、ごめんなさいじゃなくて、ありがとう、また明日ねって言えば良いのよ」
大地くんの肩に手を置いて、スミさんが優しく言った。
大地くんが顔を上げた。
その顔は涙で濡れていた。
「おじさん、ありがとう……また明日ね」
「うん!また明日!!おやすみ!!」
俺が笑顔で言うと、二人も笑ってくれた。



社長は俺の報告を聞いて、笑顔で頷いてくれた。
いつ大地くんのお母さんが、何を言ってきて衝突になるかわからない。だけれど今は、この幸せを優先したい。


次の日からも俺は、一日2回、スミさんの家に通った。
大地くんはどんどん元気になっていっていたし、スミさんと二人で仲良くやっているようだ。


そんな日を過ごして、その日も家に帰ると、あることに気がついた。
明日は鈴ちゃんが出張から帰ってくる日だ!!
1週間会えなかっただけなのに、ものすごく寂しかった。話したいことも沢山だ。
俺は楽しみでなかなか寝付けなかった。




俺のスマホが突然鳴り響いたのは、その日の夜中だった。
寝ぼけたままスマホを手に取った俺だったけれど、そのまま準備もそこそこに暗闇へと飛び出したのだった。
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